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5 カフェにて

 馬車は問題なく目的地にたどり着き、キャロリンが案内されたのはカフェの二階席だった。

 大きな建物まるごとのカフェの一階にはたくさんの客のざわめきが詰め込まれていたが、階段を昇り廊下を進めば騒がしさが遠ざかっていった。扉を一つくぐった先にいくつもの扉が並んでいた。

 案内されたのが最も奥にある一室というだけで、ここが最上位の部屋であるようにキャロリンには思えた。扉が閉まればプライベートが確保される個室だ。


 敷地自体は大通りに面したカフェは広い庭を有していて、正面には大きな窓があった。室内だけではなく、広いバルコニーにもテーブルがしつらえられており、気分によって場所を変えられるようだ。

 男は迷いなくバルコニー席を選び、キャロリンの意思を手短に確認するとウェイターに素早く注文した。

 

「一応、きちんと確認していいかな」

 そう男が言ったのは、ウェイターが去った後だった。

 未婚の男女を二人きりにしないために入り口の扉は薄く開いていて、ついてきたヘレンが控えるのは扉の手前である。


 空は良く晴れていて、気温も程よく、眺望は素晴らしい。男が室内ではなくバルコニーに腰を据えたのは外に控える侍女に万一にも話を聞かせないためだろうと推測できた。

 ビリーの言うとおりに悪い人間ではないようだ。他に必要な様々な配慮が足りないような気がするが。


「……確認、と言いますと」

「ビリーからは、君はあまり社交を重視していないと聞いているけれど、本当?」

「そうですね。お恥ずかしながら、当家の財政事情はあまり芳しくありません。出来れば、最低限の社交のみで済ませたいと思っています」

「なるほどねえ」


 ふむふむとうなずいた男は、まるでキャロリンの真意を確認するかのように目を細めて見つめてくる。

「厳しいことを言わせてもらうと、ほんの数回夜会に出席しただけで社交とは言えないと思うよ?」

 鋭い指摘だった。

「毎回特に誰かと会話をすることなく、壁の花をしていると聞いたよ。誰とも交流するつもりがないなら、出席することこそ無駄ってものじゃない? 夜会の準備にも、何かと入用でしょう?」

「――おっしゃる通りです」

 キャロリンはぐうの音も出せずにうなずくしかない。


「自覚があるようで何よりだよ」

 男は満足げにうなずき、

「君の行動には矛盾が多いと思う」

 そして容赦なく指摘してきた。

 

 財政事情が芳しくないと考えるならば、母の意向を何としてでも突っぱねるべきではなかったのか。それが出来なかったのだとしたら、少しでも周囲との交流を図り、家のためにも顔を広げるべきではなかったのか。

 答える言葉を持たないキャロリンに、男は手控えるつもりなど微塵もないようだった。

「一番疑問なのは、どうして未だに君の家が当主不在なのかってことだよ」

「それ、は」

 浮かべているのは笑顔なのに、圧が強い。

 

「幼い弟君が後継と定められていたのはわかる。普通は、中継ぎで親族が継承するものだと思うけれど」

「叔父が……子爵の器にない人間だったものですから」

「あぁ」

 男はおおよその事情を察したか――あるいはビリーから聞き及んでいたことを思い出したか、すっと目を細める。

 

「お母上は? わが国法では女性の叙爵は認められているよ」

「商家の出身の母は自分にはふさわしくないと言いまして」

「子爵家に嫁して貴族籍を得たならば正当な後継ぎが成長するまで暫定的に認められなくもないと思うけど……まあ、ごちゃごちゃいう奴は出てきそうではあるね。では、君は? 若いとはいえ成人した子爵家の直系ならば、誰も文句は言わないでしょう?」

「私、は……」

 男は純粋な疑問を問うようにも見えた。他家の事情に遠慮なく首を突っ込もうとしてくるのは、本来それが許される立場の人間だからだろうか。


「領地を守るすべを知りませんから」

「そんなの誰でも最初はそうだと思うけど。知らないと言っても、幼い弟君よりはましでしょ」

「それは、今の弟に比べれば知っているでしょうけど」

「君とお母上、それに執事が今、子爵家を守っているとビリーに聞いた。弟君の成長を待っている間ずっと爵位を宙に置いておくよりも、君が中継ぎとして立った方が動きやすいんじゃない?」

 男は軽い口ぶりで言うが、ことはそう簡単ではない。キャロリンは否定するように首を横に振った。


「実務能力にも欠ける小娘が子爵位を継いだとしても、侮られるだけだと考えます」

「後見してくれる人はいないの?」

「そのような方がいるなら、ビリーお兄様ではなくその方を頼っていると思われませんか?」

「うーん、いないかあ」

 そこで注文の品が届いたので、会話は一度中断された。

 

 テーブルの上を整えてウェイターが出て行ってしばし、二人はカップを傾けてのどを潤した。

 男は慣れた様子で涼しい顔をしているが、キャロリンは高級なカフェの個室で供されるにふさわしい香しいお茶に密かに感動した。

 

