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「生理的にどうしても無理だと言いでもすれば――あるいは、引くつもりもあるかもしれないが……多分このまま押し切るつもりだ」

 ビリーが不満げな顔つきで「恋人のふりを受け入れた段階で、今更生理的に無理という反論は聞かないだろうしな」と続けた言葉に、キャロリンは反論の余地もなくうなずくしかなかった。


「家格差さえ、なければなあ」

 ビリーは深々とため息を吐き、頭を振った。

 何か言いたそうだが、続きの言葉はすぐに出ないらしい。ステファニーが気づかわしげに彼の名を呼び、彼女の言葉を止めるようにビリーは手を挙げた。

「一番大きな問題は、家格の差だと俺は思う。バート本人は、子爵家の伴侶が一番ちょうどいいと小躍りしそうなくらいだが」

 言葉を切るや、彼の口からは再び大きな息が漏れる。

 

「……どこがちょうどいいんだか」

 ため息混じりの呟きに続けてビリーが言うには、バートは兄達より自分の伴侶の家格が低い方が都合がいいとキャロリンに告げたのと同じことを口にしていたらしい。

「本人が言うには三男にあまりうるさい姻戚ができるのは問題なんだと。しがない男爵家の次男の目から見ると、今更バートの兄上様が末の弟の婚姻で跡継ぎの座を危うくするようなお方とは見えないんだが」

 なあ、とビリーの同意を求められたステファニーは大きくうなずいた。


「私の目から見ても、そうだな。だが、ストラード卿の懸念もわからないではない。疑心を抱かざるを得ない経験でもされたんだろう」

 キャロリンはぼんやりと二人のやり取りを聞いた。なんとなくわかるような、わからないような話だ。


 バート本人の話から判断するに、兄弟仲の良さそうなお家である。家格も高く裕福であり、それぞれが自らの立場をわきまえているようだ。

 彼の生家は長兄が次代を継ぎ、次兄がその大きな身代を取りまとめる長兄を補佐する――そして、末弟には母方の爵位が約束されている。

 それぞれ立場を自覚し、未来に不満もないのだろう。

 穏やかな家に波風を立てるような伴侶をバートは望んでいないということだ。

 

 飄々と街歩きを楽しんでいた彼の様子を思い出しながら、キャロリンはなんとなく理解したつもりになった。

 目上の家を引っ掻き回すほどの力がパウゲン家にないことは間違いない。

 幼なじみがついため息を吐いてしまうような家格の差さえ気にしなければ、きっとキャロリンにとってこれ以上ない良縁だ。

 

 短い間でも他人のために親身になって動いてくれるバートのことは好ましく感じたくらいだ――同時に、ちょいちょいと気になるところも見え隠れしていたけれど。

 人柄の良さがにじみ出ているような笑顔を見てしまえば、率直に言いたいことを口にしてしまうところにも目をつぶってしまえそうだ。

 

「どちらにしろ」

 ビリーは重々しく、再び口を開く。

「あいつが自分の素性をぼかしたままキャロに迫ることは承服しがたい」

「正式に名乗ってしまえばこちらから断れないからとおっしゃってましたから」

「名乗ろうが名乗るまいが、どのみち断らせる気がさらさらないくせによく言ったもんだぜ」

 眉間にぐっとしわを寄せ、ビリーは吐き捨てた。それを聞いたステファニーがキャロリンの視界の端で顔をしかめている。


「ご自分に面倒くさい背景があるのだということは、きちんと伝えてくださいました、よ?」

 ピリピリした空気を宥めるようにキャロリンはついつい口にしてしまう。それを聞いたビリーはまたもやため息を漏らした。

 

「そうやって君が言ってしまうくらいすでにほだされかけてるんだからなあ。あいつは、悪い奴ではないんだ」

「ええ、ビリーお兄様に対するよからぬ噂を払しょくするために動いてくださったくらいですものね」

「俺がそんなものを気にしそうにないことくらい、知ってるはずなんだぜ? ステフの言うように、あいつがそもそも聞き知っていた君のことに最初から興味があったとしたら――いや、なんでもない」

