1. タリタン
海洋国家タリタン。
その名の通り国の四方全てが海で囲まれており、海路の中心に存在するため貿易が盛んである。
シルヴェニスタと違い年中温暖な気候にあり、国民の肌は健康そうな小麦色だ。胴回りに金細工のアクセサリーつけるのが流行りで、風通しの良いチュニックを羽織り腰のあたりで止めている。
お腹が出る服装が多く、お臍を飾る装飾も目を引く。
「……暑い。もー、だめ。休みたいー」
「今家を出てきたばかりじゃない。でも、確かに暑いわ。今度過ごしやすいお洋服でも調達しましょうか」
アルマの格好は確かに暑そうだ。タリタン民に比べて肌の露出が少ない。男性物の薄手のシャツに、細身のパンツを合わせている。シルヴェニスタにいた時はほぼ侍女服だったので、なかなか目新しくて楽しい。スタイルがいいのは知っていたが、すらりと伸びた足が彫像のように美しく綺麗だ。
金色の髪が灼熱の太陽のもとキラリと光る。可愛い。
「あ、ロラ。汗かいてる」
微妙に唇を噛んだアルマはハンカチで首を撫でた。「ロラ」と呼びたいと言ったくせに呼ぶ度に緊張を示すので面白い。頬を薔薇色に染めて、金色の瞳を照れたように揺らす。私まで恥ずかしくなってくるではないか。
なぜなら知っているからだ。アルマが夜な夜な私の写真を両手に「ロラ」と何度も発声の練習しているのを。……天然天使の発想がよくわからない。
たわいもない会話をしていたら中央広場に差し掛かって、アルマとは違う方向に足を向ける。
「じゃ、本省はこっちだから。また夜ね」
「はー、朝はここまでか。もっと一緒にいたいのに」
「今日こそ仕事、見つかればいいわね」
アルマは長期滞在を目的とした就労ビザを取得している、らしい。本来なら勤め先を確定した上で意味を成すビザであるが、急な転居だったしそんな準備をする間もなかった。しかし無理を可能にする、天使アルマ。どういうわけかすんなりと入国を認められた。
疑問ではあるが、まあいずれ結婚するのだから大きな違いはないだろう。私の配偶者になれば同じく永住権が認められるのだから。
そのためには早く仕事を覚えて一人前にならなきゃね。頑張って彼女を養わなきゃ!
奮起しながらアルマに手を振り、本省に向かう。天使は可憐な花を咲かせて和かに振り返してくれた。
タリタン外務省。
新人である私はいきなり各国に配属なんてことはなく、初めの一年を本省にて過ごす。その間に基本的な業務を覚え、各国の領事館に派遣されるのだ。
外語に抵抗のない分ある意味有利だが、まだまだ国政や文化に疎く猛勉強の毎日である。
デスクに着くと既に山積みの書類が私を迎えてくれた。新人は先輩方のフォローも担うので書類はひとまず置いて、まだ登庁していない周囲のデスクを回る。
私宛の伝言が何故かそこに置かれているので、一つ一つの指示を回収し確認する。そうこうしていたら先輩は登庁するので全員へ挨拶。お茶出し。資料の複製。物品の補充。会議室の準備。
一通り終わってやっと自分のデスクの山に頭を突っ込む。……って、なんかさっきより増えてるし。
処理している脇から手紙もガンガンくるので開封作業をしながら書類に目を通す。午後になり、ランチに手が回らず作業をしていたら、大学の授業時間になっている。タリタンの文化を改めて学ぶためだ。急いで支度をし本省を出て大学に向かう。2コマ分受講して戻るとまた書類の整理。そして会議の出席、関係各所への訪問。
他の職員は定時に帰れているのに、不出来なせいかなかなか終わらない。
朝あった山の高度はまた高くなり、仕事の遅さを痛感した。もっと頑張んないと。入省して二ヶ月あまり経ったがずっとこんな調子だ。
