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悪役令嬢は侍女にぎゃふんと言わせたい  作者: こたちょ
三部 タリタン編
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10. ダメ人間製造機

「離してください」

「ん」

「汚れます。リカルド殿下」

「ロリータ」


 嫌悪のあまり、うっかり名前が出てしまい喉の奥から苦いものがこみ上げた。名を読んだ途端、リカルドの瞳に光が灯ったのだ。


 でも正直それどころではない。出血した指先を舌で舐められ、ついには口の中に含んでしまった。ぞわぞわと悪寒が走り、逃げ出したくて足が震える。


 その足の間にリカルドの足が入ってきてより密着した態勢になった。いつの間にか扉を背に縫い止められている。


「ダメかな?」

「何のことでございましょう」

「君はずるい」


 そう言ってリカルドの舌は指を伝い、水かきを喰み、私に何らかの反応を求めてくる。

 ただただ愛撫を受けているだけの状態に頭が冷えてきた。何故どうして、彼がこんな行動をとっているのかわかってきたのだ。


「お気持ちはありがたいのですが」


 そう呟くとリカルドの目が怯む。

 王族相手に口にする言葉ではないと思うが、どう伝えたらこの空気がなくなるか考えた結果だ。


 私を嫌っている彼がどうしてこのような奇行に走ったのか、冷静にその理由を考えていた。

 弾き出した答えが……若干惨めになるものだったので憎むに憎めない。手法は褒められたものではないが、彼はやはり優しい人なのだろう。


「慰めて下さっているのでしょう? ご厚情に感謝いたしますわ」

「なに?」

「ライネリオさんにお聞きになりました? 私が苛められていると。今の件で不憫に思われたのでしょう?」

「…………」

「しかしこのような手段で慰めて頂かなくても結構です。そもそも、苛めだと思っておりませんもの」


 省内を案内している最中からちょっとしたトラブル、もとい不自然な出来事が続いていた。私が通過することを見越した道中の不具合。


 身体中汚れつつも顔色一つ変えず任務の遂行を心がけた。

 上の階から水が振ってこようとも、段差にまかれた洗剤で足を滑らせようとも、通行人とぶつかり塗料の中に突っ込もうとも。


 殆ど掠める程度の被害だったが、最後の取っ手に仕込まれたカミソリだけはまともに受けてしまった。失態である。


 ぐいっとリカルドの胸を押し体を離す。しかし手首に繋がる拘束具のような手は離れない。甘やかな瞳を曇らせ、納得できないと硬く唇を結んだ。

 いつしか指の血は止まっている。


「ロリータ」

「?」

「じゃあちゃんと説明して」

「何のことでしょう?」

「今の怪我とか、これまでのトラブルとか」

「単なる設備不具合ですわ」

「嘘。君がそのつもりなら教えてくれるまで離さない」


 さっきから『ロリータ』ってやけに馴れ馴れしい。

 その愛称は幼少期の呼び名で、大人になってから使われたことはない。この男、呼び名から距離を縮めてくるタイプか。


 面倒に思う気持ちが露骨に顔に出る。握られる手首に力が入り、思いの外痛い。これは本当に離してくれそうもない、と半分諦めに似たため息が漏れ出た。


「殿下が心配なされることではございませんわ」

「しかし実際仕事に支障をきたしているように見える。君のデスクだけ異常に業務量が多いし、外を歩けば水が降ってくる。ライネリオは何も言わないのか」

「静観しておりますわ。私もそれで良いと思っていますし」

「なぜ」


 殿下相手に話すことではない、と一度考えたが思い直す。適当な返答でお茶を濁せる相手ではない気がする。

 幾人もの女性を飼いならす、ということは人の感情の機微にも聡いということだ。


「ライネリオさんには申し上げておりませんので、殿下の御心だけに止めて頂きたいのですが」

「わかった」

「仮に苛めであるとしたらですが。それにはきちんと相応の理由があると思っておりますの」

「なんだ。……確かに思えば君は割と不遇な目にあっているな。ロリータが美しいから、女の嫉妬か」


 何言ってんだ、こいつ。


 一瞬頬を染めて恥じらいを見せるリカルド。間抜けな甘言を聞き流した。


「私の入省の仕方が特殊だったので、裏口採用だと思われているのですわ」

「うん?」

「正規ルートでは実現不可能な話でございました。とある方が援助して下さり入省が叶いましたが。私自身後ろめたく感じているので、ある程度の処遇は甘受しております」

「ある方とは?」

「お聞き流し下さいませ。後ろ盾とは試験資格までだと思っておりました。しかし合否の結果も左右されていると噂になっているのですわ。そうではないと願いたくも、何分私にも確証がなく。であれば、私自ら自分の能力を周囲に示さねばなりません。目下証明中ですので殿下もご静観くださいませんか」

「私に傍観者になれと」

「無礼は承知ですわ。お優しい殿下に申し上げにくいのですが、私一人で対処したいのです。強くならねば守れないものもあるでしょう?」


 アルマ。


 彼女の天使のような笑みが脳裏をかすめ、自然と笑みが零れる。彼女との平穏を守る為ならこんな些細な不具合、なんとでもなる。


 生活が安定すればあんな危険な仕事をさせずに済むだろう。彼女は楽しそうだったが、怪我を負う可能性がある以上、正直心配でたまらない。

 ヒモ上等。私の稼ぎで存分にニートしてもらっても構わない。


「君は十分、強くて美しいよ。……昔から」


 顔が近い。

 グッと顎をあげられ、リカルドの瞳に熱が籠り口が近づいてくる。


 ちゃんと話聞いてた? こいつも節操ないなー、と冷めた瞳で目の前の男を見つつ、平手を振り上げる。


 引っ叩く直前、頭上から大量のコーヒー豆が降ってきた。間抜けな構図に二人揃って呆気にとられ、上を見上げるも何もない天井が目前に広がるだけだ。


 ……コーヒー豆。

 前はどんぐりだったが、アルマにおかしなタイミングで刺さったことがある。まさか。


 今まで追求しなかったが、『気配のないお友達』の正体が気になってきた。彼らはどうやら私を守ってくれているらしいから。

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