その商人には審美眼があるそうで
私の世界は、灰色をしている。
「エレノア」
「アルバート様」
「気安く呼ぶなと何度言えば分かるんだ。本当にお前は頭が悪くて嫌になるな」
「……申し訳ありません。アスガンド様」
私の婚約者である彼は、アルバート・ロトル・アスガンド。由緒正しき公爵家の後継。金色の髪に水色の瞳をした素敵な方。
私は、エティリール伯爵家の役立たず。せめて役に立ってくれと、この婚約が家同士で取り決められた。
「お前の顔を見ていると、こちらまで滅入ってくるな。その醜い顔を隠してくれ」
「はい。申し訳ありません」
「まったく……」
アルバート様は、私がお嫌い。私が醜いから、私が馬鹿だから。悪いのは、私。全部、私が悪い。
「アルバートさまぁ! そんな子、放っておきましょうよぉ」
「あぁ、そうだな。エレノアと違いデイジーは美しいよ」
「やだぁ、アルバート様ったら」
彼女は、デイジー・ウィラワズ。侯爵家のご令嬢。私と違って、白銀の髪に翠色の瞳をした美しい方。
彼女は甘えるように、アルバート様の腕に自身の腕を絡ませた。お二人は、とても……お似合い。
彼女は最後に私を一瞥すると、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。アルバート様は、もうこちらを見ても下さらない。
あぁ……。賑やかで華やかなパーティー会場で一人、佇む私の何と滑稽なことか。エスコートをしてくれる筈の婚約者が、別のご令嬢を引き連れていく。
「見てください。あの子、また一人」
「仕方がないわよ。あのような醜女ではね」
「アルバート様もお可哀想ねぇ」
貴族達がクスクスと私を嘲笑う声が耳につく。これも、いつものこと。私が我慢すればいいこと。全ては、私のせいなのだから。
「彼女が醜女に見えるのですか!?」
大袈裟過ぎるくらいに驚いた声が会場に響いた。それに、いつの間にか俯かせていた顔を上げる。
仕立ての良さそうなスーツを身に纏った男性が、目を真ん丸にしていた。次いで、感心するように唸る。
「なるほど。やはり、目が肥えていらっしゃるご夫人方は流石でございますねぇ。いやはや……。わたくしには、彼女の赤みを帯びたブラウンの髪も鮮やかなピンクの瞳も、何もかもがとても美しく見えるというのに」
漆黒の髪をした男性は、金色の瞳を三日月のように細める。人好きのする笑顔だと感じた。
「まぁ、見る目がありませんこと」
「いや~、手厳しい。彼女ほどの美しさでご満足されないとは。理想が高くていらっしゃる」
「当たり前なことをおっしゃらないでくださる?」
あの男性は、何を言っているのだろう。美しいなんて……。私のことが? そんな社交辞令、口にしても何の利益にもならないのに。寧ろ、馬鹿にされてしまっている。
申し訳なくて、けれど、私には何の力もなくて。その歯痒さに、唇を噛む。私には、何もない。そんな事を言って貰えるような価値、ないのに。
「ところで、ご夫人。そのネックレスに使用されている宝石、大きいですね」
「えぇ、とても高価なものなのですよ」
「それはそれは、悪いことは言いません。今すぐに外すことをオススメしますよ」
「何ですって?」
男性の言葉に、子爵夫人は気分を害されたらしい。不機嫌そうに眉をしかめた。
「何故って? 掴まされているからですよ」
「……え?」
「に、せ、も、の。その宝石、偽物ですよ」
子爵夫人が目を点にする。周りで傍観していた貴族達が、俄にざわめきだした。だって、偽物だと言ったのだ。あの男性は、何者なのだろうか。子爵夫人にあのような……。
子爵夫人が眉を吊り上げ、「何て無礼なの!!」と男性を怒鳴った。それに、男性はただニコニコとした笑みを返すだけ。どうしましょう。でも、私には、何も……。
「おい、待て! 彼の付けているブローチを見ろ!」
「あの紋様は、まさか! 世界中で騒がれている噂の商会の」
「あぁ、間違いない。ということは、彼は一代で巨万の富を築き上げたという」
「ステルラ商会のトップ……っ!!」
