中編
朝日は木々の葉を通り抜け、マルジの寝ている横穴まで入り込んできた。
鳥の囀ずりを聴き、瞼をゆっくりと開ける。朝日の眩しさに顔をしかめた。
体を起こす。焚き火を挟んで眠っていたはずの彼女の姿が見当たらない。
(しまった、先に一人で出ていってしまったか)
しかし、枕元に彼女の短刀を見つける。
(弓は無いのに、なぜこれだけ残して……)
すると、横穴の外から声が掛けられる。
「おはよう、もう起きたの? 早いのね」
そこには、うさぎを片手に持った彼女が立っていた。
「驚いた、もう出ていってしまったものだと思っていたよ」
「そんな失礼なことはしないわ、狩りに行っていただけよ」
そう言って彼女は彼の側にある短刀を取り、仕留めたうさぎを捌いてゆく。
「安心して、もうあなたのことを疑ったりなんてしない。その……本当に申し訳ないことをしたと思っているのよ」
「そうか、よかったよ」
何がよかったのか、マルジ自身もよくわからずに言った。
彼女の指示でマルジは消えてしまった焚き火に、新しく火を入れる。
「そういえば、まだ名前も教えていなかった。俺はマルジ、ジルグァントの町で薬剤師をしている」
「……薬剤師?」
「知らないか? 薬草なんかを調合して、いろんな効用を持つ薬を作るんだ。昨日君が眠ってしまったのは、シンシアの葉を粉末にしたものを吸い込んでしまったからで──」
「あ、あれはもう二度としないでっ!」
「ハハッ、わかってるさ。でもあれも使い方によっては人の役に立つんだ、痛み止めとかね」
マルジは空になってしまった薬袋を振って見せた。
パチパチと弾ける焚き火が少し熱い。
「使い方を間違うと危険な毒薬に変わってしまう薬も多い。そういう間違った使い方をさせないように、俺たち薬剤師はいるんだ」
「ふーん、なんだか素敵ね」
彼女はマルジの話を聞きながらも、てきぱきと作業を続けている。
(素敵ね、なんて言われるのは嬉しいけど、うさぎを捌きながらでなければもっとよかったな)
彼女の指先を赤く染め、一口だいに刻まれてゆくうさぎの肉を、マルジは苦笑いをして眺めていた。
「私はアーシャ、ここよりずっと森の奥深くにある集落に住んでいるわ。ナユが、娘が拐われて、それを追ってきたの」
アーシャはうさぎの肉を竹串に突き刺し、焚き火の前に腰を下ろした。
マルジは彼女の特徴的な褐色の肌を見る。
(あの肌の色、そして女狩人……やっぱり彼女は、そうなんだろうか……)
焚き火に炙られ、少しずつ色の変わるうさぎの肉からは香ばしい匂いが漂う。
「もしかして、君は……アマゾネスなのか?」
彼女の美しい双眸が彼を捉える。
「……ええ、そうよ」
「……」
聞いたことがあった。
この森のずっと奥深くには女性だけで暮らす男人禁制の集落があると、彼女たちはその体質上、女の子しか産むことができないと。
(本当にそんな集落があったのか、初めて見たな……)
マルジは物珍しさのあまり、アーシャをじっと見詰めてしまう。
「な、なに?」
「ああ、ごめん。アマゾネスなんて初めて見たから、噂では聞いたことあったけど」
「……噂?」
「町の男が言ってたんだ、アマゾネスに犯されたなんて……」
彼女は頬を染めて顔を伏せた。
「ご、ごめん、ただの噂だから」
「し、しかたないでしょ、子供を作るためなんだから」
「……え?」
呆然とするマルジを前にアーシャは捲し立てる。
「私たちは女の子しか産めない、だから集落にも男は居ないし、外からも入れさせない。でも子供は作らないといけないじゃない?
