サキュバスの力
「……」
俺は後衛の方にいて、足元を警戒しながら敵である夢魔の悪魔・サキュバスの動きをよく観察していた。もちろん隙を見ては『跳弾』を壁や天井を使って威力を上げながら放ってはいるが、ダメージはあまり大きくない。ウィネと俺以外のメンバーが人間程の大きさになったサキュバスを攻撃してはいるのだが、あまり大きな一撃は入らない。……ネプチューンが隙だらけだったのと比べると、三十人近くいたとは言え俺達よりも速くこいつを倒したユイ達が凄いと思われる。
どうでも良いが、夢魔の悪魔の悪魔の部分は別にいらないのではないだろうか。
「HPの一本目が半分になるの待ってるとか面倒だし、【性なる夜に】!」
聞き捨てならないことを言ってサキュバスはピンク色の波動を部屋全体に放つ。……何だ?
俺が注意深く観察していると、メンバー全員が不意に立ち止まってボーッとし始めた。
「……」
俺はユイの言っていたキーワードを思い出していた。……夢。まさか夢を見せられているのか? だとしたら何故俺は夢を見ていない? それとも俺が今見ている光景が俺の見ている夢なのか?
「あなたには現実をア・ゲ・ル♪」
サキュバスは言うと自身の足元に白い魔方陣を展開し、一瞬で俺の目の前に移動してくる。……他のメンバー(クーア含めて)が戦えない今、俺が時間を稼ぐしかないな。
「……」
俺は軽く後方にステップを踏んで距離を取ろうとするが、相手の方が速い。後ろ歩きと前歩き、どちらが速いかなど分かり切ったことである。
「逃がさないわよ」
仕方なく俺は右に迂回する形で逃走を試みる。しかし、サキュバスは尻尾を伸ばしてくると俺の腹に巻きつけ引き寄せる。……踏ん張ったが、ダメだ。相手はボス。プレイヤーである俺よりも膂力が高い。
「……何をする気だ」
俺は僅かに足を浮かされて面倒だと思いながら、サキュバスに聞く。
「もちろん気持ち良いことよ。あなたとのキス、とっても美味しかったわ」
サキュバスはそう言って妖艶に微笑み細い人差し指で自分の唇をなぞる。その仕草に俺はゾクッとなった。……巻きつく力が強い。最初に受けたあれをされたら俺はなす術もなく倒されてしまうだろう。隙間を作らなければ新たな腕が出せないし、ポーチ型アイテムバッグからアイテムを取り出すのも今の状態では無理だ。
「……それにしても、サキュバスである私がキスして何でチャームがかからないのかしら?」
サキュバスは眉を八の字に曲げ考え込むように言う。……チャームだと? それがキスされた時にかかる状態異常なのか? 日本語では魅了、と言う状態異常か。色々なゲームにも存在しているため俺も知っているが、このゲームにおいてどんな効果を及ぼすか分からない。それに自分がこいつに魅了される、と言う他のゲームにはない感覚がどんなモノかは分からない。だが俺のステータスに異常はなさそうなので、今は問題ないだろう。
「まあ、もう一度すれば良いだけの話よね」
そう言ってサキュバスは何の躊躇もなく俺の口に自分の口をつける。……まさか挑んでくる男全員にこんなことをしているのだろうか、このビッチは。俺の妹もある意味ではビッチと言えるのだが、実質的、精神と肉体においてビッチなのは真性のビッチだ。
またもや細長い舌で中を掻き回されているのだが、今度は力が抜けない。HPとMPに何の変化もない。普通のキスなのだろうか。
首を切り落としても血が噴き出ない全年齢対象のゲームなのにこんなことをして良いのだろうか。だが全年齢映画でも海外の映画となるとディープキスをする男女と言うのはよく見るので、特に問題ないのかもしれない。と言うか舌を噛もうとしても器用に避けるから厄介だ。力は相手の方が上なので頑なに口を閉じていても無理矢理抉じ開けられる。
