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第1話 善意の終焉と死の森への追放

王宮の中央に位置するグランドホールは、今宵も絢爛豪華な光と音に包まれていた。

天井から吊るされた巨大なクリスタルのシャンデリアが、無数の星屑を散りばめたように眩い光を放ち、磨き上げられた大理石の床を黄金色に染め上げている。

壁際では王宮専属の楽団が優雅なワルツを奏で、色とりどりのシルクやベルベットのドレスに身を包んだ貴族たちが、シャンパングラスを片手に華やかな談笑に花を咲かせていた。

しかし、その眩い光の中心から遠く離れたホールの片隅で、私、セレナ・ヴァン・アシュクロフトは、まるでこの空間に存在してはならない異物のように息を潜めていた。


「ねえ、見た? アシュクロフト伯爵家の長女よ。今日もあんな古臭いドレスを着て」

「色褪せた安物の生地に、宝石の装飾ひとつないわ。王太子殿下の婚約者だというのに、恥ずかしくないのかしら」

「何でも、生まれつき魔力がまったくない『魔力ゼロの無能』らしいですわよ。どうしてあのような出来損ないが殿下の隣に立つことを許されているのか……」

「お可哀想な殿下。きっと政治的なしがらみで我慢しておられるのよ」


扇子の陰から投げかけられる嘲笑と、冷ややかな視線。ヒソヒソと交わされる悪意に満ちた囁き声は、管弦楽の調べを突き抜けて私の耳に真っ直ぐに届いていた。

これが、私の日常だった。

アシュクロフト伯爵家の長女として生まれながら、公式な魔力測定で「魔力ゼロ」と判定された私は、幼い頃から無能の烙印を押され、家族からも社交界からも蔑まれて生きてきた。

着ているドレスは数年前に仕立てられたもののお下がりで、装飾のレースはほつれかけている。本来であれば、第一王子の婚約者として王家から支給されるはずのドレス代や装飾品は、すべて実家であるアシュクロフト伯爵家の人間たち――父や継母、そして異母妹の遊興費として着服されていた。


それでも、私は耐えてきた。

どれほど虐げられようと、どれほど冷たい言葉を浴びせられようと、ただひたすらに耐え忍んできたのだ。

なぜなら、私には隠さなければならない「真実」があったからだ。

魔力ゼロというのは、まったくの嘘である。私の体内には、この世界を創り出したとされる神級の「起源魔法」が眠っており、その絶大な力は今この瞬間も、王国の全土を覆い、魔物の侵入を防ぐ「大結界」を維持するために消費され続けていた。

私が幼い頃、父である伯爵はその異常な魔力量に目をつけ、私の背中に特殊な魔力搾取の呪縛を刻み込んだ。その呪縛を通して私の魔力は吸い上げられ、伯爵家が管理する国の魔力タンクへと送られている。伯爵家は「自家の魔力で国を支えている」と偽り、王家から莫大な援助金を騙し取っていたのだ。


結界の維持には想像を絶する苦痛が伴う。毎日、全身の血が沸騰するような痛みに耐え、時に血を吐きながらも、私はこの国の民を守るために魔力を注ぎ続けてきた。

婚約者である第一王子レオンハルトに対しても同じだ。見栄っ張りで執務を嫌う彼の代わりに、夜な夜な王宮の書類仕事を片付け、彼が評価されるように政策の立案まで陰で手伝ってきた。

いつか、私のこの自己犠牲と献身が報われる日が来る。彼が王になれば、きっと私を正妃として迎え入れ、共に国を支えていけると、そう信じて疑わなかったからだ。


「――レオンハルト第一王子殿下、ならびにマリアベル男爵令嬢の入場です!」


華やかなファンファーレが鳴り響き、ホールの巨大な両開き扉が開け放たれた。

音楽がピタリと止み、貴族たちの視線が一斉に入り口へと注がれる。

そこには、金髪碧眼の美しい青年――私の婚約者であるレオンハルト王子が立っていた。しかし、彼の腕に絡みついているのは私ではない。

桜色のふわりとした髪を持ち、庇護欲をそそるような甘い顔立ちをした少女、マリアベル男爵令嬢だった。彼女はレオンハルトの腕に豊満な胸を押し当て、まるで自分がこの国の王妃であるかのような優越感に満ちた笑みを浮かべている。


二人が赤い絨毯の上をゆっくりと歩みを進めると、貴族たちが道を空ける。

レオンハルトの足取りは迷うことなく、ホールの隅で立ち尽くす私の前へと真っ直ぐに向かってきた。

彼の瞳には、かつて私に向けられていたはずの穏やかな光はなく、見下すような冷たい侮蔑と、底知れぬ嫌悪だけが渦巻いていた。


「セレナ・ヴァン・アシュクロフト!」


静まり返ったホールに、レオンハルトの怒声が響き渡った。

ビクリと肩を震わせる私を睨みつけ、彼はマリアベルの肩を抱き寄せながら、ホール中の貴族たちに聞こえるように高らかに宣言した。


「貴様のような醜く邪悪な女は、次期王妃にふさわしくない! 今この瞬間をもって、貴様との婚約を破棄する!」


あまりにも唐突な言葉に、私は自分の耳を疑った。

思考が停止し、息が詰まる。婚約破棄? 邪悪な女?

