28 そして、真実を1
「ありがとう、おかげでいいものが選べたよ」
その後、無事に姪への贈り物を手に入れたバートはほくほく顔だった。
「どういたしまして」
キャロリンは応じながらも、内心首をひねっていた。
なぜなら、おかげでと言ってもらえるほど役に立てたとは思えなかったことに加えて、結局一つに絞り込めなくてあれもこれもと彼が惜しみなくいくつもの品を購入していたからだ。
紙袋を片手に歩く彼の足取りは行きよりまして軽やかに見え、やっぱり女の子のものは女の子に聞くといいねえと満足しているようなので、自分で思ったよりも役に立てていたのならいいのだが。
「ところで、昼食なんだけど」
弾む足取りのまま振り返ったバートは神妙な顔になった。
「本当は、この間みたいにどこかの店に入ろうかなと思ってたんだけども」
言いにくそうに口火を切る彼の様子に、キャロリンは何となくピンときた。
「もしかして、露店で購入したいのですか?」
バートが弾かれたように目を見開く。
「えっ、なんでわかったの?」
彼は驚いたようであったけれども、キャロリンにとっては予想の範囲内だった。基本的には目的に集中し、姪への贈り物選びに真剣であったバートではあったが、食べ物の屋台に時折視線がそれていたことに気付いていたのだ。
食欲をそそるいい香りが漂ってきているのだからさもありなんと思っていたのだが、悟られているとは考えてもいなかったようだ。
「時々、食欲をそそる香りに目を向けていらっしゃったなあ、と」
遠慮がちに指摘すると、どこか恥ずかし気にバートは身をよじった。
「だって、おいしそうだよねえ。小腹が空いた時間に、あれは害悪だよ」
恥ずかしさを振り切るようにバートは同意を求めてくるので、キャロリンは大いにうなずいた。
というわけで、二人は気の向くままに食べ物を扱う露店を存分に見て回った。
健啖家のバートに比べたらキャロリンは小食であるので、何を食べるか吟味しようとしていたが、迷う気配を察するとたいていバートが早々と購入して気前良く分けてくれる。
一応は貴族の子女としていかがなものかと頭をよぎったのははじめばかりで、キャロリンはすぐに思考を放棄した。
貴族としては問題があるが、年頃の若い男女のデートとしては真っ当な行動でもあった。仮初とはいえ二人は恋人同士でもあるのだから、ある意味問題がないとも言える。
バートはとても楽しそうだった。キャロリンの知る限りいつでも楽しそうな人は、今日はいつにも増して楽しそうに見える。
大振りに切って串に刺した仕入れ値も安そうな硬い肉に味付けして焼いたものでさえ、嬉々としてかぶりついているので間違いない。
その理由はある程度お腹を満たした後、以前のように公園に立ち寄り木陰にあるベンチで休憩中に簡単に本人からもたらされた。
「一度こういうこと、やってみたかったんだよねえ」
本人は軽く口にしたが、聞いたキャロリンはさすがに慄いた。
気楽に街をそぞろ歩く彼だから、当然食べ歩きの一度や二度したことがあると思ったが、まさかの初体験らしい。
「よかったのですか?」
問いかける声には、自然と震えが混じってしまった。
「なにが?」
応じるバートはきょとんとしている。キャロリンは、何をどう言うべきなのかすぐにはわからない。
「あのう、もしかして禁止されているとかだったのでは……」
わからないまま、ようやく思い立ったことをぼそぼそ口にすると、ああとうなずくバートは心得顔だ。
「そういうわけではなく、やってみたかったんだけど機会がなかったというか」
返答を聞いて、本当だろうかという疑問が頭をもたげる。
彼と親しいビリーは男爵家の次男坊という気楽さもあって、キャロリンよりよほど市井のあれこれに通じている。バートに興味があるのなら、これまでに機会なんて作れそうなものだった。
そんな疑問を呑み込むことにしたのは、幼なじみが恋人とのデートさえままならないほど忙しそうなことを思い出したからだ。職場が同じだからこそ親しくしているが、そうであるからこそ休日を同じくするのが難しいということなのだろう。
「それならよかったです」
キャロリンが控えめに微笑んで見せると、
「一人でするってのもきっと寂しいだろうし、付き合ってくれて本当にうれしい」
バートはにこやかに言った。
