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4 迎えに来た男は

「やあ、こんにちは」

 先日の夜会で顔を合わせただけの男がにっこり微笑むのを、キャロリンは胡乱なまなざしで見ることとなった。

 

「私、今日は、ビリーお兄様と約束していたのですが」

 場所はパウゲン子爵家、王都での拠点であるタウンハウスのエントランスだ。身支度をして幼馴染の訪れを待っていたキャロリンは、困惑気味の執事ダドリーが伝えた予定外の来客に苛立ちを覚えずにはいられなかった。

 

 ダドリーを従えキャロリンが来訪者に対しやんわりと口を開くと、

「そのビリーが急用だから仕方ないよね」

 有無を言わせずにこちらを丸め込もうとしてくる。

 彼が差し出してきたビリーの手紙には、間違いなく本人の手によって予定が変更になったことの詫びと本日は代わりにバートが相手をするからという旨が書かれてある。

 

 にこやかな男が、この上もなく胡散臭い。ビリーは釘を刺すと言っていたが、刺し損ねるどころかかえって丸め込まれたのだろうか。

 あるいは彼の筆跡を真似たとか……考え始めたところで、今はそれどころではないとキャロリンは我に返る。

 現実にこの場にビリーの姿はなく、考え込んでいる間に由緒正しい家柄出身だと幼馴染が言っていた男は、騎士の紋章を身分証代わりにダドリーに提示して今日のキャロリンの相手役を申し出ていた。

 

 今日の予定は社交目的ではなく、今キャロリンの目の前にいる男についてその後の情報交換を目的としている――少なくとも、昨日打診を受けた時にはそのように聞いていた。

 なのにふたを開けてみたら、ビリーの代わりにやってきたのは問題の男である。

 

 ビリーはパウゲン家の遠縁にあたる信頼された紳士であり、その手紙を携えて代理でやってきた騎士の男を拒否する術をキャロリンは持ち合わせていなかった。

「本日はビリーに代わり私がお嬢様をご案内するように言付かりました」

 少なくとも、今日の男は先日よりも真っ当に見えた。シーズン中領地に残る母に代わり、年若いキャロリンのお目付役としてある程度の権限をゆだねられている執事にそつなく今日の予定を告げる口調に非の打ちどころはない。


 綺麗になでつけられているとまでは言い切れないが、夜会の時より櫛の通った気配のある髪。タイはないが、ちゃんと身の丈にあったシャツにベストを合わせてある。

 ビリーの口振りからは相当上のお家柄のようだが、キャロリンが気後れするような上等すぎる装いでもない。しかし、身の丈に合った服装で背筋をピンと伸ばしていると、前情報を得ているからかちゃんと良い家柄の人間に見えるから不思議だった。

 きちんとこちらの家柄に見合った姿なのは、ビリーの入れ知恵でもあったのだろうか。


 はじめ困惑気味だったダドリーも真っ当な紳士の態度を見たことで警戒を解いたようだった。

 

 当主不在の家で現在主一家の補佐として重責を担う彼に心配させまいと夜会での出来事を話しておかなかったのは失敗だったと今更後悔しても遅い。

 キャロリンは抵抗することもできず、淑女らしく彼のエスコートに身を任せることになった。

 

 日の光の下で相対する男の笑顔には一点の曇りなく、非のない相手に文句をつけることなどできるはずがない。そんな不調法は、幼い時から仕えてくれている第二の父のようなダドリーがいい顔をすまい。

 お嬢様を見送る体の執事の顔には、期待が見えるようだった。

 「ビリー様はお嬢様にいい方をご紹介くださったのでは」という期待が。

 何も言われていないうちに否定することなどできず、キャロリンはすました顔で男に従わざるをえなかった。

 

 個人的にはまだ信頼ならないが、この男の身元はビリーが保証してくれている。仮にも騎士団に所属する由緒正しい家柄の人間なのだから、幼馴染の言う通り悪い男ではないのだろう。

 男がパウゲン家に乗り付けたのは、家名を示すような特徴のない箱馬車だった。パウゲン家やフェルド家が所有しているものとさほど変わらないしつらえだ。

 そんなものを難なく手配してきたのだから、やはりこの男はビリーの言う通り裕福なのだろう。

 

 紳士的にキャロリンを内部に導くと、男はその正面に座った。内部には侍女が乗れるほどの余裕がなく、わずかに心配そうな様子を見せながら付き添いとしてキャロリンに同行するヘレンは、御者の隣に腰を落ち着けるようにしたようだった。

 ややして馬車は静かに動き出した。


「どこに行くのですか」

 沈黙を避けたくて、キャロリンは問いかける。

「ビリーから今日はカフェでお茶をしてそこらを散策する予定だったって聞いているよ」

 幼馴染から打診を受けた通りの内容を男は答える。キャロリンはわざと大げさにため息をついてやった。

「それがビリーお兄様のご意志だったのかしら、というところから私は疑っています」

 男は大げさに目を見開いた。

 

