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きっとこれからは。

作者: 細鳴

 苦い記憶に限って、どうしていつまで経っても忘れられないんだろう。そのとき一緒にいた相手と今もいるってせいもあるのかな。でも、だからってあの子が、アキが悪いわけじゃないんだし、私がいつか、自分で解決していくしかないんだろうなぁー……。

 ——なんて現実逃避をしつつ、何食わぬ顔をして私は廊下を歩いていく。昼休み中の学校ってなんか妙に活気があるっていうか、楽しいなと思う反面で何となく、ふわふわ浮き足立つような感覚に陥ることがある。特に何かトラブルがあるわけじゃなくて、無事高校二年に進級しても入学当初からの友達の碧とも同じクラスで、小さい頃から続けているバレーも一年ちょい一緒に頑張ってきただけあって、新チームも既に結構上手くまとまってきてるなぁって実感してる。むしろちょっと恵まれてる方、かもしれない。まぁ勉強はあんま得意じゃないから、そっちでは割と苦労してるんだけどね。さっきまでそのせいで担任に呼び出されてたしさぁ。

 自分の教室の前まで戻ってきて、私はひっそりと肩を落とす。そして、溜め息と一緒に嫌な気持ちを吐き出して少しスッキリした。ミスを引きずって後悔ばっかりしてないで、ちゃんと切り替えなきゃ。言うほど簡単じゃないけど、少しずつ慣れていくしかない。

 教室の後ろ側のドアを引いて中に入る。振り返ったすぐ傍の席のクラスメイトに「また呼び出されたの?」と、心配半分からかい半分の顔つきで言われて、苦笑いでごまかしつつ私の席の方へ目を向けて。

 とりあえず蓋だけ閉じて放ったらかしになっている私のお弁当が乗っかった机に、二つ別の椅子が寄せられていて、その持ち主の二人が笑い合っているのが見える。一人はさっき言った友達の(みどり)。もう一人は、私の幼馴染のアキだ。

 私はバカだから本なんて全然読まないんだけど、暇で暇でしょうがなかったときに姉が買ってる漫画を見たことが何回かあったから、このフレーズだけは知ってる。白皙の美少年、ってたぶん現実にいたらアキみたいな人なんだろうな。今はだいぶ良くなったけど身体が弱くて、激しい運動ができないから不健康ってほどじゃないけど色白で、細くて、それだけでも充分目立つのに、見慣れてる私から見てもアキは顔がいいと思う。男らしいわけではないけど逆に女の子っぽいってわけでもなくて、可愛い感じだけどちゃんと男には見えるっていうか、うーん、あんまり上手く表現出来ない。碧は私のそんなバカな説明に「何となく分かるよ」と頷いてくれたけど、他のクラスメイトとかうちの部の後輩とかは西洋のお人形さんみたい、髪を伸ばしてほしい、みたいなことをキャーキャー言ってる。だからか、どんな人なんだって見に来る子はいても、意外と告白されることは少ないらしい、っていうのは碧の話。どこまで本当なのか知らないけど。その碧も中身は普通、っていうか、私とウマが合うだけあって割と残念なところも多いけど外見は美人だし、派手すぎず地味すぎず校則に引っかからない程度のおしゃれ具合でアキよりよっぽどモテたりする。やっぱり、見た目の気安さっていうのは大きいんだろうなぁ。

 ぼぉっと中途半端な距離で二人を眺めてしみじみと思う。綺麗な人同士ってやっぱり、画になるなぁ、って。そう思ったら胸のあたりがチクリと刺すように痛んで、ぐっと顔が強張る。眉間に皺が寄ってそうだ、って他人事みたいに思った。

