11. 元婚約者
アルマ視点
「アルマンド殿下!」
怒りに血を沸騰させて歩いていたら、自分を呼ぶの声がした。
振り向くと、夜の飲み屋街に似つかわしくない、可愛らしい小柄な姿が映る。尤も可愛らしいというのは世間一般の価値観だ。僕にとっての可愛い人はただ一人。
「プリシア。こんなところで会うなんて凄い偶然だね。観光?」
「元々は視察だったんですが。成り行きで外務省のお手伝いに派遣されてます」
「ふうん」
外務省、と聞いて僕の額に青筋が浮かぶ。
先程、ドローレスが指に怪我して帰宅したので事情を聞いた。しかし彼女は笑うばかりで話を濁しただけであった。
元より従者に話は聞いていたが、ドローレスの口から助けを求めたかったのだ。彼女の意思は知っていたし、出来るだけ尊重したいと思っていたからだ。
けれど。
流石にあの柔肌を傷つけられて平静ではいられない。
彼女が勉強に集中している夜分、こっそりと家を抜け出してきた。本省職員全員指を切り落としてやる。
「殿下」
猫のようなしなやかさでプリシアの腕が僕の腕に絡む。
こっちの事情など一切看過しない、濁りのない純粋な笑顔。この空気の読めなさと愛らしさはアルマの原型だ。こういう女が男に好まれると思い、彼女を真似てアルマの人格を形成した。
「折角お会いできましたので……少しお話しできませんか? 一方的に別れを告げられて寂しゅうございました」
「…………」
「あのあの、一晩だけでも共に……」
「悪いけど、好きな人がいるから」
「殿下ぁ」
キッパリと断ると、悲しみに瞳を潤ませる。その庇護欲そそる様子を、僕はやや冷めた目で見つめた。
ドローレスを知るまではこういう女が扱いやすくていいと思っていた。素直で純潔で裏切らない、全て僕の思い通りになる女。プリシアは元婚約者のうちの筆頭人物である。近隣国の姫で政治的な婚約を多分に含んでいた関係だ。
「好きな方って、ドローレスさんですか?」
「……なぜそれを?」
急に確信をついた名前が出てきて、思わず足を止める。
「先日、市井で仲睦まじいお姿をお見かけしたものですから。彼女、同僚なんです」
「!」
仲睦まじい、という言葉に衝撃を受け、ついつい頬が緩んだ。
外野から見ても僕らはラブラブなのだ。
「ど、どう見えた?」
「どうとは?」
「その、仲睦まじいって。ゆ、百合とかそっち系?」
「いえ? 普通に美男美女のカップルに見えましたよぉ。……殿下、とても身長伸びましたね。素敵ですぅ」
「だ、だよね!」
やばい。表情筋がだらしない。
もう三バカに百合とかなんとか言わせない。事情を知らなければ僕らは男女の間柄に見えるのだ。タリタンに来てからずっと男物の服だし、言葉遣いも変えた。
このままアルマという侍女像から男である僕に意識を刷り込ませてやる。違和感を感じさせないように慎重に。
ヘラヘラと笑う僕にプリシアが同調するように微笑みを深くする。
「殿下はドローレスさんが本当にお好きなんですね。私も彼女が好きですわぁ」
「え」
「一緒にドローレスさんについてお話ししませんか? 彼女、仕事の面でお困りのようで。お互い情報交換してサポートをしませんか?」
「あー」
確かに。
指を切り落として回るより余程平和的である。しかも頭に血が上って気が付かなかったが、職員全員が負傷し、唯一ドローレス一人が無事であったらどう思われるか。……答えは明白である。
ドローレスの立場が益々悪くなってしまう。こんな事にも気づかないとか、恋は盲目すぎて怖い。
「うん、いいよ。少し話そう」
「嬉しいですぅ」
ふんわりと笑みを浮かべるプリシア。彼女の手が寄り添うように僕の体に密着した。
話は盛りに盛り上がり帰宅が深夜を回る。
良い具合にお酒が体に回り、ふわふわと浮遊感を感じる。寝室のドアを開けると、ドローレスはベッドに身を沈めながら本を読んでいた。
「ただいま」と、告げると彼女はこちらに目を向け、微かに瞳を細めた。
「おかえりなさい、アルマ」
「エヘヘ」
ベッドに潜り込み、ドローレスの隣に寝転ぶ。腰に手を伸ばし抱き寄せ、……するりと僕の手からすり抜けた。
あれ?
不思議に思うも、彼女はベッドから抜け出てしまう。妙な違和感を感じ、恐る恐るドローレスを見上げると冷たくも美しい笑顔を浮かべていた。
「ロラ?」
「ごめんなさい。ちょっと頭を冷やしてくるわね」
「え?」
「触らないで」
伸ばす手を払い退けられ、急に心臓が冷え込む。今までポカポカと暖かかったのに突然冷水を被った心境だ。
なんで? なんで?
家を出るドローレスを呆然と見送り、しかしすぐに従者の一人に彼女の護衛を命ずる。こんな真夜中、女の一人歩きはいけない。
残った従者が呆れた顔で僕の首元を指差す。
「アルマンド殿下、今までお楽しみでした?」
「何のこと?」
「襟元、べったりついてますよ。嫉妬させたいというおつもりなら、かなりの悪手かと」
「え?」
急いでシャツを脱ぐと、襟に鮮やかなリップの跡が付いていた。お酒を飲むと甘えん坊になるプリシアが擦り寄ってきたからだ。
彼女は結構抜けていて、偶然ついたに違いない。
「うっそ。最悪」
「我々に弁護は無理なんで。一生懸命誤解を解いてくださいね」
「…………」
泣きたい気持ちになり、身の潔白を証明するため念入りにシャワーを浴びた。一般的に不利に働く行いだと知りつつも。
しかしその晩、ドローレスが帰ってくることはなかった。




