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前編



 遠方から吹いた風が、森の木々をざあざあと揺らす。


 水が涌き、多くの動植物たちを育むそこは、人々の生活の一部であった。


 森の奥深く、町から離れたこの場所で、また一つ紫に染まる双葉の薬草を摘む。


 その断面からは、白い液体が染みだしていた。


 気付けば、かごの中はケラム草でいっぱいになっている。


 顔を上げると茜色の木漏れ日が、彼の瞳をチラチラと照らす。

 立ち上がれば、凝り固まった腰がギシギシと悲鳴をあげた。


(もうこんな時間になってしまったか)


 マルジはケラム草の入った籠を持ち上げる。


(そろそろ戻って、夜を越す準備をしなければ……)


 日が傾き肌寒さを感じたマルジは、籠に蓋をして肌を擦りながら森を歩いた。


 それは、あまりにも唐突なできごとだった。


「────ッう!!」


 左腕に痛みを感じ籠を取り落としてしまう。


 見れば、マルジの腕には矢が突き刺さっていた。


 飛来した方向を見やる。

 200Mは離れた場所に人影を見た。


(あんなに離れた場所から矢を放ったのか!?  狩人かりゅうどが俺を動物と勘違いしている?)


 マルジは右腕を大きく振って叫ぶ。


「おーい、人間だ! 動物じゃないぞ!」


 しかし、躊躇ためらうことなく二射目が放たれる。


 マルジは間一髪でかわしたものの、右足を掠めてしまいその場にしゃがみ込む。


(勘違いじゃない、俺が狙われている!?)


 マルジは左腕に刺さった矢を抜いた。


「……っくっ!」


 彼が思っていたよりも矢は簡単に抜け、すぐさま駆け出し逃げる。


 三射目、四射目、彼を襲う狩人はマルジの足元を狙い矢を放っている。


 足を止めさせるのが目的なのだろうと彼は考える。その一射一射がどれも正確で、狩人の弓の腕前に恐怖が膨れ上がった。


 どんなに走っても距離は離れず、また詰めることもなく一定の距離からの攻撃が一方的に続く。


(俺を殺すのが目的であれば、体を狙えばいい。そうしないということは……)


 マルジは逃げ切れないと判断し、逃走をやめた。


(理由はわからんが、死なせずに俺を捕らえたいのか)


 狩人の弓の腕前は確かだった。それはマルジが今までに見てきたどの狩人の中でも抜きん出ていた。


(そんな奴相手に、距離を取る方が間違っている)


 マルジは狩人ではなかったが、この辺りの森の地形には詳しかった。


 矢をかわしつつ地のを生かし、狩人との距離を詰める。


(────近いっ!)


 狩人の足音が聞こえる距離まで来た。

 小枝の折れる音が、葉の擦れる音が、静寂な森に二つ響く。


「待てっ、お前、何が目的だ!」


 距離を取るために走りだそうとするが、マルジの言葉を聴いて振り返る。


 獣皮じゅうひの衣服を身にまとった狩人は、褐色に焼けた細い腕で腰に携えた短刀を抜き放つと、叫び声をあげマルジに襲い掛かった。


「娘を返せぇぇええ、ああぁぁぁぁあああ!!」


 懐から薬袋やくたいを取り出した彼は、息を止め中の粉末を撒き散らす。


「───きゃっ!」


 その突飛な行動に怯んだ狩人は一瞬動きを止める。

 その顔は端正で美しく、潤んだ大きな瞳はマルジを睨みつけていた。


「娘を……ナユを……返し、て……」


 そのまま膝から崩れ落ち、彼女は倒れた。



        □□□□□□□□□□



 目を覚ますとだいだい色に照らされた岩天井があった。


 記憶がおぼろ気で状況がうまく呑み込めない。


 自分に被せられた獣皮の毛布から、男と薬草の匂いがした。


(……私は、男を追いかけていて……ナユが……)


 記憶が戻り始めると、後は速かった。


「────ナユっ!!」


 叫び勢いよく体を起こすと、男が驚いた顔でアーシャを見詰めていた。


 そこは、洞窟とも呼べない大きな岩の窪みのような場所だった。


「もう目覚めたのか、シンシアの粉末をまともに吸ったはずなのに……凄いな……」


「あ、あなたはっ!」


 反射的にアーシャは腰に手を回す、しかしあるはずの短刀がそこにはなかった。


 焚き火にあたる彼は彼女の短刀と弓を持って見せた。


「まあ、落ち着いてくれ、武器は俺が預かってる」


「返しなさいっ!」


「だから落ち着いてくれって、なぜだか君は俺が君の娘をさらった犯人だと思いこんでいる。まずはその誤解から解いておきたい」


「……誤解?」


「そう、誤解だよ。俺はあそこで薬草の採取をしていただけだ、この季節には毎年来ている」


「それを信じろって言うの?」


「そうだな、信じてもらうしかない」


「無理ね」アーシャは言下に言う。「私を気絶させた人間を信じられるわけがないでしょ、今でも指先が痺れてる」


「それは君が襲ってきたからだろ。やむ終えずシンシアの粉を使って眠らせた、麻酔の粉だよ。毒性はない、痺れもじきになくなる」


 アーシャは手を握ったり開いたりして、痺れの具合を確かめた。


(少しずつ痺れが抜けてるような気がする)


 この男のことを信じていいものか、彼女は考えを巡らす。


「それに、君が無事なことが何よりの証拠じゃないか? もし、本当に俺が犯人なら、拘束もせずに君を寝かせていたことの方がおかしい」


「うん、確かに……じゃあ、本当にあなたじゃないのね、ナユを拐ったのは?」


「ああ、俺じゃない。やっと信じてもらえたか」


「……いいえ、それでもおかしいわ」


 アーシャは男の腕や足に巻かれた包帯を見て口元を覆った。


「私はあなたを襲ったのよ? 怪我までさせた相手を拘束もしていないなんて……」


「ああそれは……」男はアーシャの矢を見せながら言う。「君は俺の足元ばかりを狙い、殺そうとする意志はなかった。それに傷口が酷くならないようにやじり返し(・・)を削ってある」


 男が腕の包帯を外すと、すでに血は止まっていた。


「おかげで簡単に抜けたから傷もすぐに治りそうだ」


 襲われたことなど、もう何とも思っていないというように男は歯を見せて笑った。


(……こんなに優しい人を、私は傷つけてしまったなんて……)


 アーシャは姿勢を正して頭を下げた。


「ごめんなさい、本当にごめんなさい……」


 男が立ち上がり、何かをする音が聞こえた。

 顔を上げると男は、蒸かした芋の入った器をアーシャの目の前に置いた。


「君はとても優しい人だ」


「……え?」


「娘さんを拐われたらしいということは、君が寝言で教えてくれたんだ。そうとううなされていた」


 芋の黄色い断面からは、湯気と一緒に甘い香りが匂いたっていた。


「そんな中で、その犯人のことさえ想い、他人に心から謝罪ができる。誰にでもできることじゃない」


「……」


「できれば俺も君の力になりたい。でも今日はもう遅いから、それを食べてもう一度ゆっくり寝た方がいい」


 視界が歪んでゆくのがわかった。この涙は溢してはいけないと、ぐっと堪えた。


「君の娘さんは、必ず助けよう」


 この世にこんなに優しい人がいるのかと、そんな彼を傷付けてしまった自分がゆるせないと。


 様々な感情の中で、最後にアーシャから出た言葉は感謝の言葉だった。


「……ありがとう」



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