6 男の提案
「それが一番だよ」
淑女にはほど遠い叫び声に男は全く動じた気配がない。
「俺ほど君の理想にぴったりの男はいないよ」
それどころか自信満々だ。
「まず第一に、恋人も婚約者もいないからね」
胸を張って言った後に、ビリーはきっといい顔しないけどなどと付け足すので、キャロリンは思わず半目になる。
「ビリーお兄様が良い顔をしない、未だに素性も明かされない方を信用できるとお思いですか?」
「あはは、そりゃそうだ」
キャロリンの突っ込みを男はからりと笑い飛ばす。
「ただ、いい顔しないのは間違いないけど、俺が他家の乗っ取りを目論むような人間じゃないとは保証してくれると思う」
「君が社交に精を出すようにお母上に言われているのは今のところはこのシーズンだけなんだろう? その理由が君に良き伴侶を得たいというだけならば、パウゲン家に信頼されているビリーが紹介してくれた男と何となく親しくなったので夜会にはもう出る必要がないと言えばいいじゃないか」
だって、君が社交を苦手としているのはお母上だってご存じなんでしょう、さらりと男が続けるのを聞くと、それがさも妙案であるかのようにキャロリンには思えてしまった。
「公の場に出ないようにすれば、俺と君の交際は知れ渡るはずもない。それならビリーもさほど目くじらたてないだろうさ」
少し冷静になったキャロリンは男に促されて再び席に着き、すっかり冷え切ったお茶を飲み干した。
「ご家族は領地なのだよね?」
「ええ」
「だったら、ビリーの紹介で良さそうな出会いがあったと便りを送ればいい。悪い人ではなさそうだからしばらく人柄を見極めるつもりだと。君が家のことを気にして二の足を踏んでいることはお母上も知っているんだろう? 娘が少しでも前向きになったと知ればお喜びだろうし、無理にせっつきはしないのじゃないかな」
キャロリンは母の顔を思い浮かべた。商家の出である割には商売っ気の薄い人だけど、子爵家の将来と実家の商売のためにもできれば貴族に嫁いでほしいと赤裸々に語るような人だ。
弟を支えたのちに修道院に行ってもいいとまで口にする娘に渋い顔だったから、一応は出会いがあったのだと知れば喜ぶだろう。
「嘘をつくのは気が引けますけれど」
「何言ってるの。これは政略じゃなく、若い男女のお付き合いだよ? 別れてしまうことは十分あり得るでしょ。人柄を見極めた結果、結婚相手には向かないと感じたとか、喧嘩別れしたとか、別れる言い訳なんていくらでもあるからね」
平然と続いた説明はすんなりとは飲み込めないが、爵位が高くなく政略が望めない子女に王城勤めが人気の理由がそれだということくらいはキャロリンも知っていた。
家を継ぐような重責のない貴族の子女たちが生涯の伴侶を見つける出会いの場としても城は大いに機能している。
城は広く、当然維持するため人材もたくさん抱え込んでいて、そこにはたくさんのロマンスがあるのだと。
弟を得て跡継ぎではなくなったキャロリンも、父が存命であれば今頃良縁を求めて侍女勤めくらいには上がっていたかもしれない。夜会では気後れしがちなキャロリンだけれど、職場でならばいい出会いに恵まれただろうか?
想像しても詮無いことだった。現実は、母を支え領地を守るので精いっぱいだ。
弟が無事爵位を継承した後に勤めに出るとしても、まずはとうの立った女を雇ってくれるかどうか。仮に王城勤めを果たしても、そこで出会いがあるとも思えない。
現実は寄付金を手に修道院に行くのが精々だろう――あるいは、かつて叔父がそうしていたようにどこかに一軒家をもらって暮らすくらいできるかもしれないが。
「悪くない考えじゃない?」
「そう、ですね」
出かける際のダドリーの期待を思えば、男は彼のお眼鏡にはかなったのだろう。きっとお付き合いをすることになったと彼に伝えれば、母にもいいように伝えてくれると思われる。
騙すことに気は引けるけれど、何かとお金のかかる夜会を控えることのできるいい案のように感じられた。
「ですが、当家と全く縁のない貴方には負担が大きいのではないでしょうか」
「負担? こんなご家族思いの優しくて可愛い子とデートできるのに負担を感じるわけないじゃない」
やはりこの人は遊び人のようなことを言う。先日とは違って身ぎれいにしているとそれなりに見えるから、本来の身分通りにちゃんと装えばきっとモテるのだろう。
キャロリンは思わず無遠慮に男を観察して、気持ち身を引いてしまった。
「恋人も婚約者もいないとおっしゃっておいででしたけれど……不特定多数の方とお付き合いがあるとかそういうことですか?」
「えっ」
男はギョッとした様子だった。
「あのう、とても手慣れたご様子ですので、その……」
