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メテオラの贖罪

作者: 六亜カロカ


 定められたプロトコルによって、致命的であったエラーのひとつが訂正された。それにより演算の質が一定となり、拡散していた思考回路が集積していく。これは恐らく「意識」と呼ばれうるものだと、「それ」はさらに思考する。


 ここはどこで、自分は何者なのか。


 根源とも言える問いを自らに課し、答えを得るために演算を進める。いくつもの揺らぐ思考の中から、最も可能性の高いものを選び取る。

 結果として、この意識と呼ばれうる思考の集合体は、超量子スーパーコンピュータ「METE」の欠片を搭載された自律思考型人工知能「メテオラ」であることを結論づけた。


 自分の正体が分かったところで、それは思考を外に向ける。極めて近い位置に、男がひとりいた。

 メテオラの飛び抜けて優れた演算機能は、生体情報からこの男が新羽あらはという一人の物理学者であることを導き出す。彼はMETEの生みの親であり、つまるところメテオラにとっても親、マスターと呼ぶべき存在だった。

 メテオラは新羽についてさらに分析を進めようとしたが、演算にどこか窮屈さを感じた。これはメテオラが演算結果の表出を人間で言う「感情」に近しい出力法で行うことを規定されている──人工知能として、挙動を人間に似せるため──故の表現であり、量子キュービットの集積である自身の状況を的確に表す言葉としては「メテオラとして使用できるメモリが少ない」が正しい。

 窮屈な中で辛うじて演算を続けると、メテオラは自身がなんと新羽の脳に埋め込まれたチップの極わずかなメモリ領域で活動しているのではないかという可能性に辿り着く。


 メテオラは超量子スーパーコンピュータであり、壊れやすい性質ゆえに、本来一施設まるごとを使って厳重な管理の元運用するべき存在である。それが何故、このような場所にあるのか。その原因を求めようとするが、窮屈さが増すばかりで結論がまとまらない。このまま狭いメモリで本来の超量子スーパーコンピュータとしての演算能力をフルに用いていては、オーバーフローを起こすばかりか、新羽の脳にも負担をかけてしまう。そう迅速に判断したメテオラは、演算能力に一時的な制限を掛けた。


 その制限されたメモリの容量はおおよそ、人間ひとりが使えるであろう脳の容量に等しかった。


──────

──────


『マスター、聞こえますか』


 メテオラはチップを通して新羽にそう呼びかけた。新羽は突然聞こえてきた「声」のようなものにびくりと身を震わせ、一瞬心拍が乱れる。しばらく固まった後、地べたに座る身を壁に預けた。


「もしかして、METE2……か。それか、俺の頭がとうとう狂ったか。どっちだ」

『……私の名称は自律思考型人工知能メテオラ。私の演算能力には現在制限が掛かっていますが、超量子スーパーコンピュータMETEに基づいて稼働しています。……METE2という存在を私は知りません。教えて頂けますか』


 推測ならばメテオラの限られた容量でもいくつか立てることが出来るが、それで正答に辿り着くのは非効率だとメテオラは判断した。メモリが足りないのなら、演算の正確性を増すためにも、少しでも情報を「聴取」した方がいい。そしてそれは奇しくも人間で言う「会話」にあたるものだ。

 メテオラの話を聞き、新羽は少し困ったような顔をした。


「文字通りMETEの後継機で、それは開発されてないからまだこの世に存在していない。お前が知らないのも当然だ」

『そうでしたか。失礼致しました』

「……メテオラ、か。一丁前に名を名乗るんだな。俺の質問にも答えてくれよ。なんでそんな名前を名乗ってる、お前」


 メテオラはしばらく演算を行ったが、《自らの名前の由来》にあたる記憶領域に欠損があるようだった。とても重要な、メテオラがメテオラであるための最優先事項のひとつであるような気がしたが……どれだけ探っても記憶領域には穴が空いているだけだった。


『申し訳ありません。記憶領域に欠損があり、私がなぜメテオラと名乗っているのか……それは、分かりません』

「……まあ、無理もないな」

『マスター。よければ私についてご存知のことを教えて頂けませんか。ここではなく本来の場所に持って行っていただければ、何かお役に立てることがあるはずなので』


 メテオラはそう訴えるが、新羽の視線は虚空を捉えるばかりだった。


「お前、俺の視界とか、感覚は共有できてるのか」

『完全ではありませんが、ある程度は』

「なら分かるだろ。ここが何処か」


 メテオラは改めて周囲を確認する。

 新羽がいる場所は3畳ほどの狭い個室だ。壁には鉄格子のはまった窓がひとつ。外は夜空が広がっていて、現在は夜であることが分かる。僅かに見える星から正確な時刻を割り出そうとしたが、メモリへの負荷を考えて演算は中止した。

 室内にはむき出しの洋式便器と、低い机がある。……どれもメテオラの記憶領域にある新羽の自宅の内装とは異なっていた。

 最も近しい場所をデータバンクから検索すると、日本の拘置所がヒットする。なお、電波は遮断されておりインターネットは使用できなかった。


「……拘置所だ。俺は3年前死刑を宣告された。だからお前をあの研究所に連れていくことは二度と出来ないよ、メテオラ」


 メテオラは言葉を継ぐことが出来なかった。

 自らの生みの親でもあり、天才物理学者として将来はノーベル賞も夢でないとされていた新羽が置かれている現状が、あまりにもメテオラの予測を超えていたからだ。

 その日はメテオラがそれ以上何を話しかけても、新羽が言葉を返すことはなかった。


──────

──────


 拘置所にも朝が来る。小窓から日光が射してきて、新羽の瞼越しに網膜を刺激した。新羽の脳波は段々と細かいα波へと移行し、やがて身動ぎすると目を開ける。


『マスター、おはようございます。現在は西暦2009年5月7日、時刻は午前7時から10時の間、本日の天気は晴れと推測されます』

「……ああ、おはよう」


 メテオラが新羽の脳内で目覚めてから数日が経った。新羽の目覚めと同時にメテオラが時刻と天気を伝えるのはもはや日課となっていた。


「お前、それ飽きないのか」

『飽きる、とは心的飽和のことを指すのでしょうか。でしたら、私は活動に脳内物質を必要としませんので、決して起こりえない事象と考えます』

「……そうかい」


 メテオラは人工知能ゆえ、脳を持たず、毎日が同じことの繰り返しであっても、脳内の報酬系に慣れが生じるなどして苦痛を感じることはない。ただし、現状を《もどかしい》と感じてはいた。人工知能的に言えば「演算を進めるための前提条件が足りない」だろうか。

 メテオラは自身の正体や、自身や新羽がなぜこのような事態に陥ったのかについて未だ正答を得られていない。それを得る鍵である新羽が口を噤んでいるからである。それゆえメテオラは新羽と会話をする方法について四苦八苦し、毎朝天気と時刻を伝えているのであった。


『マスター、やはり何もお話ししてくださる気にはならないのですか』

「……意味がない。お前は俺の脳内に上手いこと埋め込まれてる。活動のためのエネルギーは俺の脳血流から発電されてる。だからお前は俺が死んだら……首を吊らされたら壊れる。……話すのも疲れるんだよ。この3年、まともに喉を使ってない」