周りの声が聞こえたようで、子爵夫人の勢いが急激になくなっていく。目の前の男性の正体に、夫人は顔を青くさせた。
「あ、あぁ……」
「いや本当に、いい目をお持ちだ」
「~~~っっ!! ご、ごめんあそばせ!!」
一変して羞恥からか真っ赤になった子爵夫人は言い捨てるようにそれだけ言って、男性から足早に離れていく。子爵夫人の傍にいた男爵夫人達もそそくさと去っていった。
その後ろ姿を男性は可笑しそうに見送り、こちらへ視線を移す。目が合って、思わず肩が跳ねてしまった。男性はそんな私に、首を傾げる。どうにも気まずくて、逃げるように顔を背けた。
「遂に、この国に来たのか」
「是非とも彼の扱う商品を見たい」
「ステルラ商会との繋がりを獲るには」
ステルラ商会。世界中の国々を股に懸け商売をする、この名を知らぬは恥だと言われる程の商会。大陸に来ているとは聞いていたけれど、遂に我が国にも。
「これはこれは! お会いできるなんて光栄だ! 俺は、アルバート・ロトル・アスガンド。是非、品物を見せて欲しいのだが」
「身に余るお言葉です。しかし、申し訳ない。もう、商談相手は決まっておりまして」
「なに? 俺は公爵家の者だぞ」
「困ります、お客様。我がステルラ商会を“お手軽”、などと思われては」
アルバート様相手に男性は一歩も引かず、堂々とそう言い放った。それに、アルバート様は言葉を詰まらせる。
それを了承と取ったのか、男性は「では、これにて失礼つかまつります」と大仰にお辞儀をしてみせた。そして、本当に颯爽と会場を出ていってしまったのだ。
「凄い方……」
私は呆気に取られて、凡庸にもそのような感想しか抱けなかったのだった。
******
それが、一週間前の出来事であったはず。その彼が、何故、今、私の目の前に座っているのか。
ここは、エティリール伯爵家の応接間。事前に今日の訪問は、両親と約束を取り付けておられたそうだけれど。私には勿論、知らされておらず。
両親は自分達に用があると思っていたのだから、当たり前だ。しかし、彼の目的は何故か私で。両親はいらないと先程、彼の補佐らしい人に応接間から追い出されてしまった。
「あ、あの、私に何のご用でしょうか」
「あれ? ご両親に聞いておられませんか?」
「何も……」
「ふむ。では、わたくしがご説明致しましょう」
「申し訳ありません」
「何故謝られるのです? 貴女は悪くないのに」
彼の言葉に、私はキョトンと目を瞬く。そんなこと、初めて言われた。私は、悪くない、の? いえ、有り得ない。だって、いつも私が悪いのだから。
「その……」
「まぁ、いいです。決定事項だけ先にお伝えしておきますね」
「決定事項? ですか?」
「そうです。一つ、エティリール伯爵家とアスガンド公爵家の婚約は解消とする」
「え?」
「一つ、エレノア・エティリールとステルラ商会・ルカとの婚約及び婚姻を認める。これらは王命です」
理解が追い付かない。彼は一体何を言っているのか。目を白黒させる私を見て、彼は困ったように笑った。
「あの、る、ルカ様というのは」
「勿論、貴女の正面に座っているこの男ですよ」
彼、ルカ様は、おどけたような声音でそう言いながらご自身を指差す。
「ど、どうしてそのような事に」
「そうですねぇ。わたくし、商人の名に恥じぬ性格をしておりまして。美しいものに目がないのです。所謂、一目惚れですよ」
「えっと、その……。私ごときにそのようなお言葉、勿体無いですわ」
居たたまれなくて、俯いてしまう。このような社交辞令まで言わせてしまうなんて、私はどうしようもない。
そこで、ふと理解する。あぁ、私……。アルバート様に捨てられたんだわ。でも、仕方がない。だって、私は醜女で駄目な女なのだから。
「んー……。よし!」
「……?」
「本日は、プレゼントを沢山ご用意致しました! よろこんで頂けるとよいのですが」
「え? えぇ!?」
ルカ様の合図と共に、ドレスや宝飾品、絵画などの調度品がここ応接間に次々と運び込まれてくる。オロオロとしている間に、彼曰くプレゼントで部屋が一杯になってしまった。
「あ、あの?」
「……全て貴女の物ですので、お好きにどうぞ! では、今日はこの辺りで失礼致しますね」
