26 買い被り
昼食を共にする目的の割には早い時間に、バートはキャロリンを迎えに来た。
ラフな姿だが髪にわざと寝癖を付けるのはやめたようで、今日はきちんとしている。例によって見送りに来たダドリーと交わす挨拶もにこやかだ。
しかし、エスコートに従って馬車に乗り込むと、彼は素早く笑みを引っ込めた。
「ビリーからも忠告されたんだけど、兄上たちからもされたんだ。君もいろいろ言いたいことがあるだろうけど、とりあえず今は難しい事は言わずに、前と同じように付き合って欲しいな」
真剣な表情に押されて、キャロリンは思わずうなずいてしまう。
パッと彼に笑顔が戻る。良かったと安心したようにつぶやくので、キャロリンもなんだかほっとした。
覚悟を決めようと考えていたけれど、やはりそんな事は無理だったのだ。
こうなるとバートが素性を明かしてくれる前に身の丈に合わない縁を繋ぐのは怖いと断りを入れるべきか、悩ましくなってしまう。
あとで明かしてくれたとしたら、それを聞いた後で受け入れることが本当にできるのだろうか。
良縁を振り払うことにも勇気が必要だ。彼の素性に目の色を変えてしまい、不興を買って遠ざけられる可能性が否定できないことも怖い。
キャロリンは受け入れたいと考えていたくせに、直前になると怖くなって、最終的な返答をどうすべきか頭を抱えていた。昨夜は悩みすぎて眠れないのではと考えていた位なのに、気づけばいつの間にか寝ていたが。
今朝起きてからも少し眠気を覚える程度で、鏡を覗いても隈ひとつなかった。少しだけ顔色が悪い気がしたけど、おしろいを軽く叩いた位で簡単にごまかされる程度だった。
自分は案外図太いのかもしれないとキャロリンは思った。
今は、決めることのできなかった結論を先延ばしにできたことにほっとしている。
「逸りすぎだって叱られたんだよね」
「そうなのですか」
何となく相槌を打った後、キャロリンははっとした。
叱られたということは、反対にあったということだろうか。
キャロリンが「バート様」と呼びかけようとした時、
「もう少し上手いやり方があるだろうって」
どことなく不満そうな彼の言葉が続いた。
「色々ド下手くそだった兄上たちに言われたくなかったんだけど」
バートはふーっと息を吐き、キャロリンは「はあ」とため息交じりの相槌を打つ。
その彼のことをド下手くそだと称した幼なじみの顔がふと浮かんだ。兄弟なので似ているのだろうか。
「僕は上手くやってる自信があったんだけど……」
静かなつぶやきに、キャロリンはいったい何を上手くやっているつもりだったんだろうと首を傾げる。
「素性を明かして逃げられたら嫌だから保険を掛けて、自分が与えられるだろう最大限の利を伝えたから間違いないと思ったのに。断られかけたと言ったら、下の兄上には鼻で笑われたし」
何も言うことができず、キャロリンは沈黙を守ることにした。
これは自分が聞いていい言葉なのだろうか? 多分違う。断りかけた当人ではなく、別の人間に相談すべき内容ではないのだろうか。
正面で赤裸々に口にする彼のことを、キャロリンはちらと見上げる。
由緒正しい家柄出身だという割にバートには大きな隙が感じられることがある。もちろん、出るべき場ではきちんとしているだろうなと、察せられるものもあるのだけど。
そんなに気を抜いた姿を自分に見せていいのだろうか?
キャロリンは疑問に感じた。
素性を明かしてもらえないなんて信頼されていないようだという意図はビリーを通じて知っているはずのバートは、忠告を受けてもなお自らについては口に割らないけれど。
表情を取り繕うことも言葉を飾ることもない彼は、キャロリンを実は信頼してくれているのだろうか。
よくわからなくて、キャロリンは唇をかみしめる。
「……でも、さあ。いい相手を見つけたようだとは褒めてもらったんだ」
外野は適当なことを言うんだよねと兄に対してぶつくさ愚痴を言っていたはずのバートが、にっこりした。真正面から笑顔を受け止めたキャロリンは「よかったですね」と反射的に口にした。
「えっ、反対されたのではなく?」
そして、口にした直後に我に返った。
「反対? なんで?」
「なんでって……私はご過分な申し出に断りを入れたわけですし、その……」
結局、避けようとしていたはずの難しい話が続いてしまっている。
キャロリンは言いにくいことをもごもごと言葉にすることにした。そこからバート様のご家族にとっては許しがたいことではないかと、なんて続けようとしていたが、「まさか!」と彼が声を上げたことで飲み込む羽目になった。
「正確な素性を明かさない怪しい男の甘言に惑わされないんだから、褒められるべきことでしょ、それは」
力強く、怪しい男当人は言い切った。
「見る目があるって褒めてもらったくらいだよ」
自信満々に胸を張るバートにキャロリンは呆然とした。
どうしてそうなったのか、まったくわからない。
「好条件に目がくらんで、打算で頷いたら後が続かないんじゃないか。君は真剣に考えてくれたからこそ、そう考えてビリーに伝言したんでしょ。
僕のことを思いやってくれそうな良い子じゃないかって、兄上たちは言ったよ」
「それは買い被りです」
キャロリンは素直に言った。
何がどうしてそう判断されたのか、彼女には全く想像がつかない。
いや、なんとなくわかる気もすると、キャロリンは思い直した。
いつも明るく前向きなバートが良いように言ったのではないかと思われる。
キャロリンは、見知らぬ彼の兄の様子を想像した。家柄が低く社交すら怪しい歳若い娘を彼の兄たちが本当に受け入れてくれるなんてありえるだろうか?