「そうでしょうね。私も以前、従兄とこうして食べ歩いたことがありますけど――おそらく、一人ですることはないと思います」
「従兄、というと……君の母上のご実家の商家の」
「ええ。私と年の近い方、といっても三つばかり年上の従兄です。いつも商圏拡大を目指して王都に居つかずあちこちふらついている人なんですけど、たまたま去年のシーズンの辺りはこちらにおりまして」
「へえ。仲がいいの?」
「年が近いですし、それなりには」
「ふうん」
うなずいたバートが珍しく眉をひそめたので、キャロリンは首を傾げた。
「デートしたってこと?」
ようやく口を開いたかと思いきや、彼はそんなことを言った。
「デート……ですか?」
何を言ってるのだこの人はとキャロリンは思ったが、バートはひどく真面目な顔をしている。
「君と年が近い方の従兄殿はまだ独身だったよね」
確認されたことは事実なので、キャロリンはうなずいた。
母の実家がもう少し貴族に顔が効くような大商会であったなら、その従兄にエスコートをお願いしても良かったのだけどということを彼に話したのは他ならぬ自分自身だ。
「年回りの合う従兄なら、君の縁談相手にだってなれるじゃないか」
キャロリンは再び何を言っているのだこの人は、と思った。
「あの人は女性よりも仕事と添い遂げたそうなので、絶対ないですね。なんだかんだ情に厚いので世話を焼いてくださってますけど、母の実家は利に敏い商家でもありますので当家とこれ以上縁付く利が全くありませんから」
厳然とした事実を聞いたバートは目を丸くし、それからどことなく難しい顔で、眉をハの字に変える。
「言うねえ」
「事実ですし。従兄は若さを武器にして年中国内を飛び回ってるのが性に合うと公言しているので所帯を持つのに向いているとも思えません。向いてなくても……そうですね、野心家でもあるのでどこかの商家が婿入りをご希望なら前向きに考えそうではありますが」
自分が跡取り娘のままであったならばという可能性はなきにしもあらずだが、だとしてもないだろうなとキャロリンは思う。
従兄は根っからの商売人なのだ。お荷物にしかなりそうにない使えない妻は、例え仲良くしている従妹でも不要だろう。
「利に敏い商家、かあ」
意味ありげに漏らすバートに「従兄は根っからの商売人なのですよ」と考えた通りのことを伝えると、「商売人ねえ」とぶつぶつ続けている。
「君も結構、利だの益だの考えているようだから、案外商人の妻にも向いてそうな感じもするけど」
「商家の出の母の影響かもしれません」
「それにしては、俺との縁を嬉々として結んでくれないのが不思議だよねえ」
「いつまでも身を明かしてくださらない方の求婚に頷けるほどにはこどもではありませんので」
「君が怖気づいて逃げてしまうと嫌だからなあ」
バートは軽い口ぶりだったが、何か実感のこもった言葉にも聞こえた。
「ご存じの通り私は半分平民の血を引く落ち目の子爵家の娘なので、バート様のご身分によっては怖気づいてもおかしくないとは思いますけれども。でも……」
キャロリンは言いかけて、口ごもった。
きゅっと一度唇を噛みしめ、これまで知りえたバートの人となりと、彼なりの精いっぱいであろう好意の表現を思い出す。
従兄がキャロリンの相手になりうると口にしたのなんて、もしかしなくてもあれは嫉妬ではないだろうかと思われる。
そのことに明確な好意を感じ、それに悪い気がしなかった。
それはつまり、彼に対して自分は少なからず――いや、随分好意を抱いているのだ。その証拠に、今日だってとても楽しめたではないか。
いつまでも素性を明かしてくれないところだけは気にかかるが、たったそれだけのことで彼との縁が途切れてしまうことは嫌だなと素直に思うのだった。
「ビリーお兄様からお聞き及びかもしれませんが、バート様からのお便りが中断した時、私は寂しく思ったのです」
その気持ちをキャロリンは真っ直ぐに伝えることにした。
「毎日やり取りするのは正直大変だと思っていましたけど、でもその大変さも今思えば楽しかった。バート様とのご縁が途切れることも、貴方の素性を知ることと同じ程度には怖いです」
キャロリンは隣に座るバートに膝を突き合わせそうなほどに身体を向けてから、じっと訴えかけるように見つめた。
「ただ、すべてを知らないことには、求婚へのお返事はいたしかねます」
