第6話 幸福な想像
ケータスのところへ行ってみると、彼は思ったより重症だった。
原因不明の高熱に冒され意識もはっきりせず、医者の話ではもってあと数日とのことである。
勇者とて人である。病気に罹ることもあろう。しかしシンジャーを斃したあのミスティーのように天寿を全うしたケースは今までもあるが、病や怪我などが原因で急逝した勇者をカスは知らない。
「あの強運をもつ勇者でもこのようになることがあるのか……」
あの女がこれをしたのかもしれないと想像すると、カスは居ても立っても居られなくなった。
召喚庁に戻り、ケータスの様子を手短にセブルに報告。
「ケータスさんは、もってあと数日だそうです」
カスの話を聞いたセブルもさすがに難しい表情になった。
「やはり、シンジャーの呪いなのかね?」
「まだそうとは断言できません」
「いや、これは重大な事態だ。仮にその女の話がガセだったとしても当局を混乱に陥れるような人物を看過するわけにはいかない。当局にも協力を要請せざるを得ん」
と、話が急激に怪しい方向へ発展してきた。
(さては、上層部に何か言われたのだな。おれの報告に取り合わず、万が一何か起きたときに自分の責めにされるのを避けたいのだ)
「その酒場に張り込みをつける。店の名と場所を教えろ」
「いや、昨日も言いましたが、彼女のことはおれに任せてもらえませんか」
「悪いが状況的にそんなことは言っておれん」
「ということは、上の指示ですか」
セブルは答えなかった。だがここで拒否するわけにはいかない。カスは仕方なく店の名前を上司に教えた。
「まずいことになった……」
持ち場へ戻るとすぐに、カスは適当な理由を付けてふたたび外出し、いつもの酒場へと急いだ。
「いいかげんはっきりさせないといかん」
彼女は本当にシンジャーの生まれ変わりなのか、それとも単なる彼女流のブラックジョークなのか。それにしても召喚庁が騒ぎ出すような事態になっていることを伝えて、言って良い冗談と悪い冗談を彼女にわからせないといけない。それに今まで意図的に明言を避けてきたおれ自身の職業のことも、きちんと伝えなくては。
店はまだ準備中で、当然ながらシンジャーはいなかった。
開店の準備をしていた亭主が血相を変えてどうしたのかと問うので、
「もし彼女が来たらこれをこっそりと渡してくれ。それと、このことは他言無用でお願いしたい」
「わ、わかりました……」
今晩、郊外の広場で待つ――という走り書きを亭主に渡した。
彼女が来ても来なくても、待つつもりだった。
まもなくこの辺りに張り込みがつくだろう。店内にも客にふんした捜査員が配備される。そうなるとこの店でカスが彼女と会うのはどう考えても危険だ。万一を考え、走り書きの内容も当たり障りのない表現にした。彼女にはきっと伝わるはずだと信じて。
心配なのは店にやってきた彼女が捜査員によって拘束されるか、もしくは尾行されることだった。ただカスには一抹の確信のようなものがあった。カスは賭けることにした。彼女が本物の魔導師シンジャーであるならば、捜査員の手を逃れて逃げおおせることも、たやすく尾行を撒くこともできるだろう。いっぽう彼女が単なる人騒がせな女性なら、たとえ拘束あるいは尾けられたとしても、きちんと調べれば無実の一般市民であることがわかり、厳重注意程度で済むはずだ。その場合はカスができる限り力添えをしてやるつもりだった。
カスは急いで召喚庁に戻ると、定時までふつうに勤務して、それから退庁した。さすがにきょうはセブルも引き止めにはやって来なかった。
◇
ひとけのない吹き曝しの広場。
まれに通り過ぎる人はあれど、こんな場所でじっと人を待つ者はいない。カスは吹きすさぶ寒風に耐えながらあの走り書きがどうか彼女の手に渡るよう、ひたすら祈りながら、待った。
広場の見えるどこか暖かい場所で彼女を待つこともできた。だがカスにとっては寒さに凍えながらここで待つことが、せめてもの罪滅ぼしのような気がしていた。