「は、はい。ごきげんよう」
「また、明日来ますので」
「はい。はい?」
「同じ時間に。楽しみしております」
彼は早口にそれだけ言って、応接間から出ていってしまった。沢山のおそらく高級品に囲まれ、私は呆然とするしかなかった。
両親は彼からのプレゼントに大層喜んでいた。私には勿体無いからと、両親や兄が全て持っていってしまった。その通りだと思ったから、私は何も言わなかった。
そして、翌日。ルカ様は約束通りに、エティリール伯爵邸へと来られた。時間ピッタリであった。アルバート様はいつも遅れて来られるから、何だか妙に落ち着かない気持ちになった。
ルカ様はその日も沢山のプレゼントを下さった。そして、私などに楽しいお話を聞かせて下さる。
その次の日も、次の日も。仕事が大変そうであるのに、少しの隙間を見つけては、何故か会いに来て下さった。その度に、高価なものを置いていく。私なんかのために。
そして、今日も。一目見て素晴らしいと分かる絵画をプレゼントだとルカ様は言った。それと、立派な花束。
「あ、ありがとうございます」
「……駄目かぁ」
ルカ様が、ガックリと肩を落とす。急なことに、私はオロオロと狼狽するばかりで。こういう所が駄目なのだと。
「も、申し訳ありません」
「謝らないで。余計、惨めになります」
「あっ、も、申し訳……」
また謝りそうになって、慌てて口を両手で塞ぐ。そんな私を見てルカ様は、ばつが悪そうに綺麗に整えられていた髪を掻いて乱した。
「違うんです。あー……」
「ルカ様?」
「俺が駄目なんです……。情けないなぁ」
ルカ様は思案するように、目を伏せる。自嘲気味に笑うと、視線を上げた。
「聞いていただけますか」
「……?」
「とある、憐れな男の話です」
ルカ様の困り果てたような表情に、私はよく分からないまま頷く。聞くだけなら、こんな私にも出来るだろうから。
「ありがとうございます。そうですね……。その男はある日、飛んでもなく美しい人と出会います。しかし、何故か周りの者達はその人を醜いとせせら笑うのです。で、す、が! 男は自信がありました。己の目に」
ルカ様は身ぶり手振りを交えて、いつものようにスラスラと言葉を紡ぐ。私のように、どもったり、詰まったりしない。流暢な語りに、私は引き込まれていく。
「その人は、何故か美しい瞳に憂いを滲ませ、ずっと俯いているのです。男は馬鹿でした。自分ならば、あの人を笑顔に出来ると息巻いたのですよ。しかし、結果は惨敗。翳りの原因を排除しても、どんな高価な贈り物を渡しても、その人は笑ってくれません」
ルカ様の声音が、悲しそうに、切なそうに、揺れる。それに、心臓がぎゅっと掴まれたような感覚になった。
「もうお手上げです。けれど、男は贈り物をやめませんでした。それしかなかったからです。今までそうやって生きてきた、から……。だって、みんな……。それで……」
淀みなく聞こえていたルカ様の声が、段々と途切れ途切れになり、最終的にピタリと止む。
「みんな、喜んでくれたんだ」
まるで幼子が必死に自分は正しいと、間違っていないと、主張しているような……。そんな声音だった。
ルカ様の下がっていた視線が、ゆっくりと私に向く。そして、ニコッと笑った。今まで見た中で一番、“作れていない”笑みだった。
「どうか、教えて下さい。憐れな男に」
「……え?」
「貴女は、どうやったら笑ってくださいますか?」
そこで、やっと気付く。これは、ルカ様のお話。いや、ルカ様と……。
思わず、顔を背けてしまう。情けなさや、申し訳なさが込み上げて、ルカ様のことが見れない。だから、駄目なのに。私のせいで。
「……幻滅しましたか。まぁ、自分でも無理矢理だったなぁと思っております。勝手に翳りの原因だと婚約解消まで……。迷惑でしたね」
「あっ、ちがっ、違います! 迷惑なんて、そんな……」
「お気遣い無用ですよ?」
「ほ、本当に! 本当に、あの、ちがうの……」
どうしよう。駄目だ。言葉が上手くでない。もどかしくて、でも、どうしても伝えたくて、必死にルカ様の目を真っ直ぐに見つめた。
