第5話 鏡
定時が近づくと庁舎の中はソワソワする。召喚庁職員とてその日の業務終了はみな待ち遠しいのだ。
中でもひときわ、さきほどから時刻を気にしてばかりのカスの肩にミジョンが後ろから手をかけた。ヒッと声をあげ、カスは反射的に振り向いた。
「なんだよ……ミジョンか」
「どうした。さっきからソワソワと」
「いやね……セブルさんが……」
「セブルさんが?」
「な、なんでもないよ」
定刻の鐘が鳴った。
「じゃあまた明日な!」
セブルが現れないのを確認するとカスは飛び出すように庁舎を退出していった。
ちょうどそこへセブルが入ってきて、その場にいたミジョンに「カスは?」と尋ねる。
「ああ、たったいま上がりましたよ」
「チッ」
◇
カスはいつもの酒場の扉を開けた。
「お兄さん!」
いつものカウンター席で、にこにこと手を振るのはシンジャー。
「早いですね。まだ日があるうちからですか?」
「私をのんべえみたいに言わないでください」と拗ねたような声を出す。「お兄さんだって一緒じゃないですか」
「ははは。これは失敬」
カウンターの亭主に「いつものやつね」と注文を投げて通り過ぎる。
例のごとく連れ立って隅っこの席へと移動する。
亭主が「フッ……」と冷やかすような笑い方をするので鼻を顰めてやった。
カスは席に辿り着くと、腰をおろして、
「どうしました? 今日はやけに嬉しそうじゃないですか」
「だってこのところぜんぜんお会いできなかったじゃないですかぁ」
などと鼻にかかった甘ったるい声で、頬を膨らます。
胸の奥がじわんとうずく。
可愛いところがある人だな――。
などと考え、慌ててそれをふりはらう。
いかんいかん。彼はシンジャーだ。
いや、本当かどうかはまだ判らないけど……。
「ああ、すみません。何かと忙しくて。それに上司がいちいちおれの行動を監視して、ここへ来るのを阻止しようとするんです。わざと定時間際に残業を振ってきたりとかね」
「なんなのその上司。呪っちゃってあげましょうか?」
「い、いや結構です! いちおうおれを心配してくれてるらしいのでね。どうにもならなくなったらご相談しますよ」
今ひとつ本気か冗談かわからないシンジャーの言葉にこたえて、はぐらかす。もしそれで本当にセブルがどうにかなってしまったら寝覚めが悪いどころの話ではない。
「ふうん」
彼女は不満そうにしたが、ちょうどそこへ酒が届いたので、ふたりで乾杯をした。
「ところで例の計画は……」
ヒソヒソと声を潜める。
「それがですね……敵もさるもの、なんかいろいろな呪い対策をしているらしいんです」
「対策……」
「呪詛返しです。おかげで事が進まなくて困っています」彼女はフーと大きく息を吐いて、「アレがあればなぁ……」
「アレとは?」
「魔法を跳ね返す鏡です。たしかルーの鏡とかハーの鏡とかいう。私が生きてたころにはどこかにあったらしいですが……。アレは今もどこかにあるのかな……アレがこちらの手にあれば、呪詛返しを無効化できる。呪いが早く完成するのですが」
「ほう」
「世界のどこかにはあるらしいのですけどねー。あいにくいま探しているほどの余裕はありませんから」
「もしかして、これですかね……」
カスは手持ち鞄に入れっぱなしになっていた例の手鏡を取り出して見せた。
シンジャーが仰天したのはいうまでもない。
「それそれ! その鏡ですよ! なんでお兄さんが持ってるの」
「いやちょっとしたきっかけでね……」と苦笑した。「でもこれ、古物商には贋作だと言われました。きっとそれに似せて作った、ただの工芸品です。ハハハ……」
「ちょっと見せてくれませんか」
彼女が真剣な目でせがむので、「どうぞ」と手渡す。
彼女はその鏡をしばらく矯めつ眇めつしてから、おもむろに言った。
「その古物商の目は節穴ですね」
「え!? てことは」
「これ本物だと思います」
「だって、この鏡、魔力が皆無だって……」
「鏡自体には魔力はないのです。重要なのは鏡面の物質組成」シンジャーは手鏡を握りしめたまま、「お兄さん! 私にこれをください!」と懇願した。
「うーん……」
「だめ……ですかね……」
また鼻にかかる声で、こんどは上目遣いまでしてくる。
か、かわいい……。
いかんいかん。
