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Gazing  作者: 園田 樹乃
1/5

電話

”まなざし”の続編になります。

 携帯電話の着信音で、本間(ほんま) 美紗(みさ)は読んでいた本から顔を上げた。時刻は午後八時半。公衆電話からの着信だった。

 まさか、ね。そんなわけない、よね?


 虫の知らせとでも言うのだろうか。湧き上がる胸騒ぎを抑えながら、通話ボタンをおした。

〔もしもし?〕

〔美紗? 俺だけど〕

 いまどきオレオレ詐欺?

 聞きなれた声とは違うのに、”彼”のような気がする。一生懸命『気のせいだ』と自分に言い聞かせて、美紗は返事を返した。

〔俺という知り合いは居ません〕

〔ごめん美紗、やっぱりわからないか〕

 繰り返された、自分の名前。


 やっぱりそうだ。こんな風に”美紗”と呼ぶ人をほかには知らない。


 両親や姉、友達とは何かが違う。声が違っていても、芯に残る響きが彼のものだった。

 電話が切られそうな雰囲気を感じて慌てて、美紗は返事をした。

〔うそ、ごめん。JINよね〕

 それでも、念のため。普段は呼ばない彼のステージネームで呼んでみた。

〔そう。(ひとし)。よかった。判ってくれた〕

 呼び方の違いで、警戒している美紗に気づいたのか彼は自分から本名を名乗った。

今田(いまだ) (ひとし)。一ヶ月ほど前に何も言わずに居なくなった、美紗の同居人だった。


〔今、どこ?〕

〔うん、病院。咽喉、手術して入院している〕

 仁が上げたのは隣県の大学病院の名前だった。

〔そんなところに居たんだ〕 

〔ごめんな。連絡しなくって〕

〔亮さんが、”声が出なくなった”って教えてくれたから〕

〔そうか〕

 仁のバンドのリーダーである亮と連絡先を交換してあったことを、美紗はあのときほど感謝したことは無かった。そうでなければ、美紗にとって仁は完全に”行方不明”だった。

〔ねぇ、声……〕

〔ごめん。美紗の好きな声、でない〕

 電話の主がわかってから気になりつつも、聞けなかったことを勇気を出して聞いた美紗に返ってきた返事は、あまりに彼にとって酷なものだった

 バンドのヴォーカルの声が変わってしまった。その事実が本人にもメンバーにもどれほどの衝撃を及ぼすのか。それは、部外者の美紗には計り知れなかった。

〔亮さんには連絡、した?〕

〔声、出すOK貰って、まず美紗に知らせたかったから〕


 居なくなった日の夜に亮には連絡したくせに、同居人の美紗には書き置き一つ残さなかった。何日待っても美紗には何の音沙汰も無かった。

 もう駄目なんだ、と思った。きっと、もうそばには居られないんだ、と。

 五月の連休で、偶然遊びに来ていた甥の貴文が、隠すように置いてあった手紙を見つけてくれていなかったら……。今頃、美紗の心はどこかが壊れていたかもしれなかった。


 だけど、今回は亮さんより先に連絡くれたんだ

 こんな事態なのに、そのことだけで少し嬉しくなる。

〔これから掛けるの?〕

〔うん。そのつもり〕

〔あまり、長いことしゃべるのは、まだ良くないよね〕

〔うん。ごめんな〕 

〔あなたの声が、もう一度聞けただけで私は待てるから〕

〔うん〕

 美紗には、仁の声が湿り気を帯びて聞こえた。

〔今日は、一度切るね〕