だから17歳になったら町へ出て、町の男から種を貰うのよ。それが私たちアマゾネスの生き方なの、わかった?」
彼女は顔を真っ赤にして前のめりで言う。
マルジはそんな彼女の姿を見て吹き出してしまった。
「ハハハッ」
「なんで笑うのっ!?」
「いや、君たちも大変なんだなと思ってさ。こんなに純朴そうなのに男を犯すなんて噂が立つんだ、ハハッ、そうか」
種を貰うという表現が少し引っ掛かった。彼女たちにとってその行為は、確かにそれ以上でもそれ以下でもないのだろうと思う。
彼女はどこか納得がいかないような眼差しをマルジに向けながら、うさぎの肉をかじった。
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アーシャは焦りを感じていた。
日が昇ってだいぶ時間がたったというのに、あの横穴からまだ動いていない。
(彼は助けてくれるって言ったのに全然動こうとしない……どうして?)
背中を丸めアーシャには分からない何かの作業をするマルジを見下ろす。
ごりごり、ごりごり、という、石と石とがすり合う音が横穴に響いていた。
「ねえ、なにしてるの? 早く追わないと追いつけなくなっちゃう」
「大丈夫だよ、ジルグァントの町まではそう遠くない、それに今はその男たちと戦う武器が必要だろ?」
彼はアーシャに、乾燥させた木葉を見せる。
「武器? それが?」
「そうだよ、この葉はシンシアという木の葉だ。こいつをこの薬研で磨り潰して粉末状にすれば……」
「ああ、昨日のやつね」
「そうそう、俺はこう見えて喧嘩の類いは苦手でね、薬に頼るしかないんだよ」
「全然自慢になってないわよ?」
「そうかな? 薬剤師にとってこれほどの自慢はないんだけど」
薬研と呼ばれた道具を見て、アーシャは子供が玩具にして遊びそうだな、などと考えていた。
「大丈夫って言うけど、ジルグァントの町だってかなり大きいでしょ?」
「うん、でもまあだいたいの目星はついてるんだ」
「そうなの?」
「ちょっと君には嫌な思いをさせてしまうかもしれないけど、最近もう一つ、アマゾネス関連の噂がたっていてね」
「また噂?」
朝に聞かされた噂のことを思い出し、アーシャは眉間に皺を寄せる。
「若いアマゾネスが高く売れるって話だよ」
「売れる? 売れるって、どういうこと?」
「この噂は信憑性のないガセネタだと俺も思っていたんだけど、君に出会って本当なのかもしれないと思うようになった」
彼は薬研にシンシアの葉を三枚足した。
「どうやら娼婦として働かされるらしい」
「……娼婦? ……どうしてそんなっ!?」
「そりゃあ、アマゾネスが揃って美人に産まれるからだろう」
彼は事もなげに言う。
「ほら、君も美人だ」
「────なっ!……」
言葉を失うアーシャは、自分の顔が急速に火照っていくのを感じた。
(男の人は、誰でもそんなことを平気で言うの?)
赤くなった顔を見られるのが嫌でアーシャは彼に背を向ける。
「うん? どうした?」
「な、なんでもないわ、それより目星がついてるってのはそのこと?」
「ああ、そしてその噂を熱心に聞き回っていた集団にも心当たりがある。悪い奴らでね、国の警備隊も手を焼いている」
「じゃあ、そいつらの所にナユはいるのね?」
「うん、おそらく間違いないよ」
ここまで他人に頼りがいを感じたのは初めてじゃないだろうか、全てを見通しているかのように語るマルジにアーシャは羨望の眼差しを向ける。
「あなた凄いのね。なんでも知ってる」
「たまたまだよ。薬剤師という職業柄、いろんな人のところをまわっているからね。噂話しなんかはよく耳に入るんだ」
「じゃあ、そのなんとか粉の準備ができしだい、早速そいつらのところに乗り込みましょう」
「ハハッ、なんとか粉て。シンシアの粉だ、このくらい覚えてくれると嬉しいんだけど」
「私がその粉を使うことはないでしょ?」
「うーん、まあいいか。それと乗り込むのは夜になるのを待ってからにしよう」
「どうして? 場所はわかってるんでしょ?」
「わかってるからさ、別に急ぐ必要もない。売り払おうとしている連中だ、君の娘さんにも手荒なまねはしないだろう」
彼は薬袋にシンシアの粉を詰めて立ち上がる。
「それに言ったじゃないか、俺は喧嘩の類いは苦手なんだってね」