初夜で「貴方を愛しておりません」とか言われたので、相手の実家を潰した件
妙に長くなりました…。
特定の恋愛的・性的指向を思わせる表現がありますが、ある血筋に出やすいかも?等の、この話特有の設定も盛り込んであるため、現実のものとは異なります。
目の前で、新婚用にと誂えられた、品は良いが露出も多めの薄衣をガウンで隠した女性が、はらはらと涙を溢している。
自らの身を守るように、両腕で固くガウンを握りしめている女性は、アドミリア。カーフレジュ伯爵家の第二子だった。
私はエイシャル、ナーヴィウス公爵家の嫡子。
私達は本日婚姻式を終え、夫婦となった。
はずだった。
状況整理を兼ねて、婚姻式後の行動を振り返ってみる。婚姻前? 直前まで仕事に追われて駆けずり回っていたので書類と関係者とくたびれたのに休めない記憶しかない。
披露を兼ねた食事会を終えた直後、初夜の閨事を恙なく済ませる所までが婚姻式ですと言わんばかりに風呂に入れられ、諸々整えられ。
しかしその時点で疲労困憊だった私は、正直今日閨事を済ませるのは難しいだろうと考え、渋る父と家令を説き伏せ、立会人を寝室から下がらせた。
その後、説明だけしてさっさと自室で寝よう…と考えながら夫婦の寝室を訪れたわけだが。
そこで待機していたアドミリアは、私の姿を見ると決死の覚悟を決めたような表情で、こう言った。
「誠に申し訳なく存じますが、わたくしは貴方様を愛しておりません」
そうして、現在。
アドミリアの顔からは血の気が引いており、全身で警戒を露わにしている…とりあえず放置して寝に行っていいかな…。
どちらにしても、今日は閨事は無いと伝えに来たのだから、問題はないだろう。
それより、父に訊かなければならない事ができてしまったので、早くそちらに向かいたい。
「そうか、わかった」
「え」
「今日はお互い疲れているから、閨事は無しにしようと提案しに来た所だったのでまあ丁度良いな、ゆっくり休んでくれ」
「あ…あの」
「先程の発言の件については、明日以降に話し合いの席を設けさせてもらおう」
途中からアドミリアは涙も止まり、ポカンとした顔をしていたような気がするが、些細な事だ。
必要な事は伝え終えたので、じゃあおやすみと挨拶だけして夫婦の寝室を後にした。
アドミリアと私の婚姻は、政略ではない。さりとて、恋愛が成就したわけでもない。
そのため、閨事ができようができまいが私としては気にしないし、無い方が気楽なのだが。
父から聞いた話と大分違うんだよなあ……?
***
と言うわけで。
「おい父、聞いてた話と違うんだが?」
父の寝室に乱入した。
母? 私が産まれて暫くしてからずっと寝室は別だそうだ。知らんけど。
「ヒェッ……! な…なに? なんの話?」
かわいらしいナイトキャップ(毛糸の玉がついている)を被った父が飛び起きる。随分と寝つきがいいじゃねえか、初夜についてぶちぶち能書き垂れてたのついさっきじゃなかったか? まあいいけど。
「アドミリア嬢から『貴方を愛しておりません』とか言われたんだが、どういう事だ?」
「えっなにそれ私も知らないよ?!」
眠そうにもしょもしょしていた目がかっぴらいた。
この様子だと本当に知らなそうだな。
童顔を気にして生やしているミルクティー色の口ひげが、あちこちに跳ねて容積を増している。玲瓏な美貌と言われる母と並ぶのに、少し威厳を…と考えての髭らしいが、ふわふわした毛が一ヶ所増えたくらいで威厳は増さない。母が指摘していないので、私から指摘する事もないが。
ふわもふになった髭を引っ張りながら、父が寝室の中をぐるぐる歩き回る。考え込んでいる時の癖なのは知っているが、なかなか物の多い部屋のなかで器用にうろつくものだなあと思いながら眺めてしまう。
暫く父の奇行を眺めていたら、開けたままだった扉から母が入って来た。
夜番の侍女に軽食とティーセットを用意させて連れて来ている辺りがぬかりない。父がウロウロしている間に、室内のテーブルに三人分のお茶の用意を済ませている手際の良さよ。
母に目線で席につくよう促されたので、大人しく座る。
「あなた、アドミリアがどういう状態でこちらに来たのか知っている?」
「いえ…不甲斐ない事ですが、式直前まで仕事に追われていたので…存じません」
「小さな手荷物一つで、辻馬車に乗ってこちらに来たそうよ」
「それは……」
実家で良い扱いをされていなかった事がよくわかる状態ですね…と呟いてしまう。
その状態で格上の婚家に来る本人は生きた心地がしなかっただろう……そして我が家におけるカーフレジュ伯爵家への信頼は地に落ちたなこれ。
随分とこちらを侮ってくれるじゃないかと言いたいが、婚姻式当日まで彼女の扱いもなにも把握していなかったこちらにも問題はある。
「母は彼女の状態を」
「知っていましたけどね、この婚姻を受けたエルと、婚姻を結ぶ本人であるエイシャルが動かないので、最低限のサポートしかしませんでしたよ」
「そこまで……お手数おかけしました」
最低限のサポートとは、我が家に嫁ぐにあたって最低限守られるべき命と貞操の保護をするため、守護をつけたと言う事である。母がそういう判断をするくらいには、あちらの家の状況が悪かったと言う事だ。
気乗りしない婚姻とは言え、相手の調査も保護も母任せになってしまった事には反省しかない。
そうすると、アドミリア嬢は今落ち着かない状態にあるかも知れない…と思い至り、彼女付の侍女にあたたかい夜着とお茶を用意させるよう言伝を頼んだ。既に寝ているようならそのままで良いが、眠れずにいるようなら改めて私からの労いの言葉とゆっくり休んで欲しいという要望を伝えるように頼むのも忘れない。
ちなみに、エルは父の事だ。エルリジア・ナーヴィウス公爵。母はエルシェリア・ナーヴィウス。父と母は家ではお互いを愛称で呼ぶ。