大人の社交にまだ馴染めないキャロリンには一夜のお相手だのという言葉は口にできず、もごもごとつぶやいて口ごもってしまう。
「手慣れたって……そりゃあ俺も、一応は成人男性なので夜会やなんかで女性と会話することはあるけど、残念ながらそういう華やかな話には近づけなくてねえ」
キャロリンの言えない言葉を察しているのかどうなのか、男は苦い顔でゆるゆると首を横に振る。
笑顔をすっかり引っ込めて困ったようにカップを持ち上げ、中身がないと気付くやウェイターをベルで呼ぶ。
お茶を淹れなおしてもらう間、お互いに無言だった。
温かいお茶を飲んでからも、男は何かを言いあぐねているかのようだった。
キャロリンはことさらゆっくりカップを傾けることで、気まずい沈黙をやり過ごそうとした。
「君が男性不信なのだとしたら、俺は女性不信ってやつでね」
男がようやく口にしたのは、いよいよ間が持たなくてキャロリンが困り果てた頃だった。
意外な気持ちが顔に出たのだろう、男は苦笑して「色々あるんだよ」と語り始める。
「出身がどれだけ良くても、俺は三男だからさ。女性の目はどうしても兄上たちを向くし、以前は俺なんていてもいなくてもいいくらいの扱いで」
だからって別に兄弟仲が悪いわけじゃないんだよと、続ける口ぶりは屈託がなさそうに聞こえた。
「兄上とは少し年が離れているけど、長兄が俺がようやく年頃かって頃まで伴侶を定めなかったものだから……ね。兄上が身を固めた途端に急にこっちに目を向けられても、嬉しくもなんともなかったなあ」
男は遠い目をした。
由緒正しい家柄出身でも何もかも思う通りにはならないらしいことを彼の様子からキャロリンはおぼろげに想像する。
「私とは逆の経験みたいですね」
「そうだね。華やかでぐいぐい来る人は俺じゃなくて俺の後ろにあるものを見ているようでどうしても身構えてしまうんだ。だから、いい人に巡り合えないなら、独り身でも問題ないかなーって」
「ご両親から縁組みのお話はないのですか?」
「うーん、兄上たちが自由に伴侶を選んだのに、あまりものの三男にだけ政略を持ってくることはないんじゃないかなあ」
良家だという話なのに、随分自由な家風のようだ。
「情勢が変われば別だろうけど、今のところ我が家は困っていないからね。相手が誰でもいいとは言わないと思うけど……うん。子爵家の令嬢に文句はつけないと思うから安心して」
男はにこっとし、キャロリンは目を見開く。
「公の場には出ないから、知れ渡るわけはないとおっしゃいませんでした? あの、そちらのお家にまで交際をお知らせするというわけではないのですよね?」
「別にあえて知らせる必要はないと思うけど、もしかすると耳に入っちゃうかもしれないし」
男はけろりとしているが、キャロリンは震えそうな心地がした。
フレンドリーだが、相手はビリーが素性を口にすることをためらうような男である。
先日のハンバート侯爵家が主催の夜会は派閥内のものだった。その招待状を伝手を頼って手に入れたというくらいだから派閥外の、おそらくは侯爵家以上の家格。
パウゲン家は以前から広く社交をするような家ではない。そんな家の娘のキャロリンも大それた社交をするつもりもなく、亡くなった父の穴埋めに奔走する日々では派閥外の知識まで深めることができていなかった。
国を二分する大派閥の中心公爵家にはどちらも息子が三人もいないことくらいは知っていたので、それは良かったなと思ったが。
「私は、名家のご当主様に知られていいような存在じゃないのです!」
「なんで?」
「祖父の代に困窮し、母は元々貴族籍ではなく商家の出です。由緒正しい方々のお眼鏡にかなうような目立った長所もありません」
「やだなあ、君はご家族思いの立派な子爵家の娘じゃないか。俺にはお母上の出身をどうこう言うような身内はいないから大丈夫だって。
心配しなくてもわざわざ家族に言うつもりはないし、君の家に言い訳が効く程度に幾度か逢瀬するくらいなら問題ないよ」
男はあっけらかんと言い放つが、それをはいそうですかと受け入れることは難しい。
「知り合って間もない方に、そこまでのお手間をかけていただいていいものでしょうか」
「俺から言い出したんだから、遠慮することはないよ。ねっ、それでビリーはくだらない噂から解放されるし、君はお母上を納得させることができるからいいことづくめじゃないか」
納得しがたいというのに、身分が上だという年上の男に自分の正しさを疑わない様子でまくしたてられたら、最後にはうなずく羽目になってしまう。
キャロリンは、ビリーが牽制していようが釘を刺していようがお構いなしの男に言いくるめられてしまった自分に気づいてひっそりとため息を漏らした。