もしこれが本物で、もし目の前の人物が本当にシンジャーなら、とんでもないことだ。
「ちょうどうちの鏡が壊れちゃったんだよね」
「えーーー」
物欲しそうに見つめる彼女をよそに鏡を取り返してさっさと鞄にしまい込んだカスであった。
酒場からの帰路、そして帰宅してからも、彼女が尾けてきて、術かなにかをかけられ強引に鏡を奪われるのではと用心したのだが、彼女にそのつもりは無いようだった。もしシンジャーが悲願のために心から鏡を欲しているのだとすれば、何としても入手しようとするはずではないのか。それをしてこないのは彼女が本当はシンジャーの生まれ変わりなどではなく、単におれの気をひくため出まかせの冗談を言っているだけだからじゃないのか、とカスはあらためて思いなおしたのだった。そして彼女の可愛らしいそぶりを思い出すたび高鳴る動悸を覚えずにはいられなかった。
◇
翌日は出勤早々上司のセブルからお呼びがかかった。飲み過ぎで少々ふらつく頭をぐるぐる回しながらセブルを訪ねると、あちらもゆらゆらと頭を揺らしながら出迎えた。
「昨日は早々に逃げおってからに……また酒場へ行ったな?」と憤慨を隠しきれぬ様子。
「勤務はきちんと全うしています」
まったく、顔を見れば小言ばかり。反駁するほうもいい加減疲れてくる。
セブルはまだ何か重ねて言いたそうにしていたが、気を取り直して用件のみを告げた。
「勇者のひとり、ケータスが病に臥せっているという。あとで様子を見に行ってくれんか」
「ああ……あの不健康そうな人ですか」
先日もカードゲームに嵌って目を血走らせていたあの勇者だ。彼は何年か前にこちらの世界へ召喚され、世界征服をもくろむ隣国の王をちょこちょこっと懲らしめてファルファーダの属国にしてしまった経歴がある。そのさいに敵の軍師であった魔導師なにがしをけちょんけちょんに懲らしめて勝手に国外へ追放してしまった。そのやりかたがあまりにもえげつなかったため、国内外の魔導師連中から総スカンを食らっている。なんでも彼は召喚当初、とある魔導師から辛辣な暴言を吐かれたことを根に持っていたらしく、魔導師嫌いのケータスで通っている。もし魔導師シンジャーがこのケータスの逸話を知っていたら真っ先に呪いのターゲットにしそうな人物である。
「いままでの不摂生が祟ったんじゃないですかね? 彼、ギャンブルとかかなり入れ込んでましたからね。わかりました。すぐに様子を見に……」
「それならいいのだが……」とセブルはまだ何か知っていそうな素振り。
「どうしました?」
「それが困ったことに……」彼は頭を掻いて、「予言師がいうには彼はどうも呪いを受けているらしいと」
「呪い?」
「ああ。セゴリエの予言師が言うには、どうも暗黒の魔導師が介在しているのではないかというのだ。ひょっとしておまえの言っていたシンジャーじゃないのかね?」
「信じてなかったくせに……」とカスは上司を睨みつけた。
どうも取って付けの感が否めない。シンジャーのことを報告したときは意識の端にすらのぼっていなかったようなのに、呪いと聞いてカスの話を思い出し、不安になってやっといま確認してきたような様子がプンプン漂っている。もしシンジャーの復活が事実で、大ごとになってから部下の報告を聞き入れなかったのがバレたら大変だと思っているにちがいない。
「地竜といい次から次へとまったく」
魔法戦士シュガーのトンズラによってレンネールの被害は拡大を続けている。早晩つぎの召喚をどうしても行わねば間に合わない事態になる。
「彼女は大丈夫ですよ」
「彼女?」
「女だと言ったはずですが」
「ああ、そういえばそうだったっけ。その後も会っているのか?」
「まあ……」
セブルの口がへの字にひん曲がる。
「大丈夫、の根拠はあるのかね?」
「彼女、一所懸命おれをかつごうとして冗談を言ってるだけですよ」
「本当にそうか?」と首を伸ばしてくる。
「と、とにかくそっちの方はおれに任せてください。ではケータスさんのところへ行ってまいります」
カスは一礼するとセブルの執務室を出た。
「そういや鏡が本物かもしれないってのは言いそびれたな……いや、たぶんそれも彼女の適当な冗談に違いない……余計なことを言うと後でおれが恥をかきかねない。やめとこう」