「それを踏まえて、エイシャルの話を聞きましょうか、エル」
「…はい、お手数おかけしましたエリ…」
ウロウロと歩き回りながらもこちらの話はちゃんと聞いていたらしい父が足を止め、しょもりとした顔で母の隣の席につく。
普段は隠し厚底靴やクッションでごまかしているが、父は母より小さい。並んで座ると、母が少し見下ろすような形になる上に、今は意気消沈して縮こまっているから余計に小さく見える。
母がものすごく満足そうに父を見下ろしているのを見ながら、紅茶を口に含んだ。
「先程も告げた通り、アドミリア嬢に『貴方を愛しておりません』と告げられました、顔面は蒼白、全身に力が入っていた様子から、懲罰または強制的に閨事を進められる事を恐れていたのではないかと思います」
口を湿らせてから、改めて先のアドミリア嬢の状態を伝えた。
警戒をしているものだと思い込んでいたが、母の話を聞いた後では恐怖で身を固くしていた可能性の方が高そうだと思う。
先程目にした姿で見える部位には、目立つ傷などは見えなかったし、報告も上がってきていないので、傷がつくような事はされていないのかも知れないが、傷をつけずに肉体を苛む方法がないわけでなし、そこは可能性の一つとして留意しておく。
私の言葉を聞いて、父が深い溜息をついた。
「それは…私がまんまと騙されたのだろうね……エイシャルに良き妻を迎えたいとあちこちで話していたんだが」
「私は婚姻したくないって言ってるのに、どうしてそういう事をするんです?」
家の為に婚姻を結ぶのは仕方ないと思う私もいるが、許されるなら一生独身が良かった。
「わたしは! かわいい初孫と言う夢を! 諦めたくないんだ!」
「赤子が欲しいなら、私が頑張りますと言っておりますのにねえ」
「ヒェ……いや、それはともかく、伯爵以上の家のお嬢さんはもうほとんど婚約が決まっていてな」
「そうでなくても私相手ではお断りされるでしょうに」
「そうなんだよねえ…こんなにいい子なのに……エリに良く似た美人さんで公爵家の血筋なのは疑うべくもないのだし」
公爵家は母の血筋で、父は入り婿。母は家業の方を継ぐために、公爵の椅子を任せられる伴侶を求めており、当時学業優秀で話題になっていた父に婚姻を持ち掛けた。
と、世間では認識されている。
実際は、ふわふわかわいい父に一目惚れした母が、猛アタックをかけて父を手中に収めたのだが、それを知るのは一部の親しい人間だけらしい。親しくないと、母のそんな様子を想像できないというか信じられないというか…となるらしい。
艶やかで真っ直ぐな黒髪に穏やかな緑の目を持ち『孤高の黒薔薇』なんぞと呼ばれていた母が、ふわふわミルクティー色の髪に空色の目をした子犬のような父に猛アタック…まあ、想像できなくてもしょうがないよなとは思う。父の色表現については母監修であるので悪しからず。
私は目の色以外は母似で、身長もおそらく公爵家の血がよく出たのだろう。女性の中では高身長になる母より、頭一つ分くらい高い。
体格だけで威圧感があり、目つきも鋭く、表情筋はあまり仕事をしない。おまけに人付き合いもよくない…これは家業のせいもあるんだが。
あまつさえ社交界に出るようになって結構経つのに婚約者もいない、そんな私の社交界での評判は二分している。
一つは母の呼称をもじった『孤高の黒狼』。韻を踏むな、と思ったが、まあこちらは好意的な方だ。
問題なのはもう一つの方。
「そりゃあ『絶倫夜王』なんて綽名つけられてる巨魁に、娘を嫁がせたいと思う『まともな親』は、滅多にいないでしょう」
「ぜつ……」
家業の一端で、昼夜問わず色街にも顔を出す私を見た人間が囁き始めたらしいが、最初に言い出した人間はともかく、広めた人間達は悪意を持って広めているのを知っているのでチェック済みだ。
悪意がある上に、自分達にも都合が良いと言う一挙両得を狙っての事なので性質が悪いのは確かだが、その内使う事もあるだろうから今は好きにさせている。
「色街の出入りくらいでそんな事を言われるのもアレですけれど、エルがそれを知らないのも不思議ね…」
いつまで経っても少年のような面をしてるから、なんとなく伝えかねるのではないだろうかと思っている。
「今考えると、カーフレジュ伯爵はいやらしい感じの笑みを浮かべていたから、その綽名も知っていたんだろうね……
『ご子息の妻をお探しだとか、実は我が家の次女がご子息に惚れている様子なのですが、いかがでしょう?』
て近づいて来たんだ…媚び諂う表情だったから気にしてなかったんだけど」
「彼女はほとんど社交界には出て来ていませんでしたよね? それについてはなんと?」
「病がちで、あまり家から出られないって…ただ、持病があるわけではないから、社交以外ならうまくやるでしょう、とも言われたね」
「子を産む事も、と含みをもたせて…ですか」
小さく頷く父は、実に気まずそうな顔をしている。
求初孫、な父の状況も社交界ではそれなりに有名だったので、そのくらいの勧誘であれば想定の範囲内だ。
散々お断りされていた所に、お宅の子息に惚れてますのお嬢さんを斡旋されたら揺らぐのもわからないではない。
ただ、この顔は多分それ以外にも何か隠している。
「それで、エイシャルを好きな娘さんなら喜んで…と引き受けたのは想像に難くないとして、彼女の持参金とかはどう話をつけたのかしら?」
「っ……!」
母が的確に痛い所を刺したらしい。父がびくついたあと、震え始めた。
父は顔を背けているから気づいていないだろうが、母がものすごくご満悦の笑みを浮かべている。楽しそうで何よりだ。
「じ……持参金は出せないって申し訳なさそうに言われたけど、嫁いできてくれるだけでありがたいからいいですよって…」
「あの家は、十年程前の当主変更から、衰退の一途を辿ってるので、出せないのはわかりますが…それだけじゃないわね?」
