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第二章(file4)

 訓練の最終日、カイエンはいつにも増して高いテンションを維持していた。佐多は結局のところ最後までカイエンをその役目から解任することはなかった。それをカイエン自身は気にかけてはいたが、どう考えてもマーラムには何も変えられやしないと思い、憶測だけで時間を無駄に費やす事をやめた。

 疑似魔界は一週間前から比較すると、より歪みの度合いを増大させていたが、最後のメニューを完了させると同時に世界は一巡りし、壮大なる深緑の草原に戻っていた。時刻は現実世界に合わせて夜の設定になっており、満天の星空を演じている。

 カイエンは美咲と綾乃を前にして、両手を腰に当てて言った。

「実に名残惜しいが、これで契約の研修期間は終了となる。明日からは早速、仕事に精を出すことになるわけだが、俺はというと、もちろん、君達に同行はできない。だがいつでも君達の近くにいる。俺はただの魔道士に戻るから、綾乃、二度と姿を見せるなという君との約束は当然、反故にする。今度は夜這いに行くぜ。楽しみにしておけよ」

 美咲と綾乃には、実感がわかなかった。このままいつまでも訓練が続くものと奇妙な錯覚に陥りそうになっていたのである。そうあって欲しいと、願っていたからなのか。

 カイエンは終わりに付け加えて言った。

「訓練中、君達にはサテライトを封印させていたが、もうこれで解禁だ。だが気をつけるんだぞ。サテライトは君達の分身であることを忘れないことだ。本体の成長はサテライトに直接影響する。それでいて一度出してしまえば独立した精神体になるのだから、コントロールは容易じゃないぜ。まぁ、練習することだ。もっとも、俺くらいの魔道士に出くわさない限り、サテライトに頼る必要性はこれっぽっちもないだろうがな。健闘を祈る」

 美咲はその言葉を待っていたかのように一歩前に踏み出した。綾乃の方を見て、アイコンタクトをとると、カイエンに向き直って言った。

「あなたは人生には無駄が必要だって言ったけど、今回もまた単刀直入に訊かせて貰うわ。これで契約は履行を完了したのよね。あなたは、私のことを話しても、もう問題はないんでしょう?」

 カイエンは片方の眉をぴくりと動かして答えた。

「秘密漏洩に関する契約の原則というのを知らないのかい? 契約期間満了後にもそれは永年に亘って効力を持つ。君は、自分で思い出すしかないんだ。そんなに焦らなくても、そう遠くない未来に思い出せるさ」

「あなただって、思い出させたいはずよ! 私に会いに来たんじゃないの? それともやっぱり別の目的があって、私はただ利用されているだけなの?」

「もしも後者だとして、だったら君はどうするんだい?」

「私は、聖道士よ。するべき事をするわ」

「そうだろうな。オーケー、分かった。では前者だ」

 その答えに綾乃が割って入った。

「あなたは美咲の心を弄んでいるだけじゃないの!」

 綾乃の激しい言葉にもカイエンは動じることなく言った。

「この世界にもあるだろう、恋愛ゲームという言葉が。駆け引きを楽しもうじゃないか。聖道士と魔道士の対峙はこれによく似ている。俺みたいな交渉下手を相手に翻弄されているようでは、先が思いやられるな」

 美咲は心を見透かそうとする鋭利な目でカイエンを凝視した。この苛立ちはどうしたことだろう。カイエンが事実を語らないからか? いやそうではない、と美咲は気づいた。

 確かに自分は翻弄されているらしい。そしてそれに溺れ、それで良いと思っている自分が心の内にいたのだ。

 そんな自分に正直になり、認めようと思うようになっていた。しかし、それを認めようとはしない自分もいる。葛藤がいら立ちの原因に違いなかった。そんな心の中の嵐が、美咲の潤んだ眼に力強さを与えた。

 星々を反射する美咲の瞳が、カイエンからは妖艶な〈番人の眼〉のように映り、魔道士らしからぬ脂汗を吹き出しそうになった。

「君はまるで、魔女のようだよ。おっと、これは褒め言葉だ。迷い惑わし、翻弄しているのは、君の方だということさ」

「待ちなさいよ!」

 綾乃が追いかけるようにカイエンを責めようとしたが、カイエンはにやりと笑って歪曲空間に消えていった。

 最後に左手の二本の指で挨拶したのを見て、綾乃は腹立たしさにオーラを紅く燃やし、美咲は少し俯いて寂しげな表情になった。

 カイエンが姿を消してから、綾乃は聖界に空間波通信で報告をしようと思い、心を落ち着かせて夜空の銀河を見上げた。その時だった。

 カイエンが潜った空間の跡に、高級なスーツを着た男が一人立っている。その出現はとても素早く、静かで、空間の乱れなど微塵も感じられなかった。

 綾乃はその特徴ある顔を思い出すのに二秒とはかからなかった。

「佐多……聖道次監?」

 綾乃の声に、美咲は顔を上げて佐多の方を見た。美咲は佐多とは初対面だった。綾乃の一年後に聖道士になった美咲は、いままで修練生時代から通して会う機会がなかったのである。美咲は視力が低下してしまったかのように両眼を細め、佐多の顔に釘付けになった。

