魔法魔術概論 アルケー
皆さんこんにちは。
或いはおはよう、もしくはこんばんは。
さて、今回は魔法について説明する前に、その前段階としての基礎知識を説明していくことにする。
《アルケーとは何か》
物事には因果というものがある。
突き詰めていけば実はそんなものは無いのだが、今はそういうことは省いて『因果が存在する』という体で説明をすることにする。
ところで、諸君は因果という言葉はご存知だろうか。
まずはこれが分からなければ、この先の殆どのことは理解できないだろうということで、ここで簡単に説明しておく。
『因果』とはつまり、『原因』と『結果』のことだ。
どんな出来事にも、どんな行動にも原因というものが存在し、それがなければそれに続く結果というものはやってこない。
食べなければ腹は減るし、食えば満腹になる。
『腹が減る』原因は『食べなかった』ことであり、つまり『腹が減る』結果を呼び出したのは、『食べなかった』という原因があったからだ。
逆も然り。
『満腹になった』原因は『物を食べた』から。
『物を食べた』という原因が、『満腹になった』という結果を呼び寄せた。
これが『因果』というものだ。
原因と結果。
あらゆる出来事にはそれが付随しており、更にその原因にも因果関係というものがある。
例えば先の例で言えば、『腹が減った』のは『食べるものがなかった』から。
もしくは、『食べたくても食べられない原因があった』から。
この様にして見ていくと、やがてあることに気づく。
――すべての物事には、根本的な原因が存在している。
多くの仕事をこなすのは大変だが、ひょっとすればその大元の原因、根本原因を押さえさえすれば、この仕事の量も減るかもしれない。
アルケーとは、この根本原因のことを言う。
つまり――『根本原因』ということだ。
……はて?
ではこれがなぜ、魔法に関係してくるのか。
せっかちな君たちのことだから、そんなことを考えているのではないだろうか。
話は変わるが、『○○主義』という言葉を聞いたことはあるだろうか?
利己主義とか、利他(偽善)主義、合理主義etc...
『○○主義』というのは、実は『○○こそがアルケー』だという考え方のことをいう。
例えば物活論というものがある。
昔(紀元前くらい)は、殆どの人が八百万の神みたいな考え方をしていた。
どんな出来事が起こるのも、それはすべてそれに宿る神様のせいだ。
そんな感じで、昔のアルケーは神様が主体だった。
さっき行った言葉で言うなら『神様主義』ってところだな。
ところが、石の神様や土の神様、日の神様に火の神様、水の神様……と言うふうに、あまりにも神様の種類が多すぎる。
それに、神様がどうやって自分の担当する現象を引き起こしているか説明ができない。
そこで、むしろ神様というより現世の物質そのものに生命の力があるのでは、という考え方が浮上した。
これが物活論だ。
哲学者のターレスという人がいた。
彼は、水こそがアルケーだと唱えた。
人間も獣も、水を飲まなければ死んでしまうし、種だって水を与えれば成長するし、枯れた葉っぱだって復活する。
つまり水の方こそが生きていると唱え、水こそがアルケーだと叫んだ。
だがしかし、その弟子のアナクシマンドロスはむしろ何にでもなる材料のほうが生命だと唱え、そしてその弟子のアナクシメネスは、希薄だったり圧縮されたりするガスのようなものだと言った。
しかし、どうだろうか。
魔力の存在を考えると、目に見えるものというのはあまりにもハリボテが過ぎないだろうか。
我々が普段、目で見て認識していることと言うものは、目が光を取り込んで、その情報を脳が解釈しているに過ぎない。
アルケーの考え方を引っ張り出してくると、我々に外界を認識する力があるのは、『脳ミソがあるから』の一言に尽きるのではないだろうか。
『水槽の脳』という思考実験がある。
君が見ている世界というのは、実は水槽に浮かべられた脳が見ているバーチャルリアリティなのではないか、というものだ。
脳は神経伝達による電気信号やホルモンによって、感情、思考、記憶などが行われている。
では、この脳ミソを死なないように特殊な培養液に移して、特殊な機械にくっつけてみれば、はてしてどうなるのか。
はたして、今君が見ている世界は、本当に現実なのだろうか、という問を作ることができるわけだ。
もし、仮にこの世界がバーチャルリアリティの世界だったとしよう。
とすると、この世界の物理法則について、いくつか不可解だった謎が解けてくるものがある。
ならば、この世界が自分の見ている夢のようなものだとしたならば、魔力について多少の説明もできようというものだろう。
つまり、この世界に存在しているものも、存在していないものも対して違いがないことに気がつく。
そうであるなら、見えているものも存在しているものも、大した違いは存在しない。
次に話をする可視化というものは、これを引用したものなのだ。
というわけで今回はここまで。
次回からは可視化について説明するので、そのつもりで。