「嫁入りの支度にかかるお金も……私が持つって、約束、しました…」
提示された金額くらいなら、私の個人貯蓄から出せるから、いいかなって…と呟く父は、そろそろ片手でつまみあげられるんじゃないだろうかと思う程に小さくなっている。
「そのお金で、アドミリア嬢の婚姻式用のドレスが作られたわけですか…」
「あ、いや、違うよ? ドレスはウチがいつも礼服お願いしている店に頼んだから、あちらでの支払いは発生してないし」
「なるほど、その結果がカーフレジュ伯爵と長女の豪華な礼服類だった、と」
変なドレスとかを嫁いできたアドミリア嬢に着せずに済んだのは良かったが。
父の個人貯蓄からすれば痛くもない金額なのだとしても、娘を売ったつもりの家に随分と贅沢をさせたものだ。
私と母の口から、思わず同じ言葉が漏れた。
「「なんて良い鴨……」」
父よ、それでは香草どころか香辛料までも背負ってきて、美味しく食べられてしまう鴨だ…それは良くない。
何が良くないって、母の精神衛生上良くない。もうすでにカップの取っ手が砕けそうになっている。
「エル……ちょっとお話合いが必要だと思うの、今夜は逃がしませんから覚悟してくださいね?」
「エッ……いやあのごめんなさい反省してます、ちょっと夜通しの『オハナシアイ』にはまだこころのじゅんびが」
「エイシャルが産まれてから、十七年も我慢してるんですよ私は……この上、他人の前に良い鴨姿を晒した事を教えられた私の事を慮ってはくれないのですか?」
獲物を狙う目になった母が、父に対して泣き落としを開始した。
母は凛とした女性で、弱い所など見た事のある人間の方が少ない。と言うか『弱い所』などないので、意図して狙った相手にしか見せないわけだが。
ある意味奥の手であるこの姿を見せたと言う事は、父にはもう逃げ場などない。父自身の婚姻もこの方法でもぎとられているのでお察しである。
侍女も速やかにティーセットを片付けて出て行こうとしている。私も逃げ遅れたくない。
「アドミリア嬢の状況は概ねわかりましたので、後は私の方で対処いたします、ありがとうございました」
「エイシャル、あの家の当主変更については疑いがありました、掘り下げれば興味深いものが出るかも知れませんよ」
「わかりました、ではお休みなさいませ!」
「あ…ぁ、まってエイシャル……」
胸に縋りついてくる母の肩に手を添えながら、救いを求めるような顔を向けて来る父に笑顔を向けて扉を閉めた。
暫くしたら良い知らせが聞けるかも知れない……聞かなくても良いけど。
***
自室に向かって移動しながら、側近を呼ぶ。家業…国直属、対外の諜報・暗殺を担う組織のツートップが交代で控えているので、声をかければどちらかがすぐに来る。
斜め左後ろに現れた、侍従姿のロディは、灰色の長髪を一本の三つ編みにした、碧眼の青年。歩く速度を私に合わせたまま、厚みのある書類袋を差し出して来た。
「カーフレジュ伯爵家の情報はここに」
「母の依頼してた分か?」
「過去の調査分もまとまってる」
受け取って、自室に着くまでの間に一通り目を通す。
自室に用意されていた果実水を二人分のグラスに注いで、腰をおろす。ロディも向かいに座って果実水を手に取った。
考え事をする時には甘味を摂りながら、と言うのが我が家の家訓である。
先程目を通した書類のうち、今回不要そうなものを避けて情報を確認していく。
「十年前の当主変更に、不正は特になしか」
「前伯爵の死は不幸な事故だった、けど、前伯爵に廃籍されそうだった息子が命拾いしたのは事実だから、ひょっとして…の噂が流れたのも事実」
「潰すなら、その辺をうまく使う事もできるか」
後は、関連する他家との繋がりをざっと見てみるが、うーん…ここ十年で他家との繋がりをばんばん切ってるな…?
長女の散財は酷いが、そのために領地に重税を課しているわけでもない。蓄財の切り崩しと、調度品を売り払うなどした金で散財しているようだ。
領地には問題がないのに、他家との繋がりが希薄で、すげかえても問題のない家…に見える。問題の出るしがらみがない。領地の代官が親族である場合は問題も出るが、カーフレジュ伯爵領の代官は雇われだった。
ちぐはぐな印象を否めないが、カーフレジュ伯爵家だけを見るなら『潰れてもおかしくない家』と言う印象を拭えない。
もっと言うなら、伯爵と長女が家を潰したいように見える。
「家も変だけど、アドミリア嬢を冷遇してた理由もわからないな」
「物理的に虐げてたわけじゃないが、命を落としたり、犯罪に遭っても構わない、みたいな扱いだったのは確かだよ」
守護がつくちょっと前には、殺人未遂事件に巻き込まれていたらしい。
治安の悪い場所に一人で遣いに出される事も頻繁にあり、嫁ぐ前日にも客層の悪い色街まで出向かされていたとか。
「死んだらどうするつもりだったんだろうな…」
「賠償を求められても差し出せるもののほとんどないような家だし…長女が嫁ぐとかで濁すつもりだったとか?」
「…いや、私が拒否したら終わるだろそれ」
二人で無言になる。私が拒否した場合は、何も賠償にあてられないと言う事で爵位と領地を取り上げられていた可能性だってある。
「うぅん……やっぱり、潰したいように見えるな、伯爵家を…」
「アドミリア嬢をどうにかするついでにやれたら尚良し、にも見える…」
アドミリア嬢の顔立ちは伯爵夫人似で、髪や目の色は伯爵と同じ。実母はアドミリア嬢が産まれてから亡くなっているが、お産が原因ではなく、出先で不幸な事故に巻き込まれただけである。伯爵夫人が従者の一人もつけずにいた事から、かなり厳密な調査が行われたらしいので、ここについては信用して良いだろう。
実子であるはずなのに、どうなっても良いと言う思惑が見え隠れするのはなぜだ…?
