19 それは決意に似た
キャロリンの宣言を聞いたビリーは驚いたようだった。
「そ……れは……」
なんといっていいかわからない様子で言い淀む彼を、キャロリンは決然として見つめた。
「私が男性不信なのだとしたら、自分は女性不信なのだとバート様はおっしゃっていました。家の後継であるお兄様が伴侶を定めた途端、急に自分に目を向けられても嬉しくなかったのだとか」
うんざりなさったのでしょうね、と続けたキャロリンに向けて、彼の事情を知っているらしいビリーはゆるゆるとうなずいた。
「まったく逆の状況ですけど、私も急に手のひら返しされたことがあるのでお気持ちはわかる気がします。ですからバート様も私に親近感を持って、親切を言ってくださったのかもしれません」
ビリーは何かを言いたそうな顔でキャロリンの言葉を聞いているが、はっきりとした言葉にならないらしく時折唇をうごかすものの何も言えないようだ。
「親近感や同情の他に、少しは好意を抱いてくださっているとしても、それがこの先続くのかしら。私はこのように地味な娘ですし」
「……思うに、君のそういう慎ましく落ち着いたところが、あいつの琴線に触れたんじゃないか、とは思う」
ようやくビリーはまともに応じた。
良いように言い換えてくれたところで、キャロリンが地味なことには変わりがない。
従兄の妻であるシャーロットは昨今はシンプルな装いが流行だと言ってくれたけれど、実際の社交でキャロリンのように真のシンプルを貫く女性はいないも同然だった。貴族とは少なからず見栄を張る生き物であるし、若い娘ならばできるだけ自分を綺麗に見せて良縁を求めるものなのだ。
まだ夜会への参加回数も少ないキャロリンの感覚でしかないが、シンプルを好まれるのは上の階級の既婚者が多い。
つまり、逆説的にバートを女性不信に導いた令嬢たちは、キャロリンと対極にいたので彼女のことを目新しく感じた可能性が高い。
それが良いことばかりとは言えないと、キャロリンは思う。
「本当に私のことを好ましく感じてくださっているなら、嬉しいとは思いますけど……私とバート様との交流は浅く、未だ本当の家名も明かして下さらないような関係です」
「そうだな」
ビリーは深々とうなずいた。
「お兄様のおっしゃったとおり、このまま私がうなずくことになるのが良いこととは思えません。素性を明かしても良いと考えていただけるほどの信頼を得ていないわけですから」
「恋は熱病と似ていると聞きます。今は好意的なバート様が我に返る日も近いのではないかしら。私が単にあの方のお立場と助力を得るためだけになし崩し的にうなずいたのだと思われるようなことがあれば、お互い不幸だわ」
キャロリンは「ええ、きっとそうだわ」と確信をもって呟いた。
「バート様は自らの背後にあるものを見る女性を苦手としているのでしょうから。信頼関係も確固としないうちに勢いでことを決めてしまうのはお互い不幸になると思います」
それを耳にしたビリーはなぜか、天を仰いでいる。
「このままあいつが君に何も知らせないまま強引に押し切ることはあまりいいことではないとは俺も思うが……ステフ、どう思う?」
「不幸になる可能性も否定はできないが、そうでもないのではないか?」
愚痴を聞くことだけはできると言い切っていたステファニーではあったが、聞いた以上少しは助言をしてくれる心積もりはあったらしい。
彼女は音もなく近づいてくると、「キャロリン嬢」と重々しく口を開く。
「ストラード卿が、このまま勢いで押し切るつもりというビリーの言はあながち間違いではない。さすがにすべてを意のままにできるほどの権をお持ちだとは言えないが、あの方はそれに近しいものはお持ちなのだ」
キャロリンがでもと言いかけるのを首を振って制し、
「何が何でも我を通すような方でもないが、貴女のことなど掌の上で転がして我を通すことくらい簡単だろう」
ステファニーが断言した横で、ビリーもうんうんとうなずく。
そんなことはないと言いたくとも、実際そうなりそうな予感もしてキャロリンは唇をかむ。
「バートに直接返答をしたいという志は立派だが、なあ」
