15. 侍女の名推理
「目の錯覚?」
「そうそう」
飲み込めない疑問を口に出すと、アルマは微笑んで返事をする。ヤマネコに向けて指笛を吹き、気付いたヤマネコはこちらにゆっくりと近づいてきた。
人を恐れることなく、本当に人懐っこい。水に濡れて艶めく烏羽色の肢体を、ふるりと震わせ小さくしぶきが上がる。
「おいでおいでー」
呼んでいるのはアルマなのに、ヤマネコは私の膝を鼻先で押して座るよう促す。座った膝の上に顔を乗せて間もなくして喉から緩やかな振動が発せられた。
瞳を閉じ甘えるようにお腹に頭を擦り付けてきて、本当に人慣れしているなーと寧ろ感心する。
危害を加えられないと一心に信じている仕草に私の胸は高まる。まあ尤も、危害を加えたら痛い目を見るのは人間側だ。温厚な性格のわりにヤマネコの殺傷能力は高い。
……アルマが般若のような形相でヤマネコを睨んでいる。
何事かと思って私もヤマネコを見ると、厚い黒い毛の間に隠れるように青色の首輪が見えた。
首輪をなぞっていくと菱形のチャームに指がぶつかる。チャームに外語で持ち主の名前が彫られていた。背面にはポセイドンを模した海神が描かれている。
「エミル、と書いてあるわね」
「…………」
「本当にこのヤマネコがエミルの探しているペットなの? 特徴が全然違うわよ」
「…………」
「アルマ?」
尚もヤマネコを睨むアルマは、徐に膝上の頭に手をかけた。しかし直ぐに威嚇され危ういところで手を引っ込める。
「ムカつく。そこは僕の場所なんだぞ。どけ」
「グルグルグル……」
「畜生ごときが生意気な。どかないとご飯あげないからな!」
「グルグルグル……」
「お前の生殺与奪件は僕にあるんだぞ! わかったら場所を譲れ!」
「アルマ、ネコ相手に何を言っているの」
「ニャン♪」
「うっわ、腹立つ! 人見て態度変えてるよ、こいつ!」
何かわけわからんことに憤慨しているアルマを宥める。まさか動物相手にも嫉妬するとは思っていなかった。アルマの頭も撫で撫ですると「ニャン♪」と瞳を緩めたので、まーいいか、となった。
怒っている顔より笑っているアルマの方が可愛いし好きだ。
「アルマ」
「あ、うん。あのね」
促されてやっと彼女は気を取り直した。
「人の目って案外適当で、エミルは見間違えたんだよ」
「でも、白と黒じゃ真逆よ。勘違いするにしては無理があるわ」
「そうでもない。エミルがヤマネコを見たときの状況を考えれば。貰ったばかり夜寝る前に貰った、と言っていたから暗い部屋でヤマネコを見たんじゃないかな」
「うーん?」
「環境を想像すると理解出来るよ。色の恒常性って言って、脳内で目で見える色の補正をかけるんだ。環境光から試算して、目の前の動物の色が何色か判断する。寝室に漏れる白い光を背景に、ヤマネコの色はより明るく調整されるはず」
「…………」
「で、朝焼けに照らされた今は黒色だ。全体が明るければ、対象はより暗くなる」
「実際見てみないとわからないわ。今までそう見えたことはないし」
「静止画があれば良いんだけど。でもロラちゃんが黒色って認知してるのはシルヴェニスタ国民だからじゃないかな。元より色を知っていたら錯覚は起こりにくいと思う」
色の件は見てみないとなんとも言えない。
けれど首輪にエミルの文字があるのは事実。
「あ、そうだ。大きさも違うわ。エミルは私の腰くらい大きいって……」
アルマの眉がピクリと跳ね上がった。彼女の腕が腰に回る。何だかちょっと怒っているような。
「子供目線にはそう見えたんじゃない。ロラちゃんは細いよ。ほら、簡単に腕に収まる」
「くすぐったいわ」
「っていうか、単純にロラちゃんに触りたかっただけでしょ」
「あのエロガキ、しめる」と、呪詛が吐かれたような気がしたが気のせいか。
だってアルマは相変わらず天使の笑みを浮かべているし、コンマ一秒で表情筋が変わるわけもない。
ふと背後の茂みが不自然に揺れ、振り返ったが誰もいなかった。何だか誰かに見られているような気がして落ち着かない。
「あら?」
視線を隣のアルマに戻すと、さっきまで持っていなかったバスケットが彼女の手の中にある。いつの間にかパラソルが設置され、簡易テーブルの上には湯気の立ったスープが並べられていた。
「よし、じゃあお腹もすいたし、ご飯食べよ」
「ちょっと待って。急に朝食セットが現れたわ。おかしいわ」
「僕がおしゃべりしながら準備しました」
えへ、と舌を覗かせて戯けるが絶対嘘。アルマは私の隣にずっと座っていた。
さっき茂みが揺れたのはやはり気のせいではない。私たち以外に誰かがいる。不審に思って先ほどの茂みに近寄るも誰もいなかった。
ヤマネコが三方向に目を見やるが私の目には何も映らない。おかしい。
「まーまー、気にしないで。悪い奴らじゃないから」
「……アルマのお友達なの?」
「そんなとこ。いいからご飯食べよ。温かいうちに」
どういう交友関係を持っているのだ。
ファンクラブ、信者、パトロン、下僕がいることは知っているが、気配を遮断する特殊部隊のような存在は知らない。悪女と名高い私は日頃から多くの悪意に晒されているため、人の気配には敏感である。私が気づかないレベルとなると確実に一般人ではない。
アルマは一体何者なんだろう。
じんわりと疑問が湧き上がり、彼女を見るがこちらの思惑と関係なく穏やかに笑っているだけだ。
アルマが手招いたので渋々ながら席に着き、朝食を口にする。美味しい。
聞きたいことは沢山あるが、まずは目の前のご馳走を堪能しよう。宮廷料理を思わせる上品な味わいに思わず頬が落ちる。
「ロラちゃん」
「うん」
「大好きです。結婚してください」
「…………ケホッ」
不意打ちだ。
そういうつもりはないと醸し出しといて、結局着地点はソコじゃないか。
「ジンクスにあやかるのは当然だよね。切実だもん」と悪びれなく笑うので、慌てて顔を背ける。可愛すぎる。
絶対私の顔は赤くなっているから。