彼がいったい何を言っているのか、まったく理解できなかった。


「れ、レオンハルト殿下……? いったい、何を……」

「白々しい真似をするな、この毒婦め! 貴様がマリアベルに対して行ってきた数々の悪逆非道な振る舞い、すべて調べはついているのだ!」

「悪逆非道……? 私が、マリアベル様に……?」


困惑する私を余所に、マリアベルがレオンハルトの胸に顔を埋め、わざとらしく肩を震わせて泣き始めた。


「ひぐっ……怖かったです、殿下……。セレナ様は、私が殿下と親しくお話ししているのを見ただけで、私を王宮の階段から突き落とそうとしました……。それに、私のお気に入りのドレスを鋏でズタズタに切り裂き、昨日のお茶会では、私のティーカップに毒まで入れようとしたのです……っ!」


涙声で語られるマリアベルの言葉に、ホール中から息を呑む音と、私に対する激しい非難のざわめきが沸き起こった。

嘘だ。すべてが嘘八百だった。

階段から落ちそうになった彼女を助けようと手を伸ばしたのは私だし、ドレスが破れたと泣きついてきた彼女の服を修繕してあげたのも私だ。お茶会に至っては、私は王宮の地下書庫でレオンハルトの書類仕事を徹夜で片付けていたため、出席すらしていない。

完璧なアリバイがある。調べればすぐにわかる嘘だ。


「殿下、誤解です! 私は決してそのようなことは……! 昨日のお茶会の時間は、私は殿下から頼まれた北部の治水工事の予算案を作成しておりました! 図書館の出入り記録を見れば……!」

「黙れ! まだ言い逃れをする気か!」


私の悲痛な叫びを、レオンハルトの冷酷な怒声が切り裂いた。


「貴様のような魔力ゼロの無能に、治水工事の予算案など作れるはずがないだろう! 私の手柄を自分のものだと騙る気か、この厚顔無恥な女め! 嫉妬に狂い、真の聖女であるマリアベルを害そうとした罪は万死に値する!」


言葉を失った。

彼の手柄? 違う、あれはすべて私が徹夜で考え抜いた政策だ。彼が「面倒だ、お前がやっておけ」と押し付けたものばかりではないか。

それなのに彼は、自分の無能さを隠すために、私の努力をすべて自分の手柄として簒奪し、今こうして私を悪女に仕立て上げようとしている。


「お父様……! お願いです、お父様も何か言ってください! 私がずっと、家のために、そして殿下のために尽くしてきたことを知っていますよね!?」


私は群衆の中にアシュクロフト伯爵の姿を見つけ、必死に助けを求めた。

しかし、前に進み出てきた父の顔には、娘を心配するような色は微塵もなかった。あるのは、冷酷な打算と、厄介者を切り捨てる歓喜の色だけだった。


「殿下のおっしゃる通りです。この出来損ないは、我がアシュクロフト家の恥。とうの昔に愛想を尽かしておりました」


父は冷ややかな目で私を見下ろし、持っていたグラスを優雅に傾けた。


「魔力ゼロの役立たずのくせに、殿下の威光を笠に着て傲慢に振る舞うなど、到底許されることではありません。我が家はすでに、この愚娘との絶縁状を用意しております。どうか殿下、王家の名において、この罪人に厳罰をお与えください」

「お父、様……?」


継母が扇子で口元を隠しながらクスクスと笑い、異母妹が勝ち誇ったように私を指差した。


「お姉様、最低ですわ! マリアベル様のような心優しいお方に嫉妬して毒を盛るなんて。もうアシュクロフトの人間だと名乗らないでくださいな!」

「あぁ、これでようやく我が家の空気が浄化されますわ」


足元からガラガラと、私の立っていた世界が崩れ去っていく音がした。

家族にとって、私はただの魔力供給源であり、金づるでしかなかったのだ。王子の婚約者という地位を利用するだけ利用し、マリアベルという新たな権力者が現れた途端、後難を恐れて私を躊躇なく切り捨てた。魔力は呪縛によって自動的に吸い上げられるため、私がどこで野垂れ死のうが、彼らにとっては都合がいいのだろう。


周囲の貴族たちも、伯爵の言葉に同調し、口々に私を罵り始めた。

「死刑にしろ!」「魔女め!」「王国の癌だ!」

四面楚歌。誰一人として、私を信じる者はいない。


私は最後の力を振り絞り、震える足で立ち上がった。


「……お待ちください。私を追放するというのなら、それでも構いません。ですが、どうか結界のことだけは信じてください! 私がいなくなれば、この国の結界はどうなるのですか! 私は毎日、命を削って……!」

「はっはっはっ! 傑作だな!」


レオンハルトが腹を抱えて大爆笑した。


「魔力ゼロの無能が、この大結界を維持しているだと!? 狂人の戯言もそこまで行くと哀れだな! いいか、よく聞け! この国を守護する結界は、真の聖女であるマリアベルが維持することになるのだ!」