考えながら、眺めていた過去の資料に、気になる記述を見つけた。前伯爵が息子を廃籍にしたあと、孫娘を正式な後継として指名しようとしていた、と言う証言だ。
「……嫌な想像をした」
「……奇遇だな、俺もだ」
「アドミリア嬢の出産前後の情報を重点的に集めておいてくれ」
「わかった……あの家はここ数年で入った新しい使用人ばかりだったから、以前の使用人と専属医を当たってみる」
最終的に伯爵家は潰す事になりそうなので……残す方が罰としては覿面かも知れないとは思うけれど…アドミリア嬢の件含めた追加調査をロディに頼んで、本日の業務は終了だ。
***
翌朝、朝食の席に着いた母はツヤツヤだった。父? 起きてきていない。急ぎの仕事はないので、今日は休みになるだろう。
「久々だったからつい」
「聞いてないし聞きたくないです母よ」
思春期だったら恥じらいのあまり朝食を放り出して逃げるレベルですやめてください。
「冗談はさておいて」
「ツッコミませんからね」
「付き合いの悪い子ねえ……まあいいわ、アドミリア嬢との話し合いはどうするの?」
「午前のお茶に合わせて時間を取らせてもらえないだろうかと伺いをたてています、朝食は部屋には運ばせました」
話し合いに付き添いは必要かと問われたので、お願いしておいた。出られそうなら父も。
威圧感たっぷりの私と差し向かいよりは気楽だろうと信じたい……いや、家族全員で詰めに来たと思われるだろうか……まあ、その時はその時か。
午後、話し合いに応じてもらえたので、サンルームに招いた。明るくて広い部屋の方が、圧迫感は減ると信じたい。
丸テーブルに渋みの少ないお茶と、お茶請けとしてつまみやすい小さな焼き菓子・砂糖菓子を入れた丸い菓子器が用意されている。
アドミリア嬢がまだ来ていないのを良い事に、母が手ずから父に砂糖菓子を与えようとしているが、やめてください。
「そういうのは部屋でやってください」
「それもそうね」
「へやでもやんなくていいです」
か細い声で父が何か言っているが、聞く気はない。口出せる事でもないし。
いちゃつく両親から目線をそらした所に、ちょうどよくアドミリア嬢が到着した。
動きやすそうな室内着を着て現れたアドミリア嬢は、侍女に促されて空席におずおずと着席する。
「来てくれてありがとうアドミリア嬢」
「あ、いえ……お招きいただきありがとうございます」
「楽にしてくれて構わないよ…と言っても難しいだろうけど、身内しかいない場なのでね、失言や失敗があっても責める事はないとだけ覚えておいて欲しい」
「はい…ありがとうございます」
テーブル下で固く両手を握ったまま、身を固くしているアドミリア嬢は、このままだとお茶の一滴も含まないだろう。
くつろいでもらうのは難しそうなので、さっさと本題に入る事にする。
「昨夜の貴女の発言について、両親には共有してある」
「ヒッ…もうし「エイシャル、人と話す時は切れ味を抑えなさいと言っているでしょう」
私の言葉に体を震わせたアドミリア嬢が謝罪の言葉を終えるより早く、母から指摘が飛ぶ。
返す言葉もございません。
「ごめんなさいね、アドミリア嬢、エイシャルは『貴女が何か問題を抱えているかも知れない』と言う話を私達と共有したと伝えたかったの」
「う……貴女を責めるつもりはなかったが、そう取れてもおかしくない発言だった…申し訳ない」
母の言葉に間違いがない事を示すように、深く頭を下げる。精進します…。
アドミリア嬢は目を丸くしてこちらを見ているが、怯えてはいないようなので話を進めさせてもらおう。
「先に重ねて謝罪を、カーフレジュ伯爵の物言いを信じていたため、貴女が私に懸想しているのだと思い込んでいました」
「私が情報の精査もせずに受けたせいなので、私からも謝罪を…」
「あ……あの、はい、それは…伯爵様が、そう仰ってたので、理解、しています」
謝罪していただくほどの事ではないです……と消え入りそうな声で言うアドミリア嬢は、父親の事を伯爵様と呼んでいるようだ。
しかし、昨夜の様子を見るに『アドミリア嬢が私に懸想している』だけではない情報も与えられていたのだろう。
「他にも何か伯爵から聞かされていたのではありませんか? 私の噂とか」
「……はい、女性をとっかえひっかえしていて、一人で相手をするには命懸けのぜ……絶倫、だから『初夜で存分に嬲ってもらうと良い、できればそのまま死んでくれ』…と…そんな方にどんな扱いをされるのかと、怖くて…それに」
うーん噂増えてない? 伯爵が追加しただけ? それ世間に回ってないよね? 回ってないと言って…と目を泳がせた先に交代間近のロディがいた。ロディは苦笑してゆるく首を横に振ったあと、親指を立ててきた……世間に回っちゃってるのかあ…泣くぞ。
さておき、アドミリア嬢が言い淀んで目線を落としたのを見て、私と母は目を見かわす。
母がアドミリア嬢について調べた時に、庭師の一人と親密だと言う情報があったが、それなりの仲であった事に間違いはないのだろう。
「他に、想いを寄せる方がいたのですね?」
「っ…! はい…」
問われたアドミリア嬢は、一瞬だけ頬を染めたあと、蒼白になって俯いた。
「繰り返すようだが、貴女を責めるつもりはない…貴女が望むのであれば、想い人との仲を取り持つ事も吝かではないんだ…素直に話してもらえないだろうか?」
私の言葉に逡巡した後、小さく頷くアドミリア嬢。わかってはいたが、冷遇された事で育まれた警戒心はあっても、言葉の裏を読んだり、その先を想定するような能力はないのだろう。我が家では本当に話を聞きたいだけだが、素直に話したらそのまま処分…なんて事があるのが貴族社会である。
