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15 趣味の悪いひと

 よく晴れた空の下、木陰にあるベンチに座ったまま、キャロリンはどうすればバートがいつの間にか定めてしまったものを諦めさせることができるのか考えを巡らせた。

 

 ビリーの言を信じるとすれば、無理なのではとは感じている。

 「こうと決めたら意地でも譲らない」と幼なじみが評した男自身が、「兄たちがこうと定めた人から目を逸らさない」などと告げてきたのだから。

 

 どうしてという疑問が否応なく沸くが、聞いたところで意味がないとしか思えない。特別気に入られるような要素を思い出せるほど、彼との交流は深くない。

 

「バート様の趣味は悪いのですね」

 ついやけになってキャロリンはそう吐き出してしまう。

「なんで?」

「なんでって……」

「君は魅力的なお嬢さんだと思うよ、俺は」

 もごもご口ごもるキャロリンに対して、バートの発言は迷いがない。

「自己評価が低くて、ちょっと後ろ向き気味じゃないかなあとは思うけど」

 そして一言多い。ただ、彼女を見る眼差しは優しいように見えた。

 

「そういうところが気に入ってるから、いいんだけど」

 カッと体が熱くなったように感じたのは、怒りゆえか、照れゆえか。

 自分でもわからないままキャロリンは戸惑いを深める。


 全く気に入られる要素ではないところを気に入っていると言われても、どうすればいいのだ。

「誰のものにもなるつもりがなかったのなら、俺のものになってほしいな」

「……なぜ、ですか」

 随分直接的になってきた口説き文句。応じるキャロリンの声は動揺によって自然とあえぐようになった。


「んー、俺がそうしたいと思ったから、かな」

「どうして……」

 バートがどうしてそう考えるに至ったのか、彼女にはやはりわからない。

 趣味が悪いという他に、しっくりする言葉が見つけられなかった。


「君は、弟君が爵位を継いだら、身を引いて隠遁するつもりだって?」

 バートは急に話を変えて質問してきたので、キャロリンはため息をついた。

「ビリーお兄様から、本当に色々お聞きなんですね」

 次いで、呆れたような言葉を漏らしてしまう。


 弟のクリフの成長後の身の振り方の想定を、親身になってくれる幼なじみにはいくつか話したことがあった。

 まだ若い彼女には十年は先の未来は遠くて、まるで雲をつかむような気持ちでふんわりとした内容だったけれど。

 領主となった弟の傍に小姑は無用の存在だった。その頃にはとうがたっていて、今以上に良縁など望めない。


 領地の状況が改善していれば領地の端っこにでも家をもらいたいとか、修道院に入って慎ましく神に祈り続ける生涯でもいいかもしれないとかそんな内容だったはずだ。

 キャロリンの身の上に同情的なビリーはそれを聞いて「もう少し未来に夢を見てもいいんじゃないか?」と渋い顔をしていたと思う。


「同情でしょうか?」

 若い娘が、身の上の事情に振り回されて人生を無駄にしているように思えたから、だろうか。

 そして、哀れな娘を自分なら引き受けられると考えたのだろうか。

 

「同情?」

 バートは首を傾げて、違うなあと続ける。

「まったくないとは言わないけど、気に入った相手じゃなきゃ懐に入れようとは思わないな。俺の伴侶の座は、同情だけで与えられるような軽さじゃない」

 続いたのは、初めて聞くような冷たい声だ。


 何が彼の琴線に触れたのだろう。いや、触れたのは逆鱗なのだろうか。

 キャロリンの知る限り朗らかそのものだったバートが不意に見せた変化に、息を飲む。

「同情するのだとしたら、未来の君の弟に対してだ」

 きっぱりと彼は断言する。キャロリンは呆然と「おとうと……?」と呟いた。

「何も知らない幼い頃はいいだろう。でも、成長した先で、自分を守るために姉が自分の身を犠牲にしていたと知ったら、どうだ?」

 鋭い問いかけに答える言葉を彼女は持たなかった。

 考えたこともないことであったし、バートの変貌についていけてもいなかった。

 

 張り詰めた糸のような鋭い視線に、身じろぎする。彼からは先刻までの気安い調子がすっかり消え去っていた。

 気まずさを誤魔化すように「ぎせい」とおうむ返しするキャロリンは、バートが何を言わんとしたのかまったくわからなかった。

「自分の成長を見守るために姉が婚期を逃した、だなんて。気付いたら悲しむかもしれないでしょ」

「はあ」


 キャロリンは現実逃避のように、当事者でもないのに未来にあり得るかもしれないことを考えるなんて想像力豊かな人だなぁと思った。

「姉の幸せを犠牲にしたのに、自分は伴侶を得て次代につながないとならないなんて、苦痛だろ」

 くつう、と再びのオウム返し。

 そうかしらと首をひねるキャロリンをバートは見据えた。


 呆れたように大きく息を吐いた彼は、ゆっくりと頭を振った。呆れた気配をぬぐい切れない苦笑いを浮かべて、ちらりとどこかを見る。

 彼の視線の先では、相も変わらず隠れきれないスカートのひらめきがあった。つたない尾行の主だけどどこか剣呑な気配を察しでもしたのか、先ほどよりも飛び出しが多くなっているようだった。それが、バートの視線を受けてひゅっと引っ込んでいく。

 