意を決して訴えると、バートはうっと言葉に詰まった。
それを見て直前まで胸に沸いていたはずの勇気がしぼんでしまった。いつの間にか膝の上で握りしめていたスカートの布地のしわが目に入る。
「……残念ですけれど、お互いのためにもこれでご縁はなかったものとした方が、いいのかもしれませんね」
ビリーの忠告を得た後のこの機会に、ここまで口にしてもなお口ごもるバートの姿にキャロリンは落胆した。
今日を楽しむためにあえて先に話すつもりがないのだろうと、はじめは考えた。
何も知らされないからこそ、心置きなく純粋に楽しんだ自覚もある。
彼がどれほど高貴な家柄の人間であろうと、中身は気安く親切で、共に過ごすことは気楽だった。そうなるように、きっとバートが存分に配慮してくれているのだろうとも感じるが。
しかし楽しさがつのるにつれて、徐々に彼が何も伝えてくれないのはやはり自分を信用してくれていないからではないかという考えが頭をもたげてしまったのだった。
キャロリンについて彼はその事情もなにもかもほとんどすべて知っているというのに、自分自身についてはあけっぴろげに語るようでいながら肝心なところは何一つ教えてくれない。
これは公平ではないと思った。
キャロリンはこぶしを握り、にじみそうになった涙をこらえた。
悲しかった。それに、悔しい気もした。
その理由は、自分が思ったより彼のことを好きになりかけていたからかもしれない。
この縁を自らの手で断つのは惜しく――だけど、ここで決めなければならないと覚悟した。
何も知らないままなし崩しにずるずると先延ばしにされてしまえば、きっと以前幼なじみが口にしたとおり絆されてしまう。バートは悪い人ではないと思うけれど、それはやはりよくない。
絆された先でようやくすべてを知ることになったとして、その時に自分はどうなるだろう。
何も感じないだろうか? すでに絆されていたのならばその可能性もあるけれど、心の底では不満を抱えてしまうのではないだろうか。
これが政略なのならば、その程度のこと飲み込む矜持くらいはキャロリンにだってある。
しかし今、相手の真なる家名さえ明かしてもらえていない、個人対個人の――政略にもなりえない求婚に、妥協は許されない気がしている。
信頼するビリーの忠告を思い起こし、キャロリンは瞳に力を籠めバートを見据えた。
力強い視線にバートはたじろいだが、目は逸らさなかった。
「俺は……」
ようやく口を開いた彼の声には、大きな躊躇いが混じっていた。
ひどく言いにくそうに、口を開けては閉じている。
「自分の身元を明かすことで、君に身を引かれる方が怖かった。だからできるだけ、知らせるのは先延ばししたかった」
何をそんなに恐れることがあるのかとキャロリンは半眼になったが、見据えるバートの方は至って本気のようだ。
「でもそのことが逆に君と疎遠になることにつながるなら、もう黙ってはおけないんだろうな」
バートの言葉から迷いが消える。
彼は一度目を閉じ、大きく息を吐くと立ち上がって手をひらりとさせる。何かに向けての合図――人を呼ぶ動きに見えた。
まず出てきたのは今日もお目付け役として離れた位置で二人の近くで待機していたキャロリンの侍女ヘレンだ。
彼女は自らの尾行能力の低さを悟ったのか、あるいはすっかりバートを信頼しきっているのか、今日もお目付け役と言っても一応という注釈をつけてもいいほど距離を取っていた。
なぜ呼ばれたのだろうと戸惑った様子で近付いてくるヘレンの後ろから、見知った顔が現れたのでキャロリンは驚いた。
それはキャロリンとバートの共通の知り合い、ビリーとステファニーだった。ヘレンとも当然知り合いのビリーが声をかけ彼女をその場に留めさせると、彼は恋人と連れ立って近づいてくる。
ビリーに何を言われたのか、侍女は雇い主であるキャロリンに一礼すると、その場を離れていく。
近づいてきた二人はバートとキャロリンと似たような出で立ちで、それはすなわちデート途中のように見受けられる。
そうは見える……のだが。
キャロリンは内心大いに首を傾げた。
近頃忙しい様子でろくにデートしていないと断言し、先日キャロリンの勧めで久々にデートしたくらいのビリーが、都合よく恋人と姿を現したからだ。
久々に良い時を過ごしたことでその気になり、再びデートしているだろうか?
