(54)夏休み
「おーし、みんないくぞー」
「はい、艦長!」
「任せろ」
白く美しい砂浜と、薄い青の空。そして、光り輝くエメラルドグリーンの海。
日差しはそれほど強くなく、波は穏やか。
「ほりゃ」
サダムが投げた円盤型のフリスビーは、かなりゆっくりとした速度で、しかし真っ直ぐに進んだ。
「くっくっく。来たぜ」
正面にいたダイキ・キタザワは、鼻息を荒くした。
円盤を投げて、つかむだけの簡単なゲーム?
違う。こいつの本質は――観察だ。
狙うは、相手がジャンプして、ぎりぎりキャッチできる位置。
上昇から下降に移る刹那、そして着地の際に発生する慣性の力。
女性の身体のもっとも柔らかな部分が、やや遅れて振幅し収束する様を、さりげなく、そして全力で網膜に焼きつけるのだ!
まずはサダムとシュウを除外して、観察の対象を誰にするか。
妖艶なコルセットビスチェのヒイラギか、抜群のプロポーションをモノキニで包んだタチバナか、それともフリルデザインのワンピで妖精のように着飾ったシロちゃんか。
いや、意外と着痩せするタイプだったカスみん先輩や、健康的なマオ先輩も捨てがたい。
集中力が散漫になっていたダイキは、異変に気づくのが遅れた。
フリスビーの縁のあたりからいくつかの小さなノズルが飛び出して、ジェットを噴射したのである。
「――へ?」
回転力を増し、一気に加速したフリスビーは、ダイキの頬を掠めて空の彼方へと吸い込まれていった。
みながあ然とする中、唯一、反応したのはシロだった。
砂煙を上げながら数百メートルを爆走し、高らかにジャンプ。振り向きざまにフリスビーをキャッチすると、空中で一回転して着地。すぐさま猛スピードで戻ってくる。
「はっ、はっ。艦長、やりました!」
「よーし、よし」
ダイキがサダムに詰め寄った。
「お前――俺を殺す気か!」
「いや、だって。フリスビーを投げて、遠くでキャッチした方が勝ちらしいぞ」
「遊びというより、競技じゃないのか?」
シュウ・サオトメが呆れたように呟く。
「あ、あのっ、艦長」
琥珀色の瞳を輝かせながら、シロが懇願した。
「もう一度、投げていただいてもよろしいでしょうか?」
「おーし」
わいわいがやがやと、見物客たちが押し寄せてくる。
その後は、みんなで歓声を上げながらシロのミラクルキャッチを鑑賞する回となった。
「おーおー、若者たちは華やかでいいねぇ」
ビーチパラソルの下、ひとり荷物番をしながら寛いでいるのは、ジロさんこと、ジロー・ヤマウラである。
ビールをちびりと飲みながら、横目で見る。
「で、君たちは何してんの?」
砂の中に首まで埋まって苦悶の表情を浮かべているのは、戦艦部隊長のタケシ・オオタ、ケンタ・コスギ、ゴロー・クマダ、ヒロユキ・ホシの四人だった。
「わ、分かりません」
「艦隊長曰く、定番の“遊び”ということで」
「うぐぐっ、動けん。か、蟹が――」
「しかしこれは、これで……むむ」
波打ち際では、ユージ・ハタナカがスコップを砂浜に突き立てていた。
ここには特産の二枚貝がいて、掘れば掘るほど出てくる。
夕食の食材調達を自らかって出たハタナカだったが、かなり後悔していた。
原因は、何故か一緒についてきたマモル・ザイゼンと、謎のデモリア族の男、ツノマルである。
背中で哀愁を漂わせながら、ザイゼンはどうにもならない悩みごとをぶつけてくる。
「……ハタナカ先輩。仮に、ですが。艦内で、女性の副艦長と女性の主任バイオオペレーターが対立した場合、艦長としてはどのように対処すればよいのでしょうか」
「辛いねぇ」
潮干狩りを楽しみながらする話ではない。
一方、デモリア族のツノマルは、何かに取り憑かれたように高速で手を動かして、大量の二枚貝を集めまくっていた。