「私…伯爵家の庭師をやってるショーンと…成人したら家を出て、二人で花屋をやろうって…約束、してたんです」
「そのショーンと言う庭師は、貴女の恋人だったんですね?」
「お……お付き合いとかは、家を出るまで、我慢しようって事になってたので…まだ」
こいびとじゃないです。と呟くアドミリア嬢は、それでも頬を染めて幸せそうだ。
それが、叶う夢だったなら良かったのだけど。
「そうなのですね、私としても貴女の意に沿わない婚姻を続けるのは本意ではないので、良ければこの婚姻は無効にしたいのですが」
「えっ、そんな事が可能なのですか?」
弾かれたようにこちらを見るアドミリア嬢は、縋るような表情をしている。
「既に受理されている婚姻を無効にするので、伯爵家には少なからず不利になりますが……」
「…! 私を…大切にしてくれなかった伯爵家を…私が大切にする必要なんかない……はい、構いません、無効にしてください」
遠くを見るような目で、小さく呟いた後、同意する。先ほどまでとは少し異なる反応を見せたのが気にはなるが、どうせ伯爵家の末路はもう決まっているので関係ない話だろう。
「わかりました、では婚姻無効の手続きが終わるまでは、我が家でゆっくりしてください」
「良いのですか…?」
「えぇ、父が張り切って貴女の居室を整えていたので、短い間になるでしょうが使ってやってください」
なんやかや衣類なども揃えていた父である。今着ている室内着も、そのうちの一枚だ。
私の妻であって貴方の妻ではないし、なんだったら貴方の妻がスゲー顔をして見ていたので、割増で贈り物をして機嫌を取って欲しい。ASAPで。切実に。
「あ…ありがとうございます、ありがとうございます…!」
「気にしないでください、庭師のショーンさんにも連絡が取れたらお知らせしますね」
「何から何まで…ほんとうに、ありがとうございます…」
ボロボロと涙を流しながら、飽きもせず礼を繰り返すアドミリア嬢を、自室に返す。
彼女から聞きたい事は一通り聞けたので、後は諸々片が付くまで心身の疲れを癒して欲しい。その後の身の振り方がどうなるかもわからないのだし。
「いい子だったねえ……カーフレジュ伯爵はどうしてあの子を冷遇なんかしたのか」
「ええ、素直な子だったわね……エイシャルはどう思う?」
「あれが全て演技だったのであれば、好待遇で雇い入れたい所ですが……可能性は薄いでしょうね」
やや瞳を潤ませてアドミリア嬢を見送る父を余所に、母と私は彼女に対する所感を交換する。
素直で人を欺く事等できなさそうな年若い女性…完璧に装えているのであれば大したものだが、訓練も受けないでそんな事ができる女性がいるかどうか…多分彼女は普通に素直で良い子なのだろう。
「えっあっちの家業の話してる? 先に言ってよ耳塞ぐから」
「大した話じゃないから大丈夫ですよ」
「知りたいならいつでも全て詳らかにすると言っているじゃないですか、聞いてくれて良いのですよ?」
やだあ! と高めの声を上げて耳を塞ぐ父を、微笑んだ母が見ている。
胸やけしそうなので、私はさっさと執務室に戻る事にする。
今日はまだやる事が山積みなのだ。
***
――カーフレジュ伯爵家の悲劇――
皇歴627年霜下月第二の花の日、我が国でも歴史あるカーフレジュ伯爵家の貴族街邸宅が業火に包まれた。夜更けの火災に近隣住民が気付いた時には、屋敷全体に火が回っており、手もつけられぬ有様だったと言う。
どうやら、市井でも有名だった長女の散財が原因で、盗賊団に目をつけられていたらしい。
家族が次女の婚姻式でナーヴィウス公爵領へ赴いていた隙をついて、庭師として入り込んでいた男が手引きをし、盗賊団は家の中のめぼしい物を根こそぎ持っていこうとしていた。
(中略)
なんの気まぐれか、予定より一日早く帰宅した伯爵と長女は、運悪く盗賊達と鉢合わせてしまい拘束されたそうだ。
それが、婚姻式翌日の夕刻。
使用人達はほとんどが殺され、残った者達も拘束されている状況で、何を思ったのか盗賊団の一人が長女を辱めようとした。それに激怒した伯爵が盗賊に遅いかかり、もみ合いになったと言う。その最中、折悪しく伯爵がポケットに忍ばせていた酒瓶が割れ、もみ合いの最中に倒れた燭台の火が移り……何か燃えやすい物でもあったのか、屋敷全体が燃え上がるまでに時間はかからなかった。
これらは、火事に駆け付けた警邏隊が、その場で保護した青年から聞いた話である。
全身煤まみれ、あちこちに火傷を負った赤毛の青年は、最近雇われたばかりの下男で、食料庫にいた所を襲われて拘束された。拘束された使用人数人と一緒に、エントランスの使用人控え室に詰め込まれており、そこで屋敷が燃え上がるまでの一部始終を見ていたのだと言う。
炎に蹂躙された屋敷は、石造りの壁以外は炭化した残骸がほとんどだったが、彼の証言を裏付けるように拘束されたような姿の遺体や、伯爵とわかる装飾の名残が残った遺体などがあった事と、その後ほどなくして屋敷を襲った盗賊達が捕まり、彼等が見ていない火事の直前のもみ合いを除く証言との齟齬がなかった事で、事実に間違いないと判断された。
盗賊達はそのまま絞首刑、青年は実家に帰ると言って去って行き、事件としてはそこで幕引きとなった。
ナーヴィウス公爵家に嫁いだ次女のアドミリアは、家族を襲った悲劇に消沈。元々体も弱かった身には酷な出来事だったのだろう。カーフレジュ伯爵と長女の葬儀を済ませた後、体調を崩し、気の毒にも復調せぬまま儚くなったそうだ。
婚姻式から間をおかぬ立て続けの弔事と言う事で、葬儀は内々に済まされたとの事である。
カーフレジュ伯爵家は、後を継げる者がいなくなったため、そのままお取り潰しとなった。
