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8 幼なじみの来訪

「今日は悪かったな」

 その日、急遽休みを返上する羽目になったのだというビリーは、応接室で顔を合わせるやキャロリンに約束を反故にしたことを謝罪した。

「いいえ、お仕事なら仕方ないわ。バート様に手紙を預けてくださったのだから、お疲れのところをわざわざ改めて来てくださらなくてもよかったのに」

「取り急ぎ、確認したいことがあったからな」


 ビリーはそこでちらりと今入ってきたばかりの扉を見た。信頼している幼馴染相手ではあっても、礼儀としてそこはもちろん薄く開いている。

 パウゲン家の使用人は少数精鋭と言えば聞こえがいいが、王都に出ている主人一家はキャロリン一人だということもあって屋敷を維持する最低限しかいない。

 特に今日はキャロリンの外出で手が取られたのもあって暇な使用人が外で聞き耳を立てていられるような余裕もなければ、そういう不心得者がいるとも思えない――親交が深いビリーも当然それを知りえているはずだけれど。


 それでもわざわざ彼は身を乗り出して、人の耳を警戒した様子だ。

「なんでバートに言い含められちゃったわけ?」

 なのに口にしたのは、聞かれたところでなんら問題のないような言葉で。

 ついでに非難の色が濃い口ぶり。

「あの方に釘を刺しきれなかったビリーお兄様に言われたくないわ」

 だからキャロリンは唇を尖らせた。

 ビリーはぐっと押し黙ってため息交じりの息を吐くと、ガシガシと頭を掻いた。


「あー、うん。そうだよなあ」

 身を乗り出したまま行儀悪くビリーは頬杖をついた。

「まさか本気でふざけた行動するほど、あいつも浅はかじゃないと思ったんだがなあ」

「お兄様の良くない噂を払拭するために動かれているのでしょう? 後輩に慕われているのだから良いことじゃないですか」

 ビリーは首をひねりながら「慕われている……?」なとどぶつぶつ言ってから、

「遊ばれてるの間違いじゃないかなあ」

 ため息交じりに言い放った。


「そうなのですか?」

「俺のせいで君まであんな奴に目をつけられてしまって……バートとだけは関わらせたくなかったってのになあ」

「そこまで、悪い方ではないと思いますけど」

「こんなことなら、君が嫌がっても強引に誰かもっとまともなのを紹介しておけば良かったと反省してる」

 キャロリンは紹介に値する男性の名前らしきものをぶつぶつ唱えるビリーに何とも言えなかった。

 

 ありもしない過去を想定するのは無意味だ。彼がキャロリンの意思を尊重してくれたから、安心していた。強引に誰か紹介されていたら――一体どうだっただろう?

 反抗して信頼する兄のような幼なじみと心の距離を置くことなっていたかもしれない。

 だから別に、ビリーが気に病むようなことはないと思った。

 

「あの方は、私の家族に言い訳が効く程度に交際するふりをしてくださるだけです。仮にでも交際相手ができたなら母も無理に社交するようには言わないだろうと。お兄様が私をエスコートすることで出たのだという妙な噂も共に行動しないようになればいずれ消えるでしょう。そうだ! 噂を払拭するためにも近いうちにエンドブルク様と一度どこかの夜会にお出でになるといいかもしれないわ」

 キャロリンは良案を思いついたので、思わず手を叩いた。

 

「いや……彼女もキャロと同じであまり社交は得手ではないから」

「あら。恋人のよからぬ噂を払拭するためなら動いてくださるのじゃないかしら」

 キャロリンは一度挨拶したくらいの面識しかないビリーの恋人を思い返した。

 騎士として何年も勤めているだけあって女性的なまろみはやや欠けていたが、シュッとして面差しの整った美しい人だった。

 ビリーは社交が得手ではないと称したが、一人前の騎士として出仕しているくらいだからキャロリンほど不得手なわけではあるまい。

 

 挨拶の際にもドレス姿でなく、丁寧であるがどこか男性的な口調だったことを考えると、もしかしたら社交よりもドレスを苦手としているのだろうかと思えるくらいだ。


 ビリーが何年も真剣に交際しているという人だ。騎士らしく真面目な人柄のようだとキャロリンは感じていた。

 お互い継ぐべき爵位がないからこそ今のところ婚約はしていないようだが、いずれは婚姻も視野に入れているのだと彼からは聞いていた。

 だからきっと、彼女も将来の伴侶の醜聞を払うために動いてくれるに違いない。

 ビリーが「そうだな」と納得した様子だったので、キャロリンはほっとした。


「エンドブルク様に、そのうちお礼のご挨拶に伺わせて頂きたいとお伝えください」

「そうだな。彼女も君と話したいように言っていた」

 まあうれしいとキャロリンは微笑んだが、ビリーはそこで渋い顔に戻る。


「まて、今は俺やステフの話をしている場合じゃなかっただろ」

 彼は「君は自分の置かれた立場を全く理解していない」と説教の態勢に入った。

 キャロリンは目をぱちくりさせる。

「置かれた立場、ですか? 十分に理解しているつもりですけど」


 何とか没落を免れている弱小子爵家の長子で、頼るべき父はすでに亡い。次代たる弟は爵位を継ぐには幼すぎるため、母と共に弟の成長を見守るのが自分の役目と定めている。

「おばさまへの言い訳のために素性もよく知らない男と付き合うふりをすることを了承するなんて、若い娘のすることじゃない」

「それは、まあ……そうなのですけど」

「仮の交際で妙な噂でも立って、今後の出会いに差し支えたらどうする」

「公の場に出なければ妙な噂が立つわけがないとバート様はおっしゃっていました」

 ビリーは半眼になって、大仰にため息をついた。

「キャロ、人の口に戸は立てられないんだぞ」


「俺のような吹けば飛ぶような男爵家の次男坊と、これまでろくに社交に出ていなかった子爵家の長女の君は目立つような立場じゃない。出席したのだって規模のさほど大きくない派閥の夜会ばかりだぞ。なのに俺たちが数度そろって顔を出したことが変な噂になるのが社交界の恐ろしいところだ」

