とある亜人の回想 『翼』
今から約四年前。
当時16歳のバハメロが、6人の亜人を開放し、亜人解放団ノヤリスが結成された。
亜人狩りから逃げ出した彼等は現在、深い森の中に根を下ろそうとしていた。
汗水を垂らしながら草木を片付け、木を切り資材に変えるロナザメトが、積み重ねた丸太の上を睨みつける。
「おいこらシーモ!サボってんじゃねえ!ここを拠点にしようっつったのお前だろ!」
「おおっと、バレてしまった。ロナザメト君は真面目だねえ」
「真面目とかじゃねえよ手伝え!」
「フフ、効率のいい仕事をする為には自分に見合った量の仕事をする事さ。それにワタシだって疲れるのだよ?」
「ああ?さっきから動いてんのほとんどあの女……『団長』だろ、大体てめ――」
「おやリン君」
シーモが横になったまま手を振る。
「っ……!リンさん!ええと今日はいい天気で……」
ロナザメトは背後に気配を感じ、背筋を伸ばして振り返るが、そこにいたのはリンではなくバハメロだった。
「む、吾輩はリンでは無いのである」
「……」
ロナザメトは再び資材の上を睨みつけたが、そこにシーモの影はなかった。
「アイツ……はぁ、まあいい。資材を取りに来たんだろ……来たんですか?」
「いや。建物を作るのは初めてでな、見様見真似故に不安である……故に少し見に来てくれると助かるのであるが……あ、リンもいるから用があるならついでに済ませるといいのである!」
「へ、変な気使うな!」
長でありながら道を切り拓くバハメロ。
言動は粗暴ながらも選択を間違えないロナザメト。
彼等の短所をシーモやリンが補う。
偶然居合わせた面子だというのに、組織設立には充分なメンバーだった。
まだ若い子供達も才の片鱗を既に見せていて、ノヤリスが組織として成長する頃には立派な『幹部』となるだろう。
そう考える男が一人、森の木陰で小さくなって座り込んでいた。
ノヤリスの中で最も歳を重ねた最年長。
鳥そのものな頭部。
腕代わりの灰色の翼。
それ以外に特徴の無い、やせ細った中年。
それがチャシという亜人だった。
亜人としても異質な彼は本来、『奴隷』としての価値よりも『コレクション』としての価値が高い。
チャシのような性質の『濃い』亜人は数十年に一度産まれるかどうかという程のレアケースだからだ。
そんな彼が四十年以上生き、ろくに買い手もつかなかったのはひとえに、『コレクター』の感性も時代と共に移り変わったからである。
残されたのは通常の亜人以上の迫害だが、それも長きにわたって亜人狩り組織の間でたらい回しにされていたが故の生存。
脆弱な彼が今を生きているのは奇跡というほかない。
「はぁ……良くないな……」
「どうかしましたか?」
チャシは飛び上がった。
独り言に対し突然返事が飛んで来たからだ。
背中に翼のある、青い髪の少女。
「カロロお嬢ちゃんか……」
「お……驚かせてしまって……すみません……」
「あ、いや……って、一人でここまで歩いて来たのか?危ないだろう」
カロロは長めの木の棒をついて歩いている。
極端に視力が低いからだ。
盲目という訳では無いが、開けた拠点予定地から少し離れた獣道を歩くのは簡単ではないだろう。
「大丈夫です、この子も一緒なので」
チャシが落ち着いてよく見ると、カロロの翼に隠れる様にしたミクノが覗いていた。
「……あんま離れたら迷子になるぞ?」
「うん、だからおじちゃんのおむかえにきたの」
「ワシの?」
ミクノは頷く。
チャシはくちばしの下を掻き、二人を連れて戻ることにした。
「ほら、帰ろう」
「はい、では――きゃっ!」
カロロが足元の根に躓き、転びそうになる。
なんとか手を取り助ける事ができたが、改めてカロロの服を見るとところどころ砂がついており、ミクノと木の棒の補助だけではカバーできなかった事が伺える。
「……仕方ないか」
結果、チャシは二人をおぶって帰る羽目になった。