「じゃあどうするの? 爵位を長期間空けたままにしておくのはよろしくないよ。下手をすれば爵位も領地も召し上げられる」

 彼女が内心舌鼓を打っていることに気付いた気配もなく、男は何事もなかったかのように話を再開する。


 途端にキャロリンは香しいお茶に苦みを感じたような気がした。

「正式な後継は弟ですから、弟がもう少し作法を身に着けた頃に叙爵するのがよいと考えています」

「幼すぎない? 適当な後見がいないのだとしたら、今から君がそれなりの後ろ盾がある伴侶を得て中継ぎで女子爵になるのが真っ当じゃないかなあ」


 男はキャロリンの思考を読もうとせんばかりに、まっすぐに彼女を見つめてくる。

「仮に弟君が爵位を継いだところで、幼く独り立ちもできないのだからどのみちしばらくは後見が必要でしょう? 成人した姉であるといっても、自分が爵位にふさわしくないと考えているような君が後見できるわけがないじゃないか」

 キャロリンが見ないふりをしていた痛いところを、男は容赦なく指摘した。

 

 何も言えなくなるくらいキャロリンを追い詰めたのに、男は相変わらずの涼しい顔。

 身じろぎさえできずに口を噤む彼女を悠々と観察するような様子だ。

「騎士団には男がいくらでもいるよ。子爵家の後見になれるほどの男となると多少絞られるけど、どんな奴でも君のような若い女性よりは周囲に睨みを効かせられる。そういう相手をビリーに紹介してもらえば良かったんじゃない?」

「……母は、それを期待していたのだと思います」

 黙っていても仕方がないのでキャロリンは白状することにした。


「お願いすれば、お兄様も誰かを紹介してくださったのでしょう。でも、果たしてそこまでして頂く価値が私にあるのでしょうか」

「んん?」

 聞いた男は首を傾げた。


「パウゲン家は、政略とするには利がありません。弟が独り立ちするまでは少なく見積もっても十年はかかるでしょう。こちらが長期間お力添えを願うばかりだとわかっていて縁を求めるのは高望みです。力を尽くしてくださっても、当方に出せるものはわずかな期間、子爵家の疑似的な当主になることくらいしかありませんもの」

「なるほど、君の自己評価が低そうなことはわかった」

 男はふむふむとうなずいた。

「困っている女性の助けになることは、騎士として本望だから気にしなくてもいいと思うけどな。君は魅力的なお嬢さんだと俺は思うよ」

 惜しげもなく満面の笑みを浮かべ、男は気楽に言い放つ。


 キャロリンはその言葉を全く信用する事ができなかった。

 パウゲン家の財産は潤沢とは言えず、持参金がまったく出せないほどではないけれどその額は慎ましやかなものとなるだろう。クリフの生まれる前、跡継ぎ娘で婿をとる予定だった頃ならば、それでもいくらばかりか引く手はあったのだが。

 仮に弟がいなければ、家付き娘に婿入りするという明確な利を伴侶に与えることができるから、現状もう少し先行きも明るかったと考えられる。薄情にもそう思ったことがなかったとは言えない。

 

 しかし、現実に弟のクリフはとても可愛いし、彼がいたからこそ父を亡くした後も母と二人何とか明るくやれたのだという自覚もあった。母が身ごもったと知った時に胸に抱いた暖かい気持ちも嘘ではなかった。

 自分の身の振り方が変わってしまったことよりも、弟の誕生を喜んだことも。


 無邪気な可愛いクリフを、何の憂いもなく見守りたい。それにはできれば助けがあればありがたいけれど、簡単に助力が得られるわけではない現実をキャロリンは知っている。

 キャロリンは不美人とまでは言えないが、誰もが目を見張るような美貌を持ち合わせている訳でもない。

 容姿はそこそこのものがあると信じたいところだが、よくて中の上といったところでなんにせよ華がない。着飾らないからだと母は言うけれど、身を飾るのにも財力がいる。結果良縁が訪れれば御の字だが、自分のような悪条件でそれは高望みだと思っていた。

 キャロリンよりも条件の良い、年頃の美しい娘はいくらでもいるのだ。実を結ぶかわからないことに惜しみなくつぎ込めるほどパウゲン家の財が潤沢ではないことをキャロリンは知っていた。


 クリフの誕生後、それまで付き合いのあったいくらかの家との縁が薄くなったのを知ったキャロリンは、家付き娘でない自分の価値をうっすらと悟ったのだ。

 そしてそれは父を亡くした後に、彼らが再び近づいたことでそれは確信に変わったのだった。

「下手に私が縁付き、子が産まれると厄介なことになりかねませんから」

 男は強引で、その上聞き上手だった。

 どういうことだとぐいぐい来て、そこからキャロリンの胸の内を吐き出させてしまう。


 訥々とした、要領の得ない話を聞いて、男は天を仰いだ。

「つまり君は、男性不信なわけだ」

「そうですね」

 最終的には縁付いた相手が家の乗っ取りを企んでしまえば困るなどと明け透けに語ってしまう羽目になったキャロリンは、否定もできずにうなずいた。

「当家から領地も近く、複数の男子がいて、昔も今も変わらずお付き合いがあるのはフェルド家くらいのものです。ビリーお兄様はご存じの通り親しい方がおいでですし、今から全く内実を知らない方と縁付くくらいなら、領地のことに目を向けたいのです」

「真面目だなあ」

 苦笑した男が、

「よし、じゃあやっぱり、俺がしばらく君に付き合おうか」

 まさかの結論を出したので、キャロリンは思わず立ち上がって「何でですか!」と声を上げる羽目になった。

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