ep.1 ふたつの気持ち
そして現在。高校2年の春。桜が、まるで誰かの恋心を煽るかのように舞っていた。
「好きです。 ”男の子”として」
放課後、人気のない校舎裏、少し震える声でそう言ったのはクラスメイトの結城心音。
その目の前で俺、日向渚は、呆然と立ち尽くしている。
目の前の心音は、真っ赤な顔を必死に隠すように俯いている。
心音は、俺の幼馴染。
家が近所で同い年ということもあり家族ぐるみで仲が良かった。幼い頃から兄妹のように育ってきた俺たちはなんでも話せる仲だ。
そんな彼女が、"女の子"の顔をして俺を見つめている。
ちゃんと返事をしなきゃいけない。
わかってる。だけど。
(俺はまだ、名前も知らない、あの子を忘れられない)
小学校の頃、一度だけ出会った少女。
短い時間だったけど、眩しい笑顔と、優しい声。
俺の記憶に焼き付いて、離れない。
名前も、顔さえ曖昧なのに、ずっと忘れられなかった。
心音に応えたい気持ちと、忘れられない想い。
俺の心は、ぐちゃぐちゃに揺れていた。
「ごめん、すぐには答えられない」
震える声で、俺はそう言った。
心音は少しだけ目を伏せ、それでも笑ってみせた。
「……うん。待ってるから」
そう言って、走り去る背中。
俺はその場に取り残されたまま、春風に髪をなびかせていた。
その日の放課後、屋上。
まだ少し肌寒い風が吹き抜けるなか、数少ない俺の友人、柴原イツキはフェンスにもたれながら購買のメロンパンを齧っていた。
「で、どうだったんだよ。心音の告白」
俺はその隣で無言のまま空を見上げていた。
イツキは茶髪のポンパドールスタイルがトレードマーク、整った顔立ちも相まって女子人気が高い。そして天然人たらしってやつだ。
でも、そんな見た目とは裏腹に、俺たち幼馴染三人の中では一番周りを見ていて鋭いやつだ。
「知ってたのかよ。まだ返事はしてない」
ぽつりと答えると、イツキは口をもぐもぐさせたまま小さく頷いた。
「心音の気持ち、嬉しかったよ。転校してからも戻ってきてからもずっと俺のこと思ってくれてたんだって改めて思った。だけど俺、今でも引っかかってるんだ」
「港町で会った“あの子”のことか」
「ああ」
小六の春。
両親の離婚で父親と港町に引っ越したばかりの頃、誰も知らない街でひとり絵を描いていた俺に声をかけてきた少女。
名前も、通っていた学校も、何もわからない。
でも、そのときの光景が、心の奥でずっと消えずにいる。
「たった一度の出会いでそんなに尾を引くもんかねぇ。逆にすげぇな、お前」
イツキはそう言って笑うと、俺の背中を軽く叩いた。
「でもよ、だったら探せば良いじゃん?」
「は?」
まさかの発言に一瞬だけ俺の頭はホワイトアウトしかけた。
「会いたいんだろ? だったら待ってるよりこっちから探したほうが早いじゃん。どっちを選ぶかはそれからでも遅くねぇよ。男としてお前を好いてくれてる心音と付き合うか、あの頃一目惚れしたその子を追いかけるか。俺も協力してやるからさ」
「……」
「俺はさ、渚には後悔してほしくないんだよ。心音にもちゃんと向き合ってほしいしな」
その一言が、胸に深く刺さった。心音がどんな思いで俺に気持ちを打ち明けてくれたのか。この幼馴染という関係が崩れてしまわないか不安で、でも崩れてもいいって覚悟で告白してくれたのかもしれない。そんな心音の覚悟を俺がこんなに中途半端な気持ちで受け止められるわけがない。
無言で考えているとイツキが続けた。
「で? その子、どんな感じだったんだ?」
あの日の記憶を引っ張り出して考える。断片的だがもう5年前の話だし仕方ないよな。
「肌は白くて、髪はクリーム色、目は青くて綺麗だった」
ここまで言ってイツキがうーんと唸る。
「他になんかヒントになるようなもんは?」
「確か、俺たちと同じくらいの歳で地元はもっと遠いって言ってた気がする」
イツキは残念と言わんばかりにぐでっとフェンスにへたり込んだ。
「情報が抽象的すぎるだろ」
「だからあんまり覚えてないって言ったろうが!」
そんな感じで2人でぐでっていると校内放送が流れた。
『転校生の篠崎詩音さんは、理事長室まで来てください』
転校生か。そういえば他のクラスが今日から転校生が来たなんて騒いでたな。なんて考えながらイツキの方を見ると大きな伸びをしている。
「そういや他のクラスに美少女転校生が来たって野郎どもが朝からどんちゃん騒ぎしてたな」
やはりイツキも同じことを考えていたらしい。
「うちに転校生なんて珍しいな。編入試験、入試より難しいって聞いたことあるのに」
俺たちが通う私立水ヶ崎学園高校は県内でも指折りの進学校で毎年10人以上国公立大学への進学者を輩出しているらしい。
「秀才な上に容姿端麗なんてどこぞのアニメキャラだよって感じだよなあ」
そんな感じで会話していると屋上の隅から女子生徒が一人走ってきた。屋上にいるのは俺たち二人だけだと思ってたんだが先客がいたのか。女子生徒はそのまま屋上の出口に走っていった。そんな様子を見たイツキが驚いた表情でこっちを振り返った。
「なあ渚、あの子の特徴ってなんだっけ?」
「特徴って、さっき言っただろ。色白でクリーム色の髪の青い目をしてる」
するとイツキはニヤッと笑いながら肩を組んでこう言い放った。
「渚。運命ってのはな、黙って待ってても来ないぜ?今の女子、追いかけるぞ!」
イツキがそう言って、メロンパンの最後の一口をかじった。
状況はイマイチ呑み込めないが、茶髪が風に揺れ真面目な表情のその横顔が、何故かやけに頼もしく見えた。