バートが伝えてくれたことには、彼によって好意的な解釈がなされているような予感があった。
彼を見ているととてもそうは思えないが、本来貴族は婉曲的な表現をするものだ。特に高位の貴族であれば、それは顕著なはずだ。だから伝え聞いた褒め言葉を額面通りに受け取っても、彼の兄達がそこに含めた真の意図は通じないような気もする。
この人は、貴族な言い回しが苦手そうだからなぁと、キャロリンはこれまでのバートとの会話を思い返す。彼女が見聞きした限り、彼はほとんど素直な感情表現をしていた。
それはあけすけで、飾られず、真っ直ぐだった。
ひねくれがちなキャロリンが素直に受け取ってもいいと考えられるほど。
でも――同時にそれはほとんど、であり、すべてではなかったことも思い出した。
彼が見せた飾らぬ一面が偽りのものには見えないし、そうは思いたくない。信頼されているのではと先ほどは感じたけれど、本当にそうだろうか?
以前垣間見た、彼のどこか傲慢で冷静な一面をキャロリンは思い起こす。あれは人の上に立つ者としての姿なのだとすとんと納得できる。
バートは腹芸ができないわけではないということだ。
考えれば考えるほど、よくわからなくなってくる。
「買い被りじゃないけどなあ」
不満そうに漏らしたバートは、キャロリンが眉間にしわを寄せて難しい顔をするのに首を傾げる。
彼女の眉間に手を伸ばしかけて、はっとしたように手を引いて。
「君は、真面目だよねえ」
にっこりしながらバートは呟いた。
「足りないところを自覚したら、それを埋めるべく努力しようという気概もあるし、とてもいい」
今度こそ、正面から伸びてきた手のひらが、ぽんとキャロリンの頭に乗った。
「難しいことは、考えなくていいんだよ。君は成人したてのひよっこなんだから。若い時は冒険して、いろんな経験をすることで成長したらいい」
優しい手にぽんぽんとされて、キャロリンは唇をゆがませる。
最近どこかで目にした言葉――彼が好きだと教えてくれた冒険譚の受け売りだった。
「間違いそうになったら、俺が正してあげるから」
なのに心に響いて、流されてしまいそうだった。
男の子向けの冒険譚には、少女好みの恋愛要素はほとんどなかった。のちに勇者となる少年が師に出会い挫折を繰り返しながら成長し、最後はお姫さまと結ばれてめでたしめでたしという壮大な物語の、
師がかつて主人公に与えた言葉を優しく言い換えたもの。
キャロリンが思わず声を出して笑ってしまうと、バートの手が驚いたように引っ込んでいく。
「今、めちゃくちゃいいこと言ったと思うんだけど」
「だって、バート様のお好きな冒険譚の受け売りじゃないですか」
「……一度、師匠ぶっていいことを言ってみたかったんだよね」
指摘されたバートは目をそらしながら自白する。
「君の好きな恋物語をそのまま引用するのは、ちょっと色々あれだし」
「でも、師弟愛を引用するのは間違ってると思います」
何が間違っているって、件の師匠は物語の中で弟子である勇者を庇って死ぬ役でもあるからだ。
「引用元を間違えちゃったかあ」
視線を逸らしたまま呟く彼をみて、キャロリンはつい笑みをこぼしてしまった。
「バート様が今後伴侶として私を見守ってくれるという求婚のつもりでおっしゃってくれたのだとしたら、師匠のように簡単に天に召されるのは困ります」
縁起でもないですと続ける彼女に、バートは苦笑いしてうなずいた。
「早世するつもりは毛頭ないけど、将来的には天に召されて困るじゃなくて悲しいと言ってもらえるといいな」
いつの間にか苦笑いが見知った笑顔に変わっていて、ようやく戻った眼差しが真っすぐキャロリンを見つめている。
キャロリンはその視線で自分との未来を本当に考えているのだという真剣みを感じる。
そのくせ、バートは自らの素性を明かそうという気配は見せないのだが。
そのことにどうしてももやもやとしたものを感じてしまう。だが、聞くのが怖いキャロリンと同程度に、彼も口にするのが怖いのだろうとは想像できた。
「それはもちろん、今だってバート様の訃報に接すれば悲しく思いますよ」
キャロリンはもやもやを押さえつけて、思ったままを伝える。
義理でもなんでもなく、知り合いを失えば人として当然の感情だから間違いない。
「そっか」
嬉しそうに相槌を打つバートがそれ以上の何かを期待しているように思えたけれど、キャロリンは藪蛇を恐れて余計な口を開かないことにした。




