プロローグ
「最近ビリーを連れ回している幼なじみって、君?」
参加した夜会で壁の花となっていたキャロリン・パウゲンは、無遠慮に声をかけてきた見知らぬ男に言葉をなくした。
日頃は領地暮らしの子爵令嬢であるキャロリンにとって、夜会は目映いものだった。今日の会場は侯爵家とあって、あちこちに贅沢に明かりが灯されているからなおさらである。
「連れ回す、ですか」
密やかに深呼吸して気持ちを切り替えると、キャロリンはオウム返しに呟いた。遠くで誰ぞと話しているエスコート役の幼なじみのビリー・フェルドの姿をそれとなく確認し、すぐには気付いてもらえそうにないと悟る。
彼女が夜会に参加するのは人生においても片手の数に満たなかった。
男に連れ回すと称されたビリーにエスコートを受けた数は、今日でわずか三回目――キャロリンの夜会経験の大半は彼と共にあるが、連れ回すという表現をされるほどの数ではない。
また、そんな表現をされるほど夜会において目立った記憶もなかった。
昼にも近しい明るさの中では、くすんだ茶色の髪はいかにもぱっとしない。手入れだけはしっかりしているが、だからといって目立ちようがないのだ。領地から共に出てきた侍女のヘレンは彼女なりに上手にまとめてくれたのだが、都会の流行には疎いのでどうしても華やかさに欠ける――という設定である。
ドレスの装飾も少なく露出も控え目、なおかつ色もあえてベージュを選んだので、何かと華やかな夜会にあっては埋没するしかない。
なにせキャロリンは元々地味な娘だし、加えてヘレンに頼んで目立つための努力を全くしなかったからだ。
渋る娘を「いい相手を見つけて欲しいのだ」と社交に追い立てた領地に残る母が見たら、それこそ渋い顔をしそうな出で立ちであることも自覚している。
王都住まいの従兄の妻、母の実家のエスター商会でドレス事業を一から立ち上げたやり手のシャーロットが、こういったシンプルな装いがこの十年ほどは流行の先端なのだと請け負ってくれたのでヘレンを説得することもできたし、一応の言い訳は確保してあったが。
実のところ高位貴族の間で本当の最先端の装いには身を飾る高価な宝飾品が欠かせないのだが、キャロリンのような力無い子爵家の娘ではそこまで真似することはできないことには目をつぶっている。
つまりキャロリンは最先端を真似したつもりでしきれていないような周囲に埋没する装いで会場内で静かに佇んでいる。
入場と退場こそエスコートを受けているとはいえ、会場内では基本的にビリーとは別行動をしているので、事実無根の非難を受ける心当たりがなかった。
「ビリーに交際相手がいるのは知っているかな?」
社交界に数えるほどしか出たことのないキャロリンにはどこの誰か見当もつかないが、家名でなく名で呼ぶくらいだから男はどうやらビリーの親しい知り合いらしい。
社交に慣れないキャロリンにさえわかるほどの今の流行に乗れていそうにない男だった。夜会にあって埋没する姿にはどこか親近感を覚えるが、仮に幼馴染の知り合いだとしてもこのように無遠慮な言葉をかけられる筋合いはない。
キャロリンは小さく息を吐いた。この無作法な相手を前に取り繕う気にはなれなかったのだ。
「ビリーお兄様の同僚のエンドブルク様にでしたら、先日ご挨拶しました」
男の言うビリーの交際相手の名はステファニー・エンドブルク。キャロリンと同格の子爵家の令嬢で、現在二十二歳。
ツァルト国では珍しい女騎士であり、同じく騎士であるビリーとはその縁で知り合ったのだと聞いた。
女性は二十歳前に結婚することが多いが、ビリーとは交際するだけで今のところ正式に婚約すらしていない、ということも。
男は驚いたように目を見開いた。
「挨拶?」
「エンドブルク様は正式にビリーと婚約しているわけではないですけど、もうずいぶん長く交際しているということは存じておりますから。ワンシーズンとはいえ交際相手をお借りするのですから、一度くらいご挨拶しなければ失礼というものでしょう」
「そうなんだ」
「初めてお会いしましたけど、凛々しく気持ちのいい方ですね。遠縁とはいってもビリーとは近しい親戚ではない我が家の我が儘もすんなり認めてくださいました」
キャロリンは失礼な男に対して堂々と言い放つと、あえてにこやかに微笑んだ。
「その上で誤解を招かないよう十分気を付けて行動しているつもりです。下世話な勘繰りはやめてください」
「うん」
男は気圧されたかのように素直にうなずいたので、キャロリンは留飲を下げる。
「あんな麗しいお相手がいるのに、真面目なビリーが私のような小娘を相手するわけないじゃないですか」
そしてきっぱりと言い放ちながら胸を張った。