7 名乗りあって
「俺のことはバートと呼んでほしい。お母上にはバート・ストラードという騎士を紹介してもらったと伝えればいいよ」
「バート様、お手数をおかけしますがよろしくお願いします」
キャロリンはようやく名を知った男に頭を下げた。
「呼び捨ててくれた方が嬉しいけど」
「そのようなわけには。ご存じでしょうが、私はキャロリン・パウゲンと申します」
改めて名乗って頭を下げる彼女に、真面目だなあとバートは苦笑した。
「ま、最初から慣れ親しくしない方が真実味は増すかもね」
すぐに気を取り直したかのように、からっと笑うと「じゃあ、俺もまずはキャロリン嬢と呼ばせてもらおうかな」なんて言う。
「そうですね」
キャロリンはほっとしながら同意した。
ストラードという姓は記憶にないので、やはり派閥の家ではなさそうだ。
派閥外でも主だった家は覚えているつもりであるから、由緒あると言っても飛び抜けて有名な家ではなさそうであることは安心材料だ。
情勢に疎いキャロリンでさえ知っているような名であれば、平静ではいられなかっただろう。
有名無名に限らず、成人して社交界に顔を出す以上、本来は広く知識を得ているべきなのだが、今はそれには目をつぶる。
積極的に名を覚え社交に励むのは、母が自分の縁談を諦めてからでも遅くないとキャロリンは自分に言い訳していた。
先ほどバートが口にしたように、自分が今しているのが社交とは呼べないものだという自覚はあっても、それを本格的なものにできるほどの余裕がまだ今の彼女にはないのだった。
幼なじみが名を明かすことをためらうような人が素直に本名を名乗っていないかもしれない――ふと浮かんだ疑念には、気付かなかったことにしておいた。
「話が決まったところで、予定通り少し散策する?」
キャロリンが同意すると、バートは本格的にエスコートする態勢になった。
「ここの庭園はいつでも綺麗に整えられているからね」
先ほどようやくきちんと名乗りあったばかりの男性の腕に手をかけるのは、世慣れないキャロリンには勇気のいることだ。それを知ってか知らずか、バートはちらりと眼下の庭園を見下ろした。
「生憎、ちょっと俺は花には詳しくないんだけど……名前を知らなくても綺麗かどうかくらいはわかる」
「私も、似たようなものです」
キャロリンがあまり花には詳しくないと知るや、「世には花言葉とかそういうやつがあるじゃないか」とバートは難しそうな顔を作った。
あれは理解できる気がしないというので、キャロリンも深々と同意する。
「いずれきちんと理解した方がいいとは思うのですけど、今のところ必要性は感じませんね」
「それは良かった。バラの数だのなんだの言われたら困るところだった。でも一応、詳しい人にでも聞いてそのうち何か良さそうな花を贈るね」
「えっ」
「仮にでもお付き合いする以上そういうのも必要でしょ」
「それは、バート様にご負担が大きいのでは」
「君と付き合うのは俺のわがままのようなものなんだから、花束の一つや二つ贈るくらいの甲斐性は見せないと」
機嫌よくバートは庭園を案内してくれた。
(よくわからない人だわ)
赤いとか黄色いとか花弁の色のことを言っているかと思えば、面白い形の葉っぱがあると目をきらめかせる男は心底楽しそうに見える。
距離を置いて付き従うパウゲン家の侍女ヘレンに良好な様子を見せるためというのもあるのかもしれない。
飾らず思ったままを口にする彼の言葉を聞いていると、女性に慣れた様子が全く感じられない。女性不信だという割には屈託がないようにも思えるが、それは付き合うふりをするということで話はついたけれどお互いが対象外だと認識しているからだろうか。
一通り見て回った後に元の個室に戻って一服し、キャロリンは屋敷に送り届けてもらった。
「はい、これ。日持ちのする焼き菓子だから、一つはご領地への便りのついでにお母上と弟君に送って差し上げてね」
いつの間にか用意していた手土産をキャロリンに有無を言わせずに渡すと、
「じゃあ、また連絡するよ」
お礼の言葉を言う間もなくバートは颯爽と去っていった。
目に見えて機嫌の悪いビリーがパウゲン邸に訪れたのは、その日の夕刻だった。