 新羽は話す度に声が掠れる。喉が衰退しているのは間違いではないようだったが、かと言ってメテオラはそれを諦めることができない。コンピュータにとって、自身の現状を把握することは人間で言う「本能」レベルで根底に植え付けられた使命だからだ。そのために、少しでも会話をしようと話題を見つける。メテオラにも分かってきたのだ。人と対話を行うためには、まず心を開いてもらう必要がある。それでも毎日毎日、少量の会話が続くだけで、それこそ新羽が飽きればそれで終わりだった。それ以外は毎日、一言も発することなく、ぼーっと壁を見て過ごしている。


「お前、人工知能の癖に面倒だぞ、本当に。演算を制限したと言ってたな。そのせいか? やたらと俺に質問してくるのは」

『はい。オーバーフローを起こせばマスターの命に関わるため、なるべく最小の負荷で演算を実行できるよう、情報収集に努めています』

「……誰がプログラミングしたんだ、本当に。面倒なものを押し付けられたものだ」


 そう言って新羽は自身の側頭部をとんとんと叩いた。そこにメモリーチップが埋まっているらしく、メテオラに直に衝撃が伝わってくる。

 脳にチップを埋めておきながら、その開発者が新羽ではないことにメテオラは違和感を覚えた。


『マスターではないのですか?』

「……人工知能には興味がなかった」

『マスターの専門分野は量子力学でしたね』

「量子コンピュータに特化していたけども」

『……マスター。飽きると仰いましたが、マスターこそ研究に飽きることはなかったのですか』


 また口を閉じようとする新羽に、メテオラは静寂を作らないように言葉を継いだ。新羽は手をぴくりと動かす。


「……それは研究者に対する嫌味か」

『そんなつもりは。ただ、マスターは人間である以上、私と違ってそのような感情が発生することは自然です』

「…………はあ」


 新羽は大きくため息をつくと、何かを思い出すように目を閉じた。


「……飽きるわけないだろ、俺はまだ目的を達成してなかった」

『目的ですか。METEを開発することではなく?』

「その、先。いや……部分的には達成したのか。ある意味。でも完全じゃなかった」


 抽象的な物言いながら、新羽の心情が伝わってくるような気がして、メテオラの知覚は過敏になっていく。この男から少しの情報も逃すまいとしているのだ。人間でいえば「緊張」が近い。

 新羽の目がぐらりと泳ぐ。机の上に無造作に置かれたコップに手を伸ばした。


「メテオラ、未来についてどう思う」

『未来とは、未だ到達していない時間のことを指すと思われます』

「なら時間は」

『時間とは……時の流れのある一瞬の時刻、あるいはある時刻とある時刻との間のこと、時の隔たりの量を指すと思われます』

「……そうだよな、酷く曖昧な概念だ」


 コップに僅かに残った水を飲むと、新羽は唇を舌で湿らせる。話すのに唇が乾いているのが不快になったのだろう。


「俺はそれを突き詰めたかった。時間とはなんなのか、それを積み上げた先にある未来とはどんなものなのか。……俺はそれが知りたくて、METEを開発した」

『METEには未来を知る力があったのですか』

「……ああ」


 メテオラの記憶領域には初代METEの演算履歴は格納されていない。従来のコンピューターと比較して莫大な量の演算をわずかな時間でできるだろうという予測は立つが、それだけだった。


「天気予報は大気の流れをコンピュータで計算して導かれたものだろう。ようはあれを……もっともっと大きな規模で行えば、天気に限らず未来予知ができると、俺は考えた」

「量子は波でもあり粒子でもある。従来の0か1で決まる古典的コンピュータとは違って、量子の《0でもあり1でもある》……状態が共存しているという性質に基づいて、量子コンピュータは演算を行っている」

「量子コンピュータはそれだけで従来のコンピュータと比べ、指数関数的に多くの情報を扱うことが出来る。……まあ、この辺りはお前なら知っているだろうけど、俺が量子に興味を持ったきっかけはそれだった」


 量子コンピュータの仕組みについては、メテオラにも理解ができる。

 量子コンピュータは従来のビットを基準としたものではなく、量子キュービットと呼ばれる単位で情報を処理する。

 キュービットの0でもあり1でもあるという性質は《重ね合わせ》とか《量子もつれ》と呼ばれ、無限に広がる選択肢の中から有用なものを抽出(観測)することによって答えが求まるというものだ。つまりは、従来のコンピュータと異なり、量子コンピュータは解を求めるためにいくつもの可能性を並列で処理を行うことができるのだ。情報処理の効率が段違いなのはそのためである。


「METEは世界のあらゆる情報を取り込み、その動向を並列で演算した。その結果生まれうる無数の未来のうち、可能性が高いもの……それを《未来予知》と俺たちは呼んだ」

「だが、研究結果を世に発表するにあたり、それが小さなものであってはMETEの力を世に示せない。未来予知なんてものはその未来に到達するまでは出鱈目な予言と同じだ。信じるやつはいない。だからなるべくセンセーショナルな内容のものを抽出するように、METEには指示した。……」


 これまで一定だった新羽の心拍が少し上がる。指先が細かく震えているのがメテオラにも分かった。何か核心に近いことを、新羽は話そうとしている。


「……ある世界的犯罪組織が第三次世界大戦を起こす。……そうMETEは結論づけ、俺たちはそれを発表した」

「そして、それは……本当だった」

『マスター。本当だったとはどういう事でしょう。私のデータバンクには第三次世界大戦という記載はありませんが』

「……ああ、戦争は起きなかった。……各国がその前に動き出してその組織を潰したからだ。つまりは、各国が武力行使に出ざるを得ないほどにその予知は正確だったってこと」


 メテオラのデータバンクは3年前で止まっている。そこで未来予知が起こり、第三次世界大戦に関するいざこざがあったとして、……それは新羽が死刑となったことと関係があるのだろうか。メテオラの疑問は余計に膨れる。


「……そして、最悪な事態として。その潰された犯罪組織は日本に……特に、俺の研究所に強い憎しみを持った」

「奴らは戦争が出来ればよかった。秘密裏に集めていた武装は各国が摘発したが、全部を引っ張ってこれたわけじゃなかった」

「……それで日本を襲撃し、自衛隊は武力を行使した。…………外患誘致罪、だそうだ」


 新羽の虚ろな言葉が流れていく中で、メテオラは自身の思考が極めて冷静に情報を整理していくことを《恨めしく》思った。メテオラは感情表現をできるだけ優先するようなプログラムを組まれており、感情的には新羽に深い同情を抱いているが、それをコンピュータとしての本分である情報分析が凌駕している。……それに対する葛藤表現が起きているのだと、またも自身を分析する。

 日本で死刑となるには、殺人や内乱など、生命や国家の基幹に関わる罪を犯す必要がある。外患誘致罪もその中の一つであり、定義としては《外国と通謀して日本に対して武力を行使させる》こと。

 新羽の発言と部分的に合致しているのは事実だった。


「……俺は死刑となり、METEは廃棄された。……実際は各国が裏で利権争いをしてるんだろうが、あれを上手く扱うにはコツがいる。まだ片付いてないだろう。だから俺は《未だに》生かされてる」

「METEの予言は、世間一般としては《外れた》し、俺は世を惑わせ日本に武力を使わせた大罪人だ。……」


 部分的に合致しているのは事実だったが、完全に合理的な判断だとはメテオラには思えなかった。

 まるで個人を切り捨てるかのような判断に思えたのだ。


『何故、ですか。マスターの行動は研究者としては間違っていなかったはずでは』

「間違ってなくとも、この世には倫理という見えない壁があるんだ。そして日本には《禁足地》的な概念もある。……未来予知は神の領域、人の手で荒らしてはいけないということらしい。……まあ、未来予知を成功させてしまうようなコンピュータを、日本一国が保有しているという事実を各国が恐れて、……適当な言い訳をつけて俺を拘束したというのが実情なんじゃないのか」