「死んでやる、死んでやる。なんだこのふざけた名前は。勝手に決めおって。死んでやる、死んでやる……」
ぶつぶつと怨嗟の念らしきものを呟いているようだが、あえて気づかないふりをする。
このデモリア族の男は、第九十九艦隊の艦長会議にも参加していた。軍事の専門家で、デモリア国から亡命してきたらしい。
今はヒューマル軍において少佐の地位にあり、先日の戦いにおいて素晴らしい働きを見せ奇跡的に回収された高速巡洋艦、トンシ丸の艦長になったそうだ。
「……ハタナカ先輩。仮に、ですが。軍部内で将官クラスの上司に睨まれ、出世の道を閉ざされそうになった時、どのように対処すればよいのでしょうか」
「重いねぇ」
ヒューマル軍が管理するツバキ星系第三惑星――ツバキ三は、その表面を広大な砂漠で覆われた不毛な星である。
人が住むには適さない場所だが、わずかに残された海の周囲が、天然のビーチを形成している。
ここは一般人も利用可能な保養施設となっていたが、緊急警戒体制が解除されていないこともあって、第九十九艦隊に所属する艦長とその乗務員たち、計三万人による貸切状態だった。
彼らはサダムの命令でこの場にいた。
名目は、今後の艦隊に関する方針説明だという。
砕けた雰囲気で行いたいので、動きやすい普段着にて集合、水着持参とのことだったが、
『次、“スイカ割り”いってみよう!』
拡声器を使ったサダムの合図で運搬用のドローンの群れが運んできたのは、やけにごつごつした巨大なスイカだった。その数、ざっと一千個余り。
『あー。男女問わず、ストレスの溜まってる人、求む』
用意されたのは、鉢巻と金属バットだった。これらを装備して、思い切りスイカを殴りつけるのだという。
『ある程度ダメージを与えると、“爆弾スイカ”は八つに割れるらしいから、みんな頑張って』
命を賭けた戦闘の後に、ストレスの溜まっていない軍人などいない。最初は戸惑っていたものの、みなやり始めると楽しくなってきたようで、笑い声を上げながら巨大スイカにダメージを与えていく。
『あ、言い忘れてたけど。それ、十分以内に叩き割らないと――爆発するらしいから』
笑い声が、ぴたりと止んだ。
「やばい。なんか、膨れてきた」
「手を止めるな。全力で叩け」
「うおぉおおっ!」
「は、早く――早くっ!」
「ふ、震えてる」
「いやあああっ!」
阿鼻叫喚の地獄絵図をじと目で眺めながら、リン・タチバナが聞く。
「……おい、サダム。このイベントは、いったい何なんだ?」
「ん〜、伝統行事?」
ヒューマル族に伝わる伝統の“夏”の遊びを調べ上げて、実行しているのだという。
「私たちのご先祖さまが、こんな遊びをしていたとは初耳だが。そうじゃなくて――こんな時期に遊んでいて、だいじょうぶなのか?」
“シュラ大戦”と命名された先の戦いでは、かろうじてデモリア軍の侵攻を阻止したものの、要塞駐留艦隊は四万隻を超える大きな被害を受けた。
また、エルフィン国の領内に遠征していたゲン・ハラダ中将率いる遠征艦隊が帰還したが、出兵した十三個艦隊、約八万二千隻のうち、無事に戻ってきたのは五万隻弱。未帰還率四割という大惨敗であった。
敵地における無理な撤退戦。しかも、マスラオからの緊急WD通信を傍受されてしまったのだという。エルフィン軍からの執拗な奇襲攻撃を受け続けた遠征軍は、心身ともにぼろぼろの状態だった。
現在のところ、マスラオ駐留艦隊の戦力は半減し、さらに生き残った艦の大半が修理を要する状態。どの艦隊も復旧作業に追われ、過労で倒れる者も続出しているという。
いくら第九十九艦隊の損害が軽微だったとはいえ、このような時期に遊んでいては、またサダムが上層部に睨まれるのではないかと、リンは懸念したのだ。
「ふふーん」
