(8)戸惑い
シロはすでに覚悟を決めていた。
彼女は軍事専門のバイオロイドである。主となったサダムと駆逐艦ユウナギ号の運命を、正確に予測していた。
ここは敵地。しかも、アニマ族が支配する領域の中でも辺境と呼ばれている場所である。
こんなところに単独で漂流している敵対種族の軍艦が、無事に生還できるはずもない。
通常航行では何年かかってもたどり着けないし、かといってワープを多用するのも自殺行為である。
宇宙船などの巨大質量がワープすると、ワープインとワープアウトの地点に、大きさの等しい正と負の重力波が発生する。
これを探知されると、容易に現在位置が知られてしまうのだ。
辺境ならばともかく、これから向かう公宙領域付近は、特に警戒が厳しくなっている。
特に、“猟犬”の異名を持つガラム隊にでも狙われでもしたら、最悪だろう。
攻撃特化型のユウナギ号では、まず逃げ切れない。
シロは現状を把握し、今後のあらゆるパターンを考慮した上で、己の中に結論を出していた。
どのような運命が待ち受けているとしても、全力で艦長をお助けするだけだと。
シロの覚悟とは、サダムともに死ぬ覚悟であった。
◇
『これは、なかなかよい氷でございますね』
どこからともなく現れたGRDCの調査艇から通信が入った。
ディスプレイに現れたのは、マシナリー族のマイケルである。
『重力圏にとらわれていない巨大質量の氷は貴重です。所有者登録もされておりません。第一発見者たるサダム・コウロギ様の申し出と第三者である私の確認により、所有権が確定しました』
恒星内空間にある物質については、アニマ族の政府に届出を出して所有権を主張する必要があるが、恒星と恒星の間、つまり星間空間を漂流している物質については、見つけたもの勝ちになるらしい。
「で、いくらになる? 概算でいいんだけど」
談話室のモニター越しに、サダムが聞いた。
『正確な金額は測量しなくては分かりませんが、そうですね。ざっと試算したところ……』
マイケルが口にした金額に、サダムは注文をつけた。
「その半額でいいから、すぐに買い取ってくれない?」
『半額、でございますか?』
無表情だったマイケルの片目が、わずかに広がった。
「金ってのは、ほら。必要な時にあって、初めて役に立つものだろう?」
『まさに、金言ですな』
おそらくマイケルは、こちらが置かれている状況を正確に把握している。商売としては足元を見られかねない状況だったが、サダムは意に介さなかった。
『よろしいでしょう』
交渉は驚くほどあっさり成立した。
とはいえ、正式な手続きには十日くらいかかるらしい。
『それではヒューマル族のお客様。よい航海を』
「ああ、また頼む」
その間、シロはサダムの様子をじっと見ていた。
自分の主は、なんというか、決断が早い。そしてこちらが考えもつかない行動を選択する。
駆逐艦ユウナギ号の電脳制御にアクセスして、過去の行動記録を確認したところ、この艦は二度に渡る危機的な状況を、信じられないタイミングと手法で切り抜けていることが分かった。
ひとつは、アステロイド帯でのランダム・ワープ。
そしてもうひとつは、“物体X”への衝突回避だ。
シロのシミュレーションでは、これらの状況下において生還できる可能性は、ほぼゼロだった。
それなのにサダムはまだ生きていて、廃艦寸前だったはずの駆逐艦ユウナギ号は復活しようとしている。
「艦長、意見を具申してもよろしいでしょうか?」
「シロぉ」
「はい」
サダムは面倒くさそうに手を振った。
「許可なんてとらなくていいから、好きな時にどんどん言ってくれ」
「は、はい」
この艦長は形式などどうでもよいと思っているらしい。
脳髄の機械領域に主に対する忠義と服従をプログラムされているシロとしては、どうにも戸惑ってしまう。
「先ほど購入した物資の搬入は、すべて完了しました。すぐにここを離れるべきだと思います」
「え? なんで?」
“物体X”にはバロッサ万獣将の個人宙港が設置されていた。
通常、この手の基地は自軍にも秘密にするものだが、親しい知人には伝えている可能性がある。