低くうなったビリーが、続ける言葉を迷うように視線を宙に向けた。しばし悩む様子を見せてから、
「あいつを納得させられるくらい理路整然と、意思を伝えられるか?」
改めて問われ、キャロリンは言葉に詰まる。自問するまでもなく、答えは明白なように思われた。
「うまく言えない、と、思います……」
なので力なく、すぐに続けることになった。
幼なじみ相手の今でさえ理路整然とは程遠い。すぐに言葉に悩んでしまうキャロリンに対して、バートがよく口が回る人であることは短い付き合いの中ですでに知りえていた。
彼はまだ若い人であるが、キャロリンに比べたら年かさだ。下位貴族の令嬢に比べて、三男ではあっても高位貴族の出身だから、与えられた教育の質も大きく違うからだろう。
彼よりさらに年かさのビリーだって、身分差など関係ないと言わんばかりの軽口は叩いているが、どうも頭の回転はバートには及ばない様子が垣間見える。
「そういうところにつけこむやつだ、あいつは」
苦々しく本人が口にするのだから間違いない。
「ビリー、口が過ぎるぞ」
「だが、言いたくもなる気持ちはわかるだろ、ステフ」
ステファニーが宥めるように恋人の背に手を置いた。
「キャロは大事な、俺の妹なんだぞ」
「妹のような存在かも知れないが、実際は遠縁でしかない幼なじみだろう」
「小さい頃は顔を合わせると笑顔でお兄様お兄様と駆け寄ってきてくれたんだ」
ぶつくさ言い始めるビリーの背を撫でさすりながら、ステファニーは落ち着け落ち着けと言っている。
いつの間にか過去の、弟クリフの誕生によって家付き娘から転落した後のキャロリンの周辺の変化に対してまで愚痴り始めるビリーを宥めるステファニーは手慣れた様子だ。
その様子に、バートがキャロリンについてあれこれ知っていた事情が垣間見える。素面でこれなら、酒の席ではどれほどのものか。
本人には自覚がなさそうなので質が悪い。
兄と慕う人の新たな一面を見た気がしてキャロリンは少しばかり呆れたが、あの頃急に付き合いが浅くなった子爵家の婿候補に名乗りを上げていた家々のことにまでいまさら文句をつけていることには胸の内が熱くなった。
少しダメなところが見えたって、やはりビリーはキャロリンの信頼できる兄だ。
「幼いとはいえ簡単に態度を変えたのは紳士の風上にも置けなかったな。しかし、子の行く末に安定を求める親たちの事情も今ではわかるだろう? 親の意向に、子は逆らえまいさ」
そんな兄のような人を宥めるステファニーはしっかりしている。
近頃はまともにデートをしていないらしき二人であるようだが、付き合いが長いだけあって安定した関係性が垣間見える。
恋人の言葉に落ち着きを取り戻したビリーを見ていると、その信頼関係が眩しく思えた。
もちろん、それは付き合いの長さによって築かれたものだろうけれど。
この先バートに押し切られたところで、自分達が先々彼らと同じような信頼関係を築けそうにはないだろうとキャロリンは再び、確信する。
大きな家格差にキャロリンが怯えそうだからと彼が素性を伏せたのは思いやりの一種かもしれないし、実際想像だけで恐れおののきそうな自分にとってありがたい配慮なのかもしれない。だからといってそれ抜きで話を進めるのは縁談として真っ当ではない。
本格的な話にするならば、いつまでも伏せてはいられないのだ。今、キャロリンが話を受け止められないと少しでも考えているようならば、縁談を進めたところでいずれ破綻するはずだ。
「キャロ、君の意思に背くようで申し訳ないが、やっぱり俺の口からあいつには伝えておく」
ようやく落ち着いた様子で、ビリーは彼女に告げた。
「これは確信を持って言えるが、伝えたところで多分無駄なことだが」
それでも、とビリーは言葉を続ける。
「あらかじめ伝えておくことで、少しは君の意思を汲んでくれることがあるのではないかと期待する」
「逆効果になるかもしれないがな」
決然と言い放つビリーにむけて、さらっとステファニーが混ぜっ返す。
「ステフ……」
「かえって意固地になると私は踏むが」