 ——たぶん、この痛みのことをザイアクカン、っていうんだろうね。

 あのときのあの言葉で傷付いたのは私じゃない。現在進行形で私がアキを傷付けてるから。だからこんなに痛くて悲しいんだ。

叶絵(かなえ)ー! どしたー?」

 いつの間に気付いたんだろ、っていうか私はどれくらいこんな中途半端なところで突っ立ってたのか。呼びかけられて我に返り、知らず知らず下げていた目線をあげて二人の顔を見る。ちょっと怖い顔をして一瞬私を見て、ふっと目を逸らしたアキと、私の方を見ながら目を丸くしてる碧。碧の方はたぶん何にも考えてない。アキはちょっと珍しい感じだ。普段、人前ではあんまりそういう顔をしない印象があるから。

 何故か妙に重い足取りで歩いていって自分の席に腰を下ろすと、アキの他の人よりも少し色素の薄い目がこっちを向いて、

「カナ、」

(あきら)ー、お前今日体育どうすんだっけ?」

 アキが私に何か言いかけるよりも早く、私の斜め左の席で別のクラスメイトと喋っていた委員長がふと思い出したように話を振ってくる。アキは少しだけ戸惑ったような顔をしたけど、それを不思議がる時間もなくそっちへ向き直った。

「今日は見学。先生にも先に言ってある」

「おー、了解」

 もともと見た目よりも低いアキの声が、いつもよりちょっと低くなってるような気がした。

「アキ、さっき何言おうとしたの?」

「……別に、何でもないよ。そんなことより、早く食べないと動いて吐いても知らないぞ?」

 そうやってからかう顔や声は、普段のアキと何も変わらない。——うーん、気のせいだったのかなぁ。言うとアキはふっと溜め息をついて、私が戻ってくる前に片付けてあったお弁当箱を取って立ち上がり、そのまま自分の席に戻って行った。これもいつものことだから別に怒ってはいないはず。そういえば、「普通に男の子の友達もいるのになんでその人達とご飯食べないの?」って聞いたらすごい分かりやすく不機嫌になったことがあったなぁ。人前だと全然怒んないタイプだから、そのアキと仲のいい男の子すら驚いて、二度見三度見してた記憶がある。

「……うーん?」

 納得したつもりだけど何でだか上手く消化し切れなくて、大人しくお昼ご飯を再開しつつも首を傾げていると、私の席に椅子をくっつけたままずるずると紙パックのオレンジジュースをすすっていた碧が顔をあげてじっと私の顔を見てくる。っていっても姿勢が悪いからすごい上目遣いだけど。

「叶絵ってほんっとにさー……」

「な、何よ?」

 同類だから、私がたまに碧のことを残念に思うみたいに、碧もそう思うことがあるらしくてたまにツッコまれもするんだけどさ。今回はやたら実感がこもってるっていうか、とにかく言われ慣れてるだけに何となくいつもと違うのが分かる。

「……かわいいよね、ほんっと」

「は?」

 何が言いたいんだか、さっぱり分からない。呆れてるっぽいのに出てくるのが褒め言葉? っていうか褒められてない気がする。だからってわざわざ皮肉言うほど碧は性格悪くないけどね。

 叶絵がつめたいー、と本人に訴えつつ絡んでくる碧をスルーしつつ、ちらっと時計を見て食事のペースを早める。昼休みの後の体育なんて運動が大好きな私でもちょっとやだなーって思うのに、今日は朝から昔のことを思い出してばっかりだしで、ますます気が滅入るなぁ。針で刺すみたいに微妙に痛む頭を軽く撫でて、私は取っておいた好物のミニトマトを口に入れた。


「叶絵ちゃん大丈夫? どっか具合でも悪いの?」

 そう声をかけてくるのは前の席の早紀ちゃんだ。

「へーきへーき。ちょっと食べ過ぎただけだから」

 言いながらパタパタと手を振ってみせると、困り顔のままだったけど座り込んでいる私に目線を合わせていた早紀ちゃんが立ち上がった。優しいなぁ、と心の底から思う。私もこんな風に優しい人間だったらきっとあんなことはしなかったんだろう。間違えなかったらずっと引きずることもなかったのに。

