12 食堂で
食事の為に二人が移動したのは本日の服装に見合った食堂だった。
前回のカフェとは違い、庶民を対象にした気取らない店だ。来訪したのはちょうど昼の繁忙期を過ぎて落ち着いた頃合い。とはいえ、遅れて食事をする客もいるようで、店内は人々のざわめきに包まれており、静寂とはほど遠い。
キャロリンにとっては以前の個室よりもよほど落ち着く空間だった。
こういう店には幾度か来たことがある。
ビリー曰わくはキャロリンとは格の違う家柄のはずのバートだけれど、戸惑った様子もなく席に着く姿を見るに物慣れた様子だ。
給仕が口頭でメニューの説明をすると、好き嫌いがないことをキャロリンに確認するやすぐに注文をするなど行動に微塵も迷いがない。
今日だって自らの足を使って幾軒も店を回ってくれたくらいだから町にも慣れているのだろう――それにしては、出迎えた際の姿には難があったが……たぶん。
身軽な三男坊を自称し、騎士の職を得ているのだから――ビリーと比べて腕はさほどではないようだが、身分やコネだけで職位を得られるほど王国騎士爵は軽い地位ではないはずだ――たとえ貴人であってもこのように気ままに市井に繰り出すのは問題ないものなのかもしれない。
それに比べて一応は子爵家の令嬢であるキャロリンの方がよほど物慣れていない。
日頃は領地でもう少し気楽に過ごしているが、王都となれば都会であり何が起こるかわからない。そのため街歩きでは万一に備えて一人きりにならないように常々言い含められている。
幼なじみに保証された相手ではあっても、まだパウゲン家としては手放しでバートを信頼しているわけではない。だからこそ今日もキャロリンの外出には侍女のヘレンがついてきているのだ。
拙い尾行ではあっても二人を見失うこともなく、今もそれとなく時間を空けて同じ店に入り、こちらが見える位置に陣取っている。
ただ、パウゲン家の使用人たちはお嬢様のお相手をずいぶん好意的に受け止めている様子なので、一応は見守っているのだというポーズなのだろうとキャロリンとしては思っている。ビリーの紹介してくれた騎士がお嬢様に悪さをするわけがなく、きっといざ何かトラブルがあれば守ってくれるだろうと気楽に考えているのだ。
そうでなければ、いかに手が足りないとはいえ執事も一人くらい男手をつけてくれたはずだ。
ヘレンが離れた席に着いたのも、バートをそこまで警戒する必要もなく、やたら気にしいのキャロリンが心穏やかに過ごせるようにという配慮なのだろう。
それがいいことか悪いことか、キャロリンには判断がつかなかった。
内密の話を持ち掛けるには悪くないが、家人に信用されすぎるといずれ訪れる別れの際に面倒が起きそうな気がする。
難しい塩梅を調整できる技術がないのでどうしていいのかわからないけれど、とてもまずいという予感があった。
「色々案内くださってありがとうございます」
その懸念をどう切り出してよいかもわからずに、キャロリンはとりあえずは本日のお礼を口にするしかない。
「面識もない弟のために色々考えてくださって、とても嬉しかったです」
「ちょうど俺も甥っ子に何か贈りたいと思ってたところだから」
バートはゆっくりと首を横に振るが、その言葉はどこまで真実なのだろう。
バートの言う甥が彼の兄の子か姉の子かはわからないが、どちらにしろ建国以来由緒正しい家の血を引くご子息ということになる。実際贈り物を購入していたのだから全くの噓ではなかろうが、今日巡ったのはキャロリンでも購入可能な商品が置いてある店ばかりだった。
何を買ったにせよ、家柄に見合った贈り物とはならないような気がして不思議に思う。
素直にその疑問を口にするほどの勇気もなく、キャロリンは「それならばよいのですが……」と当たり障りなく口にせざるをえなかった。
「ところで、バート様。色々ご配慮いただいている身の上でこのように申し上げるのは恐縮なのですが」
「うん?」
キャロリンは耳を澄ませても侍女には聞こえないようにことさら声を抑えて、今のうちに第二の目的を果たすことにした。
「連日、花を添えてお手紙をくださるのはお控え願えませんか?」
「なんで?」
バートはきょとんと首を傾げた。
「何故って……」
まるで幼い弟が無邪気に口にする疑問のように、純粋に不思議そうな表情をしているように見えてしまったので、キャロリンは返答に詰まってしまう。
「初回を除いたら花束というわけではないから、毎日でも重くないと思うんだけど……」
「たとえ一輪でも連日となりますと、飾る場所もなくなってくるのです。それに……」
「それに?」
「えーと、そのう。毎日続きますと、まるで熱烈に私が口説かれているのではないかと、家の者が誤解しているようなのです」
「いいんじゃない?」
けろっと言ってのけるバートをキャロリンは恨みがましく睨んだ。