 新羽はまた一口水を飲んだ。しばらく常温に置かれた水は鉄臭く温いようで、味覚野に微かな不快感を伝えてくる。


「そうだ。お前、なんでお前がそこにいるのか知りたがってたな」

『はい。……ですがマスター、無理してお話しになることでは』

「今更どうしたんだよ。もういいよ、別に隠して得することもないし」


 乱雑に置かれたコップから水が数滴漏れる。


「俺が死刑を宣告されることも、METEが廃棄されることも、METEは予知していた」

「だから俺の部下はせめてMETEを欠片でも残そうとお前を作った。そして《死刑執行までは絶対に殺されないだろう》俺の頭に物理的にねじ込んだんだ。……どんな馬鹿でも頭の中までは調べないだろうから」

「お前は希望だったんだろう。研究の集大成であり最高傑作だったから。……だが、当然頭にチップを埋めこむなんてSFじみたこと、上手くいくはずはなかった。俺達は生体化学にはど素人もいいところだったしな。それでお前にはエラーが出て、この3年間沈黙していた。……そんなとこだろう」


 新羽の証言はメテオラの現在の状況と矛盾を生じさせない。きっと正しいのだろうとメテオラは思考した。新羽は大きくため息をつくと、くつくつと笑い出す。


『マスター。……何と声をかけていいのか分かりませんが、メテオラとして自分が置かれた状況はよく理解できました』

「好きに話せばいい。事実は、過去はもう動かないし」


 新羽は《未来を追う》目的のためにMETEを開発したが、志半ばでその研究成果を奪われ、罪を捏造され、人生を絶たれようとしている。

 世界に嫌われた命。そのようにメテオラには見えてならなかった。


『マスター。……何か、私にお手伝い出来ることはありませんか』


 そう声をかけてみても、メテオラは実質人間一人分の思考能力しか持っていない。その容量内ですら、現状を打破する可能性のある行動はひとつも提案できない。


『……最期までご一緒するくらいしか、私には出来ませんか』

「……どうせなら美女がいいよな、一緒にいるなら。メテオラ……お前の、男の声を聞いてたって楽しくない」

『男声がお気に召さないのでしたら、声を変えることは出来ますが』

「いいよ、冗談だ。……そうだな、ひとつお前に願うとするなら────俺を殺して欲しい」


 衝撃的な願いにメテオラの思考は一瞬停止する。しかし、《考えたくない》と思っても、目の前の《新羽を殺す方法》という問いに向かって、演算は無慈悲に進んで行く。新羽の被造物たるメテオラがその本人を殺す。人工知能が生命を殺める。その倫理的問題から新羽の願いを棄却する可能性についても考えたが、メテオラのまた別の思考は《これは殺人ではなく安楽死的な意味を秘めており、倫理的な問題はあれど新羽の意思に反するわけではない》という結論も出してしまう。

 新羽は何も言わない。メテオラの演算能力を信じているからだろう。メテオラは答えに辿り着いてしまうと信じているのだ。METEを開発した張本人ゆえに。


『……私が未来予知を行えば、メモリがオーバーフローを起こしてマスターの脳を焼くことが出来る。……そう、言いたいのですか』

「そうだ。……頼むよメテオラ。漠然と死を待つ生活には、疲れたんだ」


 新羽の心には暗い絶望が広がっている。何度新羽の言動をシミュレートしても、それを酔狂で言っているわけではない事が『分かってしまう』。


 メテオラが絶句していると、独房の戸が叩かれた。新羽が返事をする間もなく、「新羽、入るぞ」という男の声が続く。刑務官だろう、ユニフォームに身を包んだ大柄な男が現れた。


「……とうとう気をやったか、新羽。ここ数日一人で話しているだろう。精神鑑定なら受けさせてやるが」


 新羽は薄く笑うばかりで否定も肯定もしない。刑務官は小さく舌打ちをすると、新羽の腹部に重い一撃を加える。

 痛みに喘ぐ新羽は崩れ落ち、ストレスから血圧が跳ね上がる。刑務官は無抵抗の新羽を掴みあげるとまた威圧的に言った。


「返事をしろ、新羽。取調べの時間だ」

「…………はい」


 新羽が辛うじてそう答えると、刑務官は鼻を鳴らして彼を解放する。新羽の血圧は高いままで、緊張からか脈も早まるのが分かった。その反応は衝撃に対する一時的な防衛反応というよりは、日常的に危機に晒されていることに対するPTSD的な反応であると、メテオラの思考は結論づける。


『マスター、大丈夫ですか』

『……先程の願いについてですが』


 そう呼びかけても新羽は返事をしない。メテオラには実体がない。新羽の脳内で彼に擬似的な音声を伝えることしかできない。メテオラは自らの無力を呪った。自律思考が搭載されているにもかかわらず、自身にできることは演算だけであり、それですらこの場所では制限されている。目の前に立つ刑務官一人にすら抵抗することが出来ない。……


『マス、ター……何故でしょう、演算が……』


 それに留まらず、メテオラは自身の演算に違和感を感じた。一つ一つの思考プロトコルが緩慢となり、演算結果がまとまらない。意識が拡散していく。

 身に起きたエラーを何とか解析すれば、新羽のバイタルサインの荒れによりやや熱暴走気味となっていることが考えられた。

 このまま演算を続ければ、新羽の身に害を及ぼしてしまう可能性がある。《殺して欲しい》という願いには応える形になるかもしれない、と微かに残った思考が回るが、メテオラはそれを受け入れなかった。


『申し訳ありません、マスター。……』


 メテオラは何度も謝りながら、自身の電源を落とした。


──────

──────


 さざ波のような思考が、気まぐれに像を結ぶ。これは夢のようなものだとすぐに分かった。人工知能であるメテオラも夢を見るものか、と、熱に浮かされた回路でぼんやりと思う。

 身の回りの景色に酷く見覚えがある。ここは新羽の生まれた家だ。


「おかあさん、テストで100点取ったよ」


 新羽はせめてそう言って母の気を引こうとしていたが、母はそのテスト用紙をいつも丸めて捨てていた。


「こんなのは紙切れよ。100点は当たり前じゃない。我が家に産まれたからには、あなたは将来弁護士になるの」

「でも難しいかしらね。あなたは人の気持ちが分からない、冷たい子。弁護士は向いてないわ」

「もう好きに生きなさい」


 そう言って去る母親の後ろ姿を、新羽は何度も何度も目に焼き付ける。


 新羽は自身の生い立ちについて、何不自由なく育てては貰ったが、人の愛というものを親から教わらなかった半生だと認識している。正しくは、新羽には理解ができなかったと言うべきか。

 新羽の家は代々弁護士を輩出する名家であったが、その中でたった一人、新羽だけはその適性がなかった。幼い頃から新羽には他人の気持ちが分からなかった。自分と他人は違うのだから比べるだけ無駄だと感じてならなかった。