 あー、いやだ。ぐるぐると酷い考えばっかりが頭の中で回る。早紀ちゃんには平気だって言ったけど、正直ちょっとだけ気持ちが悪かった。授業が始まるまでは全然そんなことなかったのに。抱えた膝に額を押しつけて顔を隠してしまいたいけど、ぐっとこらえてグラウンドの方に目を向ける。何にも知らない碧が活き活きとトラックを走っているのが見えた。ぶっちぎってるけどあれ絶対この後のこと考えてないな、なんてどこか冷静な頭で思った。人に迷惑をかけずにバカやってる碧は結構きらいじゃない。ううん、結構好き。こういうとこ似た者同士だから気が合うんだろうなぁ。

「どこか痛いんじゃないの、カナ」

 一瞬、誰になんて言われたのかよく分からなかった。目の前の地面が急に暗くなって、振り返ると制服姿のアキが立っている。誰かが亜麻色、って言ってた天然モノの淡い色の髪が太陽の下でキラキラ輝いてるのがすごく綺麗だ。そうしてぼーっと見ているとアキが視界から消えて、さっきの早紀ちゃんみたいにしゃがんだんだってちょっと遅れてから気付く。

「保健室に行こ。先生に言ってくるから少し待ってて」

「大丈夫だって。そういうアキこそ、なんでこんなところにいるの?」

 確認もしないで決めつける態度にモヤっとして、少しゆっくりした動きで立ち上がったアキにそう聞くと表情が変わる。昼休みのときの、私が教室に戻ってきたときのあの顔つき。あれをもっと悪く、分かりやすくした感じのやつだ。いかにも不機嫌な——そっか、さっきもやっぱ怒ってたのか。

「いいから。病人は黙って俺についてこい」

 ああ、この喋り方は本当にやばい。怒ってる。アキは別に二重人格とか猫被ってるとかそういうのじゃないんだけど、人前では見た目通りの温厚な子っていうのを意識しているようなところがある。例えば、同じ「バカ」って言うのでもあんまり親しくない人にキレながら言われるのと、普段から軽口を叩き合ってる友達に笑いながら言われるとのじゃ全然受ける印象が違う、みたいな感じで。心にもないことは言わないけどアキも普通に男の子だから、いかにも男子高校生ってノリのことを言うときもあって、でもいつも人前では落ち着いてるからあんまりバカっぽくは感じないっていうか——ダメだ、本当に考えがまとまらない。これ私がバカなせいだけじゃないや。幼馴染のアキが言うんだから、私の体調が悪いっていうのに間違いはなかった。私が昔、アキにしてきたのとまんま同じ理屈で、私より頭のいいアキにそれができないはずがなくて。

 もう少しも言い返さない私のことなんかお構いなしに、アキが私の腕をつかんでちょっと強引に引っ張りあげてくる。ちょっと痛いな、と思ってるといたわるように一度離れたアキの手がもう一度そこに触れて、今度は少し遠慮したような感じで肩を支えてくる。あくまでもダメなのは激しい運動だから、見かけよりもずっとアキには力がある。ベッドの下に鉄アレイを隠してあるし。

「ごめん、ちょっとこいつ保健室に連れていくから。先生に言っといて」

 口調を崩したままのアキが近くにいたクラスメイトにそう声をかけて、やっぱりちょっと強引に私を引っ張っていく。でももう痛く感じなかったし、すぐ横にある顔が心底心配しているのもちゃんと分かってる。ふ、と肩の力が抜けるとごまかそうとしていた分の疲労が一気に降りかかってきて、何だか眠くてしょうがなくなった。きっと、今眠ったっていい夢なんか見れないだろうけど。何も言わず表情で訊いてくるアキに笑ってみせたつもりだったけど、眉間に皺が寄ったから上手くいかなかったみたい。


 唐突にこれは夢だ、と気付いた。こういうの何て言うんだっけ、夢の中で夢って自覚するやつ。でも内容を好きに変えられるわけじゃなくって、ただ夢なんだって意識があるまま勝手に進んでいくだけなんだけどね。