ルカ様は、そんな私に驚いたようだったけれど。「ゆっくりと、ね? 大丈夫ですから」なんて、優しく言ってくださった。
「確かに、ショックもありました。けれど、それよりも……。わ、わたし、安堵したんです。やっと、解放されるって」
「アルバート・ロトル・アスガンドから?」
「さ、最低なんです、わたし……。でも、婚約が白紙になって、嬉しかったの。嬉し、かったの……っ!!」
「よかった……」
「……え、」
「それは、良かったです。……うん、ほんと、よかった」
ルカ様が、心底安心したように破顔した。あぁ、この人はどうして……。どうして、私なんかによくして下さるのだろう。
「わたし、あなたに、こんな事して貰えるような。そんな価値ないのに。も、申し訳なくて」
「んー……? そうか。なるほど。時に! 貴女はこの絵画をどう思われますか?」
急に話題が変わって、私は目を瞬く。再びよく分からないまま、ルカ様が手の平で指し示した絵画に視線を遣った。
「えっと……美しいと思います」
「そうでしょう? わたくし、価値あるものを見分ける審美眼があるのですよ」
「そ、そうなのですね」
「因みに、これは自慢です」
「じ、自慢……」
「商品だけではなく、自身の売り込みもしっかりしなければ、ね? 商人に信用と信頼がなければ、売れるものも売れません」
ルカ様が茶目っ気たっぷりに、ウィンクしてみせる。それに、私は納得して頷いた。
「さぁ、麗しのご令嬢。背筋を伸ばして、顔を上げてください」
「え、あ、はい!」
「そうそう。いいですよ。とても美しい」
「わ、私は……」
「貴女は、この世で一番美しい。保証しますよ。『あの男が価値を認め値を付けたものこそ、本物だ』世界にそう言わしめた、この俺」
自信に満ちた声が、耳朶に触れる。
「ステルラ商会のルカがね!!」
ルカ様は、私に価値があると。そう言って下さるのね。こんな私が、美しいと。
視界の端で、何かがチカチカと弾けているような。キラキラと煌めいているような。そんな錯覚。
「それでも、不安だと言うのなら。そうですねぇ……。貴女は、人が一番美しく輝く瞬間をご存じですか?」
「い、いいえ」
「笑ってる時です。笑顔が、一番美しいのですよ」
ルカ様は、人差し指でご自分の口角を持ち上げて見せる。瞳が楽しそうに弧を描いた。
「だから、どうか笑ってください。嬉しそうな笑顔が見たい。その一瞬のために、ステルラ商会は存在するのですから」
「笑顔のために、ですか?」
「そうです。……そうか。そうだよ! ということで! 俺は諦めませんよ!」
「え?」
「言ったでしょう? わたくし、美しいものに目がないのですよ。貴女のためなら、いくらでも積んでみせます!」
何のスイッチを押してしまったのか。ルカ様がやる気に満ちた顔で、握り拳を作ってみせる。私は呆気に取られて、ポカンとしてしまった。はしたなかったかもしれない。
「やっぱり、爵位はあった方が便利か? 爵位って、いくらで買えるんだろう。いや、確かこの国は爵位の売買がなかったか。でも、西の国では金さえ積めば……」
真剣に何事かを呟いているルカ様の邪魔になってはいけないと、私は黙っていることにした。ふと、手に何かが触れて、それに視線を遣る。
「これは……」
私の世界は、灰色をしている。
その筈なのに。どうして。いったい、いつから……? いつから、こんなに……色鮮やかになっていたの。
「きれい」
ルカ様から頂いた薔薇の花束は、赤にピンクに白にオレンジに色鮮やかで。それらの薔薇を主役に、かすみ草が可愛らしさを引き立てていた。
「花がお好きですか?」
「え、あの……」
「ん?」
「ぜ、全部、貴方が下さるもの、全部、嬉しい、です」
「……へ?」
そうだ。全部、嬉しかった。恐縮してしまう気持ちもあるけれど、嬉しかったのだ。ルカ様からのプレゼントは、全部。
「わ、私、頑張ります! もっと……自信! ですよね。自信が大切なんだわ!」
「あ、あの?」
「貴方にここまで言って頂いて。ここまでして頂いて。わ、『私なんか』なんて、言いたくない、の……」