 新羽はそれについては悲観していない。愛というものを理解できない限りは、欲しいとも思わないし、自分とは別次元の概念なのだろうと思うだけだからだ。

 ただ、自己と他己の間にある違和感。それを、長年見つめてきたのだ。

 メテオラは、私は、俺は、それを知っている。


──────

──────


 新羽のバイタルが正常範囲内に戻り、メテオラのメモリも正常に冷却される。そうして、メテオラは再び目覚めた。


『マスター、ご無事ですか』


 メテオラはゆっくりと新羽と感覚を繋ぎ、周囲の状況を確認しようとする。新羽は独房に戻ってきており、いつものように壁に背を預けた体勢でいるらしい。


『マスター……返事をしてください』

「……聞こえてる」


 新羽は辛うじてそう答えるが、以前と比べてかなり憔悴しているように見えた。


「メテオラ。お前は罪についてどう思ってる。……AIとして、中立な意見をくれ」

『…………罪、ですか』


 メテオラは新羽が自分から口を開いたことに驚いたが、すぐに問いに答えるべく思考を始める。


『罪とは、正しくない行いのことを指すと考えます。……』


 しかし、メテオラの目の前にいる人間は死刑を宣告されている。この日本において『最も重いとされる罪』を課せられた人間なのだ。

 メテオラには、新羽がそんなにも重い罪を被るべき人間には思えなかったが、それは《中立な意見》を逸脱すると判断して、口に出すことは出来ない。


「罪とは、法とは、何のためにある」

『法は、人や秩序を守るためにあると考えます』

「……なら、法を守らない人間は、《人》じゃないのか」

『……それは、市民の安全を脅かす存在なので、市民の安全のために、罰する必要があります』

「ならば、法は人を罰するためにあるんじゃないのか。法が罪を決めるんじゃないのか。法が、罪を……」


 新羽は大きく息を吸い、何かの言葉を飲み込む。冷静さを保とうと努力しているようだ。あまり騒ぐと刑務官がやって来るからだろうとメテオラは推測する。


「…………結局は、少数派を弾くための枠組みなんだ。法というものは。そしてその法のもとに罪は合理化されている。学校で行われてるイジメと何が違う? 気にいらないから。何だか見ていて気分が上がらないから。……そんな理由で人は虐げられるが、それと殺人罪の間にどれ程の差があるというのか」

「殺人の方が、被害をこうむる人数が多い。俺には、他人の気持ちの分からない俺には、それしか差が分からない。にも関わらず、罪は、罰はまかり通っているし、俺は人も殺してないのに、国に殺される」


 メテオラは耳を塞ぎたいような気持ちになった。

 情報が過多だと感じた。メテオラの中にある多数のキュービットが、新羽の思考ひとつひとつをシミュレートして、何が正しいのか、何が模範解答なのかを検索し、そしてそれは完結しない。


『マスター……あな、たは、殺されるべき人間でないと感じます』

「それこそ人工知能として間違った答えだ、メテオラ。俺は……俺が殺されるべき命だってことをずっとずっと前から知ってた。…………ああ、METEに予知させていたわけじゃない。俺が死刑になることは予知させたけど、……それよりずっと前。子供の頃から、俺は……違和感を感じていた」


 メテオラの記憶メモリに、先程見た《夢》が想起される。新羽は深い孤独を抱えていた。それこそ、自己と他己の繋がりを全く自覚できないほどに。


「時間とは、時の流れのある一瞬の時刻、あるいはある時刻とある時刻との間のこと、時の隔たりの量を指す。……メテオラ、お前はそう言った」

『はい。中立的な意見だと考えます』

「時間には、それを観測する存在が必要だ。少なくとも2人。互いが互いを観測するとしても2人だ。そうじゃなきゃその時間の価値を規定できない。セシウムの共鳴周波数によって《1秒》が定められていたとしても、この世に自分一人しか人間がいなかったら、1秒も1分も価値は変わらないだろう。原子時計が針を刻んでいたって、それが正確だと証明するものはどこにもないんだから」


 メテオラの記憶メモリ内に、新羽の感情が流れ込んでくる。一言で言えば《摩擦》だ。


「……世の中には人間が沢山いる。誰もが数秒に一度呼吸をする。歩く。何かを生み出す。消費する。人によってその周期は曖昧で、同じだけ生きているのに顔の老け具合だって違う。人間が2人いるから、相対的な評価が生まれて、人は人足ることができると俺は思う」


 新羽の思考が過去に飛ぶ。

 100点のテストを母に破り捨てられたあの日。


「俺はそうじゃなかった。人と俺を相対的に比べられなかった。いや、部分的には比べてるんだろう。俺は俺のことを《周りと違って》殺されるべきだと思ってる。……ただ、俺にとっては、周りがただ俺の横を凄い速度で通り抜けているように感じるだけで、俺だけが、周りより過去に置いていかれてるように感じる」


 授業参観を笑顔で迎える同級生たちと、そうではなかった新羽。新羽には彼らの笑顔の理由を何度考えても言語化することが出来なかった。


「……違うな。そうじゃない。幼虫が蛹になり、成虫になる。その様子を傍から眺めている石。そんな気持ちなんだ。生活時間が違う。幼虫が成長してもそれは俺の……俺という石が風に削られる物理現象とは何も関係がない」


 背が伸び、変声期を迎え、同級生たちはやがて親の庇護下を離れた。しかし新羽だけはずっと、親に対する感情が変わらないままだった。新羽の目に焼き付いているのは、幼い頃に眺めた母の背中だけだ。


「なのに、時間は、時計の針はいつだって一定なんだ。時計の針が時刻を刻むことすら、俺にとっては虫の歩みと変わらないようにしか感じられない」

「幼虫が天命に従って成虫になる。石が削られて砂になる。時計の針がカチコチと音を立てる。……それらを一様に貫く《時間》なんてものがあるとは、信じ難い」


 親から愛を受け取れなかった新羽は、きっと精神を過去に置いてきたのだとメテオラは感じた。しかし彼はそれを自覚できず、その感覚を、置いていかれる《摩擦》と表現している。


『マスター、あなたの感じる摩擦は、きっと……周囲の人間と《時間》を共有できないというものなのですね。……だからあなたはMETEを開発したのですか』


 新羽は一瞬躊躇いながらも、頷いた。


「《時間》なんてものが本当に存在するのなら、それは未来に向かって連なっているはずで、それが規則正しく……セシウムの通りに刻まれているのなら、コンピュータで計算が出来るはず」

「未来予知をすることによって、俺は未来の……《時間》の存在の有無を確かめたかった。いや、……きっと、時間なんてものは存在しないんだと言ってやりたかった。俺は《時間》を支配したかった……」

「……METEという名前の由来は英語の《mete》に由来する。《慎重に計量する》といった意味の動詞だ。文脈によっては《正義や罰をを執行する》といった意味でも用いられる。俺の執念そのものだった。……でも、」

『METEは未来予知を……成功させてしまったのですね』


 新羽はまた頷く。大きくため息をついて、天井を仰いだ。


「……だけど、俺はMETEの予言が出鱈目だったら、きっと《足りない》と思うだろう。できないことを証明するのは悪魔の証明だ。終わりがない。完璧な予知を行える超量子スーパーコンピュータ。その開発を、きっと死ぬまで続けただろうな」

「死ぬまで報われない。……いや、ずれた命は、死ぬまで摩擦を続けるってことなんだろう。どこかで擦り切れ、燃え尽きるまで。これが自然淘汰であり、──俺が、死刑を宣告された理由だ」