レオンハルトの言葉に合わせ、マリアベルが前に出た。彼女が両手を胸の前で組むと、指先からキラキラとした薄ピンク色の光の粉が舞い散った。


「まぁ! なんて美しい光……」

「心が洗われるようだ。これぞ真の聖女の力……!」


貴族たちが感嘆の声を上げる。

私からすれば、あんなものは児戯にも等しい初歩的な光魔法だ。しかも、その光には微弱な「魅了魔法」が混じっており、周囲の者たちの判断力を鈍らせている。あんな薄っぺらい魔力で、国全体を覆う大結界が維持できるはずがない。魔物の群れが押し寄せれば、一瞬で破られてしまう。


「騙されないでください! そのような魔力では、国は……!」

「ええい、黙れ! 衛兵、この狂女を捕らえろ!」


レオンハルトの号令と共に、完全武装した近衛兵たちが数名、私に飛びかかってきた。


「きゃあっ!」


乱暴に腕を掴まれ、冷たい大理石の床に引き倒される。抵抗する間もなく両手を背中に回され、硬い金属の手錠がかけられた。

その拍子に、私の着ていた古いドレスの肩紐が乱暴に引きちぎられ、白い肌が露わになる。周囲からは嘲笑の口笛や、卑しい笑い声が聞こえた。


「判決を下す! 大罪人セレナ・ヴァン・アシュクロフトを、王家に対する反逆ならびに聖女暗殺未遂の罪により、魔物が跋扈する極寒の地『死の森』への永久追放とする! 今すぐ転移魔法陣を起動しろ!」


死の森。

それは、王国の最北端に位置する、凶悪な魔物だけが棲む絶対零度の地。あそこに転移させられれば、魔力を持たない人間はものの数分で凍死するか、魔物の餌食となる。事実上の死刑宣告だった。


床に這いつくばらされた私の目の前に、青白い光を放つ転移魔法陣が展開される。

衛兵たちが私を抱え上げ、無理やりその魔法陣の中心へと放り投げた。

冷たい石の床に顔を打ちつけ、口の中に血の味が広がる。


視線を上げると、私を見下ろす者たちの顔が見えた。

レオンハルトは、醜いゴミを排除したとばかりに、歪んだ優越感に浸りきっている。

マリアベルは、ハンカチで顔を覆うふりをしながら、その隙間から私に向かって舌を出し、悪意に満ちた嗤い顔を見せていた。

父や継母、妹は、厄介払いできたことに安堵し、ワイングラスを掲げて乾杯の真似事すらしている。


「……あぁ」


魔法陣の光が強まり、私の視界を白く染めていく中で、私の中で何かが決定的に壊れる音がした。

長年、血を吐くような思いで尽くしてきた「善意」。

理不尽に耐え忍んできた「忍耐」。

家族や婚約者に抱いていた、ほんのわずかな「愛情」。

すべてが、冷酷な裏切りによって粉々に砕け散った。


どうして、私はこんな奴らのために命を削っていたのだろう。

どうして、こんなクズどものために、自分の人生を犠牲にしてきたのだろう。


眩い光が私を飲み込み、視界が完全に閉ざされた瞬間、空間が歪むすさまじい吐き気と共に、私は王宮から消え去った。


次に目を開けたとき、私の頬を叩いたのは、皮膚を切り裂くような氷点下の吹雪だった。


「……っ!」


凍てつく風が、破れたドレスの隙間から容赦なく体温を奪っていく。

周囲を見渡せば、枯れ木が不気味にそびえ立つ暗黒の森。雪に覆われた大地には、無数の赤黒い目玉が不気味に光り、飢えた獣の唸り声が四方八方から聞こえてくる。

ここが、死の森。


指先はすでに感覚を失い、呼吸をするたびに肺が凍りつくように痛い。

間違いなく、私はここで死ぬのだ。

だが、不思議なことに、私の目から涙は一滴もこぼれなかった。

悲しみも、絶望すらも、すでにどこかへ消え去っていた。


代わりに私の心の奥底に灯ったのは、決して消えることのない、静かで、冷たく、そして狂気的なまでに暗い「怒り」の炎だった。


私を裏切ったレオンハルト。

私を陥れたマリアベル。

私を搾取し続けた家族。

そして、私の献身を嘲笑ったすべての者たち。


もし、万が一、私に明日が来るのなら。

もし、この地獄から這い上がることができるのなら。


「絶対に、許さない」


凍りついた唇から紡がれたその声は、吹雪にかき消されることなく、死の森の闇の奥深くへと響き渡った。

私はもう、誰かのために泣くようなお人好しな聖女ではない。

善意は今日、この冷たい雪の中で完全に死んだのだ。


ただ徹底的に、一切の慈悲を与えず、あの者たちを絶望のどん底へと叩き落とす。

その誓いだけが、凍える私の体を支える唯一の熱となっていた。

魔物たちの咆哮が間近に迫る中、私は静かに目を閉じ、自らの運命を受け入れようとした――その時だった。


私を縛り付けていた実家の『魔力搾取の呪縛』が、私の生命力の危機に呼応するかのように、ピキリ、と音を立てて亀裂を生じさせたのは。

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