4. アリビア道中
スアードの手当をしていると、燃料庫の扉が叩かれた。
「ロラ? 終わったよ。開けて」
「変わりはないかしら?」
扉を開けた先の二人は一時間前の様子と変わらず、疲労を一切感じさせない。数百人を相手にしたとは思えない圧倒的な強さに改めて驚く。部屋の中へと招くと、彼らは同時に眉を寄せた。
絨毯の上ではスアードが眠っている。骨と皮ばかりの体は薄く、毛布が頼りなげに揺れる。
「なにその子。部屋から出たの?」
「向こうの船から逃げてきたみたいなの。可哀想に、売られたのね」
「他にもいるのかしら」と、唇を結ぶとカルメンは口を数度開閉させたのち、不快を露わにした。
「いたけど全滅だったわ。船底に敷き詰められるように寝かされて、既にもう息はなかった。想像以上に胸糞が悪い」
「……そう」
「この子は幸運ね。あんな戦闘の中逃げだせたんですもの」
「そうね。起きたら食事と入浴をさせるわ」
「ドローレスの好きになさい。でも、可哀想に思うけどあまり深入りはしてはダメよ」
アルマンドは何事か考えているようで視線を落とした。彼に言葉をかけたくなったが、思い直す。海賊たちの生死など確認すべきではない。
彼らは体を張ってこの船を守ってくれた。綺麗事だけでは生きていけない。
自分ばかりが呑気にぬるま湯に浸かり、安息の地にいながら他者に道徳を問うなど、愚か者のすることだ。
アルマンドたちが退室した後、しばらくしてスアードが目を覚ました。
痛々しい体を毛布に包んだまま抱き上げ、本当の自室へと戻る。船内は所々荒れているが、人々に被害はないようであった。甲板の方でリカルドとカルメンの指揮を執る声が聞こえる。
混乱を収める、雄々しく、けれど優雅な声は人々は安心を運んだ。
アルマンドは、と思って部屋のドアを開けると彼は私の部屋にいた。たらいにお湯を張って周りに衝立を組み立てている。テーブルには三人分の食事。本当にやることが素早い。
「ありがとう。助かるわ」
「そろそろ目が覚める頃かと思って。その子のお風呂が終わったら朝ごはんにしよ」
「ええ。スアード、ちょっとしみるけど我慢してね」
「…………」
衝立の奥でスアードの身を清めて、細かな傷を消毒していく。替えの服は私のを詰めて着せたが、手足に繋がる鎖が煩わしい。
鍵穴が埋められ、焼き切るしかなさそうだが。
「ロラ、終わった?」
「ええ」
「じゃあ二人とも早くこっち来て」
ちょっと嬉しそうなアルマンドの元へ行くと、彼はキラキラと目を輝かせる。怪訝に思って顔を覗くと、
「見様によっては、僕らの子供ができたみたいだね。テンション上がってきた」
……呆れた。
言葉の通じないスアードはオドオドと心配そうだが、頭を撫でて宥める。
なかなかカトラリーを取らない彼女を見かねて、私とアルマンドが交互にその口に食事を運んだ。
そうこうしていたらあっという間に日数が経ち、アリビア公国を内包する大陸に上陸する。
スアードは出会った当初に比べてふっくらしてきていた。やっと年相応の体つきになったというべきか。
けれど頬はまだ青白く、私たちを見る目には警戒が滲んでいた。それだけ酷い目にあってきたのだと、同情心ばかりが募る。
信頼はこれから徐々に築いていけばいい、そう思って彼女の手を引いた。
船を降りて、公国行きの馬車へ乗り換えた。隊列をなしたキャラバンは街道をひたすらに進み、各々の目的地で列を離れる、という仕組みだ。ある程度固まって行動しないと賊に襲われる心配があるからだ。
些細な行動一つ一つに神経を割かなければならない。油断をすればあっという間に命の灯火は消えるだろう。
ちなみに馬車の中にいるのはアルマンドとカルメン、スアードと私の四人だ。リカルドも誘ったが「君と同じ馬車の中なんて息がつまる」と、美麗な踊り子たちの馬車に乗っていった。
随分嫌われている。
そしてアルマンドはリカルドを絶妙に避けている。未だリカルドは弟君が同行していることに気づいていない。
第三王子と第二王子の不仲説は市井でも有名なので、そういう理由かもしれない。
「新婚旅行みたいだね」
カルメンと共に本を読んでいたら不意にアルマンドが言った。何とも間の抜けた台詞に半目になる。
「何を悠長なことを。街道を外れたら紛争地域よ。もっと気を引き締めて」
「そう言うんならロラだって。本を読んでる君と周囲を窺う僕。どっちが緊張感あるか、明白だよね」
「んなッ。カルメンだって、私と同じよ」
そう言って、すぐに後悔した。カルメンが本に目を落としながら、死角のはずの窓枠にナイフを投げたのだ。蛇が見事に捕らえられている。
悔しいが本を読むのをやめた。仕方なくずっとこちらを見ているアルマンドのおしゃべりに付き合うことにする。
「ねえ、アリビアに着いたらまず何する? 久々にデートしたいな」
「だから、呑気なんだってば。外国人が歩いていたら盗難、人さらい、喧嘩に巻き込まれるわ。そもそも観光スポットなんてずっと前に破壊されてるし」
「大丈夫。ロラと歩けるならどこも花道に変わるから」
アルマンドくらい腕が立つと、危険という概念が崩れるのだろうか。確かにその点危うさがない。
アルマであったときのドジさは一体なんだったのか、むしろ不思議に思う。
公国までの道のりも順調で、予定通りの日数で庁舎に到着した。賊に襲われない平和な道中であったが、内内に戦士二人が対応していたのかもしれない。