 ここは小学校、だと思う。正直そんなちゃんと覚えてるわけじゃないけど、少なくとも今の私がぱっと思ったのはそうだ。だから本物と違ったとしても、これは小学校。夢ってそういうものだよね。

 そんなことを思っていたら私の身体は勝手に走り出した。目の前に見えるのは、あぁ。

 あれは小学生の頃のアキだ。それは全財産を賭けてもいいくらい確か。今は同い年の男子の平均くらいはあるけど、昔のアキは全校集会でいつも前の方に並ばされてた記憶がある。私は昔からでかい方で、全然様子が分からないから、ずっと立ってたら倒れちゃうんじゃないかって集会の度にハラハラしてた。今思えば本当に酷い話だけど、学校で私が安心できたのはアキが保健室で待ってる体育のときだけだったなぁ。

 そんな苦い記憶を辿っているうちに私は私より小さいアキの前まで辿り着いて、大丈夫? とか気分悪くない? とか、うざいくらいにしつこく様子を訊いてる。あぁ、いやだ。本当にいやだ。なんで私はこんな酷い人間なんだろう。それに比べてアキは、嫌な顔をするどころか笑って答えてくれてる。この頃の私は何とも思ってなかったけど、アキの方がよっぽど、優しくてできた人間だ。

「おい、明よぉー」

 忘れたくても忘れられない声に私はぎょっとした。今の私の反応が夢に反映されるのなら、きっと真っ青な顔をして嫌な汗をいっぱいかいた状態で固まってるんだろうなと思う。今すぐに耳をふさぎたい、この場から逃げ出したいって思う反面で、聞かなきゃいけない、忘れちゃいけないって思ってる私もいる。今までの経験から考えると、いやだやめてって強く思い続けいれば目が覚めるはず。——でもそれで本当にいいんだろうか?

 当時のクラスのガキ大将だった男の子が笑って私を指差す。アキがきょとんとした顔をして私を見る。このときの私は何を言われるかなんて想像してなくて、それで——。

 男の子の口が開いたのに声は聞こえなかった。その代わりに聞こえたのは。

「カナ!」

 ——私を呼ぶ、声変わりをしたあとのアキの声。


「カナ!」

 聞き慣れた、声。ううん、それだけじゃなくてついさっき聞いたばっかりの声だ、これは。

 目の前に広がったのは幼馴染の顔だった。同級生も先輩も後輩もキャーキャー言わせる綺麗な顔が不安そうにゆがんでいて、思わず目を合わせたけど泣いてはいなかった。そうだ、アキはあの頃にはもう入院してたときだって泣いてなかったんだ。私が勝手にアキのイメージと本人を結びつけて決めつけてただけで。私はあの頃いた心のない一部のクラスメイトと同じで、でも行動力があった分だけ余計にタチが悪かった。

「ごめん、アキ……」

「どうして謝んの?」

 椅子に座って安心したように表情が柔らかくなったのも束の間、私が謝るとまたアキの表情が険しくなる。今日はこんな顔をさせてばっかり。もしかしたらもっとずっと前からだったのかもしれないけど。

「ほんとはずっと謝りたかったの。自分が楽になりたかっただけだからずっと、我慢してたけど」

「ちゃんと俺にも分かるように言って」

 アキの声は固くて、でも冷たくはなかった。今アキがどんな顔をしているのか見るのが怖くて、腕でまぶたを覆うようにして隠しながら、ポツリポツリと言葉を口にする。もう片方の手でベッドのシーツをつかむと少しだけ弾力が返ってくる。グラウンドで鳴っているはずの笛の音が聞こえた気がしたけど、気のせいだったのかもしれない。

「私が……ひどいやつだったってこと。アキのこと可哀想だって、だから幼馴染の私が面倒見なきゃって、そんな風に偉ぶってアキのこと傷付けてた、昔の私は最悪だった。今だって自覚してないだけで、まだそう思ってるのかもしれない」