〔わかった。オヤスミ、美紗〕

〔おやすみなさい、仁さん〕

 そっと、ボタンを押して通話を切る。通話を切るまで抑えていた涙が零れ落ちた。


『オヤスミ、美紗』

 一緒に住むようになって、何度聴いた言葉だろう。話し方も、呼び方も全く変わらないのに。

 声が。

 ずっと好きだった声が。


 嗄  れ  て  い  た




 発信音を残す受話器を下ろし、仁はため息をついた。

『私は待てるから』

 そう言ってくれた美紗の声が耳に残る。

 待っていてくれるのか。この声でも。


 ライブに来ていた彼女に声をかけて、初めて会話をした時。『とても好きな声だ』と美紗が言ってくれた声は、もう録音にしか残っていない。

 生計を立てる術を無くし、美紗の心を繋ぎとめることもできなくなった。

 主治医から声を出す許可を貰って、初めて出た声を聞いた時にそう思って絶望した。

 それでも、一度だけ。チャンスが欲しい。すがるように掛けた電話だった。

 この声で、もう一度。やってみるしかないんだ。

 頬を病衣の袖でぬぐい、仁は親友でもある亮へと電話を掛けた。




 あの夜の電話から、二週間。

 仁は三日か四日に一度、美紗へ電話を掛けてくるようになった。

 声は戻らないものの、美紗のほうも声に慣らされた。いや、慣れるために仁のCDは聞かないように、昔の声を思い出さないようにしていた。

 帰って来てくれれば、多くは望まない。声が変わっても、美紗自身が気づかぬほどひそかに見守ってくれていた仁に変わりないのだから。

 そう思いながら、美紗は電話のある日を待った。

 今日は、電話のある日かしら。

 その日もそんなことを思いながら、美紗は何気なくテレビをつけた。


 それは、不意打ち だった。


 チャペルを歩くウェディングドレスの女性。

 画面右下のクレジットは”Song by 織音籠(オリオンケージ)”。仁のバンドだった。

 高校生のころから十年以上。彼らの歌を聞き続けてきた美紗も聞いたことのない曲だった。美紗の好きだった、あの嗄れる前のJINの声で。

 うそ。何これ。幻の新曲?

 

 テレビの前に正座をするように詰め寄り、息を殺して聴いた。初めて彼の歌を聞いた高校生のときのように。

 三十秒ほどの短いCMでの逢瀬だった。それでも、美紗に歌が焼きついた。

 (ことば)の使い方が、”JIN”ではない歌だった。きっともう一人作詞を担当している”SAKU”の手によるものだろう。背景に流れた画のごとく、結婚をイメージした歌だった。そして、歌うJINの声がいつもよりも一段とやわらかく、包み込むように聞こえた。

 何の憂いもなく、この曲を聴きたかった。



 美紗に電話をかけるのは午後八時半。

 最初の電話をかけてから、仁の中でそれはひとつのルールになっていた。

 その日も、公衆電話に向かうまでの時間つぶしに病室のテレビをつけていた。

 声が出なくなる前日までレコーディングスタジオで耳にしていたメロディーが流れた。

 そうか。CMが流れる時期が来たか。


 自分ではどうしても納得がいかず、録り直しを繰り返していた曲だった。しかし、仕事として”納品”の期日は訪れる。声が出ない以上、新たな録り直しができるわけも無く、今ある音を使うしか方法は無かった。亮と手紙のやり取りを通して、契約されていたCMにそのまま使うことをOKしていた。