今となっては、旧伯爵領に残るカーフレジュ家の廟だけが、その名を残すのみである。
――『貴族街の闇 ~高貴なる方々とて悲劇とは無縁でない~』より一部抜粋――
***
カーフレジュ伯爵家焼失日にあった事。
婚姻式翌日の午前、私はカーフレジュ伯爵家が宿泊している迎賓館を訪れた。
首都などの遠方から訪れる親族達のために用意してある館の一つで、今回、公爵領の大聖堂で行う婚姻式に合わせて何組かの親族が宿泊している。カーフレジュ伯爵とその長女も今日まで宿泊し、明日帰路に着く予定だと聞いている。
朝食を終えたくらいの時間を見計らって訪れた私に、伯爵は驚きつつも、笑顔で応じてくれた。
「我が娘の伴侶殿! 式翌日にご足労いただけるとは…娘の事で何かありましたかな?」
「えぇ…ちょっとその事でお話がありますので、サロンにお付き合い願えますか?」
「……勿論です」
夕方以降しか開放していないサロンに伯爵を招く。扉の外には随伴していたロディを置いているので、他に人が入って来る事はない。
幾つかあるソファセットの、一番手前のものを選んで座る。伯爵にも座るよう勧めると、斜向かいの位置に腰を下ろした。
伯爵は緊張しているのか、手を固く握りしめたまま目線を落としている。
「アドミリア嬢の事ですが」
「…病弱な事もあって、マナーなど疎い所もあるかと」
「ああ、いえいえ、彼女の躾がどうとかそういうお話ではなくてですね、ちょっと伺いたい事がありまして」
ろくに教育もしてないけど、それは彼女の体質のせいとかそういう言い訳をしはじめようとしたので、機先を制して止める。
そうではないなら、何の話かわからない、と言う顔をして伯爵がこちらを見て来る。
やや青褪めた顔をした伯爵は、色味以外では伯爵と似た所はないように見えるが、先入観もあるのかも知れない。
「彼女は、カーフレジュ伯爵の実子ですか?」
笑顔で尋ねた私に向けられていた伯爵の顔が、蒼白になった。
優秀な手の者達は、カーフレジュ家に古くから使えていた高位の使用人と専属医を見つけ、話を聞き出す事に成功していた。
急ぎだったので話を聞かせてもらうと言うか…罪悪感を刺激したり、気分良く口が軽くなるようなあれこれを駆使したわけだが。後遺症が残るような事はしていない。
その結果、カーフレジュ伯爵は、伯爵家を根絶したいのだろうなと当たりをつけた。
私が今、ここにいるのは、その答え合わせをするためだ。
幾つかの推察と、聞いた話を開示すれば、思った以上にあっさりと伯爵は口を割った。
相談できる者のいないような身内の恥の話と、前伯爵への恨みや妻への感情…あらゆる物を一人で抱え込んで、もう限界だったのだろう。
遠からず、終わらせる為の準備を整えていたのも、想定から大きくは外れていなかった。
「どうやって終わらせたいですか?」
「どう、やって…とは…?」
数刻前より衰えたように見える伯爵が、焦点の合い切らない目でこちらを見る。
「カーフレジュ伯爵家の名誉をズタズタにしてから終わらせたいか、静かに終わらせたいか……どちらでも、貴方の望むままに」
「……もう、疲れた……静かに終わりたい…私を含めて」
「わかりました、では娘さん達はどうしますか?」
「むすめ……」
どこか迷うように、うろ…と目線を動かす伯爵が答えるのを待つ。
暫くして、サロンのドアが開き、娘が一人入って来た。
「私は、お父様と一緒にあの家で終わります」
アドミリア嬢より二歳上の長女が、私を真っ直ぐ見据えてそう言った。
「……ロディ」
「関係者なので、構わんでしょ?」
「まあ、後で話す手間は減るか」
ロディに苦言を呈している間に、長女は伯爵の隣に座って寄り添っていた。
「お前は、籍から外れて逃げて良い……」
「いいえ、私もアドミリアを冷遇した罪を負っているのです、それに、全てを知ったまま幸せに生きるだけの気力は私にも残っていません」
終わりが見えているから、頑張れたのです。長女がそう呟いた後、父娘はお互いを抱きしめて口を閉じた。
私と同年代の娘が抱えて生きるには辛い話だろう。それでも生きていれば…と言うのは簡単だが、私にはそこまで面倒を見られない。
土壇場で死にたくなくなった場合の逃げ道だけは用意しておく事にしよう。
「わかりました、ではアドミリア嬢はどうしますか?」
「あの子には……罪はなかった…申し訳ない事をした」
「何も知らぬまま、可能なら幸せになってほしい」
そんな事を願うくらいなら、最初から優しくしてやれよと思うが…過去はどうにもできず、未来はない。
この後の計画から外れた所で、アドミリア嬢の生活を整える事が決まっただけの事だ。
「わかった、では終わらせる方法を提案しよう」
幾つか用意した提案の中から、父娘二人が選んだのは、家ごと消えてなくなる最速案だった。
「使用人は全員巻き込みでいいんだな?」
「構わない、法では裁けないが、誰かを死に追いやった事のある小悪党ばかりを雇っている」
「今もせっせと屋敷の中を荒らしている事でしょう……売り払ってお金になるようなモノなど、もう残ってませんが」
どうせ終わるなら、多少は社会に貢献を……と疲れきった声で呟く伯爵は、とうの昔に壊れていたのだろう。壊したのは前伯爵と、その所業だ。
雇われ小悪党共の経歴裏取りを確認するよう、ロディに目線で指示する。
罪を犯した者なら勝手に裁いて良いとは口が裂けても言えないが、未熟な法の隙間を縫う様な仕事を担う私がそれを責めるのもお角違いである。止める気もないし。人でなしと言われれば否定はしない。
冤罪の人間がいた場合は逃がすが、多分一人もいないだろうと言うのがロディの考えのようだった。
「では、あなた方にはすぐ帰路に着いてもらいたい」
「えぇ、わかりました、ありがとうございます」
