猫は不敵に笑う時、それは欠伸かくしゃみの前触れです
「まったくよぉ~~・・・仕事が休みになったってのに、家のビールが切れるなんて・・・ウーバーも使えねぇって、ついてねぇぜ・・・。」
缶ビールを片手に足取りが覚束ない一人の男性が愚痴を零しながら強風の中、歩いている。
人気のない道を男性は買い物を済ませて、家路を急いでいた。雨が降りしきる中も、役に立たない傘は捨て、カッパ一つで男は強風の中を千鳥足で突き進む。
〔ブゥーッ、ブゥーッ、ブゥーッ、ブゥーッ、〕
そうこうしていると、男性のポケットのスマホが着信音を告げるように震えだす。
「ちっ、なんだよ・・・こんな時に・・・仕事じゃないだろうな・・・クソ上司。」
男性は舌打ちをしながらポケットに手を突っ込んで、スマホを取り出して、耳に近付ける。
「はいっ」
「もしもし、私メリーさん・・・今、貴方の後ろにいるの?」
「・・・えっ?」
男性は非通知の相手が突拍子もないことを言い始めた事に理解が追いつかない。
「ねぇっ・・・私、きれい?」
〔カツンッ〕
男性は突然、目の前に現れたマスク姿のびしょ濡れの女性に驚き、驚きのあまり手に持っていたスマホを落としてしまう。
「ひっ・・・。」
男性は振り向けない。
確かに今まで誰もいなかった男性の背後に、確かな気配を感じたからでもあり、マスク姿の女性が男性を凝視して、近付いてくるからでもあった。
「ひやああああああああああああああああああっ!!!」
男性の最後の断末魔が町中に響き渡る。
しかし、豪雨と暴風でその声は掻き消され、男性の存在すらも今となって世界から消えうせた。
〔チリンッ〕
「ミィちゃんっ、何処行ったの?」
ある家の中に鈴の音が響き渡り、それを探す男の子の声が続く。
暗い部屋の中、一匹の猫が窓際に腰を下ろして、ジッと外を見ていた。
そこには常人では見ることの出来ないおぞましい姿の者共が数体、何かを求めて彷徨っている。
「げへへっ、邪魔者がいないが獲物もいないんじゃ寂しい限りだ。」
人の形をしているものの、全身が焼けただれた様な皮を引きずっている何者かがガラガラの声を口らしき所から絞り出す。
「・・・ヒューーーッ、あいつどこ?ヒューーーッ、寒い寒い・・・。」
顔が隠れるほどの髪に覆われた女性と思われる血塗られたシャツを着る何者かが、首から風切り音を立てて歩いている。
「・・・・・・お前達・・・ここから立ち去れ・・・。」
「ッ?!」
人らしき者が透き通る女性の声に驚き動きを止めて、その声の主に視線を移す。
吹き荒ぶ強風と打ちつける豪雨の中、その猫は何も干渉できないように風も雨も避けるようにその存在だけが際立って、そこに存在していた。
「お前達・・・二度は言わないよ・・・今すぐここから去れっ。」
猫は透き通る確かな声でそう人ならざぬ者に警告する。
「・・・・・・。」
二匹の人ならざる者は互いに目らしきモノを見合わせてキョトンとして、次の瞬間、笑い出す。
「・・・分からないなら・・・この場で、お前ら如き消し去って上げてもいいんだよ?」
「ッ?!」
その瞬間だった。
猫が背を少し伸ばして、目を見開いた瞬間。
二匹の悪霊は身の毛がよだち、恐怖に震え上がった。
猫の背後に9つの大きな尻尾のような影が這い伸びて、猫の眼光が鋭く血よりも紅くギラついたのだ。悪霊達はその瞬間、自分達が分不相応な御方の領域を侵したのだと魂の底から理解して、慟哭を木霊せながら、その姿を消して行った。
「あらあら、お元気そうね・・・玉藻前。」
その者もまた、何ものも不干渉の絶対領域を持ち、暴風と豪雨の中を何も感じぬままに歩いていた。
「・・・大神・・・よく私の前に姿を現せたわね・・・。」
猫は塀の上に伏せの状態で、尻尾を丸めて、警戒するようにその人物を睨みつける。
大神は明るく元気いっぱいの伊予の姿で猫とは対照的にニコニコして上機嫌だった。
「あらら、どうしてそんなに私を嫌うの?私、何かしたかしら?」
大神はとぼけるように右手の人差し指を右頬につけて、首を傾ける。
〔シャーッ〕
「冗談じゃないわ・・・人を生まれた傍から殺そうとしておいて、何もなかったなんて済まされないわっ。」
猫は少し毛を逆立てると、威嚇しながら大神に怒鳴る。
「ふふふっ・・・私はそんなことしないわ・・・ツックンがもしかしたら賽の目にそういうことを忍ばせたかもしれないけど・・・それでも、運命は貴方に味方したんじゃない?」
大神はニコニコの明るい表情を崩す事無く、無邪気にそう猫に答える。
「まったく白々しい・・・ツクヨミなんてあんたの忠実な犬じゃない・・・今でこそ、不干渉みたいだけれど、これ以上、私とあの人に関わるようなら私にだって考えがあるわよ・・・。」
猫はスッと立ち上がって、大神を見下ろして、重い低い声でそう警告した。
〔チリンッ〕
嵐が荒れ狂う中、その鈴の音は透き通り、直接脳に伝わるようにその場に響き渡る。
「あの人が探してるわ・・・あの人、寂しがり屋なの・・・大神、警告はしたわよ。」
猫はそういうとフッと飛んだかと思うと空中に溶け込んで姿を消した。
大神は消え去る猫の一部始終を見終えた後に、左手で口元を隠して笑う。
「ふふふっ・・・三大妖怪に名を連ねる『玉藻前』の九尾の狐が今では、一人の男の虜だなんて・・・可愛いミィちゃんだこと・・・。」
大神もまた、そう言いながら道を歩きつつ、その姿を溶け込ませていく。
二人の次元を越えた存在が姿を消すと、許可が出たかのように嵐の爆音がその空間を支配した。そして、その周囲一帯の悪霊や怨霊はそれ以降一切姿を見せることはなかった。