 生で、美紗に聞かせてやりたかったのにな。



〔もしもし、美紗?〕

 つながった通話から返事が返るのに、数秒かかった。

〔うん〕

〔泣いていた?〕

〔CM、見、てね〕

 しゃくりあげるように、美紗が途切れ途切れに話す。

 ああ、あれを見てしまったか

〔ごめんな。こんな形で聞かせることになって〕

〔う、ん。いき、なりだ、ったから、こ、ころ、の、準備、できな、くて〕

〔うん、ごめん〕

〔あれ、は新、曲?〕

〔そう。新曲。五月の連休の前に作ってた〕

〔だ、から、聞いたこと、なか、ったんだ〕

 少し息が整ってきたらしく、美紗の言葉がちゃんとしてきた。それを確認して仁はもうひとつのことを伝えた。

〔もう一曲。英語のヤツも作ったから、それも近いうちに流れると思う〕

〔それも、CMなの?〕

〔うん。二曲セットの依頼だったから。同じ感じで流れると思う。心の準備をしておいて〕

〔わかった。今度は、楽しみに待つわ〕

 仁の心に、泣き笑いのような顔で話す美紗の顔が浮かんだ。彼女と知り合って六年。彼女の泣き顔なんて、見たことも無いのに。



 仁の予告どおり、またしても不意打ちのように美紗は彼らの英語の曲に遭遇した。


 美紗の苦手な英語の歌詞なのに。なぜか意味がすっと脳裏に浮かんだ。

 それどころか、美紗の心に浮かんだのは

 あの詞に私、会ったことがある

 そんな思いだった。


 CMが終わってテレビを消し、脳裏に浮かぶ彼の歌声を頼りに記憶を辿る。青い便箋に書かれたアルファベットのイメージにノートの罫線と日本語の像が重なった。

 自室の棚から、ノートを出す。間に挟まれた便箋が栞の役目を果たして、目的のページが開いた。


 書き置きを残さずに居なくなった仁がひっそりと残していった、手紙だった。



 便箋数枚に書かれた、英文の手紙。

 美紗が英語の苦手なことに気づいていたらしい仁が、追伸で書いていた日本語。『あえて、英語で書いたから。ゆっくり読んで』の言葉に従って、美紗は読んだ。彼の英語の歌が出るたびに歌詞を訳しているノートに、単語を書き出し逐語訳をして。

 一日の仕事を終えて、一人っきりで食事を摂り、英語に向かう。疲れと、物思いと、わからない単語とに阻まれて、なかなか進まなかったけど。ゆっくり、ひとことずつ進んでいった。


 手紙は

 仁からのラブレターだった。


 彼の想いを、言葉の限りにつづった。そんなラブレターだった。そして、丁寧に書かれた文字のあと。新しい紙に急いで書き足したらしい文。

 『声が出なくなった。声が出るようになれば、美紗が許してくれるなら、戻ってくる』

 その一文を心の支えに、美紗は待った。彼からの連絡を。あの日の電話まで。


 その手紙と重なるような、今回の歌。歌が先か、手紙が先か。

 書き出しの一文を指でたどると、失われた仁の声で脳裏に再生される『Dear Misa』の言葉。

 どっちでも良いか。私宛には変わりないんだわ。

 もう一度、あの歌に会いたい。




 その日から、さらに十日ほど経ったころ。

 仁からのいつもの電話があった翌日の午後八時半。今日も美紗の携帯が鳴った。

 何か、あったのかしら。

 ドキドキする胸を押さえながら、美紗は通話ボタンを押した。

〔もしもし?〕

〔もしもし? 美紗?〕

〔うん〕

 やはり、相手は仁だった。この一ヶ月間、再発を防ぎつつ歌の仕事を再開する準備のために、声の出し方の練習を受けていたという彼の声は、最初の電話に比べて力強くなったように美紗は思う。相変わらずハスキーなままで、元の声には程遠かったが。

〔あのな、退院が決まった。〕 

 美紗はうれしさに、息が止まるかと思った。やっと帰ってくる。

〔いつ?〕

〔明日の昼前にこっちを出るから、そっちに着くのは夕方近くかな? 実家にも帰りに顔を出すし〕

〔ご両親、声の事知っているの?〕

〔うん。入院の保証人になってもらったから〕

〔じゃぁ、心配してらっしゃるわね〕

〔そうだな。ちょっと安心させてくる〕

〔気をつけて、帰ってきてね〕

〔うん、わかった。じゃぁまた、明日な〕

〔うん、待っているわ〕

〔オヤスミ、美紗〕

〔おやすみなさい、仁さん〕

 


 通話を切った美紗は目に見えない何かに、感謝を捧げた。


 ありがとうございます。彼を帰してくれて。

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