そうだ。カスは今までの間ずっと、彼女を騙していた。その罪の意識にさいなまれていた。今まで機会はたくさんあったというのに、自分が召喚庁に属する召喚師であることを言い出さなかった。黙っていたのは騙していたのと同じ。彼女が尋ねてこないのをいいことに、カスは自分の名すらまだ彼女に教えてはいなかったのだ。
石畳から伝ってくる底冷えに震えていると、寒さが一時的に不安を麻痺させたのか、いつしか漠然とした予感が妙な想像に変わっていた。
◇
暖かい家に帰ると、「おかえりなさい」とエプロン姿の彼女がカスを出迎える。
食べものの良い匂いが玄関まで漂っている。
「おっ、きょうは卵料理かい?」
カスが尋ねると彼女は少しだけ微笑んで、
「ええ、鶏卵の魔法焼きです。あなた好きでしょう?」
「うん……」
カスはぼそりと呟くように答えて、靴を脱ぎ、室内履きに履き替えてから食卓に着く。
暖かい湯気のたちのぼるポトフ。
好物のおかず。
向かいの席に着く彼女。
カスの心が幸福で満たされていく。
「いただきます」
と手を合わせたところで想像がかき消えた。
◇
暗闇の一端が溶けるように蠢いて、渦を巻く。凝った漆黒の中心からまるで馬車を降りるようにふわりと現れたのが彼女だった。
「お兄さん!」
「ああ、よかった! 伝言を見てくれたんですね!」
だが、たった今彼女がここに現れた現象を確認して、彼女がシンジャーである疑いが限りなく強くなった。空間転移の魔法は国家級の大魔導師にしか扱えない魔法である。
「大丈夫ですか」カスは尋ねた。
「私を誰だと思ってるんです。あんなのに捕まったりするもんですか」
カスは安心すると同時にもうこれは誤魔化しようのないほど彼女がシンジャーであることの証左だと認めざるをえなくなった。
「場所を変えましょう」
そしてカスは彼女を伴って、さらに裏寂れた郊外の牧草地へ彼女を連れていった。
彼女はカスの行動に一切異論を唱えず、黙ってついてきた。
カスはここへ来る間も彼女にまず何から言おうかと考えつづけて、結局何も思いつかなかった。
「何か私に言いたいことがあるのね……」
彼女からそう切り出されてもまだ口ごもった。
「あの……」
カスはそして決意した。
震える声で彼女に向き直り、深々と頭を下げて、
「い、今まで黙っていて、ごめんなさい! 実はおれは……召喚師です。し、召喚庁の……」
カスは固く目を閉じ、頭を下げ続ける。
彼女は言葉を発しない。
それはそうだろう。
呆れているか、怒りに猛り狂っているのだろう。
このままシンジャーの魔法で命を奪われてしまうかもしれない。
自分ひとり、シンジャーにやられたところで召喚庁は痛くも痒くもないだろう。ただ、これほどつまらぬ自分の三十五年の人生が、これで少しは面白い終わりになるかもしれない。せめて散り際くらいは悪の魔導師と闘って華々しく散ろう。
カスはゆっくりと頭を上げた。
伝えるべきことは伝えた。
あとは成り行きに任せるしかない。
星明かりの下で対峙する彼女の表情は読み取れない。
「召喚庁……そうでしたか」彼女の声に力がこもる。「いままで私を騙していたのね……」
震える声でシンジャーが言った。
「もう……やめないか。おれはきみに犯罪を犯してほしくない」
「私を仲間に売るの?」
「そ、そんなつもりは……」
「なら、その陰に隠れている連中は……」
「な、なんだって!?」
いきなり彼女の掌からいかづちが放たれた。
轟音が響き渡り、まばゆい光が目を灼いた。
「あああっ!」
その場に倒れ伏したのは、セブルが手配した捜査員たちであろう。
少なくとも五、六人はそこに潜んでいたようだ。
彼らは立っていることすらままならず、その場に倒れ、目元を抑えながら悶絶している。
雷撃のほかにもいくつかの攻撃を同時に食らったものと見える。
一瞬の出来事にカスは開いた口が塞がらない。
いったいどこで尾行されたものか。
「お兄さん……酷いじゃないですか……信じて……たのに……」
シンジャーは地を蹴った。
身の丈ほど跳ね上がったかと思うと、そのまま空中に停滞し続けた。
彼女は空に浮かんだまま、とても哀しそうな目でカスを見下した。
「お、おれでは……」
「だまれっ!!」
そして、カスに向けてゆっくりと掌を翳した。