眠り、月、悪夢
コルが帰路についたとの連絡を受け、居ても立っても居られなくなったラニは、本来馬車の護衛としてついていくはずだった団員を押しのけ乗り込み、誰よりも早く待ち合わせ場所にいたコルに飛びついた。
ラニはいち早くコルの安否を確認したかった。
帰り道でラニは、離れていた間に起こった事や経験した事を話した。
それはコルも同じで、一人旅の経験はラニと馬車を進めるリッキーに取っても聞いていて飽きないものだった。
強烈な雨風の中機車の上で戦った事から、明日の朝食の予想などの他愛のない話まで。
二人は離れていた時間を埋めるように語り合った。
やがて日が落ち薄暗くなった頃、ラニは最後に一言。
「お前と話せるのは、やっぱり嬉しい」
とだけ言い残し、コルの肩により寄りかかるようにして、手を握ったまま眠ってしまった。
強い風が騒がしく森を揺らし、曇り空が月や星を隠して薄暗い。
馬車に取り付けた魔術灯の僅かな光を頼りに森を抜けた馬車は確かな光のある場所にたどり着く。
そしてそれを最初に迎えたのはバハメロだった。
「よく戻ったのである。コル」
少し久しぶりに見たバハメロの表情は相変わらず自信満々だったが揺れる龍の尻尾がコルの無事に心から安堵している事を隠していない。
「無事で何よりである、疲れているであろう?ここで簡潔に報告をしてくれれば……」
「いや、確かにちょっと疲れてはいるけど……ちょっと手土産というか、いい話を持って帰ってきたんだ」
コルは目的の物資を入れた荷物と、サナダからの手紙が入った鞄に視線を送った。
「ふむ、であれば団長室に来るといい……であるが……」
バハメロが見つめるのはコルの後ろ。
コルの背中にぴったりと張り付き、安心しきった顔で寝息を立てているラニだ。
「んん……すぅ……」
「寝ているのか?」
「あはは、きっと喋り疲れたんだ。なんだか今日は珍しく甘えてくれたから、一旦このまま部屋に連れて行くよ」
コルはラニを部屋のベッドに寝かせ、エミイとオリセに軽く挨拶をし、一息つく間もなく団長室に向かった。
「失礼しまーす……団長、手紙は読んだ?」
「……」
手紙に向って目を滑らせるバハメロは何処か真面目で硬い雰囲気を醸し出していたが、手紙をたたみ、少し目を閉じたかと思うと、今度は逆に大きく目を見開いた。
その瞳は爛々と輝いている。
「コル!お前は素晴らしい!本来の任務達成だけでもとてつもない素晴らしさであったが、まさかこの様な事になるとはな!」
手紙を机に置いたバハメロはずんずんとコルに向って詰め寄り、力強く抱きしめ、その後コルの右手を両手で握りブンブンと振る。
手紙にはサナダの支援についての事が書いてあるはずだが、コルもその詳細も手段も知らない。
「お、俺は支援をしてくれるって話しか聞いてないんだけど……どうするって?」
「うむ、手紙には丁寧な挨拶、支援の経緯に始まり、場所と日程が記されていた――」
手紙曰く。
サナダはイプイプカンパニーの倉庫を1つ『破棄』する事にした。
表向きには中身を回収する手筈とし、一番人目に付きづらい倉庫の中身を丸ごと1つノヤリスに譲渡するという。
カンパニーの倉庫であるため食料等の物資は多くはないが、部品や資材には当分困らないだろうとの事。
そしてコルを経由して伝えてくれればまたこの倉庫を使って支援をする事もできるだろうという、今後の協力についても前向きに検討する文書が友好的な文章で綴られていた。
「指定日時からして今頃業務員が撤収している頃であろう。翌日にでも回収部隊を向かわせる、コルの親類ともなれば実は罠という事もないであろう。手紙を見ればそれもわかる」
「伯父さんそこまで……」
「親戚というのは、いいものだな」
窓から月明かりが差し込む。
曇り淀んでいた空に産まれた雲の隙間から、大きく丸い月が顔を覗かせていた。
団長室の窓は大きく、その月は二人にもよく見えている。
「……いい月である、とても美しい」
「そういえば昔聞いた話だけど、気分がいいと目がよく開いて景色綺麗に見えるんだって」
「ふむ、であれば間違いないな!ロッサ号の完成もすぐであるし、支援はあればあるだけありがたい。吾輩は今とても……とても嬉しい!」
コルも窓に近づき、バハメロの見上げる月を見る。
既に少しづつ雲が覆いかぶさり、もう少しで見えなくなってしまいそうだが、それでも一度みた綺麗な月自体が消えてしまう訳では無い。
どこか感傷的な気分になりそうになったコルは踵を返し、改めて部屋に戻る為、バハメロに一声かけようとした。
「団長、俺はこの部品を鋼花に――」
月が隠れ、再び森が暗くなった、その時だった。
バハメロとコルだけではない。
他にも複数の亜人達がそれを感じ、同時に同じ方向を向いていた。
ある者は酒酔いが一瞬で冷め、またある者は幸せな眠りから飛び上がる程の悪寒。
「っ……?団長、今……なんか……」
コルの視界に入ったバハメロの表情は青ざめており、彼女も何が起こったのかよくわかっていないといった様子だった。
「……コルも感じたか、吾輩にもわからない、わからないが……嫌な予感がする!とてつもなく……これは……殺気……?」
『……こうなっては、仕方ありませんね』
その声は突如、窓の外から聞こえた。
「誰だ!」
そこには謎の生物が飛行していた。
卵の殻を突き破り、中の鳥が翼だけを覗かせているような、奇妙な造形の白い生物だ。
「ッ……!」
コルは懐から銃を取り出そうとしたが、サナダに渡してしまった事を完全に忘れていた。
『そう警戒しないでください、私は敵ではありません』
窓の外から聞こえた女の声は、その生物から発せられている様だ。
『あまり時間はありません、すぐに――』
「団長!!」
生物の言葉を遮り、ドアを蹴破らんとする程の勢いでナノンが転がり込んでくる。
「ナノン!?何事であるか!」
「たたた大変っす……!さっきなんか凄いゾッとして、で、その方向を見た……っ!けほっ、けほっ……!」
ナノンは明らかにただ事ではない動揺の仕方をしており、ここまで全速力で走ってきたであろうに深呼吸する間もなく言葉を発したせいでむせてしまっていた。
「落ち着いてナノン、一体何が――」
駆け寄ったコルの袖を掴み、顔を上げたミクノはとても真っ青な怯えた表情で涙を貯めていた。
その瞬間、バハメロとコルはその不安を感じ取り、それだけの事をこれから報告されるのだと身構えた。
そして想像通り、今外で起こっている事は『最悪』と言って差し支えない事だった。
「迷路の森が……っ!燃えているっす!」