「君はもう少し貪欲になっていいと思うなあ」

 今度はどんよく、と繰り返す彼女に視線を戻したバートは呆れ顔を隠さない。ただ、見慣れた笑顔ではないが、キャロリンにとってはなじみの空気感が戻ってきた。

 

 キャロリンはほっとした。怒りに似た気配は少し怖かったからだ。

 愛想の少ない様子は本来の立場における彼の立ち振る舞いなのだろうと、余裕を取り戻した頭で想像する。

 誰も寄せ付けないような、隙のない硬質な雰囲気だったように思う。


 彼女は、彼と幼なじみとの屈託のないやり取りを思い出して、素はこの明るいほうなのだろうなと仮定することにした。

 その本来明るいであろう人が、楽しそうに頬を持ち上げる。

「弟君の未来の安寧のためにも、俺は君を伴侶に得たいなあ」

 それを聞いて。

 こうと定めたら譲らないところがあるという人が思い込みが強い場合どうすればいいのだろう――と、キャロリンは気が遠くなった。


 遠い未来の弟の悲しみを救うために、今、本来ならば縁がない立場であるという方からの求婚を受けるなんてとても考えられなかった。

「幼い頃から兄のように慕うビリーお兄様がバート様のお家柄を保証してくださっているとはいえ、私は貴方のお立場の正確なところを存じ上げません。ですから、お話をお受けするわけにはいきません」

 キャロリンは胸を張り、自信をもって言い放った。

 

 彼の素性を探ろうとしなかったことは正解だった。一応家名だけは聞いたものの、爵位までは名乗らなかったのだから、正式に自己紹介をされたわけではない。

 そして、キャロリンより遥かに博識の執事が彼の姓を聞いた際に反応をしなかったことを考えると、何度考えても偽名としか思えない。


 父親が管理しているという将来受け継ぐ母親の実家の家名ではないか、キャロリンはふとそう思いついた。

 ビリーが彼の素性を知っていることを考えれば、完全に正体を隠す気はないのだろう。だとすれば古い貴族名鑑から当たればきっとストラード姓に行き当たり、そこから家系図を辿ればバートの真の家名を知ることができそうではあったが。


 ビリーに忠告されたのもあって、知らされないものをあえて調べる気にはなれない。

 

 あー、と声を上げたバートは痛いところを突かれたようだった。

「正式に名乗って、表立って書面を送ったら、君の家からは断れなくなるけどいい?」

 しかし、すぐに気を取り直したかのようににーっこりと笑って明かすことを避け、脅しめいたことまで告げてくるのには閉口した。

 

「できれば愛がある家庭が築きたいから、権力で言うことを聞かせるなんて真似はちょっと。それに、下手に伝えて敬遠されるようになると悲しいし」

 キャロリンは無言でじっとバートを見た。

「ん? どうかした?」

 きょとんとする彼に対して、呆れて頭を振ってしまう。

 

「それを聞いただけでも、面倒くさそうなお立場なのだなあと敬遠したくなります」

「それを覚悟の上で、俺のことを気に入ってもらえたら嬉しいからね」

「仮に気に入ってほしいのでしたら、脅すようなことを口にするのは控えた方がよいのでは?」

 物腰の柔らかさに誤魔化されそうにはなるが、身分を笠に着るのも、将来感じるかもしれない弟の罪悪感を盾にするのも、分類は脅しである。

 キャロリンはそう感じるのだが、バートはとぼけたように「そう?」なんて小首をかしげた。

「後出しで面倒だなんてバレて振られるのは嫌だし、最初っから面倒くさいってことは織り込んでおいてもらわないと」


 問題はそこなのだろうかとキャロリンの方こそ首を傾げたい気持ちになった。とても正直にあけすけに語ってくれている気配だけは醸し出ているが、結局一番大事な素性についてはさっぱり明かしてくれない。

 隠そうとしていることを探る度胸は、今のところなかった。また、知れば正式に書面を送るという言葉で、すでに釘を刺されてもいる。

 

 覚悟が決まらないうちにそんな愚は犯せない。

 あるいは、バートの素性を知った後に態度を変えることになれば、彼はキャロリンへの興味を失うのかもしれないとも考えたけれど。

 家格の違いにうろたえて挙動不審になる彼女を見て楽しみそうでもある人だよな、とも感じている。


 キャロリンにできるのはこのまま見ないふりをして、彼が我に返るのを待つか、なんとか諦めさせるか――、あるいは、自分が諦めることしかなかった。


 とりあえず、色々な意味でお腹はいっぱいで、建設的なことは考えられそうにない。

「ビリーお兄様にも相談してみますね」

 後ろ向きな気分で、前向きにも聞こえそうな言葉を選ぶ。キャロリンが相談できる相手は彼くらいしかいなかった。

 

 領地にいる母とは距離があるし、水を向ければ良縁を逃すなと前のめりになりそうだ。身近な相談にふさわしい執事も、この縁を好ましく感じているようだから、気持ちはわかってもらえそうにない。

 事情をよく知り自分に同情的なビリーならば、冷静に話を聞いてくれそうだ。

 

 うわあ、嫌がりそうだなあなどと、バートは渋い顔をするが、それは仕方がない話だった。


 二人は休憩を終えると、最後にキャロリンが決めた弟へのお土産――悩んだが幼いクリフが一番気に入りそうな模造剣にした――を購入しに初めに訪れた店に戻ることにした。

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