9. 増長する悪意
政権が変わるって大変なのね。
周囲がバタバタ忙しそうに動く様子を、私は半分他人事のように見ていた。
大統領制を採用しているタリタンは次期大統領を選出するため、まずは地方領主から大統領選挙人を任命しなくてはならない。選挙人を選んだ後に、大統領が着任する流れとなるため、王政のシルヴェニスタに比べどうしても時間がかかるのだ。
その間大統領の椅子は空席となり、国民議会だけで政治を回さねばならない。議会もてんやわんやの騒ぎで、その荒波が外務省にも降りかかった。急な人事異動である。
「——と、いうわけで新たに補佐役を選出した。リカルドとプリシアだ。皆よろしくするように」
慌ただしい本省で、その瞬間だけ静まりかえった。
「専門外からの人事の為、外務省の事情は疎い。基本は俺とマチルダで教えるが、他教育をドローレスとカルメンに任せる」
上司に紹介され、にこやかに微笑む美しい男女に一同黄色い声をあげた。金色に彩られた容姿に紺色のスーツの男と、桜色の髪が美しいワンピースの女性。一人一人に甘い微笑みを向け優雅な礼を行った。
男の方は私とは一切視線が合わず、けれどどこかで見たな、と一考すること数分。シルヴェニスタのリカルドであることに気づく。……そしてその瞬間、急にパズルのピースがハマった。
「蜂蜜のような金色の瞳」「厄介な立場の不貞相手」「女癖の悪い弟」「第二王子」
これまでルーベンやライネリオが言っていたことが頭の奥深くから流れ込み、やっとリカルドの正体に思い至った。すっごい遅い、と言う自覚はある。
世の中に男というピースがある以上、私のジグソーパズルは一生涯完成しないだろう。
この頭の愚鈍さ、本当にどうにかしたいものだ。
とは言え、わかったからと言って特別アクションが変わるわけではない。立場を公表しないのはそれなりに理由があるからで、私が突っ込んで聞く理由はないからだ。
高貴な方々の考えていることは下々には到底理解できない。
「ドローレス」
「はい」
突然名を呼ばれ顔を上げる。既に職員は各々の仕事へと向かい、私もデスクに座って案件の処理に勤しんでいた。
ライネリオが眉間のシワを深くし、軽く机を叩く。私を呼んでいたのは彼だ。
「話を聞いていたのか。お前が教育係だと」
「あ。そうでした。すぐに」
「お前の担当はリカルドだ。デスクを彼の隣に移動しろ」
業務の引き継ぎは新人である私のような立場に当てられる仕事である。
しかしまさかのリカルド。上司の恋人(だと私は踏んでいる)を相手にするとは思っておらず、一時沈黙が降りた。本当に一時。
仕事をするのに相手との相性なんて関係などない。すぐに気持ちを切り替え、待っているリカルドの元へ向かう。
ここでは初対面を装ったほうがいいのか、嫌っている相手に親しくされるのは嫌だろうか、などと考えて出た言葉は。
「初めまして、リカルドさん。ドローレスと申します」
「…………」
ゆっくりとこちらを振り向いたリカルド。
先程まで甘やかだった瞳には影が降り冷え切っている。私に興味皆無なその色を見て、「あ、やっぱこれ。人選ミスだわ」と、ライネリオへと振り返った。
何故か彼もこちらを見ていて、私の態度に呆れている。……何故だ。
しかし任命を受けた以上途中で放り投げることは出来ず、相手の様子など構うことなく続けた。
嫌であるなら向こうから担当変更依頼があるだろう。新人の私から言えなくても、彼ならばきっと希望通りに事が進む。
「まずは本省内をご案内致しますわ」
「君以外の、別の女性に頼みたい」
「それはライネリオさんにおっしゃって頂ける? 私に権限はございませんの」
「…………」
リカルドは形の良い眉を寄せて、けれどもライネリオの方へ向かう事なく大人しく私の意向に従ってくれた。
本省はシルヴェニスタ王宮に比べたら小さいが、それなりに大きく広い。各所の説明をしながら歩くこと数十分。
彼は一言も言葉を発せず、ただ私の後についてくる。むしろ廊下ですれ違う女性職員の方が饒舌である。華やかなリカルドへ誰もが接点を持ちたくて、話しかけられ、デートに誘われ、なかなか先に進まないほどだ。
けれどリカルドは煩わしいといった様子が一切出さず、一人一人に丁寧に対応していく。短時間のうちに手を握り、ハグをし、愛を語るその一コマにいっそ感心した。
「女癖が悪い」というよりも「女性をとても大事にしている」のだろう。その優しさが望んでいないトラブルを招いてしまうのだとわかり、ちょっとだけ同情した。
歩いていると少しばかりのトラブルが続き、後ろの彼が不審そうに私を見る。その視線を意図して無視し、最後の扉に手をかけた時、肌に何かが食い込んだ。
「…………」
唇を笑顔に引き戻し、扉を開いてリカルドを前に誘導する。
「こちらが屋上ですわ。風が心地よくございましょう。南西にご覧頂けるのがタリタン最大港で」
「……おい」
「海上国家は海の幸が豊富ですので毎日美味しいものを頂けますわ。タリタンの漁獲高はご存知?」
「それ」
異変に気づいたリカルドはやっと何やら言葉を紡いだが、これにも無言を貫いてほしい。
彼の言いたいことに気づかないふりをして案内を続行すると、リカルドの金色が不自然に歪んだ。
後ろ手に隠していたものが床に落ち、顕になってしまったのだ。扉に仕込んでいたカミソリが指に刺さり出血しただけなのだが。拳を握り止血を試みたが思いの外深かったようで短時間では止まらない。
「お構いなく。さあ、お進みくださいませ」
「見せてくれ」
「屋上に興味はございませんの? 今の時間は誰もいらっしゃらないのでゆっくり……」
「ロリータ」
昔のあだ名で呼ばれ、その瞬間赤で溢れる手を取られる。球になった血液が彼の服を汚し、慌てて手を引くと、彼の手も一緒に追ってくる。
両の腕を絡め取られ、驚きを言葉にするも間もなく私の指先が彼の唇に捕らえられた。




