23 幼なじみの来訪
ビリーが慌てたように訪れたのは彼に領地へ帰ることを伝えた翌日、昼を過ぎたあたりだった。
その慌てぶりを、昼休み中にそのまま飛び出してきたような鎧姿が証明している。
「どうなさったの、ビリーお兄様?」
「どうもこうも、あるか」
来訪を告げられたキャロリンが玄関ホールで待っていた彼に尋ねると、ビリーはまだ息も切らしているような有様だった。
キャロリンはきょとんと首をかしげる。
こんなに慌てたビリーの姿を見るのは子供の頃以来ではないだろうか。彼とは年齢が離れているから、昔もそう頻繁に見たわけでもない珍しい様子だ。
「帰るって、連絡があったけど」
「えぇ」
「なんでだ?」
キャロリンは「なんでって……」と呟いた。
「里心がついたといいますか」
「里心?」
ビリーは眉を潜めた。
二人、言葉もないまましばし見つめ合う。やがて、
「なんだかちょっと鬱々してしまって」
キャロリンは端的に心境を伝える。
「怖じ気づいたのか?」
今度はビリーが首を傾げながら問うてくる。キャロリンは「怖気づく」と口の中で繰り返して、
「そういうわけではありませんけど」
「バートは待つように伝えなかったか?」
そんな事実はないので、問われてキャロリンは首を横に振った。「はぁあ?」とビリーは大きな声を出した。
奥から心配げにダドリーが顔をのぞかせるのを見て、ビリーはキャロリンを屋敷の外へと導いた。キャロリンも素直についていく。
移動の間に冷静さを取り戻したらしくビリーは慎重に口を開いた。
「もしかして、連絡ないのか?」
「連絡……、バート様からですか?」
そうだとうなずくビリーにキャロリンはありませんと答えた。
嘘だろとビリーは独り言のように漏らした。腕を組んで王城の方を見て、「あのバカ」と言葉がこぼれる。
「どういう事でしょう?」
問いかけるキャロリンに、ビリーは低くうなった。
「俺は、あいつにちゃんと言ったんだぞ。君の意思を、ちゃんと伝えた。それでも断られたくないならきちんと動くようって。それに、バートのやつうなずいたんだ」
「そう、ですか……」
「それからあいつは忙しくし始めたから、きちんと動いていると思った。君から新たな相談を持ちかけられないから、まだ言うべきことを伝えていないとは思ったが。なのに急に、君が領地に帰るって連絡があったから……」
キャロリンは瞬きをして、
「だからお忙しい中、馬を駆っていらっしゃったの?」
尋ねるとそういうことだとビリーはうなずいた。
「あれからバート様から何もお便りもなくて」
彼がここまで来た理由をおおよそ把握したつもりでキャロリンは口を開いた。
「ビリーお兄様のお口からお断りを入れたから、バート様はそれでもうすべてなかったことにされたのかと思って」
「そんな訳があるか」
ビリーは力いっぱい言い切ったが、連日続いた便りがぱったりと途絶えてしまった事実に打ちのめされていたキャロリンは「そんな訳があると思いますけど」とぼそぼそつぶやいた。
キャロリンは頼りになる幼なじみにこれまでの経緯を伝えることにした。
彼からは一日も途絶えることなく毎日文が来ていたこと。それは困ると伝えたのに、なぜかとても前向きで先日のデートの後も日々どうということもない内容の文が続いたこと。それはビリーの前回の訪問までは続いていたのに、断りの伝言をした後途絶えてしまったこと。
「あいつは……」
ビリーの眉間にますますシワが寄る。やがて彼は大きく頭を振った。
「ド下手くそか」
ぼやくと、ビリーはキャロリンに真剣な眼差しを向けた。
「どうせ、シーズン終わりまで君は王都にいると信じ切ってるんだろう。それまでに算段をつけるつもりだなんじゃないかと思う」
「はあ」
話の流れが読めるようで読めない。
ビリーはあくまでバートがキャロリンに求婚を続けると考えているようだ。
何の音沙汰もなくなったんだから気分を害して、付き合いを断ったという方が正解のように思うけれど。
生返事をするキャロリンに、ビリーは真剣な表情を崩さない。
「あいつの耳に君が帰ったなんて入ったら面倒なことになるから、とりあえず帰るのはまだよしておいた方が良い。本当に断りたいのなら、余計に。バートのやつが暴走して、君の領地に行くようなことがあれば、本当に大事になってどうやっても断りきれなくなるから」
相変わらずビリーは断らせたいんだか、断らせたくないんだかよくわからないことを言う。
「戻ったら、すぐにでも君に連絡するようにあいつに伝える」
「えぇ」
果たしてそれはくるかしらと思いながら、キャロリンはうなずいた。
「断りたいんだったら、次に会った時はあいつが何かを言う前に連絡がなさすぎてすっかり愛想をつかしたのだとでもいえばいい」
ただ、とビリーは続けた。
「君が鬱々して帰りたくなったのが、断りをいれたことでバートからの連絡が絶えたことに後悔したからなんだったら、前も言ったようにあいつの素性がどれだけとんでもなくても受け入れてやってほしい。多分だが――あいつが君への連絡も忘れるくらい必死に動き回っているのは、君が何を憂うことがないようにするためだろうから。きっと本気のやつだ」
あまりに真摯に伝えられたのでキャロリンはビリーの言葉を否定することはできなかった。
頭の片隅でそうだったらいいなと思ったからだ。思いのほか自分はバートのことが好ましく感じているらしい。
「分りました」
だから、キャロリンは素直にうなずいた。
バートの同僚でもある信頼できる幼なじみがそうまで言うのだから、信じる価値がある。
人づてに断りを入れてしまってもなお、パートが自分のために本当に動いてくれたのだとしたら。
その想像には夢があった。ここ数日の気鬱も晴れて、少しは明るい気持ちになれそうだ。
「家の者には、領地に早く帰ろうと伝えたのですけど……」
どうしようかしらと思わず呟くキャロリンに、
「悪いが撤回してくれ」
ビリーは即答した。
「そう、ですね。ええ、わかりました」
「じゃあ、そういうことでキャロ、くれぐれも頼んだぞ。俺は職場に戻って、バートをどやしとくから」
言うやいなや、もう一度頷くキャロリンの様子を確認することすらしないでビリーは素早く身をひるがえした。挨拶もそこそこにタウンハウスから飛び出していく。
忙しい合間を縫ってわざわざ足を運んでくれたなんて、優しい幼なじみだ。
「家格差が大きい以外は、お兄様にとってバート様はおすすめ、ということよね」
キャロリンは独り言ちた。
断ればいいと言いつつも、受け入れるように忠告してくれるのはつまりそういうことだ。断り切れないという雰囲気も同時に感じさせるから、本当にそうなのか自信は持ちきれないけれど。
「次にお会いできる時は……」
それがいつなのかはっきりはしないけれど、きっとそれは遠くない。
キャロリンはその時に自分がどう動くべきか、もう決まっているような気がした。