 ビリーは頭を振った。


「ともかく、仮初の関係だとすれば軽々しく秘密を明かすことができないと主張するのはわかるが、すべてを明かさぬままキャロと未来の約束をしようとすることは許しがたい」

 この場にいないバートに向けたようなビリーの苦言は、現在進行形で周囲への隠し事を抱えるキャロリンには耳の痛い言葉だ。

 そしてバートのことを好ましく感じ、今後他にあり得るとも思えない縁談にすぐさまうなずけない理由が見事に言語化されている。

 

 聞いてしまえば断れなくなるのだと釘を刺されているから尋ねることも、探ることすらできないまま、結論を出さねばならないことは重荷だった。

「秘密を抱えたまま騙すように将来を誓った後で知らせるなんて酷だ。あいつが引く気がないのなら、いずれキャロはうなずかされるに違いない」

 断言するビリーを見ながら、キャロリンは歯噛みする。

 すぐに反論できない時点で幼なじみの発言は的を得ているように感じられた。

 

 我が身を望んでくれ、なおかつ家への援助を約束してくれる希少な存在を、突っぱねることは難しい。気にかかるあれやこれやがあっても、ほだされるに十分な条件だった。

 他に助けになるような存在がいそうにないからこそ、自分のことには目もくれずに家のため――将来爵位を継ぐ弟のために粉骨砕身する覚悟だった。

 

 だけど望まれて嫁ぎ、結果実家への後見が得られるのだとしたら、ためらう理由はほとんどない。バートの申し出は、以前彼に指摘された耳の痛い忠言に対する模範解答としか思えない。

 相手は素性こそ口にしてくれないが、ビリーによるとたいそう力を持った家柄の人間だという。だからこそ当主不在で幼い跡継ぎの子爵家をどさくさに紛れて乗っ取るような浅ましさもなさそうであり、短い付き合いだが当人の人間性もそう悪くないと感じたし、幼なじみが保証してくれてもいる。

 弟の成長の先、独り身でずっと過ごすことだって平気だと肩肘を張る必要がなくなる、魅力的な提案だった。


 そのことに、キャロリンは自らの弱さを自覚せざるをえない。生涯独り身でも構わないと言っていたのに、魅力的な提案に心が簡単に揺れてしまうなんて。

 先日も胸が詰まって、情けなくて叫びだしたいような気分にさえなって、だけどどうすることもできなかった。

 パウゲン家のタウンハウスは広くはなく枕に顔を押し付けて叫んでも聞きとがめられる恐れもあったし、弱くとも現在王都に滞在する主家の者として毅然とした態度を装うくらいはしたかった。

 

 家内の使用人は家族のようではあっても、引くべき最低限の一線はある。キャロリンは弱く、胸の内をすべて明かせるほどの強さも持ち合わせていない。

 

「君はどう思ってるんだ? 素性を明かさない人間に嫁ぐことなど出来ないと言うのならば、今後キャロにちょっかいをかけないよう伝えることはできる」

 キャロリンは唇をかみしめた。

 優しげに響いたビリーの言葉は、先ほど彼自身が口にした言葉と矛盾しているように思う。


 嫌だと口にしさえすれば、幼なじみはそうバートに伝えてはくれるのだろう。

 しかし、バートがそれを聞き入れるかどうかは別問題だ。人づてで断りを入れても、彼が手を緩めるようには思えなかった。

 

「お断りをするのだとしたら、自分の口から、と思います」

 キャロリンは膝の上でこぶしを握ってから口を開いた。

「バート様は、付き合いの浅い私にさえ、とても親身になってくださっています」

 それはきっと彼と親しくしているビリーの存在のおかげだ。

 幼なじみが家名を口にするのをためらうほどの高貴な出自の方のはずなのに、バートは思うがまま身軽に立ち動いている。

 

 将来を嘱望されているというビリーの身を案じて、悪意ある噂を打ち消すためにキャロリンと知り合い、彼女の立場に同情したのかあり得ないような提案をしてくれた。


 そこで運命なんて言葉まで使ったバートの好意的な言葉の羅列は、社交辞令の一種だったのかもしれない。

 キャロリンは何度も自分にそう言い聞かせようとはした。単に同情しただけなのだと。

 

