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悪役令嬢は侍女にぎゃふんと言わせたい  作者: こたちょ
二章 シルヴェニスタ編
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8. 唯一人だけが知らない

 目の前の男は私と同じくらいの年齢に見える。

 湯気が出るほどに顔を赤く染め上げ、紅は耳にまで至っている。

 初めての社交の場なのだろうか、緊張しているのがよくわかる様子で、私は彼の言葉を待った。


「……ろ、……あの、僕とも踊ってください」

「喜んで」


 ドレスの裾を上げて一礼し、差し出された手に私も重ねる。震える彼の手が力強くぎゅっと私の手を握ったので、少し驚いた。

 ルーベンをちらりと見ると、微かに頷いたので意図を察した。この歳まで社交界が未経験なのは珍しい。場慣れしていないので私が手解きしろ、ということなのだろう。

 緊張する彼の耳に口を寄せて「私にお任せを」と囁くと、男の顔は更に赤くなった。社交どころか女慣れもしていない。


 曲が流れ、ワルツの一歩を踏み出す。


 ……?

 ……あら?


 リードするつもりでステップを踏んだはずが、全く同じタイミングで彼の一歩も踏み出される。


 あら、あら、あら?


 リードなんて必要ない。身に馴染んだ踊りやすいテンポでホールをくるくる回っていく。ずっと前から彼と踊って来たような不可思議な感覚が体を包む。決して嫌ではない感覚だ。


 僅かに高い顔を見上げると、彼も私を見て柔かに微笑んだ。

 何だかこの目、見たことがある気がする。ルーベンに似ている、とかではなくもっと頻繁に見ていた愛らしい瞳。


「ダンス、お上手なんですね。無礼な真似をいたしました」

「ふふっ」


 手解きなんて必要ない。差し出がましいことを王族に向かって発言してしまい、恥ずかしさに顔が熱くなる。

 ならルーベンはどう言った意図で言ったのだ。わからず考えを巡らすがさっぱりまとまらない。

 柔らかな物腰は女性に好かれるそれで、私がわざわざ相手をしなくても問題なさそうな。


 赤い公務服に身を包んだ目の前の男は、頬を染めたまま緩やかに微笑む。楽しげに肩を震わせたので私は首をかしげる。


「ねえ、わからない?」

「え?」

「ロラちゃん、僕だよ」

「?」


 知らない男に名を呼ばれ、ますますわからなくなる。私を愛称で呼ぶのは。

 男はホールの隅まで来るとステップを止めた。

 私から手を外し、その手はそのまま彼の髪のところに持っていく。両サイドをキュッと掴んで、


 …………私の中で天地がひっくり返った。


「あ、あ、……アルマッ?!」

「服が変わっただけなのに、全然気づかないね」

「え、あ、……な」

「ロラちゃん?」

「ちょ、そんなことより、逃げるわよ!」

「……って、え?! なんで?!」


 男装したアルマの手を掴んで、脱兎のごとくダンスホールから逃げ出した。人目を避けて裏廊下を走り抜けて、光の漏れる扉の前を息を殺して通り、出口には門番がいたので、二階の窓から飛び降りた。

 垣根に飛び込んで、逃走ルートを頭の中で弾き出していたら、アルマが「ちょ、ちょっと、待って」と頭をくらくらさせながら私を止める。


「な、なんで逃げるの? 急すぎて何が何だか」

「だって、貴女、その服」

「服?」

「なんでそんな服着てるのよ。ドレスはどうしたの?」

「公式な場だと女同士は踊れないでしょ。男の服ならロラちゃんと踊れると思って」

「…………」


 頭が痛い。

 そんなどうでもいい理由で不敬にも当たる格好をしてしまったのか。天然天使の無知が怖い。踊るだけならいつでもどこでもアルマと踊っているのに。


 見回りの衛兵が遠くに見えたので慌てて茂みに身を隠す。声を潜めてアルマを叱責した。


「そうじゃなくて、その燕尾服の色よ。赤はシルヴェニスタ王家の色なの。王族やその婚約者しか着ることが許されていないわ」

「あ」

「それ以外の者が着たら不敬罪で罰せられるの。さすがに外国の方は例外だけど」

「…………」

「私にもルーベン殿下から赤いドレスが送られてきたけど。恐れ多くて着る気になれなかったし」

「うん」

「だからバレる前に逃げるわよ。城外に出れば冗談で済むと思うから。手引きするわ」

「ロラちゃん」


 衛兵が目の前を通るタイミングでアルマが茂みから抜ける。


「……ッ!」


 突然のアルマの行いに絶句し、けれど瞬時にアルマを背に庇い、衛兵の前に立ちはだかる。

 何か、言い訳を。何か。

 必死に考えるが焦りのあまり上手くでてこない。タラタラと冷や汗が流れ、唇が震える。けれど衛兵の反応は非常にあっさりとしていて「お戯れも程々に」とアルマに告げただけで去ってしまった。


 なんで?


 呆気に取られて衛兵を見送ると、罪人であるはずのアルマは緩く微笑んだ。


 どうして? 私が知らない間に刑法が変わった? いや、そんなわけがない。先週だって見せしめに一人処罰されたじゃない。


 震えが収まらず、私はぺたりと地面にへたり込んだ。


「ロラちゃんはいつも僕を守ってくれるね」

「そ、そんなことは」

「大丈夫だから。泣かないで」

「…………」


 知らず顔が濡れていて驚く。ぐいっと顔を拭い呼吸を整えるが、なかなか思うようにいかない。

 だってそのくらい怖かった。アルマを失ってしまうかと思った。アルマに酷いことをされてしまうかと思った。


 私の大事な大事なアルマ。

 自分でも気づかなかった心の奥底を強引に暴かれて言葉にならない。


「ロラちゃん」

「……ごめんなさい。もう大丈夫よ」

「うん」


 瞬間、おデコにキスが落ちてきた。

「ふふっ」と緊張感皆無の天使の笑顔が目の前に現れ、強張る体から力が抜けてゆく。私だけが焦って泣いて取り乱して凄くかっこ悪い。こんなんじゃ主人として面目が立たない。


「僕が外国人だと思ったみたいだねー」

「そうなの、かしら?」

「うんうん。大丈夫だから心配しないでね」

「だって貴女、凄くドジだから」

「ドジはドジなりに生き抜く術を持ってるから安心して。少なくともロラちゃんと結婚するまでは死なない」


 随分と強かなセリフに私も笑みが溢れる。


「……それ、なんだか死亡フラグに聞こえるわ」

「なら、同じお墓に入るまで死なない」

「そっちはもう死んでるじゃない」


 他愛のない会話をして笑い合う私たちを、満月が優しく照らした。

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