 胸が痛い。ザイアクカン。罪と、悪いと、感じで罪悪感だ。でもそう思うことさえも身勝手な気もする。だったら、どうやって償えばいいんだろう。アキから離れるしか、ないのかな。

 あの日あのとき。アキは私がいなきゃ何もできない弱虫だってバカにされた。弱くて人に迷惑をかけてばっかりで、他の子と同じことができない変なやつだって、そんな風に笑われたんだ。私はその言葉を聞いて初めて、自分が何をしてるのかを理解した。四六時中アキについて回って声をかけて、アキにはできないことを代わりにして“してあげた”気になってた。そのせいでアキが周りの子に弱虫だって思われてたなんて、少しも考えてなかった。アキの芯の強さと優しさは、あの中だと一番私が知ることができたはずなのに。ごめん、なんて言葉じゃ全然足りない。でも、代わりにどうすればいいのか分からない。

 それだけ言って黙り込んだまま、私はアキが何か言うのを待ってた。もう二度と顔を見たくないとか、そんな風に言われちゃうのかな。そう言われても仕方ないけど、でも寂しい。

「……はぁー……」

 どんなことを言われても受け入れようと覚悟をしてた私に、降ってきたのはアキのびっくりするほど大きい溜め息だった。思わず腕を下ろして見返すと、困ったように笑う顔があった。

「それであの頃からずっと様子おかしかったの? ほんっと、カナは大馬鹿だ」

 ほんっと、という声にデジャブを感じて、そういえば昼休みに碧にもそんなことを言われたと思い出す。あのときは意味のよく分からない「可愛い」が続いたけどさ。っていうかさっきまで本当に、真剣に、大真面目に、アキが何を言うか怖かったのに「大馬鹿」っていうその声がただ、誰かがバカやってるのを見て呆れてるみたいな言い方だったから。急に気が抜けた。

「ガキの頃からずっと一緒にいるのに、俺がお前に遠慮するって本気で思ってる? 余計なお世話だ馬鹿、って思ったら絶対そう言うし、嫌いだったらとっくに傍から離れてる。っていうかそもそも、同じ高校選んでない」

 それは確かにそうだと思う。私はアキに勉強を教えてもらったからここに入学できたけど、アキの学力なら通学時間が短くて偏差値も高いところに入れたはずなのに受験すらしてなかった。男子校はいやだって言ってて、私もそれで納得したけど。でも他にも選択肢はあったはずだから、私がいやならそっちに行ってる方が自然だ。私がバレーを始めたのはあのあと距離を置いた方がいいのかなって思ったのがきっかけだし、それでのめり込んで中学から部活漬けになったから、別の学校になれば接点がほぼなくなる、っていうのもアキだったらすぐに分かったはず。——私はもとから嫌われてなかった、らしい。

「というか、むしろ俺が馬鹿みたいじゃん。色々面倒くさいうえに頼りにもならない俺なんかに愛想尽かして、バレーばっかりやってさ。俺こそカナに嫌われたんじゃないかって思ってたし、碧さんの言い分にも半信半疑だったし。……まあ誤解が解けて自信も持てたから結果オーライだけど」

「ちょ、ちょっとどういう意味よそれ!?」

 何か勝手にアキのなかでとんでもない話が進行してる、ような気がしてならない。まぁ、アキの晴れ晴れとした表情は見ていてすごく安心するけど。上半身を起こそうとして自分の体調が悪いのを思い出し、ベッドの海に逆戻りする。さり気なく背中に手を回して支えてくれたアキが、なんかちょっとずるい。

「ごめん。昼休みのとき体調悪そうだなって思ったけど、何か怒ってるのかも、って思ったら怖くて言い出せなかった」

 さっきは結果オーライって言ってたのに、申し訳なさそうな声を出されると怒るに怒れない。うそ。そもそも少しも怒ってない。

「俺、カナのことが好きだよ。いつからか具体的に覚えてないくらい、ずっとずっと前から」

 それは、不意の告白だった。白皙の美少年が浮かべる微笑、そのイメージをちょっと崩したような男の子っぽさも感じられる顔をして、授業中に当てられたときのクラスメイトの誰よりも落ち着いた声のトーンで言って、伸びてきた白くて細い腕が私の短い髪と頬を撫でる。