胸の前で両手を握り締める。まだまだ不安が大きくて、私がこんな事を望んでいいのか分からない。でも、望みたい。頑張りたい。
「堂々と貴方の愛に応えたい、です!」
自分の意見をこんなにハッキリと言ったのは、産まれて初めての経験だった。心臓がドキドキとする。手が情けなく震えていた。
しかし、ルカ様からのお返事はなくて。呆れられたかもしれない恐怖に、目をきつく閉じた。どうしましょう。
「あ、あの、えっと……今、ちょっとこっち見ないで貰えませんか。ちょっと、これ……。どうしたらいいだ」
所々、声が裏返って聞こえた。それに、恐る恐ると目を開ける。何故か不安や恐怖よりも好奇心が勝ってしまった。その欲求に従って、そっと視線を上げる。
顔を真っ赤にしたルカ様と目が合った。瞬間、ルカ様が顔を凄い早さで逸らす。更に、両腕で隠してしまった。
「だ、駄目だって言ったのに! あー、もう! そんなこと初めて言われたんですよ! どう反応していいのか分からないので、見ないで下さい! だらしない顔してるから……お願いしますよ……」
アルバート様相手に堂々と渡り合ったり、何処か飄々とした余裕のある笑みを浮かべるルカ様が。おたおたとしていらっしゃる。
「見たい、です」
「ちょっと!?」
「ふっ、ふふっ、思わず」
「え、あ……」
ルカ様が、驚いたように目を真ん丸にする。そこで、私は自分が笑っていることに気付いた。それに、ルカ様よりも私の方が驚いたかもしれない。
「え!? どうしました? 何で泣いてるんです?」
慌てて隣にやって来てくれたルカ様に申し訳ないと思いつつも、涙が止まらない。勝手に目から次々と溢れ落ちてくるのだ。
「う、嬉し、涙なん、です。違うの。驚いて、しまって……」
「何に?」
「わたし、わた、し……」
「はい」
「まだ、笑えたのね」
ルカ様が、私の言葉に困ったような顔をした。迷うように視線を動かして、最終的に私と目を合わせる。
「本音を言えば抱き締めたい、の、ですが……。はしたないと怒りますか? 高貴な方は愛する人の涙をどう拭うのでしょう」
あぁ……。溢れて止まないこれは、何と呼ぶのがふさわしいのかしら。誰にはしたないと怒られても構わないから、今この瞬間、私は貴方に抱き締めて欲しい。
衝動のままルカ様の腕の中に飛び込む。しっかりと抱きとめてくれたルカ様は、「俺の腕の中でなら、好きなだけ泣いてくれても良いんですよ」そう優しく慰めて下さった。
「ルカ様は、その……。あ、あい」
「愛していますよ。これも言いましたけど、一目惚れは嘘ではないので」
「で、でも」
「会うたび会うたび、好きが募っていたのですが……。今日はもう、愛しさで爆散するかと思いましたね。いやぁ、危なかった」
先程までのおたおたは何だったのか。恥ずかしげもなく、さらっと言われて言葉に詰まる。上手く想いを伝えられなくて、ただ抱き締める力を強めることしか出来なかった。
******
豪華絢爛なパーティー会場に、少しの居心地の悪さを感じながら隣に立つ人を見遣る。今日のパーティーは、彼と私の婚約披露の場。
私などがという気持ちと、豪華絢爛さに気後れするのと。でも、彼が主役ならばこれくらいは当たり前なのかもしれないという思いと。
「落ち着きませんね」
「うぅ、煌びやか過ぎて」
「んー……? パーティーにお呼ばれする機会も少なくないのですが。こうした場は、どれだけ豪華にするかの勝負ではないのですか?」
「そ、そうなのでしょうか?」
「まぁ、今回は国王陛下がお祝いに催して下さるというので、全てお任せしたからなぁ」
国王陛下といったいどのような取引をされたのか。アルバート様との婚約解消。ルカ様との婚約及び婚姻の許可。どうやったのかを聞いても“色々と、ね?”などとはぐらかされるばかりで、内容は分からずじまい。
「ふむ……。隣国よりも少々古典的。気品を重視してるのか」
「ルカ様?」
「……すみません、癖で思わず。パーティーは基本、市場調査目的で参加するので。その国の流行が分かりやすく出るんですよ」
「国によって、違うものなのですか?」
「それは、もう。きっと、驚きますよ」