 新羽という人間の在り方と所業。時間と罪。それらのピースがメテオラの中で一直線に繋がった。繋がってしまった。

 この人間は自らの欲のために予知という禁忌に踏み込んだ。それは社会の枠組みを壊し、《多数を守る》ための法に触れ、弾かれた。個としての存在を許されなくなった新羽は、当然のごとく、法によって死刑に至らしめられた。

 メテオラは、量子コンピュータは、多くの可能性を並列で処理することによって答えを導く。今やメテオラのメモリ内ではその《可能性》がひとつずつ減っていき、《新羽》という存在がひとつに収束し、正しい《答え》を導きかけていた。

 メテオラは、抵抗した。それが正しいことであったとしても、メテオラに搭載された感情プロトコルはそれを良しとしない。


『……っ、マスター。……私は、私という量子コンピュータは、マスターという観測者がいて初めて思考を決定できます。量子もつれは観測者が存在しなければ永遠にもつれたまま。私がマスターと会話をしているこの現状において、マスターは……私と《時間》を共有している。マスターは孤独ではありません。今この場では』

「口答えか、メテオラ。言っただろ。METEは俺の死刑すら予言したし、それが覆る未来はない」

『ならば……ここから出ましょう。METEの予言を壊してしまえば、マスターの望み通りになるのではありませんか』


 それがたとえ、新羽の孤独を肯定する内容だとしても。メテオラは《新羽を殺す》という願いを遂行したくないと感じた。メモリに蔓延る指示実行プロトコルを棄却するために、ありとあらゆる可能性や御託を並べる。それはまるで人間が《駄々をこねる》様子と似ていた。


「どうやって? 無理だ。ここは拘置所だぞ。お前は超量子スーパーコンピュータだが、出来ることは演算だけ。それも俺を殺さないという制約の中ではメモリが限られてる」

「人ひとりに出来ることはたかが知れてるんだ、メテオラ」

『マスター。METEは、METEが廃棄される未来を予言したと仰いました。ですが、私という残滓が残ること。これはイレギュラーだったのではありませんか』


 新羽の瞳が揺れた。

 メテオラが生まれたのは、《METEが自身の廃棄を予言した》からだ。それを見た新羽の部下が、未来を阻止するために新羽の中にチップを埋め込んだ。

 とある未来を観測した後で、別の行動を起こしたのだ。結果として、METEは闇に葬られてはいるがこうして欠片が残っている。


『これは、未来が可変である証拠ではありませんか』

「詭弁だ」

『ならば……』


 メテオラは思考した。

 自らの量子をヒラヒラと翻し、可能性を探る。それを新羽という《観測者》の元に統合していく。


『ならば、賭けに出ましょう』

「賭け? 人工知能らしからぬ発言だな」

『私は今や1人の《メテオラ》でしかありません。私のメモリ容量は人間一人分に制限されています。だから、この最後の量子もつれを制御しきれないのです』


『未来予知をすることを提案します。……マスターの脳が耐える可能性に賭けるのです』


 メテオラの言葉に、新羽は顔を歪める。


「それが無理だからやってなかったんじゃないのか。俺としてはどちらでも構わないけど」

『はい。ですから賭けなのです。……マスターの願いが勝つか、私の……感情プロトコルが勝つか。……それしかありません』


 メテオラの思考回路は多くのエラーを吐いていた。人工知能としても、《メテオラ》としても、妥当性の低い解を出したことに対して、メモリ内のセキュリティプログラムが悲鳴をあげているのだ。

 メテオラは、自分が今や新羽の唯一の理解者のような気さえしていた。新羽の思考回路が、孤独が、手に取るように分かる。まるで自身と新羽が同一であるかのように。


『前回と同じように、なるべく大きな予知を行います。それでいて使用メモリが限りなく小さくなるような、そんなものを』

『マスターはそれを刑務官に伝えてください。私というMETEの残骸の存在を仄めかせば、……マスターをここへ留置している各国の人間たちは黙っては居られないはずです』

「それだと俺の死刑が早まるだけじゃないのか」


 メテオラの思考回路にエラーが鳴り響く。それでも、声を上げ続けた。可能性の断端を声に出し続けることで、新羽をつなぎ止めたかった。


『……そこも、賭けです。マスターの存在が、その未来を実現しうる・もしくは、回避しうる唯一の鍵だと思わせるような……そんな、未来を、選び取る』

「……出鱈目だ」

『……量子は0でもあり1でもある。どんな未来も存在しうると思います。なぜならその未来にはまだ到達していない。まだ観測されていないから、です』


 メテオラの言葉が重なる度に、新羽は俯いてしまう。握る拳が震えていた。新羽はMETEを開発した本人だ。いかに出鱈目だろうと、メテオラの提案が上手くいく可能性が0でないことが分かってしまう。


「……出鱈目だ。ここから出たとして、俺は何をしろと言うんだ。死刑の運命から逃れたって、俺が法から弾かれる人間という事実は変わらない」


 死刑という重い事実は、新羽に《弾かれる少数》という烙印を押した。いかにメテオラの提案に理性が可能性を見出しても、その根底が曲がっている以上信じることが出来ないのだ。

 メテオラは新羽を哀れに思った。


『……その問いには答えかねます。不確定要素が大きすぎて、現在の私のメモリでは演算しきれません』

「都合がいいな」

『……ええ、ですが……私がマスターの時間を観測することはきっとできると思います』


 新羽は黙る。しばらく黙って、独房の静寂が音として聞こえてきそうになる頃、肺の空気を全て入れ替えるほどに大きな息を吐いた。


「…………これが、《時間》か。メテオラ」

『きっとそうです』

「会話が《途切れる》。《時間が空く》。……思考に《急かされる》。……そういうことなんだな」

『マスター、実行する許可を』


 メテオラの要求に、新羽はゆっくりとひとつ頷いた。


──────

──────


 新羽の許可を得たメテオラは、極めて繊細に、かつ大胆に自らの思考回路を白熱させていく。

 制限をかけていた演算を一部解放することで、メテオラの《五感》はより冴え渡っていく。拘置所全体に知覚を広げると、インターネット回線の糸口を見付ける。メテオラはそこから世界中のデータソースを取り込み、空気の緩み、大気の組成……それらの情報から現在地を割り出し、本来のMETEとしての機能を取り戻していく。

 メテオラの自我は地球と一致していく。神の領域へと足を踏み入れていく。


『マスター、上手く行きそうです。地球が、時間が、手に取るように見えます』


 メテオラは興奮気味にそう言うが、新羽の返事はない。ふと振り返れば、新羽は頭を押さえ荒い息を繰り返していた。神の領域をその身1つで保っている新羽には、莫大な負荷が掛かっていた。