「仮にそうだとしても、一矢も報いず簡単に丸め込まれるよりは、ましだろ」
「そうなのかもしれないが」
よどみない意見をやり取りする恋人たちに口を挟むことはキャロリンにはできそうにない。
「信頼関係を盾にするのは実にいい。あいつは素性を明かしがたく感じているんだから、平行線になる」
「明かしてキャロリン嬢が身を引きそうなのを恐れてらっしゃるんだろうさ。あの方がお気に入りをそう簡単に手放すと思うか?」
「だからこそだろ。このまま強引に事を運んで、キャロの気持ちをないがしろにしてみろ。あいつが失うのは何だと思う?」
言うや不敵に笑ったビリーの顔にステファニーは目を見張る。
やがてゆるゆると頭を振ると、ため息を一つ。
「私は貴方のそういうところが好きだな。まったく……それならば、及ばずながら私も助力しよう」
「愛してるぜ、ステフ」
「我々は一蓮托生だからな」
俎上に乗っているのは自分の今後についてだと思われるのだが、何を見せつけられているのだろう。キャロリンはむず痒い気持ちで、兄のような人と恋人のやり取りを見守るしかない。
見つめあった二人が、握った拳を打ち付けあった。
それからビリーは思い出したかのようにキャロリンの方を向いた。
「キャロ、これは俺の個人的な感想だが。真剣に悩んでいるのは、君がバートに好意を抱いているからに違いないと思う。打算だけなら、迷わずうなずいて恩恵にあずかればいいだけの話だ」
言われたキャロリンは目をぱちくりとさせた。
「今のように不確かな状態よりパウゲン家にとっても、それはきっといいことだ」
それはそうだと納得してキャロリンはうなずく。
ビリーはそんな彼女を見て、そっと目を逸らした。
「無事クリフが爵位を継げるか、今の状態では少し、危うい――領地経営に明るくない俺でも、そんな気がする。クリフが無事に成長した後のことも考えていたようだが、下手すると君が金を持った老人の後妻にでも入らなければやってられない事態が訪れるかもしれない」
もちろんそんな最悪なことはそうそう訪れないといいと思うんだが、ビリーは言いにくそうにもごもごしている。
見ないことにしていた可能性を示されたキャロリンは思わず身震いする。
「君に素性を伏せたままことを進めようとするのは非常に気に食わないが、それさえ除けばあいつはいい奴だ。君がバートに抱く好意がいずれ恋だの愛だのに進化するかは俺にはわからんが、どこかの爺の後妻に収まるよりは、あいつと縁付いた方がずっと君は幸せになれるはずだ」
先ほどキャロリンの意思を伝えると言ってくれた割には、それを否定してくるような言葉が続きビリーが結局何を言いたいのか、わからない。
話を総合するに、どうせ押し切られるから素直にうなずけということだろうか?
しかしなんとなく、違うような気もする。
キャロリンの疑問を解消するように、彼は続けた。
「だから、だ。もしあいつが、次に会う時にでも、君の返答より前に素性を明かしてくれたなら、きちんと向き合ってくれると俺は嬉しい」
反射的にうなずいたキャロリンは「はあ」と気の抜けた声を出した。
ビリーの言葉を頭の中で繰り返してから、首を傾げる。
「聞いた上でどうしても受け入れがたいというのなら、仕方がないが。お偉い家柄とはいえあいつは俺のような男爵家の次男坊にも分け隔てなく接してくれるいい奴だから、そんなに気にする程のことじゃない」
ビリーが言いきる横で、苦い顔でステファニーが何か咎めるように彼の名を口にした。が、キャロリンの信頼する幼なじみは恋人の様子には全く気付かないでにかりと笑った。
「君が返事をする覚悟を決めるまで何も言わないようなら、容赦なく断ってやれ。ごねるようならどんな手段を使ってでも止めるから」
止まらないという話ではなかったかと一瞬考えはしたが、こうと決めたら意地でも譲らないという相手にどうにか断りを入れたいと考えたのはキャロリンなのだ。
押しの強いバートの説得に協力してくれるというのに、わざわざ突っ込む必要はなさそうだ。
「その時はお願いしますね、お兄様」
なんにせよありがたい申し出だと、キャロリンは微笑んだ。