私は、ルカ様に付いていく事を決意した。この国を出るのだ。怖くないと言えば、嘘になるけれど。それよりも、期待の方が大きい。心が踊るとは、こういう気持ちの事を言うのかしら。
それに何より、ルカ様がいてくれる。それだけで、とても安心する。心強いと感じるの。あとは、単純に、ルカ様と離れたくない。
「エレノア!!」
大きな声で名前を呼ばれて、肩が跳ねた。この声を私はよく知っている。冷たくて、威圧的で、いつも私を突き放す声。
振り向いた先には、想像した通りアルバート様が立っていた。
「やっと、会えた。あぁ、エレノア」
「ご、ごきげん麗しゅうございます」
「何のご用でしょうか?」
「貴様は黙っていろ!! この、卑しい商人の分際で!!」
アルバート様がルカ様に怒声を浴びせかける。何て失礼なの。ルカ様を悪く言わないで欲しい。そう思うのに、ほの暗い恐怖が纏わりついて声が出なかった。
「可哀想なエレノア。俺が今救ってやるから。お前も分かっているだろう? 俺がこんなにもお前を愛していることを」
この人は何を言っているのだろう。分からない。ただ怖くて、拒絶するように首を左右に振った。
怯える私を守るように、ルカ様が一歩前に出て下さる。それに甘えて、ルカ様の後ろに隠れた。
「エレノアに触れるな!」
「流石は次期公爵様ですねぇ。愛しているだなんだと。ジョークが上手くていらっしゃる」
「何だと? この俺を愚弄する気か!?」
「そんなそんな。わたくしはただ、名前を呼ぶなだの。顔を隠せだの。貴方が彼女に言った暴言の数々、しかと覚えているだけのこと」
「違う! 暴言などとそのようなつもりは……。名を呼ぶなと言ったのは、照れていただけで! それに! エレノアは美しいから、他の者に見せたくなかったんだ! 分かるだろう。な、エレノア?」
私を縋るように見てくるこの人は、何なのだろうか。急激に頭が冷静になっていく。それと同時に、自分でも驚くほどの嫌悪感が湧き上がった。気持ち悪い。
「自棄に抗議してくると思えば……。まさか本当に、そっちだったのか」
「そいつは、商人だぞ? 苦労するに決まっている!! エレノア、さぁ、はやく」
「おやおや、困った方だな。貴方には、ウィラワズ侯爵令嬢がいらっしゃるではありませんか」
「デイジーなどどうでもいい!! 嫉妬して欲しかったんだよ、エレノア。愛しているのは、君だけだ」
「想定を軽く越えてくるヤバさだな。さて、どうやってお帰り願おうか」
ルカ様を侮辱して、困らせて。挙げ句の果てに、デイジー様まで軽く扱うような発言。なんて、なんて! 自分勝手な方なの。信じられない。許せない!!
そう思った瞬間、いても立ってもいられなくなって体が勝手に動いていた。ルカ様の後ろから出て、前へと。足が震える。大丈夫。私にだって、出来るわ。
何を勘違いしたのか。アルバート様が嬉しそうな顔をした。
「こ、こま、困ります!!」
「……は?」
「私の心は、もはや貴方にありません!! 遥か、遠く、昔から、です!!」
「何を言ってるんだ? 君も俺のことが好きだろう。愛しているだろう」
「いいえ!! 私はルカ様の婚約者ですもの。因みに、これは、じ、自慢! です!!」
「嘘だ……」
「爵位など、えっと……。そうです。私は、ルカ様のためなら、苦労したって構いません!! 頑張ります!!」
言った。上手く言えているかは自信がないけれど……。でも、逃げなかった。私にも出来た。
「嘘だ!! 嘘だ嘘だ嘘だ!!」
狂ったように叫び出したアルバート様に、喉から引きつったような悲鳴が漏れる。どうして。この人は、私の気持ちを嘘にしてしまうの。
「やれやれ、次期公爵様は恋愛下手でいらっしゃるようだ」
「貴様……っ!!」
「女性が一番美しい輝く瞬間をご存じないとは。いやはや、勿体無いことです」
私の気持ちに耳を傾け、大事に見守ってくれたのだろうか。でも私が力不足だから、結局は彼に頼るしかなくて。情けない。なのに、嬉しい。ルカ様が私の味方でいて下さるのが。
差し出された手を取って、引き寄せられるままルカ様に身を委ねた。正面から真っ直ぐに私だけを映す金色の瞳が、優しく細まる。