「夜、邸宅に到着する頃に合わせて仕上げを行う…私が行くので、それまでは何があっても待っていてくれ」
念の為の忠告以上の意味はなく発した言葉だったが、結論から言えば、この約束は守られなかった。
私がカーフレジュ伯爵家に着いた時、邸宅の一階は既に火が回っていたのだ。
伴はもう一人の側近のロアン。短い赤毛に、橄欖色の目の青年。普段は侍従姿だが、意図あって質素な服装で連れてきていた。
ロアンと二人で開いた正面玄関から中に入った所、エントランスにはこと切れた数人の使用人と伯爵の死体があり。その死体を背に私達を迎えた長女に話を聞いた所、使用人達が伯爵の最後の理性を引きちぎった事を理解した。
伯爵と長女が帰宅した時、主人の帰りが明日だと思っていた使用人達は、今まで手付かずだった部屋の扉を破壊して物色中だったのだと言う。
部屋の主が死んでから、念入りに封印され、誰もで入りできないようになっていた伯爵夫人の部屋を。
持参した貴金属や、ドレス類、伯爵からの贈り物等も残ったままであったその部屋は、既に金目の物などほとんど残っていない邸宅内で、まさしく宝の部屋だったそうだ。
それを見て怒り心頭に発した伯爵が、使用人達に罵詈雑言を浴びせた所、使用人の一人が嘲笑うように伯爵に向かって言った言葉が、彼を完全に壊した。
『前伯爵に股を開くような阿婆擦れの部屋が、そんなに大事ですかぁ?』
その手には夫人の日記らしき物があったそうだ。夫人が誰にも吐き出せない事を書きなぐったであろう最後のページを開いて、愉しそうに笑っていた使用人は、伯爵が護身用に持っていた短剣で喉を裂かれた。
一人が血を振り撒いて倒れた後、半数は室内で腰を抜かし、半数は逃げ出した。
伯爵は反射的に逃げ出した使用人達を追った、少し後で聞こえて来たのは重い物が複数落ちる音。
長女は、腰を抜かした使用人達を室内に閉じ込めた後、音の原因を確認するためにエントランスに向かい、階段から落ちた伯爵と、使用人達を見つけ、今に至る。
火は、伯爵の持っていた酒瓶が、階段横の燭台に当たって割れたのが原因らしい。投げたのか、落としたのかまではわからないが、エントランスから敷かれている安物の絨毯を舐めるようにして、一階に広がったようだ。
「いずれにせよ、燃やす予定だったのですから、少しくらい早まっても問題ありませんよね?」
憔悴しているものの、取り乱してはいない長女が穏やかな声で訊いてくる。
なんとなくその顔を見ながら、どうあっても彼女もここで死ぬつもりなのだろうな、と思った。
「そうですね……伯爵の体は念入りに燃えるよう細工をしていきますが、他に跡形もなく燃えて欲しい所はありますか?」
「では、母の部屋を」
「わかりました、ロアン」
「ハイな」
場所も聞かずに階段を登っていくロアンを見送りながら、長女に紙包みに入った錠剤を渡す。
「こちらは?」
「『眠るように死ねる薬』です、生きたまま火に焼かれるよりは良いでしょう」
「お気遣い…ありがとうございます」
状況から、用意していた物語を大きく変更する必要はなさそうな事は確認できたから、あとは犯人役の死体を一つ追加しておけば良いか。
後は満遍なく燃えるように小細工をして…と手順を考えている間に、錠剤は長女の口の中へと消えていた。ためらいがなさすぎる。
「妹さんに何か伝えておく事は?」
「ないです…こんな、自ら苦しんで死ぬ勇気もない人間の事は忘れて欲しい……あの子を大事にしなかった伯爵家など振り返らず生きて欲しい…」
朦朧としてきたであろう長女から出た言葉に、アドミリア嬢と同じ響きがあった。
伯爵も、夫人もそう思って、何かある時には無意識に呟いていたのかも知れない。
それが子供達にも移った可能性を考えると、この家は歪みきっていたんだなと暗澹たる気持ちになるが、他家の者がどうこうできた問題でもない。
私は私にできる事をやるだけだ。
「貴女が意識を失ったら、簡単に拘束して、伯爵と同じように燃えやすい細工をしていきます」
「何から何まで…ありがとう、ございます…」
ゆっくりと長女の体が頽れる。まず意識を失い、そのまま体内の器官が動きを止めていく薬だそうだから、まだ死んではいないが、もう目覚める事もない。
彼女をどこに設置するのがより『らしい』かを考えて、体を移動した後、後ろ手に拘束して着衣に細工をする。
細工し終わった所でロアンが戻って来た。拘束した使用人を二人抱えているので、近くの使用人控え室に入れるよう促す。
「残りの使用人達は処理して、適当に移動しといた
さっきの二人は致命傷付けてあるから、長くはない
夫人の日記帳は先んじて火にくべてきた
室内は仕込み済み」
個人の部屋も同じように荒らして、燃えやすいよう仕込んできた。と報告を受けた私は、頷いて周囲を見渡した。
「そろそろ外から火が見える頃か…? 犯人役を一人こっちに連れてくるよう伝えてくれ」
「そっちはもう来るはずだから、俺の拘束頼む、控え室閉めるのは自分でやる」
「自分で拘束できるだろ?」
「素人の結び方は無理、ほれ頼む」
先ほど長女を拘束したのと同じ結びになるように、ロアンの腕を拘束する。
じゃ、また後で、と軽い足取りでロディは控え室に入って行った。
その後、運ばれてきた犯人役を始末、追加の火を放って退去し、当日の私の業務は終了した。
***
「それで、アドミリア嬢はどうするの?」
「本人に確認した所、花に携わる仕事がしたいとの事でしたので、新しい名前を与えて庭師の養子にするのが妥当かと思います」
「縁戚の子爵家で働く寡夫?」
「そうです、幼子がいるので、遊び相手兼ねて庭の仕事を手伝えるくらいから始めれば良いのではないかと」
