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第2話『大切なもの──Home』

っしゃ、召喚まで行けた!

 さて、午後5時。

 学校が終わって、いま僕は帰り道にてチャリを漕いでいる。

 ………え?あの昼休みのあと?

 授業中どころか休み時間、果てはホームルームまで寝て過ごし、掃除当番はバックれましたけどなにか?

 いやぁ、掃除当番とかその辺はサボっても単位に響かないのが良いね。

 帰宅するためにチャリを飛ばしていると、ふと昼休みのことを思い出す。

 穂積、穂積なぁ。

「嫌な奴だったり、悪い奴じゃないんだけどな」

 ちょっと暴走気味でボディランゲージが激しいが、基本的に良い奴だ。なんやかんやでフォローしてもらってるし、実際助かってるし。

 けどまぁ。

「それでも『放っておいてほしい』って気持ちの方が強いあたり、ダメだな、僕は」

 人の好意を迷惑がるほどの人間嫌い。

 これが重度の悪癖であるということくらい、わかっている。

 けれど、こんな僕でも生きている。痛みだって感じるし、心だってある。

 ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、相川零だって、みんなみんな生きているのだ。

 友達ではないけど。

 可能な限り傷つきたくない。

 酷い目にも危ない目にも会いたくない。

 可能な限りやりたくないことはしたくないし、80歳くらいまで独身貴族を謳歌してから老衰で死にたい。

 16のガキの戯言だと、笑いたければ笑うが良い。

 大人になんてなりたくない。ピーターパンが羨ましい。僕はまだ、ネバーランドの住人でいたいのだ。

 シャァァァ………と、ホイールが唸る。

 まだ少し冷たい春の風を突っ切って、銀色の自転車が進む。

 冷気が顔にあたり、それが頭を冷やしてくれる。悶々としていた頭蓋骨の中身まで風が通り、蒸し暑く熱せられた空気が抜けていくような爽快感を覚えた。

 ………面倒なことを考えるのはやめよう。

 今日は、叔父さんが帰ってくる日だ。

 余計なことにリソースを割いてやる暇は、僕の人生に一秒だってないのだから。


 ─────────────────────


「ただいま〜」

 ガラ、と横引きの戸を開けて、我が家に入ると、気張りの廊下と、ずらっと並んだ襖。さらに廊下の奥には両開きの襖が目に入る。

 我が家はかなり和風テイストの強い、二回建の一軒家だ。

 なんでも父方の曽祖父がかなりこの家に愛着があったらしく、誰もいなくなっても潰すことを許さなかったとか。

 ならば、ということで補修を重ね、当時の趣きを残しながら、祖父、父、そして僕。と、代々で住み着いてきたというわけである。

 廊下の奥の襖を開けると、畳の上に座布団を敷き、その上に正座をして、しゃんと背筋を伸ばしてテレビを見ている、老女が目に入った。ふう、と手に持った湯呑みに息を吹きかけ、ずず、と湯気を立てる緑茶を飲みながら、少しお堅いニュース番組を見ている。

