【番外編】こどもの日 アルマver
優しい声に誘われて起きたら、目の前にすっごい可愛い子がいて驚いた。
普段ならば口うるさい乳母に起床を促され、三バカの従者が騒々しく朝の支度を持ってくる。それが一連の流れだ。
寝ているベッドもふわふわで柔らかいし、微かに花のような甘い匂いがする。その香りは目の前の女の子からもして、一気に顔が熱くなる。
なんだここ、天国かな?! 僕、いつの間にか死んだのかな?!
女の子が何事か言って、朝食を用意してくれた。嫌いな野菜が入っていたけれど意外なことにとても美味しかった。
庶民風に「毎朝味噌汁を作ってくれ」のアレンジバージョンで告白したが、女の子はそっけない態度で返事をする。
……フラれた。その事実に僕の心は捻れた。
「おい女! 勝手にどこに行く!」
駐在所を出て、早足に歩いて行くドローレスの後を追いかけると、彼女は振り返りもせず「教会に行くの」と言った。
僕に対する敬愛の念がまるで無い。
僕を囲む人間はみんなもっと頭が低いし、もっと媚び諂ってくる。甘やかな顔をして機嫌を損ねないように必死なのだが、目の前の女の子はその片鱗も見せない。
もっとかまって欲しくて僕の方が必死だ。いい加減こっちを見ろ。
乱暴にドローレスの手を掴むと、彼女はやっとこちらを振り返る。
痛いとか嫌だとか、それすらの感情もなく、興味皆無な瞳が僕に刺さる。思えば朝からずっとこんな調子だ。全然僕のことを見てくれない。
「あまりフラフラしているとまた迷子になるわよ」
「うっさい! 僕は迷子じゃない!」
「なら、お家はわかる? 送っていきましょうか?」
「お前が僕に平伏するまで帰らない! 僕は王子なんだぞ!」
「……ごっこ遊びがしたいのね」
王族がこんなところにいるわけがない、と全く信じてくれない。それは確かに。
何で僕はここにいるのだろう。ドローレスの感じから言って誘拐とかでもないみたいだし。
「……え?」
「おや」
男女の声がして、急にドローレスの体が宙に浮いた。ドローレスも目を瞬かせて「あら?」と後ろを振り返る。
軽々と男の胸の中に抱き込まれ、ドローレスは突然の事態ながらも冷静に状況把握に努めている。
彼女も知らない男のようだ。僕もこんな大男、知らない。公務服を着ているので王族のはずだが。
大男は無表情にドローレスの頭を撫で、僕の心にピシリとヒビが入った。男は静かな声色で隣の女に話しかける。
「何だ、これは。ロラか?」
「ちっちゃいドローレス様ですね。すごく可愛いです」
「何故縮んだ。何か悪いものを食べたか」
「……あ、魔法の香りがしますね。『こどもの日』にかかる特別な、」
「…………。あの無作為で無自覚で厄介なアレか」
「キスをすれば戻りますよ」
「うむ」
男の端正な顔がドローレスに近づく。会話から何をされるのかわかり、僕の頭が爆発した。
僕のロラちゃんに何をする!
怒りのままに男の足を蹴り上げ、暴言を吐く。けれど所詮子供の力。大の男にはとても敵わず、ただ視線を僕に向けただけだった。
そして、呆れたように僕を見て無言になる。
「……こっちもか」
「そのようで。というか、何でアルマンド殿下がここに?」
「知らん」
男は僕のことも持ち上げ、ドローレスと同じ腕の位置で支える。
急に抱っこされて何が何だかわからず、僕もドローレスも互いに見つめ合う。彼女は黙って「何かしら?」と首を傾げた。
ミラモンテス領の街のど真ん中で人攫いなど起きるわけがない。悠然と構えているが、知らない男に抱っこされるのは嫌そうだ。僕も嫌だし。
「おい、無礼者! さっさと僕たちを下ろせ! 僕が誰だかわかっているのか!」
「…………」
「父上に言いつけてお前なんか処刑してやるからな! 僕は偉い第三王子だぞ!」
「……そういえばこういう奴だったな」
「絵に描いたようなクソガキですね」
男の厚い胸板を殴ると、「やれやれ」と男が僕たちを下ろす。その隙を見逃さず、向う脛を蹴り上げドローレスの腕を掴む。
「ロラちゃん、逃げよ!」
「……え?」
呼ぶと驚いたように彼女は顔を上げた。その瞳に光が灯り、僕の中で愛おしさが弾ける。何だこれ。
僕たちを呼ぶ大人の声を無視して、ドローレスと共に人の波の中に飛び込んだ。町民の足と足の間を搔い潜り、大人が通れないような壁の割れ目を抜けた。必死に走って走って丘の上まで来ると、「もう限界」と芝生の上に倒れた。
ドローレスは苦しそうに肩で息を吐いている。彼女の額に汗が滲んでいたのでハンカチでそっと拭った。
「ごめんね。いっぱい走って」
「……はぁ、はぁ。……大丈夫よ、アルマ」
「……少し休も」
と隣を促して、ハッと我に返る。
「おい女! アルマとはなんだ! アルマンド様だぞ!」
「……あら? ……何故かしら。勝手に出たわ」
「無礼者め! 王都に戻ったら即処刑してくれる! それが嫌なら僕に真摯に許しを希え!」
「ごめんなさい。……あなたが『ロラちゃん』って呼んだから。不思議ね」
「…………ッ!」
うふふ、と笑う彼女は暖かさで満ち溢れている。
花開くような甘やかさと香しさを兼ね備え、子供のくせに美しく優雅だ。強かで、何物にも動じない凛とした立ち居振る舞い。
ずっとずっと大好きで、僕だけのものにしたかった。彼女の婚約者も、兄上も、ドローレスの目に映る全ての男に嫉妬全開だ。
ドローレスは浅く呼吸を繰り返し、草の上に身を横たえた。瞳を閉じて風の心地よさを感じている。
可愛い。大好き。
心の奥底から暖かい気持ちが膨れ上がり、触れたい衝動に駆られる。彼女の顔にふわりと影が落ちた。
「……あれ?」
気付いたら丘の上で転がっていたので驚いた。
隣にはドローレスが横になっていて、僕から遅れてゆったりと目を開ける。そして僕を見て、辺りを見て「あら?」と首を傾げた。
「何故ここにいるのかしら? 昨晩ベッドで寝たはず。……でも今は昼ね」
「だよねー。僕もわかんない」
不思議なこともあるものだ。前後の記憶がすっぽり抜け落ちている。仮に誰かに運ばれたのだとしても気配で気づきそうなものだし。
まさか二人揃って夢遊病か?怖い。
立ち上がると、微妙にバランスを崩した。視界が思いの外高い。怖い。
さっきまでもっと低かったような。
ふらつく僕をそっとドローレスが支えるが、彼女もくらりとたたらを踏んだ。
「あら?」
二人揃って倒れ込み、口に温かく柔らかい感触が当たる。何が触れたのか理解して、僕の頭は羞恥のあまり火を噴いた。