「さぁ、エレノア。この世で一番愛しい人。笑ってください。ドレスも宝飾品も、全ては美しい貴女を引き立てるためだけに用意したのですから」
「はい、ルカ様」
今この瞬間、何の不安もなかった。自然と頬が緩む。貴方は私に、笑顔をくれる凄い方。
「これは、何の騒ぎだ!」
聞こえてきた声に、人が避けて道が出来る。そこには、国王陛下がいらっしゃった。慌てて礼をする。ルカ様も恭しく辞儀をされた。
「陛下! 婚約解消の件ですが、俺は」
「婚約解消? あぁ、その件か。なに、感謝はいらんよ。アルバート卿は、ウィラワズ侯爵令嬢のことを好いておるのだろう」
「……え?」
「政略結婚など珍しい話ではないが……。好いている相手がいるならば、な」
国王陛下の様子からして、本気でそう思っていらっしゃるようであった。更に国王陛下は「めでたい話だ」と続ける。
「ウィラワズ侯爵令嬢との婚約が正式に決まった。おめでとう、アルバート卿よ」
「……は、い??」
「探しましたのよ、アルバート様」
「デイジー!?」
「ふふっ、やっと手に入った。私のアルバート様。私、浮気は許しませんわよ。今まで通り、私だけを愛してくださいませんと」
アルバート様が、力なくその場に崩れ落ちた。それでも、彼女はアルバート様を幸せそうに見つめていて。
「腰を抜かすほどお喜びとは」
「なるほど。それならば、よかった」
「国王陛下、此度はよい商談になりました。感謝致します」
「あぁ、良き商談になった。また是非、我が国へ来てくれ」
「えぇ、機会があれば」
ルカ様と国王陛下が握手を交わす。本気で、どんな商談をされたのかしら。
その後、「本日は、心行くまで楽しんでくれ」と国王陛下に言って頂き別れた。勿論、アルバート様とは永遠に。
「あの、エレノア」
「何でしょうか?」
「宝飾品の輝きが物足りないと思いませんか」
「……え??」
「エレノアが美しすぎてですね。やはりもっと高価なものを手配するべきだったか」
「これ以上の? い、いえ、ありがとうございます。嬉しいです」
贈り物はルカ様の愛情表現だ。遠慮するのは、ルカ様の愛を蔑ろにするのと同義。堂々と受け取ってみせる。でも、やはり、これ以上高価なものは気後れしてしまう気持ちが強い。
「んー……? もしかしなくても、困ってます、よね? 正直に言ってください」
「えっと……。その、少し」
「ですよね。ひ、控え、いや、う、ぐっ、考えます!!」
ルカ様が苦悶の表情を浮かべる。そんなに……。どうしようかと考えていると、不意にルカ様がハッとしたような表情になった。
「そうだ。さっきの商談という言い方。良くなかったですよね」
「いいえ、大丈夫です。分かっております」
「……へ?」
「ルカ様は、私の幸せを買ってくださったのでしょう?」
何故かみるみるとルカ様の顔が赤くなっていく。急に「うわー!」とルカ様は両手で顔を隠してしまった。驚いて、私の口から間の抜けた声が漏れる。
「俺をどうするつもりなんですか。本当に……もう……俺の表情筋の頑張りが凄い。さっきはよく耐えたと思う」
「ルカ様??」
「駄目です駄目です。今はこちらを見ないで下さい」
「私は、どんなルカ様も、い、愛しい、です」
しどろもどろになってしまった。あんなに何度もこっそり練習したのに。情けなくて、ちょっと泣きそうになった。
「なにが……」
「え?」
「何が欲しいんですか!? いくらでも積みますよ!!」
「あらまぁ……」
それは、先程……。いや、控えると言い掛けて、考えるに変更されたのだった。
「何でも?」
「え? あるんですか!? 勿論ですよ、何でも!!」
「では、その……お返事を」
ルカ様は一瞬、キョトンと目を瞬いた。しかし、直ぐに何が言いたいのか伝わったのだろう。次の瞬間には、柔く笑っていた。
あぁ、きっと。大丈夫。ルカ様が隣にいてくださるなら、私は幸せなのだから。
「俺も愛してますよ。貴女の全てが愛しい」
私の世界は、貴方の愛で鮮やかに色付く。
お読み頂き、ありがとうございました。
楽しんで貰えると喜びます。