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14 楽しそうなひと

 キャロリンが呆然としている間に、バートはお代わりした料理まですべて平らげていた。

 慌てた彼女も、行儀が悪くならない程度に急いで自分の取り皿を空にすることに集中する。


 両肘をついて、組んだ手に顎を乗せるというお世辞にも行儀がいいとは言えない体勢になって、バートは彼女を急かすこともなく笑顔を浮かべている。

 

 どうしてそんなに楽しそうなのか、キャロリンにはさっぱりわからない。 

 

 居心地悪く食事を続けているうちに、基本的になんでも楽しそうな人だよなあという感想が不意に胸に降ってきた。いや、なんでも楽しそうなのではなくなんでも楽しめる、だろうか?

 

 なんでも楽しめるなら血筋や地位に惹かれて寄ってくる女性を弄んでいてもおかしくないのだが……女性不信気味になったというくらいだから、やはり違うのだろうか。

 いやいや、妙に手慣れた口ぶりでもあったから、それなりに遊んだこともあったのかもしれない。その末に女性が信じられなくなった何かがあったとしてもおかしくない。

 

 それでキャロリンのような地味な装いの純朴そうな娘にかえって惹かれることになったのだろうか?

 キャロリンに内心の見透かせない笑顔の裏など読めるはずもなかったが、その発想が自惚れ過ぎていることくらいは自分でも理解していた。

 

 出会って間もない男の求婚じみた言葉にすぐうなずけるほどに純真でもない。

 

 男性には女性ほどはっきりとした結婚適齢期などというものはないが、それでも適した年齢というものはある。継げる爵位があるということは、彼は周囲から結婚をせっつかれでもしているのかもしれない。

 

 由緒正しい家柄に目の色を変える女性を忌避したくて、逆に彼の出身について全く興味を見せず――だって、兄のように慕う幼なじみの忠告なのだから従っておいた方がよいと思ったのだ――深く素性を探ろうとしないキャロリンがちょうどよいと考えたのだろうか。


 いわゆる、政略結婚というやつだ。

 食事を終える頃にようやく、キャロリンはこの状況にちょうどいい言葉を思い出した。

 彼と縁づくことでパウゲン家を後見してくれるだけで、キャロリンにとってはありがたい。

 バートにとっても、伴侶を得ることで群がる女性に煩わされることが減り――力のない子爵家出身の妻などあまり牽制の意味をなさないかもしれないが――、さらには爵位が手に入る。案外、与えられるばかりではないのかもしれないなと、考え付けば多少は気楽な心地になった。

 

 

 

 キャロリンが食事を終える頃を見計らって、バートは次なる行程を提示してくれた。

 弟へのお土産が決まったのならばその店に戻ればいいし、腹ごなしに散策してもいいよね、と。

 

 食後にお茶でも飲みながら話の続きをしたいと思ったが、来た時よりもさらに客は減り、店内には静けさが訪れつつあった。この状況で話を再開することはさすがに躊躇われたキャロリンは散策を選択する。

 

 

 

「先ほどのお話なのですけど」

 案内されたのは王都のそこかしこに整備された公園の一つだ。

 市民の憩いの場として、あるいは有事の際の避難場所として整えられた場所には、遊歩道が整備され、休むためのベンチがいくつもあった。

 芝生が敷き詰められているのは王都内の公園のお決まりではあるが、中心部の公園よりもどこか雑然と見える。

 

 貴族よりは平民が集う一角だからだろうか?

 刈られた芝が手入れする人間の存在を証明するが、芝の間に獣道のようなものができている。蛇行する遊歩道を散歩するのではなく、日常的に近道のために突っ切る者が相当数いるものと考えられた。

 

 当然、そんな不調法なことは貴族位にあるものとしてふさわしくない。二人は真っ当に道を歩き、途中のベンチで休むことにした。

 

 キャロリンは腰掛けながらさりげなく来た道を振り返る。例によってついてきているヘレンが、いくらか先の木の陰に隠れているのが風にひらめくスカートがちらちらしていることから確認できる。

 相変わらずお粗末な尾行であるおかげで、近くで聞き耳を立てられている心配をせずに済む。

 

「ありがたいことなのですけど、契約結婚だなんてご家族が知られたら悲しまれませんか?」

 それでも開かれた場所であるから声だけは潜めたキャロリンは、隣に座るバートを見上げた。

「悲しむ?」

 彼は不思議そうに首を傾げた。

「俺は、君のことを気に入ったって言ったよね?」

「ええ」

「だから、契約だなんて言葉で距離を置かれたら悲しいなあ」

 貴族らしからぬ直接的な言葉を口にしたが、ちっとも悲しそうには見えないので、キャロリンはそれが本心からのものとはとても思えなかった。


 彼女が彼と顔を合わせたのは今日でまだ三回目だ。

 貴族階級にあるものとしてはあり得ないほどあけすけな会話は交わしたが、だからこそそこに契約以外の言葉を見出すことはできないように感じる。程度の差こそあれ、お互いに利はあるようだった。

