13. ドローレスの全て
翌朝家に帰ると、珍しくアルマが起きていた。
愛らしい目の下にクマを作って、不満げたっぷりに私を睨む。睨んだ顔も可愛い。
「あら、早起きね。偉いわよ」
「朝帰りですか、ドローレス様。品位あるレディーがなさることとは思えません」
「外泊することは度々あったでしょ。今更じゃない」
「あれは、……凄く嫌でしたけど、婚約者の元にいるのだと思ってたからです。もう彼はいないのですから、他に男の影を匂わせるのはやめて下さい。品格が疑われます」
「まあ。そんな訳がないとアルマが一番わかってるでしょ」
「確かに、それはそう、ですけど」
私の潔癖さを知るアルマは焦ったそうに歯噛みをする。
自分が嫉妬しているだけのくせに、一般論に理屈を差し替えてくるのは卑怯だ。そもそも私は周りにどう評価されようと別にどうでもいいのだから。
「じゃあ、正直に言いますけど、昨晩何も言わず僕を置いていなくなってしまうなんて酷いです」
「主催者側に伝言をお願いしたわよ。聞いたでしょ?」
「聞きました。伝達ミスを言っているのではありません。ドローレス様といちゃつきたかった、僕の淡い期待を裏切られた心傷の補填を訴えているのです」
「貴女、結構クレーマーね?」
ぐいっとアルマが一歩進み出る。
「補填を、ドローレス様」
「……そういう顔で言えば、なんでも叶うと思ったら大間違いよ」
憂いを湛えたアルマの顔は、全ての思考を放棄させてしまうほどの破壊力である。何も考えずに「はいはい、じゃあお詫びにお菓子あげましょうね」などと言って媚を売りたくなる。まあ、私はしないが。
彼女から伸ばされる手を振り払って私も負けじとアルマへと進み出た。
「いい加減にしなさいよ。貴女は侍女なんだから黙って私の言うことを聞いていればいいの。使用人のくせに主人に進言するだなんて身の程を」
「ドローレス」
「いい加減にしなさい」
朝から玄関ホールで騒いでいたので両親が起きてきてしまった。二人とも渋い顔をして私の台詞を止める。
まーたこの展開か。
二人はアルマを背にかばって私を叱責する。別におかしなこと言ってないじゃない。普通に主従関係がなんたるか指導していただけだ。
「話を聞いていたけれど、今回はドローレスに落ち度があるわ。アルマちゃんは純粋に心配していてくれたのよ。貴女は女の子なんだから簡単に一人で夜出歩くものじゃないわ」
「母さんの言う通りだ。アルマちゃんに謝りなさい。寝ないでお前の帰りを待っていたんだぞ。可哀想にクマまで作って」
……ひー、ムカつく!
って言うか、本当に話ちゃんと聞いてた? なんか都合の悪いところ聞き逃してない?!
アルマちゃんアルマちゃんと連呼する両親にまたもや癇癪を起こしそうになる。両親の後ろでオロオロとするアルマを睨みつけて「わかったわよ! 謝ればいいんでしょ謝れば!」と怒鳴りつけた。
アルマが遠慮気味にこちらに顔を出したので、乱暴にその手をとる。グイグイと引っ張って自室に戻り、力任せに扉を閉めた。
怒りのままにアルマをソファーに突き飛ばし、私はごそごそと本棚を漁った。大事にしまっていた書類一式を取り出すとテーブルに投げる。
「ほら、補填よ。ありがたく受け取りなさい」
「……? 何これ?」
「株式一式と、土地の所有権の証明書、あと銀行口座」
「?」
「補填って言うとムカつくけど、いずれは貴女に渡すつもりだったわ。額はそんなにないけどうまく運用すればそこそこに増えるはずよ」
「何言ってんの?」
「私の全てをいずれあげるって言ってたでしょ。別に今でもいいわ。こんなに腹が立った状態で渡したくなかったけど」
ガンッ
瞬間、音を立ててアルマの頭がテーブルに突っ込んだ。あまりの勢いに書類が散らばる。
「……は? ちょっと、待って。整理がつかない」
「庶民にしてみれば大金だったかしら?」
「違う違う。『ロラちゃんの全て』ってロラちゃん自身のことじゃないの? お金なんていらない。ロラちゃんが手に入るものだと、僕はてっきり」
「私なんていなくてもお金は自由に出し入れできるわよ。名義は貴女に移すから」
「そうじゃないってば。……ダメ、眠さもあいまり頭が働かない」
「ゆっくり考えなさい。突然すぎたわよね」
「…………」
バタバタと出したから本棚付近が散らかってしまった。飛び出した本や書類を片付けるためにそちらに向かうと、後ろにアルマがついてくる。
彼女はかなり難しい顔をして私を睨む。
「僕、補填ってお金のこと言ったんじゃないんだよね」
「あら、おやつの方が良かったかしら」
「ロラちゃんがくれるのは何でも嬉しいけど、……今はキスがいいな」
「……はい?」
本棚に向かって一歩アルマが私に近く。アルマの顔は逆光となり影が落ちている。しかしその顔は本当に眠そうだ。
「貴女、寝ぼけているわね」
「僕から一回、ロラちゃんから一回で水に流す」
「何も流れないわ。……ちょっと、それ以上近寄ったら引っ叩くわよ」
「叩かれるだけで済むならむしろ、──ッて、わぁ?!」
アルマが突然自分のスカートに足を取られる。眠気のあまり歩調がおかしかった。転ぶわ、と思った瞬間私の手は無意識に彼女に伸びていた。
アルマもまた、私を下敷きにしないよう咄嗟に頭に手を伸ばす。
お互いの手と足が不自然に絡み私たちは本棚に激突した。




