17 幼なじみと、その恋人
「悪かったな、すぐ来たい気持ちはあったんだが」
キャロリンが待ち望んだ幼なじみとの面会がいよいよ果たされた時、ビリーは自分の交際相手を連れてきた。
「いえ、お忙しい中、お運びいただいただけでとても嬉しいです」
行儀よく頭を下げながら、キャロリンの意識は幼なじみの恋人に向いてしまう。心得たように彼女――ステファニー・エンドブルクは微笑んだ。
「先触れもせず、共に来てしまってすまない」
彼女はそう言うやきびきびと頭を下げた。
「今日は急遽休みを頂いたものだから。貴女が私にもう一度会いたい希望があるとビリーから聞いていたので、彼の来訪に合わせてしまった」
「こちらからお伺いするつもりでしたのに……わざわざありがとうございます」
キャロリンの方も慌てて頭を下げた。
「エンドブルク様にはいろいろご心配おかけしたことと思います」
彼女に伝えたいことについては色々考えていた。不意の訪問は想定外ではあったけれど、言いたいことを伝えることにする。
それを端的に言えば、ビリーにエスコートを願ったことでとんでもない噂が出てしまったことが申し訳ない、という謝罪だった。
ステファニーと今日顔を合わせるだなんて考えてもいなかったから、紡ぐ言葉はたどたどしくなってしまう。
拙いばかりの謝罪に彼女は気にすることはないとあっさりと応じた。
「噂は出す方が悪いのだ。巻き込まれた貴女の気にすることではない」
いっそ素っ気ないほどの清々しさだ。それにさらに謝罪を重ねる方が失礼なのかもと、キャロリンは言葉を引っ込めるしかなかった。
「お兄様、来てくださったのは大変ありがたいのですが……お二人揃ってのお休みでしたらデートのご予定だったのでは?」
太陽は昇り始めたばかりではないが、まだ中天にはほど遠い。相談はしたいのだが恋人同士の時間を奪うのは気が咎めてしまうし、なにより幼なじみの恋人とこうして言葉を交わすのはまだ二度目だ。
彼から恋人について話は聞いていたから親近感は持ってはいても、親しいとまでは言えない相手に相談内容が聞かれることには恥じらいもあるし、彼女に話をしていい内容とも思えなかった。
キャロリンとしては遠回しにビリーに意図を伝えたつもりだった。
しかし、ビリーは「デート?」と呟いて首を傾げている。どこかきょとんとした様子ですらあって、キャロリンの方こそ首を傾げたいくらいだった。
戸惑う二人に、ステファニーがくつくつと肩を震わせる。
「いいや、全くそんな予定ではなかったので気に病むことはないよ、お嬢さん」
「でも」
「我々は職場も同じ、お互い寮住まいだが外出の融通も効く。休日に殊更構えてデートに繰り出すなど……そういえば、ここ一年ほどないか?」
問われたビリーがあっさりと「そうかもな」と応じるのでキャロリンは驚いた。
「お付き合い……なさってるのですよね」
「もちろん。俺とステフが別れただなんてくだらない噂が流れるくらい公然とした仲だぜ」
その噂の一因となった自覚のあるキャロリンは、一瞬ビリーに皮肉を言われたのかと思った。
「そもそも仕事で毎日のように顔を合わせてるし、その仕事も忙しいからな」
しかし彼はからりとしていて、皮肉だったわけでもなさそうだ。
「最近は仕事上がりに食事にいくばかりだったな。外せない会に連れ立つ事もあるが……付き合いも長くなるとそんなもんだ」
あっけらかんと言われてしまえば、男女交際に敏いわけではないキャロリンはそういうものなのかと思う。
「ならば、余計にこの機会にデートされればよろしいのでは……」
思わず口にする彼女に、恋人たちは顔を見合わせた。
ひらひらと手を振ったのはビリーで、
「私の休みが決まったのは急な話で、先約は君の方だから案ずることはないよ」
微笑みながら答えたのはステファニーだった。二人の間に無言のやりとりを感じたキャロリンは、それならばと引っ込むしかない。
「君の相談事に関しても、事情のあらかたは知っている……ストラード卿に翻弄されているようだね」