 フラッシュバックが美咲を襲った。

 それはほんの一瞬であり、しかし僅かな間をおいて連続したものだった。

「よくがんばりましたね。二人とも立派です。私が知る限り、これだけの短期間にあれほどまでに厳しい訓練を集中してこなしたのは、君達が初めてでしょう。今日からは胸を張って聖道士長を名乗りなさい。藤森美咲聖道士長、あなたとは初めてでしたね。あなたが聖道士になったとき、アジア区域で特務に就いた監督補佐役の佐多龍児です。初対面と言っても、それはお互いに聖道士として、ということになりますが」

 佐多は穏やかでありながら緊張した面持ちで美咲にゆっくりと近づいた。一歩ずつ、まるでいまにも爆発するかも知れない火薬の塊に気を遣うかのように。

 美咲は、目を見開いて佐多を見たが、やがて心臓の鼓動を平常に戻した。

「あなただったのですね。私の過去を知っている聖道士……。思い出しました。夢の中に幾度となく登場したあなたのことを。カイエンやゼノのように……」

 綾乃は美咲と佐多を交互に見て、緊縛した状況を悟った。佐多はかつて回成した経歴を持つ。それが千年前の事実と重なる? 何故、いまになって……。

「あの、聖道次監、私は退出した方がよろしいでしょうか?」

 綾乃はなんとなくこの場にいてはいけない気がして、厳しい顔つきの佐多に訊いた。

「いいえ、松村聖道士長。その必要はありません。君はいやしくも美咲より一階級上の上長です。これからも美咲を助け、良き理解者であって欲しい。この会話から外れて良いなどということはありませんよ。さて……」

 佐多は綾乃から美咲に目線を戻した。

「どこまで、思い出していますか? セレーネであったときの記憶を? 私を、マーラムを覚えていますか?」

「……」

 口を一文字に硬く閉じた美咲は、混乱して暴れ出そうとする記憶達を押さえつけるのに必死になっていた。

「いままで、私はあなたのことを案ずるあまり、前世の忌まわしい記憶からあなたを守ろうと考えてきました。しかし、あなたは積極的にそれを知ろうとして、自分から逃げようとはしなかった。更に、カイエンの実にファンタスティックな訓練メニューのおかげで、子供から突然、大人になったかのように成長しました。もう、あなたの心の強さを信用しないということは、罪になるとしか思えない。だから、かつて私が背負って償うことの叶わなかった大罪について懺悔し、あなたに語らなければならない義務を履行するときが来たと、決断するに至りました。同じ聖道士であるあなたに、私が許しを請うというのは誠に滑稽な話です。どうか嘲り笑って欲しい。怒りをぶつけてくれても構わない。いいえ、いまのあなたがそうしないことを知って話をしている私を蔑んでくれたらいい。それでも私には、聖道士としてあなたを導くこと以外に、罪を償う手段が見つからないのです。もうすでに承知のことでしょう、私は千年前、吸血魔道士でした。その頃私は、前世のあなたを知っていたのです。あなただけではなく、カイエンや、あなたの試験官を務めたゼノもです。私達は再び、出会うべくして出会ったと言えるでしょう」

 美咲は佐多の言葉を一欠片も漏らさずに心の耳で聞こうとした。

「聖道次監、私は朧気にしか覚えていません。どういう事なのか、教えてください。私に謝らなければならない事って、いったい何なのですか? 聖道次監にどんな罪があると? カイエンは契約に反すると言って語ってはくれませんでした。それは聖道次監との契約だと言っていました。なのに、それを自ら私に話すというのですか?」

 深い沈黙があった。

 美咲は自分ではとっくに覚悟ができていると思っていたのに、いざとなると膝が震えて止まらない。綾乃はただひたすらに固唾を呑んでその場を見守るしかなかった。

 父親が娘を見る優しい目をして、佐多は千年もの歴史のように重く、暗い宇宙のように物悲しい事実をまるで別人の声で告白した。信仰を思い出した罪人のごとく。

「セレーネ、君を殺したのは、私なのです」



(第二章 了)

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