16. 別れ話
帰宅すると玄関の前にアルマンドが立っていた。
にっこりと笑みを浮かべて帰宅を告げると、彼はギシリと身を固くする。
いつもと同じように笑ったので違和感はなかったはずだ。
では彼の懸念は何か。思い当たることが多すぎる。
「お、おかえり。ロラ」
「何だかしばらくぶりね。元気だった?」
「うん」
ふむ、と頭の中で頷いた。第一声で裁判のことが出ないのでアルマンドは知らぬ存ぜぬを通すのだろう。確かに市井に公表はされていない。都合の良いスケープゴートを作り出すための茶番だ。
アルマンドの方も私の冤罪を晴らすため動いていたとカルメンが言っていた。想像するに「ライナス氏は実は生きていて、証人として出廷させる」とかそんなところだろう。
彼の存命は別ルートで知っていた。ただし、重体には変わらないので出廷は無理だが。
「アルマ? どうしたの?」
「あ、ごめん。仕事疲れたよね。ご飯作ったから食べよ」
「その前に話があるのだけれど、良いかしら」
アルマ、と呼んでも彼の瞳に動揺は走らなかった。と言うことはあの護衛の男はサロンで頼んだことをアルマンドに伝えていないのだ。
『アルマンド殿下に感謝を伝えて頂戴ね。下民に心を配ってくださって』
自分で「殿下、殿下」と私に気づいて欲しくて発信したくせに、意図しない方向に転がってしまい悔やんでいるのだろう。
アルマンドだとわかった瞬間、彼女、いや彼を思う気持ちに氷が張った。冷たい響きに男が身動いたのはそのためだ。
ついでに男の名前を呼んだら、面白いように震えたので笑える。アルマンドの従者の存在は国家機密である。まして名前など、主人であるアルマンドしか知らないはず。
私の笑みを間近で見たアルマンドは更に体を硬くして、ゆるゆると頷いた。
彼の脇を通り過ぎ、お茶の支度をする。背後からいくつもの視線が注がれるが、気づかないふりをしてテーブルへカップを並べていく。アルマンドだけでなく、従者たちも私の一挙一動に警戒しているようだ。
私としては普段通りに動いているはずなのだけれど。おかしいわね。
作った笑みを姿見で確認するも、いつも通り美しすぎる出来栄えである。
「あの、話って」
お茶に手をつけず、拳をぎゅっと握るアルマンド。
僅かに首を傾げてにっこりと笑い、そして徐々にその笑みを崩していく。瞳の端に一筋の涙が伝った。
「ろ、ロラ? 何で泣くの?」
「ごめんなさい。実はあれからずっと考えていたの」
「……何を」
「私がアルマにふさわしいかどうかを。貴女と恋人になれて幸せだったけれど、でも」
ハンカチを取り出して、目元を拭う。
滅多にすることはないが泣き真似は得意だ。ついでに演技も。ミラモンテスの人々は壊滅的に演技の才がないが、私は貰い子なので別。
現にアルマンドの顔がどんどん青くなっている。アンドレが天井の隅で動く気配がしたが、そちらにも視線を送って押しとどめた。
「アルマはみんなのアルマなのに。私だけの恋人じゃないとわかっていたけど、目の当たりにすると苦しくて」
「……へ?」
「貴女がシャツに口紅を付けて帰ってきた日、やっと私では無理なんだと悟ったわ」
「ロ、ロラ」
「狭量よね。浮気に不寛容だなんて」
アルマンドが必死の弁解をする前に結論を突き立てる。わっと涙を零しながら、悲しみが伝わるように。
アンドレには白々しく見えただろうか。
「私たち、別れましょう」
「…………ッ」
ガタンと立ち上がる彼は、私に手を伸ばす。それを布一枚のところで避けて、私もテーブルを離れた。
ハンカチで顔を覆い、くるりと踵を返せば、焦ったような声が背中に投げられる。
「ロラッ」
「貴女を幸せに出来ず、ごめんなさい」
「…………ッ!」
自室に入り、部屋の中を見回した。じっくりと片付ける時間はないので必要最低限に手をつけるべきだろう。
アルマンドは一市民としてタリタンに入国している、と私向けにはなっている。不安定な職では日々の生活を送るに苦しかろう、と考えるのは自然であるはず。
家の名義を彼に変え、慰謝料として相応の額を置いておけば体裁は整う。
相続に必要な書類を持って部屋を出ると、ドアの向こうにアルマンドが立っていた。
「ロラ、話を聞いて」
「いいわよ。聞いても結論は変わらないけれど」
浮気はない、と言いたいのだろうが正直今となってはどうでもいい。
浮気なんて別れ話をするための大義名分だ。アルマンドのせいにしてしまえば、有責者の方は意を唱えづらい。
「僕は絶対別れないからね」
「無理よ」
「だってロラ、誤解してるもん。浮気なんてするわけない」
「あらそう。でも証拠があるわ」
弁護士でも雇う? と、冗談まじりに首を傾げると、彼は若干泣きそうになりながら唇を噛んだ。
アルマンドの女癖は元婚約者であるプリシアによって全て筒抜けだ。彼は正真正銘男側である。
さて、今度はどんな言い訳が飛び出すのか。ある意味興味津々になりながら彼を見ると、出たのは意外な言葉だった。
「ロラだって知ってるでしょ。同性である女性を好きになったりしない。ロラだけが特別なんだよ」
「…………」
それってつまり。
本当の自分を私のために捨てると言っているのと同義だ。
ここまで言わせてしまう罪深さに頭痛がする。
奥歯で苦虫を噛み潰して、淡々と破局の手続きを彼へと押しつけた。