非力なチャシとはいえ、子供を持ち上げられない程ではない。
むしろ翼がちょうどよく二人を包み込み、安定している節まである。
「四十年以上生きてんのに、子供を二人もおんぶするなんてのは初めてだ」
「……チャシさん、大人なのは知っていましたが、長生きなんですね」
「そうか?……言われてみりゃワシより年上の人間は見たことがないような」
「……亜人狩りが活発化した時代から、今も生きている亜人はほとんど30歳以下だと、本で読んだことがあります」
「へえ、相変わらず物知りだ……そういえば前に言ってたな。カロロの嬢ちゃんは亜人狩りに捕まる前、捨てられた本屋で隠れてたんだったっけか」
「はい、あそこは……天国でした……!」
カロロの声が少し大きくなる。
彼女はそこで数多くの本を読みふけり、知識を蓄えた。
拠点を建てようとしている『迷路の森』も、カロロの知識から逃亡先に選んだ場所。
本の知識で少しだけ魔術も習得している彼女は間違いなく、未来で『戦力』となるだろう。
そう思ったチャシは少し、自己嫌悪に苛まれた。
自分には何も無いからだ。
腕力も知力もない。
亜人が偏見により『人ならざる者』として迫害される世の中だ。
偏見ではなく容姿が完全に『人ならざる者』である自分が、ここにいてもいいのか。
チャシはこの瞬間だけでも、そんな感情から逃げる為に、背中の子供達に縋った。
「組織に余裕ができたら、そこに向かって本を取りに行くのもいいかもな」
「……!はい、そうしたいです……!」
チャシは、子供が好きだった。
希望ある若者を見ていると心に余裕が生まれるから。
それだけではない。
彼が産まれた頃には、既に世界は亜人差別が浸透していた。
自分と同世代の亜人を見たことはないが、『子供』がいるということは確かに存在し、何処かにいたという証明。
それにより、孤独感を紛らわす事もできた。
「……なあカロロの嬢ちゃん、親の事、覚えてるか?」
一瞬の沈黙。
「……お母さんの事は少しだけ」
亜人のほとんどは、産まれた時から逃亡生活を強いられる。
その中で親や家族から逸れることがほとんどだ。
「……皆さんも、そんな感じでした。あ、ミクノさんにはお姉さんがいますけど」
「……むにゃ」
「って、いつの間にか寝ちゃってますね」
「あはは……ちょうどいい、ついたぞ」
チャシ達が仲間と合流した頃、拠点建設中の仮拠点が完成していた。
雨風をしのげる程度の簡素な物だったが、子供を寝かせるには申し分ない。
チャシは起こさないよう、そっと布と草のベッドにナノンを寝かせる。
「……なあカロロの嬢ちゃん、この子やお前さんに将来家族ができたとして、その人とずっと一緒にいられる世界にする為に、ワシには何ができると思う?」
(……こいつは良くない……走馬灯ってやつか?)
どれほどの時間が経ったか。
現在のチャシは目前の敵に向かって拳を繰り出し続けていた。
一心不乱に呪いを振るう骸骨を前に怯まず、ひたすら殴り続けた。
そのかいあって骸骨も深手を負ってはいるが、チャシに蓄積した呪いのダメージの方が数歩先を行く。
肉体が限界を迎え、捌き切れなかった呪いのナイフが、ついにチャシの体に深く突き刺さる。
体力の血が噴き出し、呪いが蝕む中、男は不敵に笑っていた。
「……あれから三年、ワシは鍛えた……鍛えて、鍛えて、鍛えて、鍛えて鍛えて鍛えて鍛えて鍛えて鍛えた……!何故か!テメェみたいに『未来』を潰そうとする野郎を、大人のワシがブッ潰すためだ!」
骸骨はその瞬間、突き立てたナイフが動かない事に気がつく。
チャシの鍛え上げられた筋肉がナイフをガッチリと掴んで離さないのだ。
チャシはそのまま、『拳』を握りしめる。
ひたすらに鍛えたチャシが身につけた、翼の先を擬似的に『手』として扱う技術から生み出される、凝縮された筋肉の塊。
それが何の迷いもなくただ一直線に、怪物を穿つ杭として力強く放たれた。