不敵に笑いながら、サダムは自慢げに言った。
「許可をくれたのは、マスイ元帥閣下だしぃ」
第九十九艦隊が出陣する直前に療養休暇を取得したマスオ・マスイ元帥だったが、大戦が終わるや否や、実にタイミングよく復活し、精力的に活動を開始した。
戦没者の追悼式典を行うとともに、遠征軍の将官らを労うために慰労会を催す。本国への報告、艦隊の再編計画、敵対種族の動向確認等々。その仕事っぷりには鬼気迫るものがあり、ミヤビ・シラトリ大将などに「普段からそれくらい働きなさいよね」と、皮肉られる始末。
ただひとり暇を持て余していたサダムが、何か仕事を手伝おうかとマスイに掛け合ったのだが、
『いやいやいや、コウロギ――君』
脂汗にまみれた、やけに愛想のよい笑顔で断られてしまった。
『君は、今回の大戦の、いわば功労者じゃないか。ゆっくりしていたまえよ。そうだ。なんだったら、気分転換に少し羽根を伸ばしてはどうかね? たとえば、ツバキ三などは、若者にぴったりのリゾート地――いや、保養所だ。なぁに、名目上は、艦隊の今後の方針説明とでもしておけばよい。出張費も出るぞ』
マスオ・マスイとしては、自分の失態を取り戻す、あるいは隠蔽するために、サダムが近くにいては何かと都合が悪かったのである。
「懐の深い人だぜ」
「お前、騙されてないか?」
感慨深そうに頷いているサダムを見て、リンはげんなりした。
「強制イベントは構わないが、金も手間もかかるだろう。わざわざこんなところまで来なくても、VRでよかったんじゃないのか?」
そう聞いたのは、“爆弾スイカ”がやばいと知って、そそくさと逃げてきたシュウである。
サダムは砂浜の一角を指さした。
ダイキが泣きながら金属バットを振るう女子のところに駆け寄り「こんなところにも、慣性の力が!」と大喜びしていたが、
「も、もう、だめー!」
バットを放り出して女子が逃げ出し、代わりにダイキが“爆弾スイカ”の餌食となった。
「現実だから意味がある。そう思わない?」
「ふむ」
いくつかの奇妙なイベントが終わると、宿泊施設でシャワーを浴びて、少し休憩。
夕食は、高級食材を使った豪華なバーベーキューだ。
その後、花火大会を開催するとのことで、再び夜の浜辺に集合する。
ここでみなを驚かせたのは、ドローン花火だった。
数万――いや、数十万機もの小型ドローンが、さまざまな光を発しながら夜空を舞う。
そのあまりにも幻想的な美しさに、観衆たちは感嘆の声を上げた。
VRの技術を使えば、手軽に費用をかけず、現実以上の体験をすることできる。だが、実際に筋肉を動かすわけではないし、感覚細胞が刺激を受けるわけでもない。
ゆえにVRに比べて現実での実体験は、脳の記憶領域に深く、鮮やかに刻まれるという。
つまり、思い出として残りやすいということだ。
変なイベントもあったけれど、けっこう楽しめた。
料理は美味しかったし、花火はとても綺麗だ。
第九十九艦隊に所属する約三万人の軍人たちは、おおむね満足そうに夜空を見上げていたが、
『全員、海上を注視せよ!』
突然、シロの声が響き渡った。
すべてのドローンが青色や白色の光を放ちながら、海の上を覆い尽くす。
それはまるで、波しぶきを上げる大波のよう。
『我らがサダム・コウロギ閣下のご登場である!』
大波が中央で割れ、中から現れたのは、白い軍服姿のサダムだった。まるで自分が波を割ったかのように両手を大きく広げている。
宙に浮いているのは、ドローン土台に乗っているからだろう。特別な時に身につけるらしい金色の縁取りの入った襷の文字は「一攫千金」。
『はい、それでは。ツクモ艦隊の今後の方針ですが』
完全に油断していた彼の部下たちは、とっさに頭を切り替えることができない。
『大運動会を、開催します!』