11 街歩き
結局キャロリンはバートのあげた候補の店をすべて回ることになった。
最初に行った店舗にたくさんあった模造剣も――キャロリンにはよくわからないけれども――男児には魅力的なのだろうと思えたが、彼の語った他の案にも興味が引かれたので決めかねていたのをバートは敏感に察知したようだ。
「俺も甥っ子に何か持って行こうと思ってるし、せっかくだから全部回ってみようか」
キャロリンの弟より一つ上だという甥っ子には以前すでに剣をあげたから他の物を探したいなと彼は言い、さらりとエスコートをしてくれた。
夜会で腕を組むような貴族的なそれではなく、ただ手を繋ぐだけ。
恋人同士というにはまだ早いような、子供同士で繋ぐような形ではあったけれど。
他の候補の一つ目は、書店だった。
「弟君も、そろそろ字に興味が出る頃じゃないかな」
それはどうだろうと正直キャロリンは思ったけれど、今は体を動かすことばかりに夢中の弟もそろそろ机につくことを覚えた方がいいとは考えている。
バートの言う通り、五歳というのはそういうことに手をかけ始める年齢であったように思う。
キャロリンがまずは父母を教師として知識を学び始めたのはその頃合いだったはずだ。
キャロリン以降に子がなかなか得られなかった両親が、いずれ領地を継ぐかもしれないからと言い始めたのも確か同じ頃。
わけもわからず目についた文字を書きなぐることに始まって、お気に入りの物語の登場人物の名を書き記したりしたような覚えがある。
キャロリンは今の弟とさほど変わらない年齢の頃に見た記憶のある懐かしいタイトルについ足を止めてしまったりした。
名前は変えてありすべての事実が書かれているわけではないのだろうが、当代の国王陛下の第一子――数奇な運命に翻弄された王女殿下の恋物語は、幼い少女があこがれるにたるものを持っていた。
立ち止まったキャロリンの視線の先を見て、バートは「女の子は好きだよねえ」と訳知り顔だ。
「お読みになったことが?」
「教養としてシリーズは一通り」
男性向けではない話なのに、教養とはこれいかに。
シリーズとされるのは、現在の王族に纏わる事実を元にした話とされている。だからといってそれが教養に含まれるのかは甚だ疑問だ。
女の子はきらびやかな物語が好きなものだから、事実に基づくとはいえ物語はキラキラ装飾されていた。つまりどう考えても女性向けのお話だというのに。
長らく病に伏し遠方にて療養していたお姫さまが、病を克服したのちに公爵家の嫡子と運命的な再会を果たして結ばれたお話は、今でも好きだ。文官の家系ながら不在の王女の騎士として自らを鍛えた文武両道の公爵家の嫡子に憧れた気持ちは今でも褪せない。
第二王子が兄より先に伴侶を得るのは望ましくないとされながらも幼なじみを妻として得た話も、身分の差にしり込みする令嬢に最大限の愛情を注いだ王子の姿にときめきを覚えたものだった。
腹違いの姉を思うが故に生涯独身を貫きそうだと言われていた第一王子が真の愛に目覚めて、歳の離れた令嬢を娶った話もよかった。
弟と同じく少し地位の低い娘が相手だったが、驚き戸惑う令嬢に愛を乞う姿は、読んでいるだけでドキドキした。
どれをとっても幼い少女には、憧れるに足る物語だった。
しかし長じた今となっては名前を変えているとはいえ、大々的に王族の物語とされるものが頒布されるのは、どこまで真実か怪しい。歴然とした事実を下敷きにしているのは間違いないようだが、あまりにもできすぎた話だと現実を知った今となっては感じられてしまうからだ。
事実に虚構による装飾をすることによって庶民からの王家への憧れや親近感を持たせたり、忠誠心を得るための策なのかもしれない。
例えば、王女が公爵家に嫁いだのは、政治的な意味が強い。
この王女は平民上がりの第三妃の娘で、この側室は国王の寵愛を受ける人であった。
病み上がりの愛娘が王妃の嫉妬を買い虐げられることを恐れ、早めに王室から遠ざけようという国王の意図があったのではないかと推測されている。
王女の嫁いだ公爵家は、国王に大変信頼される家だから、余計に。
第二王子殿下は、兄の補佐たる身ながら先に伴侶を得ようとすることを問題視もされたらしい。
世継ぎでありながらなかなか動かない兄王子にじれて、政治的に優秀な第二王子を担ぎ上げようと言う一派があったのだとか。
それを避けるために、身近にいた信頼できる娘を早々と娶ったのだと言われているそうだ。あえて家格差の大きい相手を選んだのは、王妃とするには少し身分が足りないところを狙ったのかもしれない。
――のちに、兄が同じく家格差が大きいうえに歳の差の大きい相手を伴侶としたのは想定外だっただろうが、そこはそれ。
そして王太子殿下については、歳の差のある娘を伴侶にするにあたり幼女趣味だと後ろ指をさされないために美談に仕上げたように思われる。
世継ぎの君がなかなか伴侶を定めなかったものだから、いざその気になった際に年頃の見合う女性がいなかったことが王太子妃が年若い理由であろうけれど。
バートはかなりの名家の出身だというし、男性ではあっても実際に読むことで虚構と現実の齟齬を知り政策の効果を知るのは重要だったのかもしれない。
実際、策はうまくいっているらしく王家の方々に対する庶民の信頼は高く、王族の姿絵は王都みやげとして人気の品らしい。
パウゲン家にも国王陛下の肖像に加えて、かつての王女殿下の姿絵がある。
今では何かと地味なキャロリンも華やかなお姫様に憧れた時期があった。