カーフレジュ伯爵家の葬儀が終わった翌日、朝食での会話である。
少し思案するように言葉を止めた母は、私を見て確認をした。
「ちゃんと三人に伝えて、相性を見てから最終決定をするのよね?」
「さん…? 庭師とアドミリア嬢には確認しましたが」
「お子さんにもちゃんと確認しときなさい、勘違いしてツラい想いをしないように、正しく話をする事」
「………はい」
三人で顔合わせする日程の調整と、先に庭師のお子さんに説明する時間をもらえるようにお願いしますの旨を記載した手紙を子爵家に届けるように依頼する。
そこにロアンが顔を出した。カーフレジュ伯爵家で別れてから五日、故郷に帰ってからこちらに戻って来たにしては早いお帰りだ。
「戻りました~」
「お疲れ、今回の分は追加の報奨を出しておく」
「ありがたきしあわせ~、いやあでも助かりましたよ、面倒な処理をしなくて済んで」
婚姻式直前までかかずらっていた案件でやりあった、同業者達の話だ。人間の処理は結構めんどくさい、人数が多ければ尚の事。
大体の情報は引き出し終えていたから、犯人役を担ってもらった。
本人達はこれで逃げられるとでも思ったんだろうが、まあその辺は色々と根回ししてあったので、予定通り絞首刑は終了。
犯罪者として処理されるのは間違ってないので問題はない。
簡単な報告だけしてロアンは戻って行った。
これで、あとはアドミリア嬢の身の振り方が決まれば、今回の件は終了だ。
私の婚姻は無効にはならないが、悲しい出来事が重なって寡夫になったと言う建前ができるので、暫く婚約・婚姻を避けるのも楽になろうと言うもの。
そうこうしている間に、弟か妹ができるだろう。尚、今日も父は朝食の場には来ていない。父には頑張って欲しいが、母はそろそろ落ち着いて欲しい。
「エイシャル、貴方は恋愛に興味ないのかしら?」
「唐突ですね…でもまあ、そうですね、興味ないです」
「異性とか同性に関わらず?」
「ないですね…学生だった頃にその手の話を振られた事もありますが、他人の体験談聞いても全く意味がわからなかったですしね…」
グッとくる、とか、ドキっとする、とかもわからなければ、ムラムラするとかもわからなかった。
どっか欠陥あるんじゃねーの? と揶揄われた事もあるが、余計なお世話だと言って今後のお付き合いを断らせてもらった。家ごと。
と言っても、表の家業で作っている葡萄酒の入手がし辛くなるくらいだから、失言の対応としては妥当だったと思っている。
「色街でも遊んだりはしなかったと聞いたけど」
「そうですね、訓練を受けているので行為自体はできますけど、自分からしたいと思った事はないですね」
「なるほどね…」
食後のお茶を嗜みながら、母がゆっくりと頷く。
次の婚姻の話とかが持ち上がっているんだろうか? でもその場合、父から話が来る気がする。
「では、ちゃんとそのようにエルに伝えておきなさい」
「…へ?」
「間の抜けた声を出さないの、エルは貴方が『人並に』恋愛とか性愛とかの感情を持ち合わせてると思い込んでいるのもあって、貴方の婚姻相手を必死で探していたのよ、求めてないと理解すれば無理矢理婚姻の話を進めたりはしないわ」
「えーと、いや……まず、母上は私が恋愛や性愛に興味なくてもおかしいとは思わないんですか?」
あまり他者から真面目に取られた事のない、恋愛や性愛に興味がないと言う話を、さらっと流されて困惑する。
家業の方で関わる人間に、その方が楽では? くらいの反応をされたのが一番好意的だった…が、確かに父とか母にこの手の話はした事がなかったな……できなくない?
「…あら、ごめんなさい、私ったら貴方達に話すのを忘れていたわね?」
「え、何を」
「ナーヴィウスの家にはね、他者に恋愛や性愛を抱かない人間が産まれやすいみたいなの、血筋とかではないと思うのだけど……あまり困ってないから研究も進んでいなくてね」
まあ、興味がなくても適切な刺激を与えれば行為はできるから…。
「とは言え、嫌がる者もいたから、別に無理に婚姻等をさせる必要はないでしょうと言う事になっているの、我が家は」
「貴族にあるまじき事では?」
「それが許されるくらいにはまあ、アレな家ですから」
ほほ…と上品に笑う母が怖い。
「そんなわけだから、貴方がそうならば婚姻とかしなくても良いのよ」
「父はそれで納得すると思いますか?」
「エルは理解はしてくれないかも知れないけど、許容はしてくれるから大丈夫よ」
わからないけど、わかった…と砂を噛むような顔をする父が容易に想像できてしまい、額を押さえてしまう。
「まあ、一度伝えておきます」
「そうしなさい」
その後の話を少しだけ。
アドミリア嬢は、庭師父娘と意気投合し、今は仲良く三人で暮らしている。時々新しい名前で手紙が届く。運んでくるのはロディかロアンだが。
母は懐妊した。最近安定期に入ったらしく、父が色んな意味でほっとしている。
私が婚姻とかしたくないですと話して、理由を伝えた所、やはり砂を噛むような顔をしていた。
けれど、もうちょっと早く言っておいてくれたら婚姻相手なんか探さなかったのに、と言われたのに対しては、親にそういう話を軽々しくできるか? と詰め寄ってしまい、母に怒られた。
家業はどっちも安定しているので、私はこのまま家業を担当し、その内産まれるであろう次子に公爵家を任せるつもりでいる。
なべて世は事もなし、である。
入りきらなかった分のメモを置いておきます…読まなくても問題ないです。
・アドミリア嬢にコナかけてた庭師は、成人した彼女を女衒に売り飛ばすつもりだった。
・カーフレジュ家、前伯爵の死は未必の故意。夫人の死は消極的な自殺。
・ナーヴィウス家で次に産まれるのは男女の双子。