俺は何もせずにただ尻尾の巻きつきが緩まないかと腕に力を込めて脱出を試みるのみ。その間もサキュバスの舌が口内を這っているのですでに水っぽい音が漏れていた。……唾液が甘くて美味しいと言うのは、サキュバスであるが所以なのだろうか。
思考を途切れさせると理性への刺激が強くなりすぎるので思考は続けるが、まさにどうしようもない。このままキスされ続けたら確実に魅了状態になってしまうが、なす術もない。
「……ぷはぁ」
サキュバスはたっぷりキスした後銀の糸を引いて口を離す。……やっと解放されたか。だが俺の身体に変化はない。こいつに魅了されているような感覚もなく、ステータスに異常も見られない。
「……異性への魅了率九割超えてるのに、何でかからないの?」
恍惚とした表情をするサキュバスだが、俺に魅了がかかっていないことが分かったのだろう。驚愕し呆然として目を見開いていた。……魅了にかかる確率が高すぎる。だが俺は幸運にもその一割にも満たない方に二回連続で入ったようだ。魅了無効化と言うこともないので、完全に運だ。
「仕方ないわね。ちょっと理性が飛んじゃうけど。【チャーム・キッス】」
サキュバスは強行手段に出るようだ。……通常のキスで九割を超えていると言うことは、アビリティを使えば受けたら魅了状態になるのだと思われる。折角二度の奇跡で助かっていると言うのに、回避不能な魅了攻撃を受けるのは勿体ない気がする。と言うかかなりピンチだ。
他のメンバーが夢を見せられている間に俺が魅了状態となり、こいつの手足となって仲間を攻撃する、と言うこともあるのかもしれない。ユイの仲間、と言うキーワードが引っかかっていた。
……だが一応攻略キーワードとして男子、夢、仲間と言う三つのキーワードを貰った訳だから、そこに攻略の糸口があるのかもしれない。それに、何故かボスの「HPが何割まで減ったから発動するスキルまたはアビリティなどの能力」を任意に変更して使ったことから、かなり自由なAI、または俺達と同じプレイヤーと言うことも考えられる。運営側が用意したボス用プレイヤー、とかな。
そんなことを考えていると、サキュバスの柔らかいプニプニの唇がチュッ、と押しつけられた。しかし先程のように舌は入ってこない。
だが何故か、頭がボーッとしてしまう。唇だけのキスと言う一段階下がったキスだと言うのに、目の前にあるサキュバスの顔が可愛く思える。抵抗しようと込めていた力を抜いてしまう。
……これが魅了の効果なのだろうか。相手を愛しく思い、受け入れようとしてしまう。
「……」
サキュバスはゆっくりと唇を離す。すると尻尾を解いてくれた。理性が飛ぶこともあると言うことはつまり、サキュバスを組み伏せようとするヤツがいるのだろう。それを受け入れると言うことはしないだろうが、確かに理性を失い獣のように襲いかかってくるヤツがいれば、そいつに注目している間に攻撃することも出来るのだろう。しかし、今はサキュバスの【性なる夜に】を受けて夢の中にいる七人と、魅了状態にかかった俺しかいない。誰か一人でも無事なら問題ないと思うのだが、これでは到底隙だらけとは言えない。寧ろこちらが隙だらけだ。
「……」
俺は腕が自由になってので右手をサキュバスの頬に添える。頬を赤く染めて、恍惚とした表情を浮かべるサキュバスは艶かしく、そして可愛かった。
「……死ね」
だが俺は三本目の腕を出して素早くエアガンをコッキングさせると、こめかみに銃口を突きつけて『零距離射程』を放った。
「ああぁ!」
サキュバスはこめかみに直撃したと言うのに頭が吹き飛ばなかったため一撃死は発生しなかったが、衝撃で怯んだ。するとパリィン、と言う音がして空間が割れたようなエフェクトがあり、七人が目を覚ます。
「……目が覚めたようだな」
