第四十六話 イカロスの翼
「労災ならありますよ」
ほっ……。
川田さんからその言葉を聞いた瞬間、俺は天にも登る気持ちになった。
良かった、これで少しは払う額も減るだろう。あんまり詳しくは知らないけど、きっとあるのとないとじゃ大違いだ。
男も捕まったらしいし、労災も出る。
本当にこれで一件落着だ。
「中級冒険者からだけどね」
俺がそんな感じで安心していると、続けて甲賀がボソッと呟いた。
「え?……今なんて?」
難聴系ラブコメ主人公ではないからはっきりと聞こえていたが、中級冒険者からじゃないと労災は出ない、みたいな意味合いの言葉を言ったのか?
まさかな。やめてくれ。
「労災とかが出るのは中級冒険者からなんじゃなかったっけ?あんまし知んないけど」
「あぁ、ああ!そうでした、古森くんはまだ低級冒険者でしたねぇ。それだと、労災は出ませんねぇ」
やっぱりそんな意味合いだった。
甲賀だけでなく、川田さんもそう言っている。
終わった。もう終わりだ。
こんな個室の10日間の代金、そしてこれからの入院費。貯金が全て消し飛ぶ騒ぎじゃない。
もう半額弁当も買えやしない……。
一件落着なんてしていない。一件不時着だこんなの。
「…………」
俺はそんな絶望するような話を聞くと、何も言えなくなった。
そして、何故かふと、太陽に近づき過ぎてロウの翼が溶けたイカロスを思い出していた。
ウキウキで天まで登って太陽だぁ!と思った彼の気持ちが、今ならわかる気がした。
労災があると聞いて舞い上がった俺は、真実という太陽によって身も心も焦されたのだ。
俺はイカロスだ。俺は今、現代のイカロスとしてこの世界に現界したのだ。
彼も俺も、ロウが災いしてこんな事になったんだ。
「…むかしギリシャのイカロスは……ロウで固めた鳥のハネ…両手にもって飛び立った……」
俺はショックのあまり、小学生の時に習ったイカロスの歌を小声で口ずさんでいた。
「……てるの?」
「……くん?」
甲賀と川田さんが何か言っているが、それは俺の耳には届かない。
もう俺の頭の中は、これからの借金生活と不時着して死んだイカロスの姿に埋め尽くされていた。
そういえばなんでイカロスは空に向かって飛んだんだったっけ。
ロウで固めた翼で飛べることに気がついて、それを羽ばたかせて空を飛んだ。
飛ぶだけで満足してりゃ良かったのに、わざわざ太陽まで行くなんて何を考えていたんだろう。
ロウなんだから、溶けるに決まってるじゃないか。
勇気一つを持って飛び出した、って歌にはあったけどただの馬鹿じゃないか?
いや、馬鹿といえば、俺もそうなのかもしれないな。
勇気を振り絞って、あのモンスターと対峙したが、よく考えればただの無謀だった気がする。
3分間絶対に時間を稼ぐなんて、どうして言えたんだろうか。
はぁ……、たまたま今回うまく行っただけで、もっといいやり方があったのかもしれないなぁ。
俺はそんな感じで、さっきまでの安心した気持ちは何処かに消え失せ、負の思考スパイラルに陥りまくっていた。
「古森くん、聞いてますか?費用のことを心配しているんでしたら大丈夫ですよ?」
「えっ……?」
俺がそんなダメな思考回路になって、さらにその奥へ入り込もうとしていた瞬間、川田さんのそんな言葉が聞こえてきた。
「今回の治療でかかる費用、ならびに古森くんがその間に本来稼いだであろうお給料など、全て国が補償してくれますよ」
「ええぇええ!?」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中のイカロスとか借金生活とか色々なことが消え去った。
「……」
でも、どういうことだ?この個室の入院費だけでなく、俺がその期間中に稼いだかもしれないお金まで補償してくれる?
おいおいおい、本当なのか?
そんな虫のいい話、あるのだろうか。
「まっ、政府がやりそうなことね。つまりは口封じって事でしょ、今回の」
ただの低級冒険者である俺が、どうしてそんな待遇を受けるのか疑問に思っていると、甲賀が少し悪態気味にそう言った。
「ああ、そういうことか……」
甲賀のその言葉を聞いて、俺もピンとくる。
つまりは、こんないい個室で入院させてあげるし、稼いだかもしれないお金の補償までしてあげるよ。だから、わかってるよな?今回の事件、誰にも言わないよな?
という国からの間接的なメッセージというか脅し、みたいなものってわけだ。
もしも仮に今回の事件を俺が他の人に言ったりすれば、この待遇は全て無になるかもしれない。
そんな意味合いを含めた処置というわけだ。
でも、
「いやぁ……、本当に良かったです……、いやほんとに……」
俺はめちゃくちゃ嬉しかった。
入院費だけじゃなくて、お金までもらえるなんて本当に助かるし、最高だ。
その国の思惑とやらに、乗ってやろうじゃないか。
絶対に今回の事件、誰にも言いませんとも。
というか、元々言うつもりも無かったし、言ったところでどうなる事でもないのだ。
俺はそんな真実を聞いて、さっきよりも高い天に上った気持ちになった。
ごめんイカロス、俺はお前とは違ったよ。
俺はもう一度飛ぶ。
国の、政府の汚い思惑に塗れたこの翼で、この大空を駆け回るのさ。