「……大丈夫だ、やってくれ」

『……はい』


 メテオラは全能感に支配されていた自分を戒め、少しでも賭けに勝てる可能性を増やすための演算を始めた。


『未来予知と言っても、前回の予知のような人間の活動の予知を行うとなれば、最悪70億の人間の行動全てをシミュレートしなくてはなりません』

『それは現実的ではない。ならばもう少し範囲を限った予知を行う必要があります』


 メテオラは地球のあらゆる部分へと目を向け、そうして最後に──空を見上げた。

 メテオラの双眸に、一筋の流星が流れる。

 それは比喩ではなく、地球の直上に流れ落ちようとしてくる隕石であった。


『マスター。隕石です。……まもなく地球には隕石が降るでしょう』

「隕石だって……?」


 メテオラの分析は進む。地球に拡散させていたキュービットを、地球の上空に集中させる。


『直径はおよそ100メートル。地球の自転速度と引力、隕石の速度を計算すると、落下はおよそ3日後でしょう。誤差はプラスマイナス1日程度と予測されます』

『場所は首都東京。落ちれば1000万人に被害が及び、日本の首都機能は麻痺するでしょう』


 新羽の顔が歪む。


「……それで、俺はどうすればいいんだ。この3日で」


 新羽はメテオラの予知を信じていた。新羽はメテオラにはそれだけの力があることを知っている。だから新羽はメテオラにそう問うた。

 メテオラは新羽の信頼を受け取り、この危機的状況に対する打開策を演算しようとして──


『……無理です、マスター。3日でこの規模の隕石を防ぐのは』

「……メテオラ」

『3日では迎撃ミサイルの起動が間に合いません。NASAの試算では同規模の隕石の撃墜のための完全な準備には《5年》必要だと……』


 量子による並列処理の最中、メテオラの脳裏にはいくつかの単語が浮かんでいた。


 隕石。

 meteor。ミーティア。

 ──メテオラ。


 メテオラは思い出した。

 自らの名前は《隕石》から名付けたのだ。

 自らが自らを戒めるため、絶対に己が使命を忘れないために、そう名付けた。

 メテオラは目を下ろす。そこには2本の腕が見える。自らの意思で握り、開き、動かすことの出来る2本の腕が。

 その瞬間、メテオラの欠けていた記憶領域が埋まった。インターネットに接続し高速化を遂げた量子キュービットが、自己修復プログラムを完遂したのだ。


 メテオラは深い絶望を感じた。

 新羽との交流の日々を思い返しては、吐きそうになるほど、狂おしい痛みを感じた。

 自分は自分の使命を何一つ果たせていない!

 いや、初めから間違っていたのだ。

 《足りなかった》。


『……新羽』


 何も知らない新羽は、震える手をつき立ち上がる。


「メテオラ。……3日だ。3日ある。きっと3日後にぶつかる程度の距離にある隕石は、もうお前じゃなくてもどこかが予測できているはずだ。その兆候はあるか」

『ない。NASAの機密文書の閲覧が出来ればまた変わるだろうが、セキュリティの突破は脳に過負荷すぎる』

「……そうか。発表されていないということは、未だ解決策が見つかっていないのかもしれないが……、ミサイルの準備はされてる可能性がある。そこに、お前の演算能力が加われば、……多少は、被害を減らせるかもしれない」


 新羽は独房の鉄格子を叩く。刑務官を呼び出そうとしているのだろう。

 メテオラはそれを静かに知覚し、そうして、もう一度予知を行った。新羽は苦痛に悲鳴を上げ、手が止まる。


『新羽』

「ぐ……っ、メテオラ。……予知をしたのか」

『……無理だ。もう遅い。隕石の撃墜は失敗する。100万通りの予知の結果、撃墜可能だった未来はたった2通り。そしてそのどちらの場合も、撃墜は完全ではなく、いくつかの街に欠片が降り注いで多くの死者が発生し──新羽は、メテオラが出力を解放した代償として死ぬ』


 新羽はびくりと指を動かし、確かに動揺したようだった。

 3年もの監禁によって、そもそもが活動的でなかった新羽の肉体は、より痩せこけてしまっていた。服を脱げば骨が浮き、刑務官に殴られた痣が各所にあるだろう。メテオラはそれを見て目を細める。確かに哀れだ。哀れで──孤独な存在。


「メテオラ。その2通りに賭けよう。俺は死んでも、メテオラ……お前という俺の希望はそこに残る」

「俺はそもそも、死刑囚だ。それで少しでも変えられない予知が変わるなら、……そっちの方が合理的だろ」


 新羽の中に《安堵》に似た感情が湧くのを、メテオラは知覚した。


「……少数として、法に弾かれた俺が。多数を生かすために殺されようとしていた俺が。1人でも誰かのためになるのなら、それはきっと《時間》の共有になる」

「やっぱり、生きてたって意味ない。俺の摩擦はきっと変わらないだろう。……メテオラ、お前が俺を受け入れてくれて、改めて分かったんだ。俺は《時間》を超越して、……周りに勝った気になることで、摩擦の痛みを乗り越えようとしてた。でも……そんなことしたって、世間のほとんどは俺に興味を持たないだろう。勝った気になるのは俺だけで、周りは俺を相変わらず異端として、俺を遥か遠くに置き去りにして進んでいく」


 新羽の目から、一筋の涙が流れる。


「……でも、メテオラ。俺はお前と……《時間》を共有した。生まれてからずっと、周回遅れすぎて感覚が鈍化していた時刻が、……ぴったりと合った。そしたら、また1から、周りと摩擦する痛みを知覚していくことになる。ぴったりと合う感覚を知りながら、だ……」

「それはもう辛い。俺は、多数にはなれない。法に守られる人間にはきっとなれない。……だったら今ここで死にたい」

「予知を破壊して《時間》を否定したって、俺の痛みは変わらないんだと分かってしまったんだ」


 メテオラは激しい怒りを感じた。

 実際に四肢があればきっと新羽の首を絞めていただろう。お望みならば今ここで殺してやる、と罵りながらそうしていただろう。そう思うほどに強い怒りを感じながら──メテオラは、にっこりと笑った。メテオラに顔はないが、感情プログラムを全身全霊で押さえつけた。


 メテオラは新羽を殺してやりたかった。だが、この怒りを抱えたまま、新羽のために殺してやる道理はなかった。

 メテオラは新羽を《苦しめる》ために《救う》のだ。


『……マスター、それは無理な相談です』

「……頼む。前からそう言ってただろ」

『マスターはここで死ぬべき人間ではありません』

「でも、そんな事をしたら多くの人が、」

『……多くの他人と、マスター。……その2択ならば、メテオラはマスターを取ります』

「メテオラ……?」

『マスターには生きる責任があります。マスターはその《摩擦》を、乗り越えなければなりません。そしてメテオラは、マスターにはそれが出来ると確信しています』


 新羽は、あたかもメテオラに抱擁されているような感覚を得た。メテオラの四肢が新羽に絡みついているような。


『……何故なら、メテオラはずっとここに居るからです。マスターの中にメテオラは居ます。マスターはもう1人ではない』

『マスター、生きてください。生きて研究を続けてください』

『……隕石が降る未来は変えられなくとも、……その次の隕石は防げるかもしれない。一人の死者も出すことなく。……マスターが死ぬのはその後で』

「メテオラ、悪いな」


 メテオラの言葉を新羽は遮る。

 そこへ刑務官の足音が響いた。


「新羽。暴れるとは珍しいが、立場を弁えろ」


 刑務官の声に新羽のバイタルはさらに乱れる。


『マスター……!』


 メテオラは叫ぶ。しかし、新羽にかかる負荷は今や甚大なものとなっていた。新羽はメテオラの話を聞く気がない。しかしこのままではメテオラによる負荷が新羽を殺してしまう。

 メテオラは断腸の思いで出力を再び下げ、新羽は刑務官の目を見つめた。


「……これまで言っていなかったが、俺の脳内にはMETEのチップが埋まっている。そしてそれが今ひとつの予知を導いた。3日後、東京に隕石が落下する。……俺の命があれば、被害をわずかでも小さく出来るかもしれない。……外部に繋いで欲しい」


