2 幼なじみは頭を抱える
「やあ、ビリー。いい夜だね」
ビリーは呑気に手を挙げる男とキャロリンとの間に入ってきた。紳士らしく――あるいは騎士らしく、令嬢を守る体である。
「なんで、こんなところに、いるんだ?」
「なんでって。そりゃあ、もちろん俺も招待状をもらったからさ」
「招待状だあぁ?」
ダンスがメインの会場の端も端、人目のつかない場所ではあるけれど、社交の場でのあまりの柄の悪さにキャロリンはギョッとする。キャロリンにとっては信頼できる紳士であるビリーも、この男の前では礼儀も何も消え失せるものらしい。
「どうやって手に入れた?」
「俺にだって伝手の一つや二つあるんだよ」
ビリーの陰からそっと様子を窺ったが、男はビリーの態度なんて気にしたそぶりもなくにこやかだ。ふふんと胸を張る男に向けて、ビリーは大げさに息を吐いた。
「それはあるんだろうが……お前、伝手を頼って参加するのになんて格好をしてるんだ」
「兄上が昔着たものを借りたんだけど、俺には少し大きいんだよね。物は悪くないんだけど」
借りる時に体格の違いを考えなかったのかとビリーに呆れたように問われると、男は照れたように笑う。
「で、そんななりでわざわざキャロリンに声をかけた理由は何だ?」
男の表情とは対照的にビリーは語気を強めて話を変えた。
「ちょっと彼女に提案をね」
ねっとビリーの陰にいるキャロリンをのぞき込むように男は微笑みかける。
ビリーは彼の視線を遮るように立ち位置を移動した。
「提案だと?」
首を傾げたビリーは応じようとした男の動きを手を振って止め、キャロリンを見た。
「今日はもう帰るぞ」
はいともいいえとも答えないうちにビリーが動き始めるので、キャロリンは慌てて続いた。
「えー、もう帰るの?」
早足のビリーはドレスで出足の鈍いキャロリンの隣に悠々と男がついてくるのを見て眉を上げる。
「キャロリンが面倒なのに絡まれたら退散することにしている」
「面倒なのって……まあ、そうかもだけど」
「自覚があるようでなによりだ。もっと自重してもらえるとこちらとしては助かるんだが」
「うわあ、怒ってる?」
ビリーには明らかに怒気がにじんでいたが、その怒りの対象である男は堪えた様子が全くない。それどころかあえて茶化す風でもあった。
「お前にまとわりつかれながら残る意味なんてないだろ」
「うわあ、つめたーい。でも話は聞いておいた方がいいと思うな」
どれだけビリーが男を置き去りにしたくても、キャロリンのエスコートをしている以上それはかなわない。会場の扉をくぐりぬけ、夜会の喧騒が遠のいても男は二人についてくるのをやめなかった。
「何故だ?」
実に嫌そうにビリーは男を振り返った。
「俺が彼女にどんな提案したか本当に聞いておかなくていいと思う? このまま放置すれば俺は君の幼なじみを言いくるめる自信があるけど」
ビリーは何かを言いたげに口をもごもごさせるが、すぐに言葉が出てこないようだった。彼の顔を見て、苦虫を嚙み潰したような顔とはこういう表情なのだろうとキャロリンは思ってしまう。
「……この娘は俺が妹のように可愛がっている大事な幼なじみなんだが」
「知ってるよー。近しい親族に当てがなくて、遠縁だけど兄代わりとして君がわざわざエスコートを務めてあげるくらいのお嬢さんでしょ?」
「そうだよな、俺はきちんと説明したよなあ。それなのに、お前がこんなところに出張ってきてキャロを言いくるめるって、何なんだ?」
とうとうビリーは足を止めて、自分よりわずかに目線の低い男のことを睨むように見下ろした。
「どうせろくでもないことだろ。頼むからお前の思い付きにこの娘を巻き込むのはやめろ」
ビリーのけんか腰で歯に衣着せぬ物言いからすると、やはり相当親しい間柄のようだ。
「どうして? 彼女が本気で出会いを求めてないなら、俺が代わって何の問題もないでしょ」
「お前が何の問題も感じてないのだとしたら、そっちの方が問題だな」
静かに目線を交し合い、先に目をそらしたのは男の方だった。
「まあ、そんなにすぐ色よい返事をもらえるわけがないよね~」
男はようやく二人から離れることを決めたようで、言うやいなやあっけなく身を翻した。
ちらりと振り返った顔は、相変わらずの笑顔だ。
「君たちが社交に出る機会も限られてるようだし、また今度話しよ。じゃあ、良い夜を。気を付けて帰ってね」
そして言いたいことだけ言って手をひらひら振ってから、何事もなかったかのように去っていく。
キャロリンはビリーと二人で何となくその後姿を見送った。
「何考えているんだ……」
男が廊下を曲がり姿が見えなくなったところで、ビリーはぼそりと呟いた。
「あいつなんてった? 今度話そうとか言ってなかったか?」
「言ってましたね」
キャロリンがうなずくと、ビリーは大げさに頭を抱えた。
「ろくでもない予感しかしねえ!」
幼なじみがろくでもない予感を感じたこの出会いがキャロリンの運命を変えるだなんて、この時の二人は考えもしていなかった。