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第五十四話 コーヒーカップの男

 コーヒーカップを両方の手にそれぞれ持って、もうすぐクリスマスを迎える冬の空を1人で歩いていた。


 さっきからすれ違う人の視線が地味に痛い。


 前から黒いコートを着た怪しげな男が歩いてきたと思ったら、そいつは両手にカップを持っているのだから無理もないだろう。


 俺は心の中で、これは違うから……、洗わないといけないやつだから……。と言い訳しながら歩いて、気がつけばマンション前に到着していた。


「ふぅ……、なんだかずっと疲れたな」


 そう言いながらエレベーターのボタンを肘で押して降りて来るのを待つ。


「古森くんじゃないの!?」


 すると、後ろから声をかけられた。


 少しびくっとなりながらも、後ろを振り向く。


 聞いたことのある声で、このマンションで唯一の知り合い。


 予想通り、椎名さんが後ろに立っていた。


 長い黒髪を後ろでポニーテールのようにしてくくっていて、ビジネススーツをビシッと着こなす姿は一見モデルかと思うほどだ。


「あ、椎名さん。おっ、お久しぶりです」


 実に1ヶ月以上ぶりの椎名さんに少し緊張しながらそう返答して、今のコーヒーカップを両手に持っている変な状況で出会いたくなかったと咄嗟に思った。


「本当に久しぶりだわ!全然姿を見ないし、隣から物音もしないから、私何かあったのかって心配してたのよ!」


 しかし、そんな俺の姿は気にも留めていないように、椎名さんはそう言うと俺の隣まで来た。


 1ヶ月と少し前のあの襲撃で、俺は大怪我をしてずっと入院していた。


 このマンションはそれなりに防音性がしっかりしているから、そんなに音は聞こえないとしても、隣の部屋のベランダを開けて服を干す音なんかは聞こえてくる。


 1ヶ月以上、そんな音も一切聞こえず、そしてエレベーターでも全く会わないとなると、事情を知らない椎名さんからすれば何事かと思うのかもしれない。


「いやぁ、実は1ヶ月ぐらい実家に帰ってたんです。ちょっと用事があって」



 だが、あの襲撃は甲賀達以外には秘密にしなければいけない。


 冒険者でない椎名さんにはなおのことだろう。


「そうだったのね。どおりで、何度か部屋を訪ねたのだけれど留守だったわけね」


 本当のことを言えないのは心苦しいが、それでも椎名さんは納得してくれてそう言ってくれた。


「なんか心配させたみたいですいません」


 俺は嘘をついたことに若干の後ろめたさを感じながらも、そこまで心配してくれていた事に若干の喜びを感じつつそう言った。


 そうこうしているうちに、エレベーターは到着して2人とも中に入る。


「ってあれ、何度か部屋を訪ねてくれていたんですか!?」


 エレベーターに乗って12階のボタンを肘で押しつつ、驚いてそう声を出してしまった。


 普通にスルーしそうになったが、椎名さんが俺の部屋に……?


「ええ、ほら、前に言ったじゃない。また料理の味見お願いして良いかしらって」


 そう言われて思い出す。色々あって遠い昔のような記憶だが、そんな事があった。


「あぁ!まさか本当にまた作ってくれたなんて……」


 そう言って、俺は本当に勿体ない事をしたと顔を歪める。

 くそ、椎名さんがまた俺の部屋に来てくれるチャンスを不意にしたのか。


 入院生活、偽りの極楽生活にうつつを抜かして、本当の幸せを掴み損ねてしまった……。


 くそっ、俺の馬鹿野郎


 俺がそうして心の中で自分を責めていると、隣でクスッと笑い声が聞こえた。


 見ると、椎名さんが俺を見ながら笑っている。


「そんな顔しなくても、ふふっ。そんなにあの肉じゃが美味しかったのね」


 そして俺を見ながら、嬉しそうにそう言った。


 それを聞いて、またしても記憶が蘇る。


 あの肉じゃがは……。


 いや、あれは……。


「そうね、今日は無理なのだけれど、また今週末、土曜日にでも良かったら食べてみてくれないかしら?この1ヶ月で、凄くレパートリーが増えたの」


 俺が返答に困っていると、続けて椎名さんがそう言う。


 俺はほんの少し葛藤したが、そんなものは椎名さんが俺のために手料理を作ってくれると言う事実に消え失せた。


「はい!是非お願いします!」


 そして軍隊並みに勢いのある返事で答える。


 土曜日かぁ……、あと四日かぁ……。


 楽しみだなぁ。ちょうどご褒美のようなものになるかもなぁ。


 今日の槙島さんとの会話で、ある決意、計画を固めていた俺は、椎名さんの手料理を糧に明日からのそれを頑張れると思った。


「ところで……」


 そんな会話を繰り広げて、エレベーターが7.8と登っていく中、椎名さんが不思議そうにこちらを見ながらそう言った。


「さっきから何を持ってるの?カップ?コーヒーカップかしら」


「あっ、ああ!!違うんです違うんです。これは迷宮の、冒険者のあれで、あれなんですよ!休憩室のようなところがあってですね、そこで使ったものは自分で洗って返さないとダメなんですよ」


 俺は、自分が人から見たら少し変な状況にあるのを完璧に忘れていて、咄嗟に言われたものだからかなり動揺した。


 何が違うのかも、冒険者のあれって何なのかも分からないが、とにかく恥ずかしい。


「へぇ〜、あんまり冒険者の制度は分からないけど、随分変わってるのね。そう言うのって、普通は洗い場があるとか、使用済みを置く場所がありそうなものなのに」


「……」


 そう言われて、俺は確かに。と思ってしまった。


 あれ、これって俺、間違えたのだろうか。


 迷宮内での出来事や、槙島さんとの会話で内心動揺でもしていたのか。


 今になって考えてみれば、持って帰る制度な訳がないよな。


 見落としていただけで、何処かに使用済みのカップを置く場所があった気がしてきた。というかあっただろう絶対。


 だが、ただ間違えただけなんて言う事実を、椎名さんの前で認めるわけにはいかない。


勘違いして、コーヒーカップを両の手にして帰ってきたなんて、バカを通り越している。


「全く、冒険者委員会っていうのも杜撰なものですよ。困ったものだー」

更新かなり遅れてしまいました。申し訳ないです!


五十四話読んでくださりありがとうございました!


次回もよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] ただのコーヒーカップくすねたやつになってるな!
[一言] ホモも認められた恋愛 一目惚れして使用済みカップを持って帰った(これは犯ry カップを二つ持って歩く姿を多人数に見られ、真実はいつも一つとなるのであった
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