そして、戦艦ゲルニカが駆逐艦ユウナギ号によって撃沈されたという情報は、GRネットワークによって銀河中に知れ渡っているのだ。
「バロッサ万獣将の生死を確認するために、アニマ軍がこの宙域に艦隊を派遣する可能性があります」
「げ、まじかよ」
サダムはソファーの背もたれに両腕をかけ、天井を仰いだ。
「ワープで逃げるか」
「敵領域内においてワープを行使した場合、逆にこちらの座標を特定される危険があります。艦の修理とカスタマイズが完了するまでの間は、通常航行がよろしいかと」
「じゃ、そうしてくれ」
「航路はいかがいたしましょうか」
シロは談話室のモニターに、宙域地図を表示させた。アニマ族の領域内にあるすべての恒星が表示されている。
万獣将バロッサの補佐役として作られたシロは、アニマ族の領域の宙域地図や、アニマ軍の人事情報など有していたのだ。
苦心の演算の結果、シロは駆逐艦ユウナギ号の現在位置から公宙領域までの航路を、ざっと三百通りほど導き出していた。
宙域地図に無数の光の線が走り、その中の一本が黄金色に輝く。
「まずは、パターン一から説明します」
「あ~」
まるで悪い予感でも察知したかのように、サダムはソファーから立ち上がった。
「シロに任せるわ」
「え?」
「一番よさそうなやつでやってくれ」
そう言って、逃げるように談話室を出て行く。
「トイレ、トイレ」
「か、艦長……」
この主は、よく分からない。
見かけも言動もおよそ軍人らしくなく、艦長らしい威厳も感じられない。
そんな瑣末なことで自分の忠誠心が揺らぐことはないが、まさか艦の作戦行動に関する重要な決断を、丸投げされるとは思わなかった。
「どの航路を選べば……」
シロは自分の精神状態を表す領域に、強い負荷を感じていた。
それは、人間でいえば不安の感情に酷似していた。
たとえ理不尽な選択でも、強固に命令された方がはるかに楽だっただろう。
何故ならば、シロはそのように造られているから。
ロボットやアンドロイドのAI以上に、シロは主の好みに合わせて自分を変化させていく能力を有している。
しかしそれはあくまでも対症療法のようなもので、まったく足りていないような気がするのだ。
「もっとドラスティックに変わる必要が、あるのかしら?」
シロの独白は、現実のものとなった。
翌日から艦橋や談話室の模様替えを行うことになったのだが、サダムのセンスにシロはついていくことができなかったのである。
「シロ、この屏風、どこに立てようか?」
「びょ、屏風、ですか? え~と」
「あと、垂れ幕な」
「そ、それは、どのような機能を持つのでしょうか」
「え? 賑やかしだけど」
意味不明である。
談話室には畳が敷かれ、コタツと呼ばれる暖房機器が導入された。
ほぼ絶対零度の状態に晒されている宇宙船内では、効率のよい暖房器具が尊ばれる。そういう意味ではコタツはまだ理解できたが、古びた茶だんすや巨大な振り子時計、ガラスケースに入った皐月人形、掛け軸、香炉、そして明らかに意味不明な障子戸には対応することができなかった。
役に立ったといえば、力仕事くらいのものだろうか。
「そういえばさ。シロって、料理できる?」
「はい。AIスキルを購入していただきましたので」
「おおっ、じゃあ、何か作ってくれ!」
「お任せください。どのような料理がよろしいですか?」
「何でもいいや。食べたことないし」
スペースカロリーとビタミンドリンクばかり口にしていたサダムは、期待に胸を膨らましているようだ。
副官たるもの、上官の期待には全力で応えなくてはならない。
シロは気合を入れた。
数ある料理の中から、主好みの一品を選び抜いてみせる。
ここは古代の宮廷料理にも負けない、最高の食材と超絶技巧を凝らした、究極の料理を――
「あ、そんなに凝ったやつじゃなくていいから」
「え?」
シロの構想は音を立てて崩れ去った。
凝らない料理?
それは手を抜けということだろうか。
手を抜くにしても、何割くらい抜けばよいのだろうか。
そんなことすら決められない自分に、シロは愕然とした。