目まぐるしい公務員としての一日が台風のように過ぎてゆき、あっという間に夜を迎えてしまう。
もっとアルマと話がしたいのに疲労の方が顔を出してしまい、ただ家には帰って寝るだけになってしまっている。
朝出勤するときだけがアルマとのんびりできる貴重な時間であった。
家に帰ると天使が心配そうに出迎えてくれる。
「……ロラ、おかえり」
「ただいま」
「お湯、沸いてるよ。シャワー浴びて来たら?」
「ありがとう」
何か言いたげなアルマであったが、ちょっと頭が回らない。彼女が差し出す手を握れば甘えてしまう気がして、そのまま横を通り過ぎた。
「ドローレス」
本日も書類を整理していたら、不意に名前を呼ばれた。
顔をあげれば眉間のシワが深い、難しい顔をした男性が腕を組んで私を見ている。
誰だっけ、と考えること数秒、答えが追いつかず男性は先に話を進めた。
「頼んでいたアリビア国との外交予算についてだが」
「…………。申し訳ありません」
出来ていない。というか見逃していた。そんな案件あったかと、机を見るも地層を築いた書類の山に埋もれてすぐには探せそうもない。
男は落胆を滲ませため息をつき、「話がある」と、別室へと促した。俗にいう説教部屋であると誰かに聞いた。ついていきながら、背後から悪意ある視線がチクチクと刺さった。
部屋に入ると、どっかりと男はカウチソファーに腰を下ろす。
ラタンで編まれたソファーは細かな模様が施されている。海を思わせる涼しげな装飾だ。男はピシリと決めていたネクタイを緩ませ、襟元のボタンを外す。
このタイミングで思い出した。男の名はライネリオ、私の上司である。
「突っ立ってないでお前も座れ」
「失礼します」
「はー、しっかし今日もあっついなー」
組んでいた足を崩し、パタパタと小冊子で自身の顔を仰いでいる。さっきまでは眉間のシワを寄せて睨んでいたくせに態度がガラリと変わった。いや、眉間は相変わらず寄っているが纏う空気がフランクだ。
ライネリオは仰ぎながらも、じっと私を見るので若干居心地が悪い。叱るのなら気を使わず叱ってほしい。こうしている間も仕事はどんどん溜まっていくのだから。
負けずに私もライネリオを見ると、彼の瞳が僅かに動揺を示す。耳に赤みを登らせ「んんッ」と軽く咳払いをした。何かを誤魔化したように見えた。
「どうだ、最近調子は?」
回りくどいなー、なんて思いながらも求められている答えを考える。いきなり「職務怠慢だ、向いてない」と叱責を飛ばすよりも世間話でワンクッション置こうと言うのだろう。因みにルーベンもこのタイプで、滑出しが柔らかいためお互いに胸の内を開くことができる。
しかし私に言い淀むことはないし、弁解の言葉もない。ただ仕事が出来ないのは能力不足と勉強不足、その一言に尽きる。
「力が及ばないこと、申し訳なく思っておりますわ」
「……は?」
素直に胸の内を吐露すればライネリオが眉間のシワを更に深くする。彼からタバコの残り香が漂い、海風がその匂いを浚っていった。
「大変心苦しいお願いでございますが、もう一度チャンスを頂けませんか?」
「?」
「次は必ず期日内に間に合わせますわ。同じ失敗は致しませんから」
「お前、何言って。……まさか気づいてねえのか?」
驚愕にライネリオの瞳が開く。
暫し無言で見つめあってライネリオが不機嫌を露わに筋肉質な膝を叩いた。
「とんだ世間知らずのオジョーサマだな」
「え?」
「飲みに連れていってやる。ちょっと付き合え」
「いえ。でもまだ仕事が」
「いい。個別に説教だ。……別に同僚を食べたりしねえよ」
怪訝に思って首を傾げたが、肉厚な腕に強引に引かれて成す術なく立ちあがるしかなかった。