 しかし、あまりにも自由に行動し、歯に衣着せぬ言動をする彼がわざわざそんなことをしそうにないと、感じられてならなかった。

 建国以来の名家の人間なのだとしたら、自らキャロリンを娶るようなことをせずとも他にやりようがいくらでもあると思ったからだ。


 配下にはパウゲン家と見合った家がいくつかあってもおかしくないし、そこにキャロリンにちょうどいい相手がいる可能性だって十分にあり得る。

 ビリーが渋い顔をするくらいの家格の差を埋める苦労をするよりも、そんな相手を紹介してくれる方が話はきっと簡単なはずだ。

 なのにバートは自らを提示してくれた。

 そして同情ではないとも口にして、成長した後のクリフの気持ちにまで寄り添ってくれた。


 だからこそ提案にすぐ否と言えななかった。なのに素直にもうなずけない。家格の差から生じるであろう問題に、真っ向から立ち向かうほどの気概が自らにあるのか疑問であったからだ、

 キャロリンは返答を決めかねている。

「人づてでお返事するのは失礼だと思うのです」

「そうか」

 眉間にしわを寄せながら、ビリーは一つうなずいた。

「でも、どうお応えすればいいか、悩んでいます」

 そうか、とビリーは再び呟いた。

 

 相談したいと勢い込んでいたはずなのに、ビリーが恋人を同伴してきたことが予想外で出鼻をくじかれたこともあり、キャロリンは何をどう言えばいいのかすっかりわからなくなってしまっていた。

「ビリーお兄様、私は、どうしたいんでしょう」

 口にした言葉のあまりの頼りなさに、キャロリンの視線は下がってしまった。

 力強く握ったつもりだったこぶしを迷うように動かして、考えていたつもりだった相談の中身を思い出そうと考えた。

 

 だけど一度見失ってしまった内容は、雲のように掴めない。

 ステファニーの存在を前にして、きちんとしようと考えれば考えるほどすり抜けていってしまう。優しく言葉をかけてくれた幼なじみの恋人――信用できる人だとは思っても、緊張しているのかもしれない。

 

 彼らの大事な休日を浪費していると考えると申し訳なくて、キャロリンは結局みっともないのを承知で、まとまりのない言葉を紡ぐしかなくなってしまう。

 

「バート様のことは、好ましいように感じているのです」

「うん」

「私に合わせてくださっているのでしょうね。厳しいことを口にされることもありましたけど、基本的に優しい方なのだと思います」

「そうか」

 もう何年も前に、幼子の話を辛抱強く聞いてくれた時そのままに、ビリーは言葉の合間に相槌を打ってくれる。

 しっかり聞いてくれるのだと感じると、緊張も少しはほぐれる。キャロリンは安心して、ゆっくり言葉を探した。


「この、好ましいという気持ちはどこからきているのでしょうか?」

「ん?」

「初めて出会った時に、お世辞でも魅力的だと言ってくださったからでしょうか」

 ビリーが驚いたように目を見開く。

「クリフのために親身になってくれたからでしょうか。あるいは、初めて真正面から口説き文句を告げられたような心地がしたから?」

 それともと続けて、キャロリンは唇を湿らせた。

 再びぎゅっとこぶしを握り締める。

「打算ではないか、とも思うのです」

 重い言葉を吐き出した心地で、キャロリンは深く息を吐いた。

 

「打算……」

 目を見開いたまま思わずといった様子で、ビリーは口にしている。

「パウゲン家にとって、あの方の提案はまたとない僥倖なのだと思えばこそ断りにくく感じているのかしら。はっきりと家名は聞いていませんけど、バート様の恵まれたお立場に目が眩んでいるのかもしれないとも感じます」

 ビリーが眉根を寄せるのを横目に、キャロリンは言いながら首をひねって、そして。

「だとしたら、やはりこれは断るべき話だと思うのです」

 急に確信を得た心地で力強く言い切った。

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