病気がちだった王女殿下の恋物語――それを子供向けにした絵本が幼き日のキャロリンのお気に入りの一作だった。絵本と姿絵をセットにして与えてくれたのは王都に店舗を構える商会長だった祖父だ。
パウゲン領は王都から距離があり流行りには疎い土地柄だが、母の実家は商売柄流行りには敏く、時折最新の物を送ってくれていたのだ。
「思えば、弟のクリフが誕生したのも姫さまのおかげですね」
懐かしい本のタイトルを指でなぞって、キャロリンは呟いた。
「どういうこと?」
「病気がちだったお姫さまが子をなすことができたのだからと、長く次子がなかった母は勇気を得たようです」
バートはふうんとうなずいて、キャロリンを案内するようにゆっくりと書架の間を進みはじめた。
「祖父が私に贈ってくれた姫さまの姿絵を、母は一時期朝晩拝んでました」
当時は何をしているのだろうとキャロリンは不思議だったが、長療養から回復し、伴侶に加えて子を得た元王女殿下に安産を願う風潮ができたのだと今では知っている。
「そこまで?!」
両手を組み合わせてかつての母の真似をすると、彼は驚いたように立ち止まる。
「そういう噂は聞いていたけど、そこまでかぁ」
「妊娠が判明した後も続けてましたし、そのうち姫様が第二子をご懐妊されたと聞いてからはより熱心に祈ってました」
長らく第二子を得ることができなかった身だからこそ子供を同じ年に産めることに運命を感じたみたいでと続けるとバートは目を見張って、「そうなんだぁ」と呟いた。
母が運命の女神と呼ぶ元王女殿下は、自分の運命を初めに変えた人でもあるように今のキャロリンは感じている。
それに幼い頃抱いた分不相応すぎるほのかな憧れを加えると、かつて親しんだ物語の思い出はどこかほろ苦い。
もちろん二度目に彼女の運命を大きく変えた父の事故死ほど苦しくはないけれど。
「どうしたの?」
胸にチリリと感じた痛みに一瞬目を伏せたことをバートは鋭く察し、不思議そうに首を傾げた。
「いえ、少し思い出すことがあって」
キャロリンは薄い笑みを浮かべて誤魔化した。
「ええと、ほら――王家には、もうお一方、王子殿下がいらっしゃるので。素敵な物語に憧れた少女が次に夢想するのは王子様との恋物語だったなあ、とか」
口にした途端に恥ずかしくなって、
「ところでバート様のおすすめはどこにあるのです?」
キャロリンは話を変える。
「こども向けはこのあたりなんだけど……えっと」
楽し気に口角を上げながらも、バートはきちんと彼女の思惑に乗ってくれた。
「ほら、このあたり」
きょろきょろ周囲を見回して目的の本を発見したらしい彼は、そこまで歩を進めるといくつかの本を指し示す。
「大半の男の子は冒険譚が好きだと俺は思うんだ」
そう言う自身も教養のために読んだという少女向けの物語より好んでいる様子で、先ほどよりも熱心に内容を紹介してくれる。
木の枝を剣に見立ててしょっちゅう見えない何かと戦っている弟が気に入りそうな物語がいくつもあることをキャロリンは初めて知ることになった。
バートのおすすめの冒険譚語りには熱が籠っていて、だからこそキャロリンはどれを選ぶべきか本屋でも決めかねてしまった。
童心に返ったような自らの語り口に我に返った彼は、迷うキャロリンを次の目的地に誘った。
「ゲームもいいよねえ」
バートの甥は、最近はボードゲームがお気に入りなのだと教えてくれる。
その甥っ子のお気に入りだというものは、クリフにはまだ難しそうだ。
似たようなものが父の書斎で埃を被っている。弟どころか、母もキャロリンも興味がないので扱えない。
きっとバート自身は好むのだろう――何も知らないキャロリンに嬉々としてルールなどを説明してくれる。
ある一作の前ではこの駒がねとうんちくを語り、また別の一作の前ではカードについて語る。軽妙な口ぶりは聞きやすく、わかりやすいような気がした。
しかし、キャロリンには紳士の好む遊戯についての知識が全くと言っていいほどない。わかったような気がするだけで、クリフに購入してやったところで一緒に楽しむことは難しいと感じてしまった。
「慣れだと思うけどなあ」
初心者にお勧めで簡単なものだと手にしたカードについて、いくつも遊び方を説明したことでキャロリンが混乱してしまったことを恐らくバートは理解していない。
「解説書もあるし」
そういって手にした冊子は分厚いわけではないが、嗜まないキャロリンにとっては十分な厚みがあった。
「一度遊んでみれば良さはわかると思うけど……、使い方のよくわからないもので弟君と遊んであげるのも大変かもね。うちの甥っ子も、負けん気が強くて負けると泣いて大変だし」
可愛いんだけどねぇとバートが気楽に言うのを聞いて、キャロリンは弟の顔を思い浮かべる。
会ったこともない彼の甥の負けん気の強さがどれほどのものかわからないが、クリフだって負けん気が強い。素直なところは可愛いが、半面一度機嫌を損ねたら手に負えないところがある。
一度もしたことのない遊戯をどこまで恐れていいかわからないが、今あえて弟に与える必要はないように思えた。
こういったものは紳士の嗜みのようだからいずれは避けて通れないだろうが、彼がもう少し成長し我慢を覚える頃を待っても遅くないはずだ。
「その時が来たら、一度試遊してから選ぶといいよ」
バートはこのような店にはそのためのスペースがあるのだと教えてくれてから、自分は甥っ子のために何かを購入し「そろそろ休憩しない?」とキャロリンを昼食へと誘った。