「お兄様……そうとも知らず、エスコートをお願いしたのは申し訳なかったです」

「いや、謝ってほしいわけじゃない。俺だって全く予想していなかったのだから」

「でも」

「だが、こっちが予想もしないようなバカげた噂が流れるのが社交界というものだと、今回のことで学習できただろ」

 諭すような言葉にキャロリンは反論など思いつきもせず、納得するしかない。


「内向きの言い訳に交際するふりをするだけで、表立って公の場に出ないというのはバートなりの配慮だろう。しかし、人の目はどこにだってあるものだ。あいつや君がいくら目立たぬように行動しても、偶然誰かの目に止まってしまうことがあるかもしれない」

「そう、ですね」

「今後妙な噂が立った場合、一番被害を受けるのはキャロリン――君なんだぞ」

 兄のように慕うビリーがくれた重々しい忠告は、真に迫っていた。


「王都に出てきた末端貴族の……特に俺たちのように政略的な縁談に恵まれない子女にとって、恋愛による婚姻は一般的ではある」

「お兄様とエンドブルク様のように、ですね」

「最近の風潮では高位貴族でも恋愛による結びつきが否定されるわけじゃないが、家のしがらみを全く考えずに結びつくことは難しい。俺たちのような立場ならそういうしがらみが少ない分より自由ではあるが、ある程度はという注釈がつく。バートは気安い奴だし、本人は身軽な三男坊を自称するが、あいつはけして身軽じゃない」

 ビリーは重々しく息を吐いた。


「まったく……ああも軽々しく動いていい人じゃないんだが。こうと決めたら意地でも譲らないところがあるから、あいつの提案に一度うなずいたからには君も覚悟を決めろ」

 視線鋭く「いいか」と前置きした彼は再び扉をちらりと確認し、ぐっと身を乗り出した。

 

「絶対に目立つような真似をするんじゃないぞ」

「えっ、ええ、もちろん」

 真剣な面持ちに加えて、人の耳を警戒していた割には、予想の範囲内の言葉だった。いつの間にか肩に入っていた力を抜いて、キャロリンはうなずいた。

 何を言うかと思ったらそんなことか。

「私が目立つような娘じゃないことはビリーお兄様だってよくご存じでしょう」

 キャロリンはにこりとした。


「心配しなくても、私はこの通り地味な娘です。今回、カフェでは個室を用意してくださっていましたし、お庭の散策も全く人目がありませんでした。訪れる場所について、バート様は十分配慮してくださっているように感じましたからこれからも大丈夫ではないかしら」

「楽観的になるのは早いと思うが」

「お兄様は案外心配性なのね……。バート様はお兄様の不名誉な噂を雪げたらそれでよいのでしょうし、私については夜会にかわって母に言い訳できる程度に数度お会いするくらいで十分だから問題ないですよ」

 ねっとキャロリンはビリーに同意を求めた。

 

「バート様もお勤めがあるからお忙しいのでしょう? お会いする間隔が長ければ大丈夫じゃないかしら。領地に戻った後に、母にはビリーお兄様の紹介でお付き合いすることになったけれど、ご多忙なのであまり会うこともできなかったし今後を考えるに至らなかったとでも伝えますから」

 それで大丈夫ですと胸を張るキャロリンに対して、ビリーの表情は懐疑的だ。

 だがだのしかしだの言いかける彼にキャロリンは頭を横に振って見せる。

 

「やる気がなかった私が多少前向きに検討したのですから、お母様も納得してくださるわ」

「そうだろうか?」

「納得していただく前には口論になるかもしれませんけど。そんな未来のことより、今は現実にお兄様を悩ませる噂を払拭する方が大事だわ」

「俺は、事実無根の噂で悩むほど繊細じゃないぞ」

 不満げに鼻を鳴らしたビリーだが、「君が気遣ってくれるのはありがたいことだが」と多少の気遣いを見せる。

 

「頼むから、本当に、これ以上あいつの甘言に乗るんじゃないぞ。バートも責任をもって、気を付けはするだろうが――下手に人の口にのぼると、大変なことになる」

「シーズンが終われば私は領地に戻るんですから、少々噂になったところで気にすることではないと思いますけれど」

「年頃の娘なら、そこは重々気にしなければならないところだぞ」

 ビリーは目線を鋭くして、決して密室で二人きりにならないだとかいった淑女の心得を真顔で説いてくる。

 

「わかってますわ、お兄様。私はもう幼子じゃないのですよ」

「だからこそ言っているんだ」

 本当かしらと疑わしく思いながらも、下手に口にすると余計に口うるさくなりそうな気がしたキャロリンは「ちゃんと気を付けますから大丈夫です」と胸を張った。

「私も十分気を付けますから、ビリーお兄様からもバート様にお忙しいでしょうからそんなに頻回お誘いいただかなくてもかまいません、とお伝えくださいね。私からも明日にはお礼かたがたお手紙を差し上げる予定ですけど」

 渋い顔のままだったビリーもそうだなとうなずいて、ようやく納得した様子を見せていた。

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