「良くないです! シーズン終わりに別れることになった時に、言い訳しにくくなるじゃないですか」
バートはなるほどとうなずいた。
「考えたんだけど――俺としては別に、別れなくていいような気がするんだ」
その上で、とんでもない言葉を続けてきたので、キャロリンは零れ落ちそうなくらい目を見開く羽目になった。
「なんと、おっしゃいました?」
衝撃の発言をした男は、満面の笑みを浮かべた。
「これもいいご縁だと思うんだよね」
「いい、ごえん……?」
「君も少し前向きに考えてくれると嬉しいな」
「そうおっしゃられても……」
「俺が女性不信気味だということは前回話したよね?」
「ええ」
戸惑いながらキャロリンはうなずき、はたと気が付いた。
「つまり……偽装の恋人がいることが、バート様にも利益となりうるのですか?」
「うーん、そういうことでもいいけど」
バートは言葉に迷うようにテーブルを指で叩く。
そうしている間に注文の品が届いたため、続く言葉はしばらく出なかった。
テーブルには彼の選んだ料理が幾皿も並び、お互いの前には取り皿が用意された。貴族ではあり得ないが、庶民の間ではよくある食事の形式だ。
バートは自分の取り皿にそれぞれの料理を半分ずつくらい取り分けると、「好きなだけ食べてね。残ったら俺が食べるし、足りなそうなら追加で頼もう」と告げる。
うなずいたキャロリンは、とりあえずそれぞれの皿からさらに半分ほどを取り皿に乗せることにした。
彼女の様子をにこやかに見守っていたバートが「さあ食べよっか」と食事を促した。
そして。
「俺は君のことが、とても気に入ったんだよねえ」
食事を始めるやいなや、さらりと切り出した。
「君は、ビリーが気に掛ける大事な妹分だからさあ。そもそも、まあちょっとは、君の話を聞くことがあったりなかったりしたんだけど」
「それはあったのかなかったのかどっちなのですか」
キャロリンはつい、手を止めて突っ込んでしまう。
「結構聞いたかな」
それはビリーが自ら話してのことだろうか、それともぐいぐいと聞き出したのだろうか――恐らくは後者だろうなあとキャロリンはあたりをつける。
彼女のそんな感想を想像もしていない様子で、バートは良い笑顔を浮かべている。
「思ったんだよね、世慣れぬ中必死に弟を守る君の力になってあげたいなあって」
そんな彼にとって利のないことを無邪気に言葉にされても、すぐにうなずけないくらい程度にはキャロリンは擦れていた。
しかし、偽装の恋人が彼にとって本当に利があることなのかもしれないとつい先ほど考えたのだったと思い直す。
「庇護欲がそそられた、というか。不器用で見ていられないというか」
本当にこの人は歯に衣着せないな、とキャロリンは呆れてしまう。
きっとバートの方も、同じように彼女に対して呆れているからこそのその言葉だろう。お互い様だと文句は呑み込むことにする。
「お申し出は――きっと、当家にとってはありがたいことなのだと思いますけれど」
由緒ある家柄の三男だという事実を差し引いても、騎士の位を持つ男性の庇護が得られるのならば子爵家にとっては助かる話だ。
「表立って交際を明らかにすると、問題があるのではなかったですか?」
別れないという選択の期限は果たしていつなのだろう。
恋人、しかも偽装のとなれば、彼からパウゲン家に与えられる恩恵は限られるだろうが。
弟のクリフが成長するには早くとも十年はかかる。それは決して短いとは言えないし、バートの得る不利益の方が大きいようにしか思えない。
「別に問題なんてないよ。まあ、うるさい輩はいるかもしれないけど」
彼が行儀悪くピコピコとフォークを振るさまは、まったく高貴な人のそれには見えなかった。
「文句なんて言わせないようにすればいいんだから」
なのに極上の笑みを浮かべて言い切るさまは、これまで何の挫折も受けたことがないほどに傲慢に感じられる。
人好きのする愛嬌ある笑顔と、端的に言い放つ様子との落差が大きすぎる。
バートに即座に肯定を返すには躊躇いが大きく、しかしすぐさま否定を返すには魅力的な提案のように思えてしまう。
どうしようもできず、キャロリンはただごくりと息を呑み込んだ。そこで不意に幼なじみの忠告めいた言葉が頭に蘇ってくる。
ビリーはたしかバートのことを「こうと決めたら意地でも譲らないところがある」と言っていなかっただろうか。
もしかして――これはもう、彼は意地でも譲らないくらいにすでに覚悟を決めているのかもしれない。
どうして彼がそこまでキャロリンの力になるつもりになったのか全く分からないが……彼女は自分がどのように返事をするか定めたところで、結局はバートのいいようになってしまうのだろうなあといったうっすらとした予感がして、気が遠くなりそうになった。