 その背中に、僕は声をかける。

「ばっちゃん、ただいま」

「ん」

 こと、と卓袱台に湯呑みを置いて、座布団ごとこちらに向き直って、老女───ばっちゃんは微笑しながら言った。

「おかえりなさい、零」

 ばっちゃんは父の母親。つまりは父方の祖母で、本名を相川さゆという。

 白い髪に、深く皺が刻まれた肌。されどたるみやシミといったものとは無縁。今年で60を迎えるにもかかわらず、その立ち振る舞いは優雅で、背筋は常にぴんと張っている。

 年齢から考えてもやや古風なところはあるが、それでも僕の自慢のばっちゃんである。

「仏間にはもう行きましたか」

「んや、まだだけど」

「……その様子だと手も洗っていませんね?」

「う、それは」

「言い訳は無用」

 ぴしゃり。

 答えに詰まったり、誤魔化そうとすると、ばっちゃんはいつもこう咎めてくる。お見通しなのだ、ばっちゃんには。

「直ぐに手を洗って口をすすいで、それから仏壇にてを合わせてきなさい」

 けして声を荒げることはない。強い口調でもない。けれど有無を言わさぬ圧力と凄みのある言葉。ばっちゃんには逆らえないのだ。

「……はいはーい」

 ガララ、と襖を開けて、廊下を歩いて洗面所へ行き、手を洗って口をゆすいだ。

 その足で向かいの襖を開けると、そこは仏間である。

 仏間には仏壇が一つ、部屋の隅に鎮座しているだけで、あとは障子を開けると縁側があるくらいで、特に面白みのない部屋だ。

 シュッ、とマッチを擦って、蝋燭に火をつける。

 その蝋燭の火に線香の先をくべると、赤い光を灯す。なんとも言えない香りを含んだ煙が一筋立ち上り、光は下へ降りてきて、灰が伸びていく。

 僕は慣れきった仕草で、灰を落とさないように香炉に刺す。

 軽く手を合わせて目を瞑り、僕は言った。

「……ただいま。お父さん、お母さん」


 ─────────────────────


「ただいまー」

 課題をやっつけで終わらせ、晩御飯の時に呼びに来るばっちゃんを待っていると、とうとう叔父さんが帰ってきた。急いでノートパソコンを起動させ、パスワードを打ち込んでログインする。

 ガラ、と部屋の襖が開く。振り返ると、叔父さんがにこやかに笑いながら立っていた。

「おかえり。百之助(もものすけ)叔父さん」

「あぁ。ただいま、零」

 少し白髪の混じった髪に、やや太い首とかなり突き出た腹。柔和な表情を浮かべる彼は、某出版社の編集部勤務でもある。

「で、早速見て欲しいんだけど」

 座椅子を引いて叔父さんを座らせて、パソコンを叔父の前にずらす。

「ん、じゃあ、見せてもらうね」

 マウスを動かし、画面をスクロールしていく叔父さん。

 ディスプレイに映っているのは文字列。

 僕が書いた小説だ。

 内容は主人公が女の子に恋をして、振り向かせようと頑張るうちに、色々な騒動に巻き込まれる、かなり古典的なラブコメディ。

 これを形にするのに、中学生生活の半分以上を費やした。

 そして完成したものを叔父さんに見てもらって、細部を詰めだしたのが約半年前。

「………うん、この間指摘した部分が改善されてる。それだけじゃなく、幕間に小話を挟んで、心情の補完もできてるよ」

 完成は近いよ、と叔父さんは言った。

「………っ、しゃ!」

 思わず座ったままガッツポーズ。

「それじゃ、僕は改善点を探すから、もう一度読み込ませてもらって良いかな」

「うん、喜ん───」

「その前に」

 と、背後、少し頭上から冷ややかな声が浴びせられる。

 ビクッ、と肩を跳ねさせ、恐る恐る振り返ると……。

「ご飯ですよ、零。そして百之助」

 ぎろ、と叔父さんを睨んで仁王立ちするばっちゃんが居た。

「帰ってきて一言も無いとはどういう事ですか」

「え、いや僕ただいまって言ったじゃないか」

「言い訳無用。私に聞こえていないのだから意味がありません。それともお前にとって、この家の住人は零だけなのですか」

「うぐ……。ご、ごめんなさい、母さん」

 ぴしゃりとした物言いのばっちゃんに、叔父さんはぐうの音も出ない。

「………ぷっ」

 その様子がおかしくて、なんだか暖かくて、つい笑みをこぼしてしまうと。

「………はは」

「………ふふ」

 叔父さんは苦笑い気味に、ばっちゃんは仕方ないやつ、って感じだけど。

 しばらく三人で笑いあって、僕は思った。

 ………ああ、やっぱりこの二人が、僕の家族なんだ。


 ─────────────────────


 太陽とやらは何故毎日毎日飽きもせず登りやがるのだろうか。一日くらい休みたいと思わないのだろうか?

 お前は末期のワーカーホリックか、あるいは皆勤賞を自慢するウェイ系か?

 ………などと、馬鹿な事を考えながら、学校の駐輪場に自転車を停める。

 地味に長い距離を歩いて、昇降口で靴を履き替える。一年の教室は二階にあるので、階段を通らねばならないのだが───

「うげ」

 思わず口に出てしまう。見ると、四人の男子生徒が階段に座り込んで話し込んでいるではないか。そりゃあ『うげ』とも言いたくなるわ。

 ほかの一年も、なんだか申し訳なさそうに彼らの間に割り込んで階段を登る。

 なんにも悪いことなんて、してないのにな。

 さて、どうするか。

 ここ以外にも教室に辿り着くルートは存在する。

 この校舎には階段が2つあるから、もう1つの方から行くもよし。

 別館に行って二階に上がってから、渡り廊下を使って行くもよし。

 ふむふむ。

 よし、勝利の法則は決まった。

「はいはい、通りますよっと」

 ズカズカと()()()()()()()()()()()()()()()()

 当然、話し込んでいる四人からは不快そうな目を向ける。しかしそんなもんはまったくもって気にならない。

 いや、だって、ねぇ?

