「これはあくまで取引よ」と言い張る隣の席の彼女の耳が、どう見ても赤い
「今日も一人で昼食? 見ていて哀れだわ」
隣の席の氷室凛は、文庫本から目も上げずにそう言った。
「お前も一人だろ。ぼっちの共有ができて嬉しいよ」
「一緒にしないで。私は望んで孤独なの。そう、これは孤高。対して、あなたは誰にも選ばれなかっただけ。私とは全然違うの」
「なるほど。売れ残りというわけか」
「あら。自覚があるなら結構よ」
これが俺たちの日常。
入学から半年、互いに一人で過ごしながら、隣の席という理由だけでこうして罵り合っている。不思議と不快ではなかった。むしろ、心地よさすら湧いてしまっている。
「ところで氷室、頼みがある」
「断るわ」
「まだ何も言っていない。食堂に限定のカツカレーパンが出たらしい。一日三十食、噂ではかなり美味い」
「相変わらず会話が下手ね。それで?」
「一人で買いに行く勇気がない。頼む、付き合ってくれ」
手を氷室の前に突き出し、拝むように手を合わせる。
ページをめくる氷室の指が止まった。ゆっくりとゆっくりと、こちらを向く。
「……自分で言っていて恥ずかしくないの?」
「事実だからな。恥じる要素がない。それに、礼として奢る」
氷室は数秒だけ黙り、視線を再び逸らした。
「へぇー奢り、なのね。なら仕方ないわ。勘違いしないで、これは対価を受け取るだけの取引よ」
「ああ、取引だ」
そういうことで、無事氷室は俺に付き添ってくれることとなった。
昼休みの食堂へ肩を並べ訪れる。人波をやっとの思いでかき分け、最後の二個を確保できたのは奇跡に近かった。
席に着くと、氷室は無言でパンを睨み、一口かじった。
「なるほど、悪くないわね」
「そうか。俺は絶品だと思うが」
「感想の語彙が貧しいのよ、あなたって」
そう言いながら、氷室の口元がわずかに緩んでいるのを俺は見逃さなかった。こういう言う口ぶりだが、多分本音としては結構美味しかったに違いない。
丁度氷室が二口目を囓ろうとしたそのとき、背後から能天気な声がした。
「あれ、神崎と氷室じゃん。二人で飯って珍しいな」
振り返って見ると、クラスメイトの佐伯がニヤニヤした顔で居た。佐伯は俺たちの向かい合う席と、二つ並んだパンを見比べ、更にニヤけ面を増して言う。
「もしかしてお前ら、付き合ってんの?」
次の瞬間、氷室の顔が目に見えて赤く染まった。
首から耳まで、一気に。
「なっ……ち、違うわ! 誰がこんな男と!!」
勢いよく立ち上がった拍子に、椅子が鳴る。
まぁ落ち着けと手で制すも、氷室は無視して捲し立てるように早口で言う。
「たまたま、そう、取引で同席しているだけよ!! 彼が頼み込んできたから仕方なく、断じて、そういう関係ではないわ!! 訂正しなさい、今すぐ!!」
普段の冷静さはどこへやら。
佐伯が目を丸くしている。
「お、おう、悪かった。そこまで否定しなくても……」
「否定します!! 何度でも!! これはあくまでも取引なの!!」
佐伯が苦笑しながら去っていくと、氷室は荒い息のまま席に座り直した。耳はまだ赤い。
「あなたも何か言いなさいよ」
「事実は事実だ。取引で同席しているだけだろう」
「そ、そうよ。そうだけど」
氷室はパンを小さくかじり、俯いたまま呟いた。
「馬鹿……次の限定品が出たら、また教えなさい。取引なら、考えてあげるから」
「分かった。また奢る」
そう答えながら、赤く染まったままの氷室の耳を、悪くないと思っている自分に気づいた。恋というのは、案外こういう形で始まるものなのかもしれないな。
次の限定品が出る日が、少しだけ待ち遠しい。