俺はサキュバスから素早く距離を取り、七人に言う。七人はポカンとしていたがすぐに状況を把握すると真剣な表情をして態勢を整える。……少し残念そうな顔をしていたことには触れない方が良さそうだ。
「……どんな夢を見ていたかは分からないが、今は戦闘中だぞ」
俺は平静な声音で言う。……直前まで敵とキスしていた俺が言えることではない気もするが。
「……夢」
「……そうですよね……」
ポツリポツリと呟く残念そうな声がいくつか聞こえた。余程良い夢を見ていたのだろう。
「まさか【チャーム・キッス】を破るなんて……っ」
サキュバスはほとんど『零距離射程』でのダメージを受けずに、俺が魅了を破って自分に攻撃してきたことに驚いていた。
「……【チャーム・キッス】。投げキッスを受けた相手が魅了状態になる」
投げキッスなのか。もしかしたらこいつは特別なのかもしれない。クノが呟いた情報から考えると、特にこいつ固有のアビリティと言う訳でもないようだ。
「……【性なる夜に】は聞いたことがないアビリティだわ。おそらく固有のアビリティよ。本体に攻撃すれば解けるのね」
ウィネが状況を素早く把握して言った。サキュバスのこめかみにある『零距離射程』の跡を見たからだ。
「……対象は今のところリョウ以外ね」
ティアーノが確認しつつ氷を纏わせた巨大な剣でサキュバスに斬りかかる。
「それは違うわよ? 私が個人的に気に入ったプレイヤーだけを現実のままにいさせることが出来るだけ」
サキュバスはサラッと聞き捨てならないことを言いつつティアーノの剣を回避する。
「……気に入った?」
ティアーノはスッと目を細めると、足元を凍てつかせる。そこから氷のトゲが無数に回避するサキュバスを追うように突出していく。
「……随分と調子の良いことね、ビッチ」
更に剣を横薙ぎに振るって大きな氷の斬撃を放ちサキュバスを攻撃する。
「言っとくけど、本気でキスしたの、彼だけだから」
サキュバスはダメージを受けながらも思いっきり地面を踏みつけ張られた氷を砕く。
「それはそれで、ムカつきますね!」
リアナがサキュバスの横から突撃していき、
「【シャーク・ブロー】!」
右拳に鮫のオーラを纏わせサキュバスの脇腹を殴った。鮫にも色々いるが、このオーラは頬白鮫の形をしている。
「ぐっ……!」
サキュバスは身体を横にくの字に曲げて左へ吹っ飛んでいく。
「もう一回です!」
リアナは体勢を崩したサキュバスに突っ込み、左拳を振り被る。
「……」
だが俺の身体はリアナを後ろから抱き締める形で止める。
「ひゃうっ!」
いきなり抱き締められたリアナは驚いて声を上げる。他のメンバーも俺のいきなりの行動に驚きを隠せないようだ。……まだ魅了状態が続いているようだ。俺もしたくてした訳ではない。
「……身体が勝手にやったことだ、気にするな」
俺はリアナに囁きつつ頭を撫でる。リアナは困惑しているのか動けないでいる。
「……こいつのせい」
クノは素早い動きでサキュバスを翻弄しながら攻撃する。攻めあぐねているようにも見えた。と言うか少し怒っているようで怖い。
「……斬る」
カタラも怒っているようで無表情の下に怒りが隠れていた。
「……よしよし」
俺は胡坐を掻いて床に座り込み、リアナを上に乗せると頭を撫でて愛でていた。……触角とは堅いのだな。その辺りは〈蠍〉と違って忠実なのかもしれない。甲殻も俺より堅いからな。
リアナと俺と言う戦力が減ったにも関わらず、怖いくらいに怒っているメンバー達がサキュバスを倒してくれて、俺は元に戻る。
「……」
「……むーっ」
サキュバスが倒されるまでの間ずっと俺に撫でられていたからか恥じらい頬を染めているリアナと、長く相手にされていないからか頬を膨らませてお怒りのクーアのおかげで妙な空気にはなっていたが。