 階段は登るためにあるのであって、座るためにあるのではない。

 ていうかさっきから交通の邪魔になってんの気づけよバーカ。

 と、思ったけど口にはしない僕であった。


 ─────────────────────


 さて、HR(ホームルーム)の時間である。

 ちなみに今日は寝ない予定である。昨日あのあと、おじさんからいくつかダメ出しを受けているので、その修正案を考えねばならないからだ。

「んじゃ、朝の連絡はおしまい。はいおしまい。一限は世界史だ。準備しろー、お前ら。剣崎と穂積、悪いけど教材運ぶの手伝って貰うぞ」

「「「はーい」」」

「わかりました」「はーい」

 担任の先生と、穂積、そして剣崎が授業の用意を取りに、クラスの外へ出て行く。

 まぁ、準備とはいっても、始まるまで15分ほどあるのだ。みんなそそくさと教科書と筆箱を机の上に出してから、席を立って仲のいい友達のところに行って、喋り出す。

 まぁ中には本を読みだす奴もいるけど、そこはどうでもいい。

 重要なのは、だ。

「おい、哀川」

 と、僕に声をかけて来る奴がいた。

 はぁー、めんどくせえ。

 目頭をぐりぐりと、右手の親指と人差し指を使って揉みほぐしてから、そちらに顔を向ける。

 立っていたのは穂積でも剣崎でもない。

 ニヤニヤと常に笑みを含んだ口は、あのレモン果汁一年分の爽やかさとは程遠い。

 しかもそれが四人である。

 ……なんだこのグロ画像。

「……はい哀川です」

 電話に出るときのような名乗り方で、答えてやる。

「ちょっとさぁ、ツラ貸せよ」

 そういうのは、四人のリーダー格の小野寺(おのでら)だ。

 下の名前は確か……優人(すぐと)だったかな?

「いやごめん。僕アラレちゃんじゃないからさ、僕の顔は着脱不能なんだよ」

 と、答えてやると、彼らの顔からニヤニヤとした笑いが消える。

「そういう意味じゃねえよ。おちょくってんの?」

「ピンポーン、大正解」

 がくん、と視界が揺れる。小野寺に襟首を掴まれたからだ。

 そのままぐっと引っ張られる。苦しくなって、思わず体ごと向き直ってしまう。

「お前さぁ、最近調子乗ってない?」

 ぐい、と顔を近づけてそんなことを言ってくる。

 はて、なんのことやら。とりあえず

「っ……そんなに顔近づけんなよ、キスでもする気か?」

「は?」

 襟首を持った手を前に突き出しながら離す。たったそれだけの動作で、僕の身体は椅子を巻き込んで倒れる。背を壁に打ち付けて、肺に振動が伝わって、なんとも言えない衝撃が胸骨のあたりを突き抜けた。

 一気に教室がざわつき始める。椅子を巻き込んだんだから、デカイ音も鳴る。そりゃあ気になるわ。

「っ、は」

「昨日も円花にナマ言ってたじゃん。お前さぁ、何様?」

「…同級生だろうよ。考えて物言え」

「あのさあ!」

 だん、と僕の顔の横の壁に脚を叩きつける。

「ゼロ野郎のくせに、何言ってんの?お前と俺らが対等なわけねーじゃん」

「………」

「わっかんねえかなぁ、俺が言ってること。お前に何ができんの?なんにもできねえだろ?なのにイキってんじゃねえって、俺は教えてやってるんだぜ?」

「………」

「あ?なんとか言えよ」

 ん、あ、やべ。

「あー、ワリ。聞いてなかったからもう一回言ってくんね?」

 ドズ、と鳩尾につま先が突き刺さる。鋭い痛みが身体中に響いて、呼吸がしづらい。

「………っは、が!」

「おい、やりすぎじゃね?」

「知らねえよ、クソが」

 後ろのやつが制止するのにも構わず、小野寺は僕の髪をひっ掴もうとして───気づいた。

 紫色の光の線が、ネオンサインのように床に刻みつけられていた。

 光は五重の円を描き、その円の狭間の帯には、幾何学的な文様が刻まれていた。

 これは───まさか、魔法陣!?