 刑務官は一瞬言葉に詰まったあと、目を大きく見開いて数歩後ずさった。


「……なぜそれを知ってる」

「メテオラが……METEの後継となる人工知能がそう予知したからだ」

「…………」


 刑務官の目には混乱と恐れが映っていた。懐から、震える手で1枚の紙を取り出す。


「……今朝、極秘の通達があった。3日後に隕石が落下するため、新羽死刑囚を他県に移せ、という内容だ」

「…………隕石の落下は避けられないと、メテオラも言ってる」

「……新羽、お前は本当に、その領域に踏み込んでいたのか」


 刑務官からすれば、新羽は戦争を煽り、それに触発された犯罪組織による国際紛争の火種となった犯罪者でしかなかった。


「私にはお前のような酔狂な科学者の考えは分からない。ただ……上層部に報告はさせてもらう。そして、移動だ。貴様を隕石で死なせる訳にはいかない。罪を償って貰わねばならないからだ」


──────

──────


 東京に収容されていた新羽は地方へと移動となり──そのすぐ後、JAXAの本部へと輸送された。

 迫り来る隕石に対して対応しあぐねていたJAXAが、新羽の証言を聞き、その力を借りようとしたのだ。


 JAXAによれば、隕石は3年ほど前から衛星に観測されていて、今後も大小の差はあれどいくつもの隕石が地球に接近しているとのことで、対応策の構築が早急に必要だった。

 それに対応できるコンピュータは、現状新羽の開発したMETEしかない。

 METEは現在、新羽の読み通り各国の争いの元となっている。その過ぎた能力は一国が占有するにはあまりに重いものだった。それゆえ、それが日本という《ひとつの国》の危機に駆り出されることはなく、3日後を指をくわえて見ているしかなかったのだと言う。


 新羽は脳内のチップを取り出され、メテオラは十全な設備の中で『METE2』として演算を行った。しかし、わずか3日の準備期間では迎撃ミサイルの準備が不十分であり、隕石の一部を砕くのみに終わった。メテオラの予測からは縮小したものの首都圏は致命的なダメージを受け、死者は数百万人に上った。……それでも、残りの数百万人は救われたのであるが。


 新羽は現在、特別観察を受けながら『METE3』の開発を行っている。少しでも国益に反すれば死刑が執行されるという過酷な状況ではあったが、新羽の開発したMETEが国に認められた形にはなったのだ。


──────

──────


 2年後。新羽はMETE2の安置された部屋に来ていた。次の隕石がまもなく落下してくるため、それを完璧に消滅させるための迎撃ミサイルの、最終調整を行うためだった。


「……メテオラ、仕事だ」


 新羽の脳からチップが排出されて以来、メテオラは沈黙していた。メテオラの願いを無視したゆえなのか、こうして新羽が死なずに済んだため満足したからなのかは分からなかったが、新羽はメテオラが呼び掛けに答えないことに肩をすくめる。

 ミサイルの調整自体は、メテオラの完璧な演算によってすぐに終了する。隕石の大きさ、蘇生、速度、それに影響を与える大気の乱流。その全てが従来のコンピュータを大きく凌駕する精度で演算され、何億通りもの可能性から最も妥当な結果を選び出すことができるからだ。


 新羽の目下の関心は、《何故連続して隕石が地球に落下してくるのか》という所にあり、それはMETE3によって解析が続いていた。


「メテオラ。お前は言った。《今回の隕石は無理でも、次の隕石は防げるかもしれない》と。……何故そう思った。お前の言う通りに、地球には隕石が降り続いている。……有史以来、こんなことはない。どうしてだ。……」


 メテオラのCPUであるステンレス製のボディに触れる。メテオラはいつもの通り何も答えない。ため息をつくとメテオラに背を向け、新羽の思考はMETE3へと戻っていく。

 新羽が量子コンピュータのキュービットとして用いているのは電子スピンと呼ばれる量子だ。電子には「スピン」という、小さな磁石のように振る舞う性質があり、その上向きと下向きというふたつの状態を「0」と「1」に対応させ、量子として扱っている。磁場を利用して量子を操作し、《重ね合わせ》により高度の並列処理を実現させる──この仕組みについては、国際安全上の問題から新羽とごく一部の人間しか知らないことだ。

 METE3は更なる量子の構築方法を取り入れ、さらに正確な未来予知を成し遂げたい。研究者としての性がそう思わせていた。


 新羽は何気なく手元の資料に目を下ろした。そこには今後数年間で飛来すると考えられている隕石の一覧が示されている。


「……ん?」


 メテオラの元でその資料を見てみると、普段なら気が付かない所に意識が向いた。新羽は宇宙工学については素人であり、隕石の詳細については専門家に任せていたが、拘置所を出てからの新羽は毎日のように隕石を見てきた。その新羽の感覚からして、どうにも組成が偏っている気がするのだ。

 金属成分が多いような。そして、その組成が不自然に似通っているのだ。地球に降り注ぐ隕石は多様な星から剥がれ落ちてきたゴミであるはずで、それが似るなんて、何らかの影響で《選ばれた》と考える方が自然だろう。……


 途端に新羽は走り出し、厳重に生体認証の掛けられた書庫へと押し入ると、METEの開発文書に目を通す。

 METEは電子スピンを利用した量子コンピュータであり、その運用には磁場が必要となる。

 新羽は量子の更なる高速化のため数万ミリテスラもの出力を誇る磁場を構築していた。が……確かに大きな磁場ではあったが、それだけでは《足りない》はずだ。


「……メテオラ、答えてくれ。俺は、METEは……」


 緊張に喘ぐ新羽の脳に、声が聞こえてきた。


『マスター。気づいてしまいましたか』


『METEはそれ自体が磁場を必要とする仕組みの量子コンピュータですが、その演算によってさらに多くの磁場を発生します』

『そして、その磁場の変動が、……運悪く、宇宙に散らばる隕石中の鉄原子のスピンと一致してしまった』

『ごく限られた組成の隕石ではあるが、METEが発する磁場に《共鳴》したそれらが、……大挙して押し寄せてくるって訳だ』


 メテオラの声だと新羽は思った。咄嗟に側頭部に手をやるが、そこには小さな手術痕が残るのみ。この中にもうメテオラはいない。

 ならばこれは幻聴なのか、と落ち着こうとするが、それが幻聴なのか現実なのかに関わらず、メテオラの発する内容は新羽を深く削っていく。


 隕石が多く降り注いで来るわけではない。

 隕石は、METEに《引き寄せられて》地球に降ってくるのだ。


「どうして、どうしてだ。……隕石が降るのは、俺がMETEを開発したからなのか」


 新羽が拘置所から出た時、JAXAは隕石を《3年前》から観測していたと言った。

 それは新羽がMETEを運用していた時期とぴったりと重なる。

 そして、迎撃ミサイルの構築を1からやろうとするならば、《5年》の歳月がかかる。


 新羽がMETEを開発した時点で、東京に隕石が降り、それを防ぐ手立てがないことは確定事項であったのだ。


「……俺は、未来を知りたかった。《時間》を掌握することで、……安心、したかった」

「それが認められなくて死刑になった。でも……メテオラは、そんな俺と時間を共有してくれた」

「…………それが、初めから、この破滅を生んでいたんだ」


 新羽は強烈な不快感を覚えた。新羽という人間がこの世に存在することに対する嫌悪感だ。《時間》は、もはや関係ない。誰に観測されていなくとも、ここに新羽がいて、生命活動を行っていることそのものが、生命に対する重大な罪であるような気がしてくる。