そうだとしても、そもそもが休日が合わないようなことを言っていたのにこうして都合がつけられることに疑問を覚える。
疑問を消化できないうちに、彼らは二人の前までたどり着いた。
「呼ぶのが、遅いんだよ」
ビリーの顔にはまだ言い足りないと書いてあったが、口にしたのはそれだけだった。よく見たら一見彼と仲良さそうに手をつないでいるステファニーが、嗜めるようにビリーの手を強く握りしめているようだ。
仲が良いことだと二人を見つめたことでキャロリンはそれに気づいた。
「すぐに伝えるようにって、言ったと思うんだが」
恋人に宥められたことでビリーの語気は幾分か弱まる。バートを視界に入れたら荒ぶるのだと言わんばかりにあからさまに目線を逸らしてぶつぶつ言っている。
「覚悟が決まらない俺にも配慮してほしい」
「それなら最初っから求婚なんてしなければいいし、覚悟が決まらないという割にはあれこれ動きすぎてるんだよ。外堀だけ着々と埋めてるんじゃねーよ」
「ビリー」
だんだん熱くなってバートを睨むようにしたビリーが、ステファニーの冷静な声に空いた左手を上げて降参した。
「日が落ちる前に意を決されたのだから、良しとしようじゃないか」
何か言いたげだが何も言わずに、ビリーは大きく息を吐いた。大げさに頭を振ってやれやれと言わんばかりの幼なじみに、
「あのう、もしかして、お二人は今日ずっと私たちのことを見てらっしゃったのでしょうか」
キャロリンはおずおずと話しかけた。話の流れから、そうとしか思えなかった。
言葉少なにビリーはうなずいた。
どういうことなのかまったく意味不明だが、彼らがそうした理由は何となくわかるような気もする。
きっと、心配してくれたのだろう。
ありがたいけれど、知らぬ間についてこられたことに感謝を述べるのも違うような気がする。ビリーが呼ばれること前提の口ぶりだったことから、バートに依頼されてのことでもあるのだろう――だから、何故勝手にと非難することもためらわれる。
「悪いな」
気まずそうにつぶやくビリーと静かに頭を下げるステファニーに、キャロリンは大丈夫ですと言うしかなかった。
「子どもでもあるまいに、付き添いが必要だっていうもんだから」
「だって」
言い訳を続けるビリーに応じるバートの口ぶりがまさに子どものようだったので、キャロリンはつい笑ってしまう。
「本当のことを伝えてもキャロが信じられないかもしれないからと言われると、否定もできなくて」
だって、とバートがもう一度繰り返す。ビリーはため息を漏らして「残念ながら一理あるからなあ」とぼやいた。
バートが由緒正しい家柄だと保証してくれた幼なじみが、いざ明かされる場に立ち会ってくれるのはキャロリンにとっても心強いことだ。
それを見越しての配慮なのだと気付いてしまうと余計に何も言えない。
多忙な人達を付き合わせるのはどうかと思うし、バートがそんな手配を騎士団の上部に無理強いできるだろうと気付けば空恐ろしい物も感じるが。
まあそれはそれだ。
「いいかな?」
バートがちらりと呼びつけた二人に確認すると、ビリーはしぶしぶ、ステファニーは真顔でうなずいた。
よしとうなずいたバートがすっと表情を改めて、キャロリンに近づいた。
見慣れた笑顔が消えるだけで何となく落ち着かない気持ちになるのはなぜだろう?
キャロリンもなんとなく、居住まいをただした。
街歩きに見合った身軽な姿なのに、すっと片膝をつくさまはいかにも騎士らしく洗練されている。
「キャロリン・パウゲン嬢。私の正式な名は、エルバート・ツァルト。長く偽りの名を伝えていた身ではありますが、以後何も隠すことなくお互い助け合いよい家庭を築きたく存じます」
跪いてキャロリンの右手を取り、まるでお姫様に忠誠を誓う騎士のように滔々と述べる彼は真剣で、強い眼差しから目を逸らすなんてできないままただただ彼女は呆然とした。
驚きすぎて、何も言えなかった。
バートやビリーが告げるのをためらう理由が、その名を聞いて否応なく理解できた。
疎いキャロリンでも知っている家名だったからだ。
言葉を失ったまま、頭の中でバートが教えてくれた彼の情報が巡っていく。素性を教えてくれなかっただけで、告げられたほとんどが真実なのだともわかってしまった。
今こそ幼なじみを頼りにすべき時なのに、そちらに視線を向けることさえできない。
「第三王子殿下――?」
国の名をそのまま姓とするのは王族だけ。姉が一人、兄が二人いる王族――さらには未婚の王族なんて、キャロリンが知る限りただ一人。
呆然と呟いた彼女に、神妙な面持ちでバートはうなずき。
そして、
「一応今はね。いずれ母の実家の伯爵家を継いで臣に下るんだし、伯爵家と子爵家なら気にするほどの家格差じゃないよね! ね?」
再び何も言えなくなったキャロリンに慌てて言い募った。