 んなバカな。

 そう考える理性を、魔法陣からただならぬ圧力を感じとっている感覚が殴り飛ばす。

「おい、なんだよこれ!?」

「いたずらか!?

「誰のだよ!」

 クラス中から困惑した声が上がる。五感すべてに当てはまらない、さながら『プレッシャー』としか形容のしようがない圧倒的ななにかが、あの魔法陣で脈動している。

 どくん、どくん。と、心臓が動くように紫紺の光が明滅し始める。伴って、感じていた圧力がより重厚なものとなっていく。

 と、ガラッと教室の扉が開く。

「おいお前ら!なんの騒ぎ………っ!?」

「これって……」

「なにが起きてるんだ、一体!?」

 先生と教材を取りに行った二人も、魔法陣を目の当たりにして面食らっている。バサバサバサ!と呆然とした穂積の手からプリントが落ちる。

 ───ゾクッ!

 背筋に鳥肌が走る。魔法陣の圧力によるものではない。もっと、暗く、それでいて甘美な、甘い泥のような気配。

 教室の一番左前方の席。僕の列の一番前の席。そこに座っている『彼女』が、ぐるりと首だけを回して僕を見ていた。

 目があって、彼女の唇が三日月のような笑みを浮かべる。

 確か、彼女の名前は───

「───廃崎、まくろ?」

 そう呟くと、彼女の笑みがより深く刻まれる。

 彼女はスッ、と肩越しにカードを掲げる。その動作に気づいているのは、この教室では僕だけだろう。

 いつも彼女が持ち歩いてる大アルカナのタロットカード。その1の数字を刻むそのカードの名前を、彼女は詠うように呟いた。

「『魔術師(ザ・マジシャン)』の正位置───」

 そう呟いたのがトリガーか。或いは別の要因があったのか。

 カッ!

 ひときわ強く輝いた、紫水晶のような輝きが、僕らの目を灼く。

 思わず視界を右手で塞ぐも、もう遅い。僕の目は眩んでしまった。

 光の明度が強すぎて、もはや視界には純白しか映っていない。

 さらに強い耳鳴りまでしてきて、聴覚も仕事をしなくなる。

 この教室にいた人間が───一年B組の人間が、全員光に呑み込まれる。

 そして─────────────────────


「おお、成功したぞ!」

「神のご加護だ!神は我々を見捨ててはいなかったのだ!」

 復活した聴覚が最初にキャッチしたのは、そんな歓喜の声だった。

「一体、なにが……」

 眩んでいた視界が戻る。僕を見下ろす男子生徒四人、離れたところにいる先生達三人。さらに首を回すと、未だにこちらを見ている廃崎に、困惑するクラスメイトが目に入る。

 ただし、僕が自分の視界を信じられたのはそこまでだった。

「………え?」

 そう呟いたのは、誰だったのか。

 クリーム色の教室の壁や黒板は消え失せ、上下四方は冷たい丸石の壁が囲んでいる。多数の松明が取り付けられているが、その明るさは慣れ親しんだ蛍光灯には遠く及ばない。

 さらには僕らを囲むように、多数のフード付きローブを着た人間達が、少し低い位置から眺めている。

 いや、これは、彼らが低い位置にいるのではない。

 ───祭壇?僕らは今、祭壇の前にいるのか?

 拗らせたオタク脳と厨二心が、フィクションの出来事を喚起させる。

 カツ、カツ、と一人の老人が、祭壇の階段を登ってくる。

 見れば、彼のローブにだけ細やかな金の意匠が施されている。彼がこの場を取り仕切る長なのだろう。

 階段を登りきる一段前に足をかけて跪き、その老人は言った。

「我が名はロバート・ディナーダでございます。混乱しておられるでしょうが、一先ず」

 もはや笑ってしまうほどに使い古されたセリフ。

 それを彼は、続けて口にした。

「どうか、我等の世界をお救いくださいませ、勇者様。そして勇者の使徒様」

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