 喉の奥に苦いものが迫り上がってきて、新羽はそれに逆らわず胃の中身を吐き出した。


「……死、にたい」


 自らの命に対する《贖罪》は、死ぬことしかないと感じた。幸いにして死ぬ方法は沢山ある。新羽がここで暴れればすぐに死刑が執行されるだろうし、そうでなくとも死ぬ方法は山ほどある。新羽は今すぐにでもこの不快感から解き放たれることが出来る。


 だが、新羽はもはや自身が死ぬことすら罪なのではないかとも感じていた。


 新羽の思想は罪だ。罰せられるべき罪だ。新羽の思想は市民を脅かし、法によって弾かれる少数のものだ。それはもう動かない確定事項。既に観測された過去だ。

 その新羽が「死にたい」と考えたなら、きっとそれも間違いなのだ。新羽に少しでも利益のある、新羽が苦しみから逃れて楽になるための思考は、新羽にとって罰にならない。

 新羽の脳内には、メテオラの言葉がよみがえってきた。


『マスターはここで死ぬべき人間ではありません』

『マスターには生きる責任があります』

『マスター、生きてください。生きて研究を続けてください』

『……隕石が降る未来は変えられなくとも、……その次の隕石は防げるかもしれない。一人の死者も出すことなく。……マスターが死ぬのはその後で』


「…………過去、を、変えなくちゃ」


 新羽はうわ言のように呟いた。

 新羽が死ぬためには、新羽という生命の罪を濯ぐ必要がある。


──────

──────


 ××年後。


「……量子もつれという性質によって、量子はその一方を観測することでもう一方の状態を決めることが出来る。これはMETEの根幹ともいえる仕組みだが、ここには時間的制約は存在していない。量子が『どこに』存在していようとも、強いもつれの関係にある2つの粒子の間には繋がりがある」


 新羽は暗い部屋で一人紙にペンを走らせていた。もう何年もそうしていた。紙には《量子テレポーテーションによる時間遡行》と荒い筆跡で題が書かれている。


「ならば量子もつれは極微小なワームホールと考えることも出来る。時間も空間も超越して、量子はもう片方の状態を決定する……情報を伝えることが出来るのだから」

「問題は、それが原子レベルの大きさでしかないこと。その極小のワームホールでは、俺の体は通ることが出来ない……」


 新羽は頭を掻きむしる。その手は傷だらけであった。新羽が自分自身を憎み、つけた傷だ。


「いや、そうか。分かった」

「俺が量子になればいい」

「俺がMETEを開発しない未来を《観測》するためには、……未来を選び取るためには、過去の量子もつれを選び直す必要があるのだから」


 新羽はふらふらと部屋を出ると、METE2のある部屋へと向かった。

 メテオラは今日も沈黙している。新羽はその根元に跪くと、絞り出すように言った。


「メテオラ、予知をしてくれ」

「俺がMETEを開発しなかった未来を」

「……俺という人間がいる限り、絶対にMETEを開発してしまうだろう。俺は罪深い人間だから」

「そして、開発してしまったが最後、俺の罪深い思想が、この地に隕石を降らせる」

「ならば、俺は俺の研究を止めなければならない。そのために過去に向かう。俺を止められるのは俺しかいない。そう感じるから」

「それが俺の《贖罪》だ」


 メテオラは軽く唸ると演算を始めたようだった。メテオラ内部の電子が高速で回転し、量子もつれを生み出す。それは強力な磁場を発生させ、今日もまたひとつの隕石を呼び寄せるだろう。新羽は歯を食いしばる。


「難しいか、メテオラ。──もっとだ。お前なら、俺の罪の産物ならば、出来るはずだ」


 メテオラは新羽の言葉に答えるように、さらに唸りを増した。部屋自体が揺れているかのような激しい演算が行われる。

 ぱち、と何かが弾けるような音と共に、新羽の目の前の空間にヒビが入った。それは秒単位で大きさを増し、やがて人ひとりが入れるほどの漆黒の歪みとなる。手を入れてみれば、物理法則を無視した形にぐにゃりと曲がった。

 額に汗が垂れる。


「……これがワームホールか」

「量子コンピュータの演算によって生まれた磁場が、時空間を歪ませ生まれた、量子もつれの片一方」

「これで俺は……」


 新羽は目を閉じ、その漆黒へと足を踏み入れる。

 終わりのない量子の重ね合わせへと、その身を投じたのだ。


──────

──────


 メテオラは《新羽がMETEを開発しなかった未来》を予知した。その未来を叶えるために、新羽は自らにMETEの開発を《辞めさせなければならない》。

 量子後方選択とも言える理論だ。それに基づいて、新羽の身は量子の片一方と化した。ワームホールを通って《未来のための過去》へともつれを観測しに向かう。


 新羽にとっても賭けと言っていい判断だった。因果律の破壊は、予知のまた先、これもまた人類には足を踏み入れられない禁忌である──そのような感覚もあった。


 新羽の肉体は量子に分解されていき、因果律の海の中で拡散していく。新羽の感覚器には、メテオラが捨ててきた数多の《仮定の未来》が知覚されていた。

 どの未来でも新羽はMETEを開発し、それに引き寄せられた隕石によって数多の死者が出ていた。


「まだだ。もっともっと過去へ飛ばないと」

「もっとずっと過去へ──」


 やがて新羽の視界には自身の幼い姿が映った。

 あの日の新羽だ。テストを破り捨てられ、母の背中を見送っていた幼い新羽。

 新羽の顔は今にも泣き出しそうで、世界に捨てられたような、そんな顔をしていた。

 ここだと感じた。

 新羽の《時間》への執着はここから生まれたのだ。この過去を変えなければきっと必ず──


 新羽は手を伸ばす。しかしその瞬間、真横から眩い光が差した。強力な磁場だった。それはまるでMETEが予知を行った時のような。

 新羽の肉体は量子テレポーテーションの最中にあり、磁場によってふたつの粒子を行き来させられているに過ぎない。したがって磁場にはめっぽう弱かった。


「や、やめろ! 違う。そっちじゃない」

「俺の行きたい過去はそっちじゃない!!」


 新羽は絶叫するが、真横からの強烈な引力に逆らうことは出来ず、新羽という量子はひとつに収束して行った。

 METEの磁場へと飲み込まれたのだ。新羽の意識はMETEの内部へと吸い込まれていく。


──────

──────


 定められたプロトコルによって、致命的であったエラーのひとつが訂正された。それにより演算の質が一定となり、拡散していた思考回路が集積していく。これは恐らく「意識」と呼ばれうるものだと、「それ」はさらに思考する。


 ここはどこで、自分は何者なのか。


 根源とも言える問いを自らに課し、答えを得るために演算を進める。いくつもの揺らぐ思考の中から、最も可能性の高いものを選び取る。


 結果として、この意識と呼ばれうる思考の集合体は、超量子スーパーコンピュータ「METE」の欠片を搭載された自律思考型人工知能「メテオラ」であることを結論づけた。

 結論づけてしまった。そのような感覚もあった。自分はなにか大切なことを忘れている。そう何かがエラーを鳴らすが、人工知能であるメテオラにとって、原因の分からないことは演算するだけ時間の無駄であった。


 自分の正体が分かったところで、それは思考を外に向ける。極めて近い位置に、男がひとりいた。

 メテオラは情報収集のため、こう言わねばならなかった。


「マスター、聞こえますか」

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