「どういうこと?」

「そんな洒落っ気はお兄様らしくないのです。誘われた時から少し違和感がありました。気晴らしもかねてということでしたから、そういうこともあろうかと飲み込んでいましたけど……」

 ビリーが相手なのだったら、パウゲン家かフェルド家の庭でお茶をするくらいで十分なのにと思っていたのだ。

 

 領地の本宅ほどの広さはないが、王都のタウンハウスの庭は狭い代わりに綺麗に整えられている。田舎とは違って都市には庭師という立派な職業があるからだ。

 大貴族お抱えの庭師ほどの腕はないだろうけれど、通いの庭師は閑散期に領民が整える本宅の庭よりもきめ細やかにタウンハンスの庭を管理してくれている。

 狭いながらも東屋があり、ティータイムにはそこから景観が楽しめるのだ。 


「なるほどねえ」

 詳細は口にせずお兄様は案外出不精な方なので、という言葉で簡潔に違和感を説明すると男は納得したようだった。

 

「今日のお誘いは、最初から貴方の策略ですか?」

 やんわりとした口調で問いかけたけれど、言葉の内に残る刺々しさは隠しきれない。失礼は承知の上だった。

「策略というほどでもないと思うよ」

 男は笑顔も崩さず、緩やかに肯定した。


「君は、ビリーが城でそこそこ注目されている将来有望な騎士だって知っている?」

「いえ――、当家の領地は王都から遠いですし、父の喪中はなおのこと社交を控えていましたから最近の噂には敏くありません。彼もわざわざ自慢をするような人ではありませんから。ただ、ビリーお兄様は自分の実力には自信がありそうでした……そんなに、有望なのですか?」

 問いかけに驚きをもって問い返すキャロリンを、男はじっと見ている。

 

「変に上の方に目をかけられたって、本人は嫌がってるけどね。目立つ人の足を引っ張りたい輩はどこにでもいるから、ビリーが年増になったステファニーを捨てて若い幼なじみに乗り換えたなんて噂が立ったのは見過ごせなくって。彼らは婚約もしていないし、関係性は淡泊に見えるけど実際は相思相愛だっていうのに、若い娘を連れ回しているなんて口さがなくいう奴らがいてね」

 キャロリンはそんな話を聞いてようやく夜会の際にこの男があんな言葉をかけてきた理由がわかった。

「それで、私がビリーお兄様を連れ回しているだなんてあの時おっしゃったの?」


「夜会の参加も片手の指で数え切れる程度、べったりするでもなくあんなに離れていて連れ回すなんて言ったのは悪かったねえ」

 男は笑みを引っ込めて、少しばかり神妙な顔を作る。

「あれからビリーにも確認したけど、いつもあんなものなんだって? それで不義理だの言いだす人間の目は節穴じゃないかと正直思うけど――。くだらないことにビリーが煩わされるのは面白くない」

 でしょう? と小首をかしげて問われてしまうと、その原因であるキャロリンにうなずく以外の選択肢はない。

 ビリーは兄のように慕う大事な幼なじみだ。自分が原因で足を引っ張るようなことは望ましくなかった。

 

「本人は気にすることないっていうけど、そういう問題でもないでしょ。だから、俺が代わりを務めるって言ったのに」

 男はまるで子供がいじけるように唇を尖らせる。

「俺がそんなことすると余計に面倒になことになるっていうんだから」

 不満そうに漏らされても、キャロリンとしては反応に困る。

 

「貴方は、ビリーお兄様が易々と明かすことができないような建国当初からの由緒正しい家柄の方だと伺いました」

 ビリーの出身であるフェルド家は男爵位、キャロリンのパウゲン家も子爵位。どちらも貴族ではあるが家格は高くない。

 上位の家はいくらでもあるが、建国当初からとビリーが注釈してくれたことでその数はある程度絞られるのではないかとキャロリンは予測している。

 予測に基づいて絞り込む時間もなければ、その労力を割くほどの勇気もなかったけれど。ビリーがあえて男の素性を口にしなかったのだから、わざわざ藪をつついて蛇を出すようなことはしない方がいいと思ったのだ。

「当家は現在当主不在、中央との縁も薄く、力もありません。有力なお家の方と親しくするのは分不相応だとお兄様は心配してくださっているのですわ。良くない噂に、今度は貴方が煩わされることになります」

 言い切ると、ますます男は不満げになった。ずっと笑みを崩さなかった相手の様子は不穏ではあるけれど、なんだか表情が弟が我が儘を言う時のそれに似て見えるので怖さは感じない。

 キャロリンより明らかに年上だと思えるのに、どこか子供のようだった。


「俺は父上の跡を継ぐわけでもないし、恋人も婚約者もいない身軽な身だから噂されてもどうってことないけど、今後を懸念するビリーの気持ちがわからないわけでもない」

 男はそこで再び、笑顔を見せた。

「変な噂にならないように、うまーく、いいようにしようか」

 詳細のわからないふんわりとした言葉を迷いなく言い放つ男に、キャロリンは言いようのない不安を覚えずにはいられなかった。

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