 家と家を繋ぐような政略にはなり得ないけれど、個人対個人――いや、バート個人対パウゲン家であれば、契約に値するような。


 ちょっと会話して気に入った程度で、この先を決めるほどの魅力が自らにあるなどとキャロリンにはとても思えない。

 自然にきゅっと目を細め、思わず身を乗り出しながら睨みあげるような形になったというのに、睨まれた方は平気な顔をしている。

 いや、へにょんと眉を下げて、身を引いた。

「信用されないのは堪えるなあ」

 呟く声もまた、やはり堪えているようには聞こえなかったが。


「自慢することではありませんが、私はバート様に対してあまり誉められた言動をしていないと思うのです」

「そう?」

 懺悔するような心地で口火を切ったのに、きょとんと首をかしげる男は大らかにそれを否定する気配。

「淑女らしく装い切れなかった自覚はあるのです」

 詳細を数え上げるような勇気もなく、キャロリンは端的に事実を述べる。

 

 初対面であまりに失礼な発言をされたから、以後ところどころ棘のある言葉を口にした自覚はあった。

 子爵家は王都から離れており、交流範囲も広くない。最低限の社交をこなせるかこなせないか程度の礼儀作法しか身につけておらず、薄いメッキが失礼な男の前で剥がれていたのは厳然たる事実だった。

「家柄も足りず、淑女らしさもない――私は、生涯の伴侶とするには不足ばかりではないですか?」


 バートは少し考えるようにして、顎に手を当てる。

「……俺にはそれっくらいの方がいいなあ。遠慮せずに言葉を交わしてくれるのは嬉しいし」

 やがて、そう口にした。

「俺が継ぐ家は、実家ほどいいものじゃないからね。それに兄たちも自由に伴侶を得たって言ったでしょ? 兄嫁たちより家格が高いようだと、却って障りがあるからちょうどいいよ」

 彼はにこにこ笑みを浮かべたまま、あっけらかんとしている。

 

 そのように言われたからといって、キャロリンはすぐにうなずく気にはなれなかった。しかし、力なき子爵家出身でも受け入れられる素地がありそうなことはわかった。

 本当に周囲に受け入れられるかどうかはさておき、家格差について以前ほど言われない風潮があることは前述の通りだった。

 

 その風潮の発端は、王太子殿下のご成婚まで遡る。双子であることで後継者とすぐに定められず、故に幼少期から婚約者を決められることがなかった王太子殿下がようやくご成婚された妃殿下が、本来ならば選ばれにくい家柄であったのは平民であっても知っているような事実なのだ。

 公爵家にも侯爵家にも見合った年齢の令嬢がいくらでもいたところを、だいぶ年下の伯爵家の令嬢だ。

 王家に嫁すにあたり伯爵位は最低限とされる家柄である。婚約にあたり公爵家の後見を得たとはいえ、当時はたいそうな騒ぎになったのだろうと予想できる。


 今では真実の愛だったのだと書物によって流布されている――バートが教養として読んだという一連のシリーズの一作だ――からか、近頃は王族におもねってか高位貴族でも政略の絡まない恋愛結婚が認められることがあるのだとか、ないのだとか。


 だからといってことはそう単純なものではないのだろうとは思うのだけれど、少なくとも、彼の一族はその流行の最先端を走っているようである。


「運命だよね」

 何かに折り合いをつけようと色々なことを呑み込もうとしていたのに、世間話を始めるような何の気もない調子でバートは爆弾を投げ込んできた。

 キャロリンは横に座る男をちろりと見上げる。バートも彼女を見下ろしていた。

 

 にっこりと目を細めている。

「身内以外でこんなに気になる子に出会えるなんて、考えたことなかった」

 それは貴族らしい装飾もなく婉曲表現のかけらが見えない、真っ直ぐすぎる好意の発言のようにキャロリンは感じた。異性からそのように純粋な好意を向けられた経験はこれまでの彼女にはなかった。

 

 今まで彼女に好意めいたものを見せてくれた男性は、大抵が彼女の後ろにあるものを見ていたからだ。

 何とか収益が上向いた程度の領地とさほど高くない爵位でも、それを得たいと考える者がいた。持つ者にとっては価値は低いだろうが、持たざる者にとってそれは十分すぎるほどの価値があるようだった。

 家付き娘であった頃は確実に、父を失った後はうまくすれば手に入ると考えたのだろう。

 幼い頃はともかく、成長してからのあからさまなお世辞は寒々しく聞こえたものだった。

 美人とまでは言えない地味な娘に対して、どうにかこうにか捻り出したようなあからさまな美辞麗句だったからだ。

 言葉を飾るのが貴族のたしなみではあるが、それにしたって限度があった。

 

 今、目の前にいるのはキャロリンよりよっぽど上流の人であるという触れ込みなのに、その言葉は全く装飾がなされていないように聞こえた。

 大仰に運命だなんて切り出しはされたが、気になる子だなんて。


 彼女のことがただ物珍しかっただけの発言とも思われるが、求婚まがいのことをされた上での「運命」で「気になる」。これは、自意識過剰ではなく、好意的な発言と認識しても間違いではないように感じられた。


 キャロリンは、驚き、そして戸惑った。

「今だけのことではないでしょうか。物珍しいだけなのじゃないかと」

「そうかもねえ」

 呆れたことに、バートはあっさり首肯した。悪びれた様子さえなかった。


「でも、俺の兄たちは大変一途だと、界隈では評判だからね。こうと定めた人から目を逸らすことはしたためしがないから、俺もそうなんじゃないかな」

 キャロリンは、再び幼なじみの言葉を胸の内に蘇らせることになった。

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