心得たように続けられた言葉にぱっと顔を上げたキャロリンに向けて、慌てたようにビリーは手を振った。
「漏らしたのは俺じゃないぞ」
となれば残るのは当事者の一人、ステファニーが名をあげたストラード卿ことバートしかあり得ない。
なんとなく釈然としないが、彼女も当事者の一人と言えるから知らせたのだろう。
「幼なじみとはいえ、ビリーと二人きりにさせるのは妬けるのだと仰っていたね」
苦笑混じりに随分気に入られたものだとステファニーが続けると、ビリーは大仰にため息を吐き出す。
「短期間に何でそんなに好かれてしまったんだ」
そんなぼやきにステファニーはくつくつと笑った。
「間違いなく貴方が原因だろう」
「なんだって?」
驚いたように目を見開くビリーに、
「以前からストラード卿に幼なじみについて話していたのは貴方じゃないか」
色々あったろうと続ける恋人に対して、ビリーは首をひねっている。
「初めはあの方が我が隊に配属された頃だったか。親交を深めるための話の枕にちょうど良かったんだろうな。特に酒が入った時にビリーが気を大きくして口が軽くなるのを見越して、面白がってしょっちゅう聞き込んでいたように思うが」
酒宴での会話についてあまり記憶にはないらしく、ビリーは腑に落ちない顔つきだ。
「話に聞くビリーの幼なじみについて、そもそも元から好感を抱いてらっしゃったんだろうさ」
「仮にそれが真実としても、この数年俺とキャロはあまり顔を合わせてないし、俺が話せたのは昔のことだってのに好感も何もないんじゃねーの?」
納得いかない様子のビリーにステファニーは「私は当人ではないから真実は不明だけれど」と笑う。
「元から話を聞いて親近感を持っていた相手なら、短時間で惹かれることもあるのじゃないか?」
そして他人事だからこその無責任さであっさりと言い放った。
ビリーが難しい顔で黙り込むのを横目に、ステファニーはキャロリンに笑いかける。
「ビリーも私も、残念ながら貴方にためになる助言ができるとはとても思えないが……愚痴を聞くことだけならばできる。貴女と彼が兄弟のようなものだとしても、年頃の男女である以上二人きりで話すわけにはいかないだろう?」
家人には漏らせない内密の話だろうからと話を結ばれると、確かにと思えた。
主従の差はお互い弁えているけれど、パウゲン家の使用人をキャロリンは半ば家族のようなものだと感じている。
だからこそ今回のような相談は、まかり間違って聞かれてしまえば気恥ずかしい話題でもあったし、知られてはまずいものでもあった。
縁談に後ろ向きであったキャロリンの浮いた話に、彼らはどこか浮足立っている。主家への手前、一応は隠そうとしているようだが、半分家族のように親しくしているのだから彼らの内心は薄々感じとれるのだ。
なにせ前当主の没後、久々に訪れるかもしれない慶事なのだから。
彼らが喜ぶお嬢様の良縁が期間限定の偽りのものだとも、相手がそれを前向きに真としようとしているということも白状する勇気は今のところキャロリンにはなかった。
それは親身になってくれる家人を無駄に翻弄するだけだろうと思えたからだ。
どうしてそんなに好かれてしまったのか、ビリーの疑問はそのままキャロリンのものでもある。
このもやもやを明かすことができるのは、きっと事情を知る兄のような幼なじみだけしかいない。
仮初めの付き合いを当初の予定通り終わらせることなら、話は遥かに簡単だった。
想定に比べてバートがマメに便りをくれたものだから、考えていたより言い訳は難しかったかもしれない。だけど、家格の差で相手方に許されないのだと伝えれば、最後はどうとでもなるはずだ。
しかし、しかしだ。
別れる際の言い訳に利用できる内容が、前向きに検討する場合は大きな障害に変わってしまう。
そのことを重々承知している幼なじみは、恋人が扉を閉めてくれたのを見計らって、静かに口を開いた。
「残念ながら、この件、あいつはこの上なく前向きだ」
青い瞳がじっとキャロリンを見据えた。