「さっきのカナの言葉を聞いてもっと好きになった。俺はあのときあいつが言ったことがカナを傷付けてて、だから、余計に嫌われたと思ってた。でもお前はそれよりも俺のことばっかり気にして、苦しんでて。俺は、カナが偉ぶってるなんて思ってないよ。むしろ、誰よりも優しいって分かってる」

 好きだ、と念を押すようにアキが繰り返した。その声にはやっぱりドラマみたいな情熱的な感じはなかったけど、でも本気なのはちゃんと伝わってくる。私がずっと近くで見てきた、イメージじゃないアキそのものだから。

「確信を持てなきゃ言えなかった弱い俺だけど、でも付き合って。これからも俺の傍にいて」

 すぅ、と息を吸う。吐き出す。アキの手が離れて、祈るように膝の上の辺りで指を交差させて握っているのが見える。

「アキは、自信があるんだかないんだか分からないよね」

 私の唇から出てきたのは返事じゃなくてそんな感想だった。意表を突かれたようにアキが目を見開くのが見える。そしてすぐにまた、表情が緩んだ。今度はもっと男の子らしい笑み。

「自信大アリだよ。全財産を賭けたっていい」

「……どうして?」

「本当にカナが感じてたのが罪悪感だけだったなら、すぐに謝ってケリをつけたがっただろうから。そうしなかったのは俺に嫌われたら離れなきゃいけないって考えたせいだろ? いくら付き合いが長いって言っても俺たちももう高校生なんだから、苦しみ続けてまで一緒にいる必要なんかない。……ただの友達なら」

 アキの言ってることは間違ってない。一つも。

「そうだね。私はそんなに優しくない」

「違う。優しい人ほど離れていこうとするんだ」

 私は私が優しい人間だとは、やっぱりどうしても思えないけど。でもアキが私のことをそう思ってるってことだけは信じてもいいなと思う。好きな人の言うことだから。

「私もアキが好き。だいすき」

 私がそう言うとアキは満足したように笑った。優しくて可愛くて格好いい、私の好きな人の笑顔だ。アキが私の目の前からいなくならなかったことが奇跡みたいで、でも同時に当たり前って感じもして。体調不良とは全然違う、ふわふわとした夢見心地がする。

「碧さんにお礼をしなきゃな。叶絵は明くんのことが好きだよ、ってそう言ってくれなかったらとっくに諦めてたから」

 少し沈黙を挟んで。アキの顔が近付いてくるのを私はじっと見ていた。肌が白いからほんのりと赤く染まっているのが分かる。そろそろかなぁ、と自信はないなりに思って目を閉じて、それから。ガラリという音がする。——……ガラリ?

「遅くなってごめんねー。薬持ってきたけど起きてるかなー?」

 間延びした保健の先生の声はカーテン越しに聞こえた。はっとして目を開ければアキはもう何でもなかったみたいに行儀よく座りなおしていて、でも顔の赤さは丸わかりだったから少し笑ってしまった。拗ねたように睨んでくるアキの視線は気付かなかったことにして、私は横になったまま、身体を扉へ向けて声をあげた。

「はい、もう全然大丈夫ですっ!」

 そう答えたらアキが小さく息を吐き出す。そして先生には聞こえないような小さい声でこう言った。

「それ、体調じゃなくて気持ちの話じゃん」

 どうやら、もうこの幼馴染兼恋人とは誤解し合う心配をしなくていいみたい。

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― 新着の感想 ―
[一言] まあ現実では得てしてそういった勘違いからお互いの思いがすれ違ったまま離れて行って 気付けば思い人には恋人がいて取り返しがつかないっていうのが『お約束』なんです 碧のような存在が自分にもいて欲…
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